【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話049「Suno 5とミュージシャンの居場所」

ミュージシャンは、常にテクノロジーの上に立って音楽を作ってきた。

音楽はライブでしか存在し得なかったところに、エジソンが録音を発明した。その時の衝撃はそれはそれはとてつもないものだったことだろう。この技術こそ「音楽産業の生みの親」だ。

程なくしてマルチ録音がポップスを加速させた。真空管アンプを通したエレキギターが「歪んでしまった」ときにロックが生まれ、サンプラーが「録音を楽器化」したときヒップホップが革命を起こした。エポックなテクノロジーが誕生するたびに「機械が人間の音楽をダメにする」と非難の声が出たけれど、実際には逆だった。テクノロジーはいつだって、音楽の自由度を広げてきた。

音楽は、技術と感性のあいだにある対話の産物なんだと思う。そして今、その対話の相手がAIに変わりつつある。Suno 5のような生成AIに触れてみれば、脅威とともに自分の頭の外側にもうひとつの想像装置を手にしたような、猛烈な興奮を感じるのではないか? まるで神の翼が生えたみたいに。

楽曲制作という行為はいつも「まだ存在しない音」を探す旅だけれど、メロディが浮かばず、気の利いたコード進行が見当たらず、リズムの重心が定まらないようなスランプ状態もある。そんなときにAIにコード進行を投げてみると、新鮮な旋律が返ってくる。自分の癖を熟知した気の置けないメンバーとセッションしたと思えばいい。気分転換で音楽を聴いてリフレッシュする行為と変わらないことだ。

重要なのは「その音を使うかどうか」ではない。AIが提示した案を見て心がどんな反応を示すかだ。違和感、驚き、あるいは共鳴…人間が創造する上で本当に必要なのは完璧なアイディアではなく、感情を揺らすきっかけだ。そこに新しい風を吹き込むためにAIのテクノロジーがある。

ミュージシャンは時に「創造とは孤独なもの」と語ってきた。だが、AIはその孤独をやわらげ、対話的な創造を可能にする。生成AIの本質は、アイディアを即座に形にできるところにある。頭の中で鳴っている断片的なフレーズをAIに渡すと、すぐに複数の展開案を返してくれる。思考の速度をはるかに追い越すスピードで。この即時性こそが「インスピレーションを無駄にしない」というかつてないエポックなポイントだ。

これは創作の時間構造を根底から変える。「実験→失敗→再構築」を繰り返してきた試行錯誤のサイクルを極端に短縮し、音楽的な可能性の地図を一瞬で提示してくれる。けれど、そこから何を選び、どの方向へ進むかは人間の判断に委ねられる。AIが「選択肢を提示する力」を持ち、人間が「選択する感性」を担うという分業が成立したとき、創造性はかつてない広がりを持つのだと思う。もはや音楽制作は個の表現だけではなく、関係性の表現になりつつあるのかもしれない。

AIが音楽を作る時代に「人間の創造性は終わる」と語る人は多い。でもそれは「乗り物が発達すれば人は歩けなくなる」と主張するようなものだ。ツールの進化は、表現の多様化を意味する。AIが生み出す音楽が「人間らしさを奪う」のではない。「人間とは何か」を再定義させるだけだ。

AIの発展によって、我々が突きつけられたのは「人間の音楽的直感とは何か」だと思う。AIが無限に音を生成するのであれば、その中から何を選び取り、不要なものを捨てていくセンスこそがアーティストの個性になる。創造の重心は制作から選択と構築へ移行していくということかもしれない。AIが音を量産するほど、人の美意識は研ぎ澄まされる。奇しくも私は、過去のコラム(【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話040「80歳となったエリック・クラプトンのライブを観て」)の最後で「いらない音要素を省くことで求める音楽世界を作り上げていくような楽器はないものだろうか」という戯言をほざいていたけれど、実は答えは生成AIにあったと思っている。

音楽の魅力のひとつには、偶然の発見がある。トラブルが新たな気付きを与えることもある。冒頭で記したチューブアンプのオーバードライブだって、本来意図しなかったものだ。AIもまた意図しない偶然を提示するだろう。自分の想定を超えたコード進行や思いもよらないテンポチェンジ、カオスな音のぶつかり合い…それらをどう受け止めるかが創造の核心になる。AIを使うことで、予測できないものと対話する力が試されるかもしれない。

AIは音楽を作ることができるけれど、単なる空気振動ではなくそれを「音楽」として価値を持つのは、人の感情が触れた瞬間だけだ。つまりは、AIが生成したサウンドを聴き「これは自分の内側にあるものだ」と感じたときに、その人の作品になる。音楽の本質は、技術ではなく心の動きだ。

テクノロジーが進化すればするほど、「人間とは何か」を問い直すことになる。AIの時代であろうとも、創造というものは依然として人間の営みである。創造は終わらない。AIが音を生み、人が意味を与えるというその共鳴の中に、これからの音楽の未来があるのはきっと間違いない。

文◎BARKS 烏丸哲也

◆【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話まとめ

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