連載:甲子園ボウルが人生を教えてくれた~「冬の甲子園」物語
篠原大輔
2025/10/25
(最終更新:2025/10/25)
#甲子園ボウル
#甲子園ボウルが人生を教えてくれた~「冬の甲子園」物語

甲子園ボウルの優勝カップを二人で受け取った米澤さん(右)と基さん。基さんの記憶によると、米澤さんに「ここ関西やから、先に掲げたら」と声をかけたそうだ(米澤順司さん提供)
【1997年第52回大会】
法政大学 21-21 関西学院大学
(0-0、0-0、7-7、14-14)
【表彰選手】
▽チャック・ミルズ杯 法政QB岡本勝之
▽最優秀選手 法政RB池場直久
▽最優秀攻撃ライン 法政OL基幸二
▽最優秀守備ライン 法政DL木下雅博
▽最優秀守備選手 関学LB梅田直樹
▽最優秀パンター 法政P大久保征
▽最優秀キッカー 該当なし
▽敢闘選手 関学RB花房政寿
第80回甲子園ボウルが12月14日、兵庫・阪神甲子園球場で開催されます。「4years.」は今年の試合中継を担当する読売テレビ(ytv)さんとコラボして、過去の名勝負8試合をピックアップ。大学日本一をかけて芝の上で戦った人たちに「冬の甲子園」の思い出を大いに語ってもらいました。本番直前まで8回にわたってお届けします。第3回は史上4度目の両校優勝となった1997年の第52回大会です。ともにOL(オフェンスライン)の右ガードとして攻撃の最前線で体を張ったキャプテンにお話を伺いました。法政大学トマホークス(当時)の基幸二さん(もとい、49歳、当時4年、仁川学院)と関西学院大学ファイターズの米澤順司さん(49歳、当時4年、関西学院)です。
インタビュー時の動画はytv発のアメリカンフットボール応援番組「タッチダウンフリーク」の特設ホームページ(https://ytv-athlete.jp/special/kcafl/)からご覧いただけます。
春の対戦では、法政が57-25で勝利
1997年当時の甲子園ボウルは「東西大学王座決定戦」の位置づけで、関東と関西の王者が戦った。法政は強力なランに加え、QB岡本勝之(4年)のパスがさえ、関東1部Aブロックで6戦全勝。関東大学選手権決勝では東海大学との「殴り合い」を46-30で制して4年連続の甲子園へ歩を進めた。関学は過去3年、立命館大学と京都大学に甲子園への道を阻まれてきた。この年は第3節で近畿大学に大苦戦し、7-6の辛勝。第5節の立命館との全勝対決を16-7で制すると、再建色の濃い京大を20-3で下し、最終戦の神戸大学を圧倒して全勝優勝。4年ぶりに甲子園へ帰ってきた。
法政のキャプテンだった基さんは仁川学院高校(兵庫)時代に関学高等部に負け続けてきた。「勝てない、モテないでした(笑)。ただ関学が憎いというより、僕は高校時代はデカくて少し足が速いだけの選手だったので、その頃の僕を知る人たちに『やりゃできるんだ』というのを証明したい気持ちがありました」と語る。関学を引っ張った米澤さんは「法政には春の対戦でコテンパンにやられて(25-57で負け)、何とかという思いでした」と振り返った。

この年の春のヨコハマボウルでの米澤さん(73番)。法政のラン攻撃が炸裂した試合だった(米澤順司さん提供)
米澤順司さん「3本、3本取るんや」
試合前のコイントスでキャプテン同士が向き合ったとき、米澤さんは基さんの笑顔を見てこう思った。「笑ってるんですけど『やったるぞ』っていう顔をしてました。『あ、コイツ本気や』と思いました。いまとなれば、もうその時点で負けてたなと思いますね。キャプテンの僕がそうやったんで、もちろんチームは全部やられてたし、試合もその通りの展開になりました」。一方で基さんはオフェンスの1プレー目で絶望する。「僕の対面に小田川君というディフェンスラインがいて、最初のランプレーでダーンと当たったら、コンクリートにぶつかったような衝撃があって。思わず膝(ひざ)をついてしまったんです。ああ、これが俺のラストゲームやなと思いました。実際には社会人で2年やるんですけどね(笑)」

試合前のセレモニーで向き合った基さん(左)と米澤さん(基幸二さん提供)
相手の動きによってボールを持つ選手を変えるランプレーの「オプション」を得意とする法政だったが、関学ディフェンスがこれまでと違う隊形で来たため、どの選手をオプションのキーにするかで混乱した。関学と違って学生主体でやっていたため、こういった試合中のアジャストは苦手分野だ。ランが進まなければ岡本のパスも決まらない。一方の関学は法政ディフェンスによる中央のランつぶしに苦戦を強いられていた。「リーグ戦の立命戦で中のランを中心にやったんで、法政が中へ中へ来た印象がありました。外をまくるようなプレーをあまり用意してなくて、しんどかったですね」と米澤さん。ともに無得点で試合を折り返した。
第3クオーター(Q)に関学がQB高橋公一(4年)からTE(タイトエンド)中川敬介(4年)のタッチダウン(TD)パスで先制。法政もQB岡本がTE升田伸一(4年)へのTDパスを決めて7-7と追いついた。関学の米澤さんは試合前日、当時のディフェンスコーディネーターだった堀口直親さんから「3本取られるから、オフェンスは3本取れんかったら絶対勝たれへんで」と言われていた。だから常に「3本、3本取るんや」と考えていたという。

「僕らの代は4年生みんなで引っ張ろうとしました。うまくいったと思います」と米澤さん(撮影・篠原大輔)
法政のオプションが息を吹き返し、逆転TD
勝負の第4Q7分すぎ、法政がTDランを決めて14-7と勝ち越す。12分すぎに関学のRB猪狩真吾(2年)が残り1ydをダイブしてTD。ここで関学はTFPで2点コンバージョンに出る。QB高橋のランで成功させ、14-15と勝ち越した。米澤さんが振り返る。「あのタッチダウンの前にWR塚崎(泰徳、3年)へのロングパスが決まるんですけど、あれは僕らの中で通る確率が高いと言われてたパスで、僕は必殺のプレーと思ってました。プレーコールが入ったときに『絶対決まる』と思ってその通りになった。ディフェンスも頑張ってたし、『さあ、ロースコア勝負でいけるぞ』という気持ちになりました。まあ、そこから試合が動いたんですけどね(笑)」

爆笑の嵐だった基さんへのインタビュー。書けない話も多かった(撮影・篠原大輔)
法政のオプションが息を吹き返し、敵陣43ydへ。第3ダウン残り1yd。当然、関学ディフェンスは中央付近のランで攻撃権更新を狙ってくると考える。右のガードに入っていた基さんでさえ、そう思っていた。「あれ、トリプルオプションなんですよ。それでも1ydやったんでダイブ(中央のラン)で来ると思いました。だから僕、目の前の小田川君を思いっきりホールディングしとったんですよ(笑)。そしたらすごい歓声が上がって、右サイドを見たら池場(直久)が走ってた。岡本には外に回す展開がまず頭にあったみたいです。もう時間がないし、ここで一発持っていきたいと。そしたら関学のディフェンスが中へ寄ってくれたんで、池場にピッチしたと。まあ、普通に考えたらそうだよなっていう」。関学の裏をかく形になって、エースRB池場が独走して逆転TD。ただ法政はここで2点コンバージョンを狙わず、21-15と6点リードになった。試合時間は残り59秒だ。

法政のエースRB池場の走り。基さん(66番)のフェイスガードが渋い(撮影・朝日新聞社)

池場の逆転タッチダウンを喜ぶ法政の選手たち(撮影・朝日新聞社)
関学にとっては「勝てなかった」両校優勝
追いかける関学にとってラッキーだったのは、法政ディフェンスが守りに入ってくれたことだ。米澤さんが言う。「59秒から始まったとき、法政が一気に引き始めた。あの試合でずっとやられてたディフェンスラインのインとか、1年生のラインバッカー(志賀隆蔵)のブリッツとか、もう全然来んようになって。ああ、ラッキーやなと。ツーミニッツの練習通りにやるだけでした」。パスやQB高橋のスクランブルでゴール前10ydまで進み、残り時間は4秒。ラストプレーだ。
米澤さんが振り返る。「ああなったらもうフェイド(のパス)しかないんで、ラインとしたらプロテクションを頑張るだけやと。DLを2、3回パンチしたらもう祈るだけでした」。QB高橋が左サイドを駆け上がるWR(ワイドレシーバー)竹部鉄平(3年)へ浮かせたパス。相手と競り合いながら竹部がキャッチし、同点となるTD。甲子園が一気にお祭り騒ぎになった。関学のサイドラインからコーチや選手がフィールドになだれ込んできて、一種の混乱状態になった。「キッカーが僕らが完全に信頼してた太田(雅宏)やったし、『キックは勝手に決まるもんや、これで勝った』と思いました」
このとき、おそらく太田ひとりが極限の緊張状態にあった。そして混乱の中、ホルダーがフィールドに入ってくるのが遅れた。甲子園中が大騒ぎで、サイドラインから何か声をかけてもフィールドには届かない。FGユニットが慌ててセットして、スナップが出る。名キッカー太田のキックが左に外れた。関学にしてみれば「勝てなかった」の思いが強い引き分け両校優勝となった。

米澤さんは卒業後、松下電工で10年間プレーした(撮影・篠原大輔)
米澤さんは28年前からの後悔を抱え続けている。「キャプテンである僕があのキックのメンバーに入っていたのに、なぜディレイ・オブ・ゲームで5yd下がって蹴ることを選べなかったのか。自分も一緒に騒いで、もう勝った気になって、頭から何もかも飛んでしまった。スナップがどうとか、キックがどうとかじゃなくて、それはもう一生、いや死んでも悔やまれますよね。中途半端なままプレーに入らせてしまったのは、キャプテンとしてあってはならないことでした」
プレッシャーで69kgまで痩せた基幸二さん
太田のキックが外れると、テレビ中継のカメラは基さんが両ひざをついて泣き叫ぶ様子を大写しにした。基さんは引き分けでなく、勝ったと思い込んでいたのだ。副キャプテンのLB今野浩嗣(4年)から低いトーンで「おい、(関学側に)あいさつ行くぞ」と言われて、引き分けだと知らされた。「『あ、そうや』って言って、みんなで笑ってあいさつに行きました」

肩を組んでフィールド中央へ向かう法政の幹部たち。基さん(右端)以外は1年生からレギュラーの選手ばかり(基幸二さん提供)
当時はライスボウルで甲子園ボウルの勝者が社会人日本一のチームと戦っていたから、ライスボウルへ進むチームを決めるためのコイントスがあった。法政が勝って鹿島ディアーズ(当時)と戦った。ディフェンスに法政のOBが多く、いろいろバレていて0-39と完敗だった。試合後、鹿島の法政OBに囲まれて基さんは号泣した。
いつも笑いを忘れない基さんだが、キャプテンとしての一年間は苦しかった。とくに秋シーズンに入ってからはプレッシャーのかかる日々で、あまり食べられなくなった。痩せているのが分かっているから、ずっと体重も測らなかった。甲子園ボウルが終わったある日、みんなの前で体重計に乗せられた。身長が192cmあるのに69kgしかなかった。ある後輩が言った。「基さん、布袋(寅泰)とスペック一緒じゃないですか!!」

ライスボウル進出チームを決めるコイントスで基さん(左)は関学のキッカー太田と向き合った(基幸二さん提供)
当時の法政は完全な学生主体で面白いチームだった。秋のシーズン中恒例の「カキン」という行事があった。ソフトボール大会だ。「試合の間隔が1カ月ぐらい開くときがあると、『カキンいっとこか』ってなるんです」。日本のトップレベルで争っている体育会のチームでは考えにくいことだが、法政の面々はこうしてリフレッシュし、また翌日から走りまくって強くなってきた。
また法政の奔放ぶりを示したのが、この甲子園ボウルの入場だ。ヘルメットを逆にかぶり、騎馬を組んで入ってきた。基さんの発案だった。これには「フットボールをなめている」との批判もあったが、当時の大森広行監督は彼らをかばってくれたという。「アウェーで自分たちの持てる力を発揮するために学生が考えた苦肉の策なんです。許してやってください」と。基さんは言う。「アメフトは教えてくれなかったですけど、監督は人生を教えてくれました。人はこうやって守るんだよ、大切なものは守るんだよっていうのを教えてもらったチームでした。たまたま推薦が回ってきたんで関西から法政に行きましたけど、ほんとに行ってよかったです」

騎馬を組んで入場してきた法政の選手たち。関西学連の関係者が激怒し、甲子園ボウルの選手入場はなくなった(基幸二さん提供)
「最後にようやく出られた」「学生生活のすべて」
あなたにとって甲子園ボウルとは?
関学の米澤さんは「憧れですよね。とくに関学では『絶対に行かなあかん』って言われてましたから。3年まで行けず、最後にようやく出られた。そういう場所ですね」と語った。「3年で出たときに京大に負けたんですけど、京大のファンの人が『お前らよかったぞ』『来年絶対帰って来いよ』って言ってくれたんです。あれは感動しました。キャプテンとして臨む前日は遺書を書きました。それぐらいの思いでやってました。甲子園ボウルは僕の学生生活のすべてです」。法政の基さんはそう言って、また笑った。

いま基さんは甲南大学アメフト部のアドバイザーを務める。学生を笑わせてなごませ、人生を教えていく(撮影・篠原大輔)
