2025年10月1日(水)に、歌舞伎座にて『錦秋十月大歌舞伎』が開幕。義太夫狂言の名作『義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)』が上演中だ。1日三部制で、第一部から第三部までを通して一挙に上演されている。

物語の舞台は、源平の合戦が終わりを迎えた頃。壇ノ浦の合戦で、源義経は源氏を勝利へ導いた。しかし、兄の源頼朝から謀反を疑われてしまう。『義経千本桜』はそんな義経の逃避行を軸に展開する。ただし主人公は義経ではない。義経の道程に現れる、義経を取り巻く人々が主人公だ。立場の異なる主人公たちの出会いや別れが、全五段にわたり描かれる。

この記事では、第三部をレポートする。演目は、四段目の「吉野山」と「川連法眼館」。配役はBプロ(公演日程後半)で、尾上右近が音羽屋の型で佐藤忠信実は源九郎狐を勤める。

■吉野山

静御前は、義経の愛妾だ。しかし義経は、頼朝の追っ手から逃れるため、静御前を残して都を落ちた。静御前は、義経に会いたい一心で、吉野山へやってくる。お供は、佐藤忠信実は源九郎狐。静と狐忠信の道行を舞踊で描き出す。

悲劇が続いた三段目から一転、舞台には、桜が満開の吉野山の景色が広がる。客席の空気が一気に華やぎ、清元が語り始める。Bプロの初日、花道に中村米吉の静御前が姿をあらわすと、一緒に山へ分け入るような没入感。静御前の、満開の桜の花そのもののような麗らかさに、観客のため息が広がった。

第三部『義経千本桜』「吉野山」(左より)忠信実は源九郎狐=尾上右近、静御前=中村米吉 /(C)松竹

第三部『義経千本桜』「吉野山」(左より)忠信実は源九郎狐=尾上右近、静御前=中村米吉 /(C)松竹

佐藤忠信は、実は狐。佐藤忠信のふりをして、静御前のお供を続けている。不思議なことに狐忠信は、静御前が義経から預かった「初音の鼓」をうつと、音に引き寄せられるように姿を現す。花道のスッポンから登場した右近の狐忠信は、大きな拍手で迎えられた。凛と落ち着いた佇まい。合戦の様子を舞えば勇壮で、不意にあらわれる“狐”感がかわいらしかった。頼朝の追っ手の逸見藤太は、中村種之助。カラフルな花四天を率いて、明るい空気を丁寧に軽やかに創り出す。

「道行」といえば、恋愛関係の二人の旅路が描かれることが多い。しかしここに、恋人同士はいない。静は、時に桜に見惚れながらもずっと遠くを見ていた。その心は、ここにはいない義経へ向かっているのだろう。狐忠信もまた、思いは別のところへ向いていた。そんな二人の交差する思いを「初音の鼓」が繋いでいた。花道の引っ込みでは、静の歩みに、義経への強い思いを感じた。その後を行く狐忠信は、子ぎつねのようなキラキラした目で辺りを見渡していた。吉野山にはさぞ見事な桜が咲いているのだろう。右近の目に、桜が映りこんでみえるようだった。狐につられて観客の笑顔もほころび、場内は拍手に包まれた。

■川連法眼館

吉野山の山中にある、川連法眼の館が物語の舞台となる。主人公は、佐藤忠信のふりをした狐だ。狐の変化をみせるアクロバティックな演出は、本作の見どころの一つだ。加えて、その前後で描かれる人間たちの物語も見逃せない。

忠信が二人やってくる

川連法眼(嵐橘三郎)は、頼朝から逃れる義経(中村梅玉)をかくまっている。そして義経を守るべく、妻の飛鳥(中村歌女之丞)の本心を探る。夫婦の緊迫したやりとりは、義経がいかに危険な立場に追いやられているかをひしひしと伝える。まもなくして、義経(中村梅玉)を訪ねてきたのが、本物の佐藤忠信(尾上右近)だった。義経は「忠信に静御前を預けた」と言うが、忠信にそんな覚えはない。そこへ静御前が、もう1人の“忠信”を連れて到着するのだった……。

「鳥居前」からここまでの間に点在した、小さな「おや?」が、線となり繋がりはじめる。義経と静御前の別れと再会の傍らで、狐の物語が密かに進んでいた。通し狂言で観ることで、あらためて演劇的な巧さや遊び心に気づかされた。何度も観てきたはずの名作を、新鮮にワクワクした気持ちで楽しんだ。

不思議な狐の、切実なドラマ

場内が沸き立ったのは、静の鼓に呼ばれて、右近の狐忠信が一瞬で姿を見せた時。忠信、忠信のふりをした狐、そして正体の狐まで、右近は次々に姿を変えていく。そのどれもが見た目も、形の一つひとつも、美しくて品があった。狐は獣であると同時に、神聖な存在に思われた。それでいて、狐独特のせりふ回しや、突然消えたり現れたりする狐ならではの「不思議さ」を、右近の狐忠信は、ごく自然に成立させられる。観る者の意識は、自然と狐の心のありようにフォーカスしていく。鼓との離れがたさは真に迫り、鼓に親狐たちの気配さえ感じさせた。狐の親子が、ふたたび目の前で引き裂かれるのを見るかのようだった。

第三部『義経千本桜』「川連法眼館」(左より)亀井六郎=坂東巳之助、佐藤忠信=尾上右近、駿河次郎=中村隼人 /(C)松竹

第三部『義経千本桜』「川連法眼館」(左より)亀井六郎=坂東巳之助、佐藤忠信=尾上右近、駿河次郎=中村隼人 /(C)松竹

芝居を勢いづけるのは、右近と同世代の俳優たちだ。米吉の静御前は、花道より出て駆けつけた時の「お懐かしゅう存じまする」の涙声に、積み重ねてきた恋しさが溢れていた。坂東巳之助の亀井六郎と中村隼人の駿河次郎も、存在感抜群だ。思いがけず興奮したのは、忠信を詮議するべく3人で下がる時。3人の覇気がぶつかりあい、亀井と駿河には四天王としての頼もしさを感じた。同時に右近、巳之助、隼人のスター性に、これからの歌舞伎も絶対おもしろいものになる! という頼もしさを覚え胸が躍った。

平成生まれの俳優たちが舞台を牽引し、その世界を格調高くまとめ上げたのが、梅玉の義経だった。忠信とのすれ違いでは苛立ちを隠さず、緊張感を走らせた義経。しかし源九郎狐の事情が明らかになると、光が射したように言葉は温かく穏やかになった。同時に、自身の境遇への憂いと諦めも滲み出していた。『義経千本桜』の人間たちの悲劇の物語は、源九郎狐のハッピーエンドで結ばれた。

第三部『義経千本桜』「川連法眼館」(前)忠信実は源九郎狐=尾上右近、(後)(左より)静御前=中村米吉、源九郎判官義経=中村梅玉 /(C)松竹

第三部『義経千本桜』「川連法眼館」(前)忠信実は源九郎狐=尾上右近、(後)(左より)静御前=中村米吉、源九郎判官義経=中村梅玉 /(C)松竹

義太夫狂言の名作の古典歌舞伎らしい幕切れに、大きな拍手がおくられた。原作ではこの後も、まだ少し物語が続く。もしそのすべてを、今活躍の俳優たちで通して観られたなら、どんな印象が立ち上がるだろう。再演への期待を胸に、通し狂言の余韻を楽しんだ。

なお現在、歌舞伎座ホールでは、現在、「特別展This is KABUKI 体験!『義経千本桜』」を開催中。『義経千本桜』にまつわる衣裳、小道具、舞台美術を間近に見て、さらに体験もできる展示となっている。

「特別展This is KABUKI 体験!『義経千本桜』」展示風景。内覧会に、尾上右近も登場。

「特別展This is KABUKI 体験!『義経千本桜』」展示風景。内覧会に、尾上右近も登場。

『義経千本桜』が江戸で初演された際の役者絵も公開。公開スケジュールは公式サイトでご確認ください。

『義経千本桜』が江戸で初演された際の役者絵も公開。公開スケジュールは公式サイトでご確認ください。

右近さんの後ろに実際の衣裳。さらに後ろに「吉野山」の背景が広がっている!

右近さんの後ろに実際の衣裳。さらに後ろに「吉野山」の背景が広がっている!

松竹創業130周年記念と銘打たれた、三大名作の一挙上演のラストを飾る『義経千本桜』は、歌舞伎座にて10月21日千穐楽までの上演。歌舞伎座ホールの特別展は、11月16日までの開催。
 

取材・文・撮影(特別展の模様)=塚田史香

公演情報

歌舞伎座 松竹創業百三十周年

『錦秋十月大歌舞伎』

 

日程:2025年10月1日(水)~21日(火)[休演]10日(金)
会場:歌舞伎座

 

第一部 午前11時~

 

竹田出雲 作
三好松洛 作
並木千柳 作
通し狂言 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
<鳥居前>

 

【Aプロ】
佐藤忠信実は源九郎狐:市川團子
静御前:市川笑也
亀井六郎:大谷桂三
片岡八郎:市川男寅
伊勢三郎:中村玉太郎
駿河次郎:中村吉之丞
鵜の目鷹六:市川青虎
武蔵坊弁慶:中村橋之助
源九郎判官義経:坂東巳之助

【Bプロ】
佐藤忠信実は源九郎狐:尾上右近
静御前:尾上左近
亀井六郎:大谷桂三
片岡八郎:市川男寅
伊勢三郎:中村玉太郎
駿河次郎:中村吉之丞
笹目忠太:市村橘太郎
武蔵坊弁慶:中村橋之助
源九郎判官義経:中村歌昇

 

<渡海屋・大物浦>

 

【Aプロ】
渡海屋銀平実は新中納言知盛:中村隼人
源九郎判官義経:坂東巳之助
武蔵坊弁慶:中村橋之助

銀平娘お安実は安徳帝:初お目見得 守田緒兜(巳之助長男)

亀井六郎:大谷桂三
片岡八郎:市川男寅
伊勢三郎:中村玉太郎
駿河次郎:中村吉之丞
入江丹蔵:尾上松緑
相模五郎:坂東亀蔵
お柳実は典侍の局:片岡孝太郎

【Bプロ】
渡海屋銀平実は新中納言知盛:坂東巳之助
源九郎判官義経:中村歌昇
武蔵坊弁慶:中村橋之助
亀井六郎:大谷桂三
片岡八郎:市川男寅
伊勢三郎:中村玉太郎
駿河次郎:中村吉之丞
入江丹蔵:坂東亀蔵
相模五郎:尾上松緑
お柳実は典侍の局:片岡孝太郎

 

第二部 午後3時~

竹田出雲 作
三好松洛 作
並木千柳 作
通し狂言 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
<木の実・小金吾討死・すし屋>

 

【Aプロ】
いがみの権太:尾上松緑
弥助実は三位中将維盛:中村萬壽
若葉の内侍:中村魁春
権太女房小せん:中村種之助
主馬小金吾:坂東新悟
娘お里:尾上左近
六代君:中村種太郎
善太郎:中村秀乃介
猪熊大之進:中村松江
弥左衛門女房おくら:市川齊入
梶原平三景時:中村又五郎
鮓屋弥左衛門:市村橘太郎

【Bプロ】
いがみの権太:片岡仁左衛門
弥助実は三位中将維盛:中村萬壽
若葉の内侍:市川門之助
権太女房小せん:片岡孝太郎
主馬小金吾:尾上左近
娘お里:中村米吉
六代君:中村陽喜
善太郎:中村夏幹
猪熊大之進:片岡松之助
弥左衛門女房お米:中村梅花
梶原平三景時:中村芝翫
鮓屋弥左衛門:中村歌六

 

第三部 午後6時40分~

竹田出雲 作
三好松洛 作
並木千柳 作
通し狂言 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
<吉野山・川連法眼館>
※Aプロ『川連法眼館』は三代猿之助四十八撰の内 市川團子宙乗り狐六法相勤め申し候

【Aプロ】
佐藤忠信/忠信実は源九郎狐:市川團子
静御前:坂東新悟
逸見藤太:市川猿弥
亀井六郎:市川青虎
駿河次郎:市川右近
川連法眼:市川寿猿
飛鳥:中村東蔵
源九郎判官義経:中村梅玉

【Bプロ】
佐藤忠信/忠信実は源九郎狐:尾上右近
静御前:中村米吉
逸見藤太:中村種之助
亀井六郎:坂東巳之助
駿河次郎:中村隼人
川連法眼:嵐橘三郎
飛鳥:中村歌女之丞
源九郎判官義経:中村梅玉

 

イベント情報

「特別展 This is KABUKI 体験! 『義経千本桜』が誘う歌舞伎の世界」

 

開催日程:2025年10月1日(水)〜11月16日(日)
※本展の開催に伴い、11月20日(木)まで歌舞伎座ギャラリーの無料公開を中止いたします。
営業時間:11時30分~19時00分(※最終入場は18時30分)
開催場所:歌舞伎座タワー5階 歌舞伎座ギャラリー・歌舞伎座ホール

 

入場料 :WEB限定 700円 WEB限定ポストカード付 1,200円 当日窓口 1,000円
※未就学児は無料
※混雑時には当日券の販売を取りやめる場合もございます。予めご了承ください。

 

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