阿部寛
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 俳優の阿部寛(61)が23日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」に出演。今年7月に最愛の父が他界していたことを明かした。

 3人きょうだいの末っ子だという阿部。「上に姉と兄がいましたけど。姉はいろいろと小さい頃から面倒見てくれて。兄は5歳上だったんで、結構厳しい兄でしたから。父親が何も言わない優しい分、兄が結構いろんなこと教えてくれて、厳しかったですね」と懐かしんだ。

 父はタイヤが3メートル以上ある世界最大級のダンプカーを造るエンジニアで、「採石場とかでそれを使うんですけど。僕、子供の時はそれが凄くうれしくて、自分の中で。自分の中でも誇りがあって、凄い親父だなって思ってました」と話した。

 そんな父が7月に他界。「98歳で亡くなりましたね」と語った。若い頃に両足を複雑骨折しており、そこから散歩を日課にしていたといい、「97歳ぐらいまで一緒に散歩にうちの近所に一緒に行って。それが結果良かったのか、それから50年近く、凄く健康で生きてましたから」と阿部。「(散歩は)1時間半ぐらい。夏場の暑い時でも“行く?”って言ったら、“あ、行く”ってすぐ返事して。本当にあの時間、親父との散歩の時間、あれは凄く自分にとってはいい時間でした」と振り返った。

 「やっぱ40歳過ぎてから、やっぱり親父といろんな話するようになって。昔の戦時中の人ですから、そういう時の経験とか、そういう話とかいろいろして。そこからなんか、親父とよくしゃべるようになったんですよ。それまではもうほんと寡黙なエンジニアでしたから。家に帰ってきても何もしゃべらない親父でした」とした。

 父の最期について「ちょうど病院から電話かかってきて。“もうすぐだから”って言うんで、朝の4時ぐらいですかね、かかってきて、急いで行って。その時は息があって、目も開いてて。その後にみんなも来て。それで、その日は持ちこたえるかなと思ったんですよ。でも、7、8人来て、家族がいろんな話をして、世間話とか昔の話をしてる横で、いつの間にか息が弱くなってきて、それで、みんなで看取ることができてました。一番いい雰囲気の中で、家族のちょっと楽しい話とかそういうのを聞きながら親父は逝ったんで。親父立派だなと思ってね。本当に誇りに思ってます」と明かした。

 「98歳になるまで、親父の愚痴とか、弱音みたいなことは一切聞いたことないですね」と阿部。「亡くなる前1年間ぐらいは相当つらい状態だったと思うんですけども、もう何もそういうことなくて。会いに行くと、いつも“大丈夫?”って言ったら、“大丈夫だよ”とかって言うんで。本当に強い親父だと思いました」と話した。

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