アジア各地をさまよう、逃げる男と追う女。映像の魔術師が描く幻想的な大旅行が日本上陸しました。

2025年10月10日に全国公開されたのは、ポルトガルの鬼才ミゲル・ゴメス監督の最新作『グランドツアー』。2024年のカンヌ国際映画祭で監督賞に輝いた話題作です。

Video: Mimosa Films/ YouTube

舞台は1918年のビルマ。古都ラングーンに駐在する大英帝国の公務員エドワードは、結婚を目前に怖気づき、婚約者のモリーがロンドンから到着する日にシンガポール行きの船に飛び乗ってしまいます。

そこから始まる、逃げるエドワードと追うモリーの果てしないイタチごっこ。2人のそれぞれの物語と、ミャンマー、シンガポール、タイ、ベトナム、フィリピン、日本、そして中国で撮影された、現代のアジアの映像が混ざり合い、時空を超えた壮大な映画が完成しました。

ギズモードは、映画の日本公開に合わせて来日したゴメス監督に都内でインタビューを敢行。『グランドツアー』の誕生秘話から、映画制作への想い、そして、若い世代へのアドバイスまで、貴重なお話をたっぷり伺いました。

作品の発端はある本のわずか3Pから始まったgrandtour_01Image: © 2024 – Uma Pedra No Sapato – Vivo film – Shellac Sud – Cinéma Defacto

――『グランドツアー』の日本公開おめでとうございます。今作はある本からインスピレーションを得たそうですが、どのようなところに魅力を感じたのですか?

ミゲル・ゴメス(以下MG):イギリス人作家のサマセット・モームが1930年に発表した、『パーラーの紳士』という本から着想を得ました。東南アジアの旅行記なのですが、その中に彼がビルマ(現在のミャンマー)で出会ったイギリス人の男について綴った一節があったんです。アジアに駐在していたその男は臆病者で、ロンドンに住む女性と長年にわたって婚約していたのに、彼女がマンダレーに到着する日に逃げ出してしまう。結婚に怖気づいた男と、彼と結婚しようと強い決意を固めた女の話で、彼女は彼を追いかけて何マイルも旅をします。

それが基本的な設定なのですが、その一節はたったの3ページでしたので、実はこんな男は存在しなかったのではないかと思っています。これはただ、男が臆病で女が頑固だというジョークのための口実に過ぎないのではないかな、と。映画では2人の旅程を再現しましたが、本には男性側の話しか書かれていなかったので、女性側のストーリーを考えて脚本を書きました。

grandtour_02Image: © 2024 – Uma Pedra No Sapato – Vivo film – Shellac Sud – Cinéma Defacto

――1918年を舞台にしたフィクションのパートと、現代のアジアを捉えた映像を組み合わせた理由は?

MG:サマセット・モームの旅行記を読んで、登場人物が訪れた場所の現在、つまり、彼らから見た未来を撮影したいと思ったんです。さらに、1918年を舞台にしたフィクションをスタジオで撮影して、映画が初期の頃から何年もかけて作り上げてきたような、不自然で非写実的なアジア像を再現することは可能だろうか?と考えました。

私は成功するか否か、あるいは、どのような効果が生まれるか、正確にはわからないようなものを観てみたいんです。それを確認するには、試してみるしかありません。でも時々、疑念を抱くこともあって、「もしかしたらこれは馬鹿げたアイデアだったかも…」と悩む日もあるんだけどね(笑)。

今作では、多くの国が西洋諸国の植民地だった時代を背景にした、フェイクのアジアから、現代のリアルなアジアへとつなげることで、どのような効果が生まれるか試してみたいと思いました。映画に曖昧なフィーリングをもたらすことができるのではないかと期待していたんです。

――ストーリーはもちろん、今作には観る側が思いを巡らすことのできる余白や自由が感じられたことも素晴らしかったです。最近はそのような作品が少ないように感じていたので、とても心地よく感じました。

MG:それは私が大切にしていることなんです。映画を撮り始める前、私も一人の観客として、作品の中に自分の居場所がないように感じることがありました。観客を操り人形のように扱い、毎秒何を考え、何を感じるべきかを押しつけるのではなく、彼らが自由に存在できる余白を作品の中に残すこと。それはすべての映画やフィルムメーカーにとって大切なことだと思っています。観客としての私にとって、曖昧さは、むしろ深い満足感をもたらしてくれるものなのです。

grandtour_03Image: © 2024 – Uma Pedra No Sapato – Vivo film – Shellac Sud – Cinéma Defacto

――今作では現実とフィクション、過去と現在、そして多様な言語が交差していて、どこか夢を見ているような感覚になりました。

MG:私はこの映画が持つ、夢のような性質を大切にしています。映画は物語を伝えるためだけに存在しているわけではないはず。それは観客が“住む”ことのできる空間であり、何を感じるか、どう入り込めるかが重要なんです。映画は建物のようなもので、観客はその中を自由に歩き回り、構造を探りながらつながりを見つけていく。つまり、現実を再現するのではなく、現実とつながるためのものだと思います。そうでなければ、閉ざされた世界になってしまい、意味を見出しにくくなるでしょう。隔離されたフィクションの世界で描かれた、スーパーヒーロー映画のようにね。

とはいえ、映画は人生そのものではありません。むしろ、現実とは異なるもう一つの世界として存在することで、私たちの人生と深く関わることができるのです。もし映画が夢のように感じるとしたら、それは、私たちが生きる現実とは違うパラレルワールドを提示するという、映画が持つ可能性の一つなのです。『グランドツアー』が、現実を映し出す力と新しい世界を創造する力を兼ね備えていることを願っています。

――監督も実際にグランドツアーに出たとのことですが、サマセット・モームの本を読んだ後、旅先で撮影するイメージは決めていたのですか?

MG:出発の2、3か月前に旅程を決めて、どんなものを撮影したらインパクトが得られるかリサーチしました。例えば、他の3人(共同脚本のマリアナ・リカルド、テルモ・シューロ、モーレン・ファゼンデイロ)と一緒に脚本を書いている時に、その中の一人が虚無僧の写真を見せてくれたんです。「こんな僧侶が本当にいるの?」と聞いたら、実在すると言われて。その時に初めて虚無僧の存在を知りました。

実際に会ってみて驚いたのですが、彼らにはすでにフィクションとの強いつながりがあったんです。京都での撮影中、「なぜ虚無僧になろうと思ったのですか?」と聞いてみたら、「子どもの頃に映画で虚無僧を観て、自分もなりたいと思った」と言われました。彼らは70代から80代でしたから、恐らく1950年代に映画を観たのだと思います。つまり、フィクションが現実の糧となったわけです。

grandtour_04Image: © 2024 – Uma Pedra No Sapato – Vivo film – Shellac Sud – Cinéma Defacto

これは私が作品の中でやりたいと思っていることでもあります。私たちは現実とフィクションを分けて考えがちですが、我々が考えているよりも混ざり合っていると思うんです。現実はフィクションがあるから存在するわけだし、その逆もしかり。私たちは人生経験をもとに物語やフィクションを思いつくわけですから。ですので、現地では“フィクションになりそうな現実”をカメラに収めたいと思っていました。それは人形劇のシーンをたくさん取り入れた理由の一つでもあります。

もちろん、常にサプライズはつきものですし、私の仕事はオープンであること、サプライズを取り入れる余白のある映画作りをすることです。例えば、カラオケのシーンがありますが、事前に知っていたのは、フィリピン人が熱狂的なカラオケ好きだということだけでした。

偶然の撮影シーンと乗り越えたパンデミックgrandtour_05Image: © 2024 – Uma Pedra No Sapato – Vivo film – Shellac Sud – Cinéma Defacto

――マニラのバーで男性が『My Way』を歌うシーンは最高でした。

MG:あれこそ、予期せぬ出来事だったんです。あのようなシーンは絶対に書けません。フィリピンでは、なぜかフランク・シナトラの『My Way』が人気のカラオケソングなのだそうです。しかも、“My Wayギャング”と呼ばれる集団が逮捕されて、収監されたことを知りました。彼らは強盗する際に、「カラオケで『My Way』を歌って最高得点を出したら許してやる」と脅して、被害者に歌わせていたらしいんです。その記事を読んだ私は、一体なぜ『My Way』がフィリピン社会にこんなにもインパクトを与えているのか知りたくなりました。

そこで、あの男性に『My Way』を歌ってもらったら、彼は心から熱唱して、最後は感極まって号泣してしまいました。あの曲の何がそうさせるのかはわからないけれど、『My Way』はフィリピンの人々の心の琴線に触れるみたいです。映画を撮っていると、時々こういうラッキーなことがあるんです。

――アジアでの撮影中にパンデミックが始まって、中国の撮影はリモートで行ったそうですね。

MG:あれは人生で最も奇妙な撮影でした。私たちは2020年初頭に旅を始めたので、コロナが始まったタイミングと重なってしまったんです。神戸から上海にフェリーで渡るはずが、予定の1週間前に欠航となってしまって。仕方なくリスボンに帰ったのですが、中国にはゼロコロナ政策があったので、2年待っても入国できませんでした。そこで現地のクルーにすべてを任せ、それまでと同じようにフィルムで撮影してもらうことにしたんです。

私はリスボンからスクリーン越しにフレームを確認し、助監督に周囲の状況を見せてもらって、カメラの配置などを指示しました。現地のクルーとは常にライブでつながっていたので、私がアクションやカットと言うと、同時にカメラを操作してくれるんです。例えば、上海でジャズバンドが演奏しているシーンでは、フレームの外に踊っているカップルが見えたので、現場にいる時と同じように、「右にパンして、フレームに入ってくる2人を追って」とカメラマンの耳に囁きました。撮影時は常にクルーと交流することを大切にしているので、リモートの撮影については悲観的だったのですが、奇妙なことにうまくいきました。ただ、クルーと一緒にランチを食べられなかったことだけが残念でした。ランチは撮影中の大切な時間なのでね。

――パンダも見られなかったんですね。

MG:そうだね、それもあったな(笑)

grandtour_07Image: © 2024 – Uma Pedra No Sapato – Vivo film – Shellac Sud – Cinéma Defacto

――エドワードは確かに臆病者かもしれませんが、追われたら逃げたくなるのは人間の性ですよね。そしてモリーは、明るくて生き生きしているけれど、エドワードに対して執着しているようにも感じます。

MG:サマセット・モームが綴った3ページには、臆病な男と頑固な女にまつわるジョークしか書かれていませんでした。でも、私は今作をそれほど単純なものにはしたくなかったのです。劇中で登場人物たちは変化していきます。生き生きしていたモリーも、パニック状態だったエドワードも、それぞれ少しずつ変わっていく。フィクションでステレオタイプを扱うこと自体に問題はないのですが、それをどこかへ進めるためには、さらに深く掘り下げる必要があるのです。

――エドワード役のゴンサロ・ワディントンと、モリー役のクリスティーナ・アルファイアテとは、どのようにキャラクターを作っていったのですか?

MG:劇中に共演シーンはないのですが、リハーサルではそれぞれの相手役を務めてもらうなどして、一緒に過ごしてもらいました。それにより、2人の間につながりを持たせたかったんです。2人は舞台や映画で活躍している素晴らしい役者ですし、私から演技について教えることはありませんでした。

grandtour_06Image: © 2024 – Uma Pedra No Sapato – Vivo film – Shellac Sud – Cinéma Defacto

――監督はとてもユニークでクリエイティブな作品を手がけていらっしゃいますが、映画制作において最もこだわっていることは何ですか?

MG:映画は無限の可能性が広がる銀河のような存在です。何かを選び、何かを捨てるのではなく、さまざまな側面を併せ持っていることこそが、その魅力だと感じています。だからこそ、私は作品に多くの可能性を詰め込もうと試みています。それは『グランドツアー』でも同じでした。

業界では映画を撮る前に「こんな作品になります」と説明する、ピッチングという場がありますが、私はそういう場には参加しません。ラッキーなことに、私が若い頃は「まずはやってみよう」という雰囲気があって、今よりも少しだけ冒険する余裕がありました。私は今でも、事前にどんな作品になるかは言わないようにしています。自分でもわからないし、とにかくやってみようと思っているからです。

grandtour_08Image: © 2024 – Uma Pedra No Sapato – Vivo film – Shellac Sud – Cinéma Defacto

――若い世代のクリエイターに何かアドバイスはありますか?

MG:グッドラックと言いたいね。大変な日もあるけれど、今作のモリーみたいに少し頑固になって、悪い奴らに負けないでください。そして何よりも、誰にでも通用する公式など存在しないということを覚えておいて。何かを作る時は、自分にとってベストな方法を見つける必要があるんです。私自身も自分にとって役立つことは、試行錯誤しているうちに偶然見つかりました。

例えば、私は一人でオフィスにこもって脚本を書き、それから撮影するようなことはできません。ヒッチコックのような素晴らしい監督は、最初からすべてのショットが想像できていたようですが、私の場合は偶然の出来事や現実に心を開くことでうまくいくんです。

今作でも先に旅をして、後から脚本を書きました。私の場合は真っ白なページに書き始めるのではなく、現実に反応しながら撮っていく必要があるんです。でもだからと言って、誰もが同じようにするべきだとは言っていません。これはあくまでも私のやり方(My Way)だからね…シナトラみたいに(笑)。皆さんも、皆さんならではのやり方を見つけてください。

『グランドツアー』は、TOHOシネマズ シャンテ、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下ほか、全国公開中。

Source: グランドツアー

Leave A Reply