〝内なるボンヘッファーを呼び覚ませ〟
ナチス支配下の神学者が問う「行動する信仰」

 ナチス・ドイツへの抵抗を試みて処刑された神学者ディートリヒ・ボンヘッファー。ヒトラーとホロコーストをテーマや背景に含む映画は日本でも数多く公開され続けているが、キリスト教信仰との相克をここまで真正面から捉えた作品は稀である。自身は100%クリスチャンで信仰に人生を救われてきたと語るトッド・コマーニキ監督へ、本作の製作背景と監督の考えるところを聞いた。

――聖書の十戒に「殺してはならない」とあるように、牧師が殺人計画へ参与することは深刻な存在論的矛盾と言えるほどに困難な問題が伴うように感じます。

 まさしくその点こそ、ボンヘッファーが死の刻まで抱えた問いであったはずです。これについて友人との会話が遺されていますが、ボンヘッファーはそこで、「ヒトラー暗殺、神はこれをすることを罪とみなすだろうか。あるいは、これをせざることを罪とみなすだろうか」と問うているのです。

 第一次世界大戦で兵隊にとられた実兄の戦死が本編でも序盤に描かれていますが、もともとボンヘッファーは平和主義者でした。しかし母国ドイツが年を経るごとにナチスに蝕まれ、教会はこれを黙認し、従兄弟のハンス・フォン・ドホナーニから国防軍防諜局を経由して強制収容所内部の蛮行を知るに至って、彼は決断しました。連合国からは協力を拒まれ、最大の味方であったニーメラー牧師も投獄され、行動を起こさないわけにはいかなくなったのですが、最期まで葛藤は抱えていたはずです。ただ、いくつかの目撃談などからの推察になりますが、最期の瞬間には赦されたと平穏の中で過ごしていたように思います。

――本作のナレーションは、主にボンヘッファーが獄中で記した著作や書簡集から採られています。今日でも、ウイグルやグアンタナモは言うまでもなく、地域全体が監獄のような制圧下に置かれるガザや、ロシアの脅威下で男性が出国禁止となり徴兵されるウクライナ、さらには監視社会化が進む現代都市すべてが監獄化しつつあるとも言えます。このことは本紙記事でも不定期に扱ってきたテーマですが、本作もまた監獄や強制収容所の今日性をめぐる観点から捉えられる作品だと感じました。

 その通りです。ナイジェリアでも、クリスチャンコミュニティーへの虐殺が続いています。実は父がウクライナ人で、私はウクライナのハーフなのです。ですからおっしゃることは身にしみて分かります。ボンヘッファーは、ドイツが内から侵されていると警鐘を鳴らしました。今のアメリカも、同じような状況下にありますね。国内の抑圧が厳しくなり、自由が制限される独裁的傾向は増す一方です。今こそ人々が内なるボンヘッファーを呼び覚まし、自らを奮い立たせ行動を起こすべき時だと感じています。

――第一次大戦時には潜水艦の艦長であったニーメラーは、映画の中でも初め熱烈なナチス支持者として立ちはだかります。ニーメラー牧師役のアウグスト・ディールは、これまでにも多くの反ナチ活動家やナチスに虐げられた人々をさまざまに演じてきました。一方で、ナチス軍人役でも極めて印象深い作品を残してきました。彼のキャスティングへ至る経緯と印象深いエピソードをお聞かせください。

 幼少期から舞台でもテレビでも活躍してきたアウグスト・ディールは、言うまでもなくドイツでは生ける伝説のような俳優です。彼はまず、自分に極めて厳しい。自らの演技が完璧には及ばないことを自覚し、その限界のなか深く演技を掘り下げていくのです。ですから編集段階に入っても、彼が一つの場面を演じる最中さまざまな顔をフィルムに収めたことが多層的に発見され、編集のしがいがありました。

 本作の配役は、まずヨナス・ダスラーの主役決定から始まりました。そしてアウグスト・ディールの名が挙がった時、彼の出演が実現するなら何役でも構わないと思いました。ニーメラー牧師を演じてくれて本当に良かったと思うのは、ニーメラーの「確信」性をとても明解に表現してくれた点です。前後半で彼のナチスに対する態度は逆転するのですが、「確信」の深さにおいては変わらない。この改心と折れなさの共存を非常に巧く表現してくれました。

――今日の映画におけるナチスの位置づけは、かつてのアメリカ映画におけるソ連のような《完全悪》として描かれがちですが、本作主演のヨナス・ダスラーやアウグスト・ディール、アウシュヴィッツが舞台の『関心領域』主演が話題となったザンドラ・ヒュラーのようなドイツ出身の名優たちは、そうしたナチス側の人物造形にさえ、象徴的な《悪》だけでは収まりきらない複雑な深みと幅をもたらしており、そこには何か固有の信念を予感せずにいられません。

 ボンヘッファー役のヨナス・ダスラーの祖父母はナチス党員でした。本編の中盤で、ナチスシンパを偽装したボンヘッファーがユダヤ人収容者をスイス国境へ送還する場面があります。この時、収容者をイスラエル人の若者が演じたのですが、ヨナスは彼らと瞬時に仲良くなり、涙を流していました。本作の主演を引き受けることには自らの血筋をめぐる、ヨナスなりの贖罪意識も働いたのだろうと思います。

 この映画製作を通じて私が最も感動し、今でも見返すたび涙するのは、夜中に家を訪れたゲシュタポにより窓に光が差し込み、ニーメラーが拘束され家族に別れを告げる場面です。これは彼の熱烈なファンだからこそ気づけたことでもあるのですが、この慌ただしい別れの時間の中で、息子を抱き締め食卓から起立するニーメラーが、内側のウェストコートを一瞬ぴっと引っ張り整えるのです。最期まで威厳を保ちながら、死へと歩み出る覚悟がその一瞬の仕草に凝縮されており、やはりアウグストは本物のアーティストだなと思い知らされました。

――監督が過去に脚本を担当された、奇跡的な飛行により乗客を救う事故機の機長にトム・ハンクスが扮する『ハドソン川の奇跡』や、メル・ギブソンとショーン・ペンがオックスフォード辞典編纂を共に行った学者と殺人犯を演じる『博士と狂人』などと本作に共通して感覚されるのは、特異な環境や状況に置かれた人間が淡々と己の信じるところを徹底することで発揮される、ある種の超越性のようなものです。将来作としてイスラエルでの自爆テロをテーマとした作品も構想されていると仄聞しましたが、映画作りにおいて監督が特に大事にされていることや、今後の抱負などありましたらお聞かせください。

 通底するのは、アイデンティティーをめぐる問題だと考えます。父が生前、人との初めのあいさつで“Who are you?”と尋ねていたんですね。あなたはこれから何をする人ですかと。ただの名を超えた存在であるあなたは何者か、というこの問いに私はとても共鳴します。私はどのような人間か。“Who am I?”

 『ハドソン川の奇跡』で、アクロバティックに機体を裏返して飛行する究極の選択を迫られた機長は、ある問いに晒されます。この私は、自らそうと考えてきた私とは異なる存在なのかという問いです。危機的な状況下で、操縦士となって無自覚に長年準備されてきた自らの未知の姿が、乗客を救う英雄的な姿として現れる。『博士と狂人』においてはこのことが、言葉のもつ慈悲の力、癒やす力の姿をとります。あえて〝狂人〟を迎え仕事をする意味。こうした命題を考え、映画の中で語ることができるのはとても幸運なことだと感じています。

――ありがとうございました。

(聞き手・藤本 徹)

*後日、インタビューの完全版をアップ予定。

映画『ボンヘッファー ヒトラーを暗殺しようとした牧師』
 11月7日、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷、新宿武蔵野館ほか全国公開/配給:ハーク

映画『ボンヘッファー』11月公開 信念と正義に生きた知られざる生涯 2025年10月1日

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