宇佐美雅浩「Manda-la Somewhere」展

会場:アートクルーズギャラリー バイ ベイクルーズ(東京都港区虎ノ門2-6-3 虎ノ門ヒルズステーションタワー3F)

会期:2025年8月29日(金)~2025年11月3日(月・祝)

開館時間:午前11時~午後8時(最終入場午後7時半。不定休)

入場料:無料

公式サイト:https://artcruisegallery.com

曼荼羅か舞台芸術か

人、花、海、空、原爆雲――。画面を埋める人や事物、自然などを通じ、その土地の歴史や文化、絆を1枚の写真で表現する宇佐美雅浩さんの「Manda-la Somewhere」展が東京・虎ノ門の「アートクルーズギャラリー バイ ベイクルーズ」で開かれている。入念な構想と準備を経てできた作品はどれも強いドラマ性とメッセージ性を放ち、展覧会名のように仏教絵画の曼荼羅か、あるいは大掛かりな舞台芸術を想起させる。本稿では展示作品の中から新作や注目作をピックアップし、宇佐美さんの言葉を添えながら紹介していく。

「被爆者救護と酒造文化を後世に」

最新作《大林春美 東広島 2024》の前に立つ宇佐美雅浩さん(筆者撮影)

宇佐美さんは1972年千葉県生まれ。97年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科を卒業後、東京を拠点に制作活動を展開している。近年では「マツモト建築芸術祭」(2024年、旧松本市立博物館)や個展「Recollection⇆Vision 東広島の過去・現在・未来」(2025年、東広島市立美術館)で作品を発表した。

「Manda-la」シリーズは学生時代から始めたプロジェクトで、制作歴25年を数えるライフワーク。本展では初期作から最新作《大林春美 東広島 2024》まで全29作を展示している。作品によっては制作過程を記録したドキュメンタリー映像、設計図と称したドローイングも付属する。

《大林春美 東広島 2024》

《大林春美 東広島 2024》から見ていこう。本作は昔から酒造りが盛んな広島県東広島市で撮影された。80年前の1945年8月6日、隣の広島市に原爆が投下された際、東広島の人たちは被爆者の救護に奔走した。ただ、そうした事実はあまり知られていない。

宇佐美さんが本作を制作したのも「東広島の人たちによる献身的な被爆者救護の事実と、土地に受け継がれてきた酒造りの伝統と文化を映像で残したい」という願いからだった。賛同した酒造会社や300人を超えるボランティアらが協力した。

「情報を色で整理する」

同上 部分

大林春美さんは実在の人物。画面手前の赤い布で覆われた櫓やぐらの上で0歳のひ孫を抱いている。1945年8月当時は広島県立賀茂高等女学校(現広島県立賀茂高校)の2年生で、校舎の窓から広島市上空にわき起こるキノコ雲を目撃し、救護のため広島に駆けつけた。

本作では大林さんを中心に、右に広島市から運ばれてきた被爆者と援護者、左に酒米作りから始まる新旧の酒造工程や行事、未来を象徴する乳児や子どもたちが配置されている。

宇佐美さんの作品には食卓風景が登場するが、本作でも右に取材をもとに再現した原爆投下直前の大林さん一家、左に現代の大林さん一家の団らん(大林さんの親族が出演)が見える。時計の針はどちらも投下時刻の午前8時15分を指す。

色の対比も明瞭だ。右は黒、左は赤が基調。その中に救護者や蔵人、麹、乳児ら東広島市民と酒米の白が点在している。

色分けには意図がある。宇佐美さんは「私の作品は情報量が多いだけに、雑然と並べてしまっては見る人は混乱するばかりで、頭に何も入ってこない。それで色で整理しているのです」と解説してくれた。

今と80年前の8時15分

《早志百合子 広島 2014》

宇佐美さんは《大林春美 東広島 2024》より10年前の2014年、広島への原爆投下をテーマにした《早志百合子 広島 2014》を制作している。自身の被爆の体験を語り継ぐ活動に従事する早志百合子さんは画面中央で赤ん坊を膝に抱きながら穏やかに座っている。

早志さんを囲むように右に原爆投下時の広島の姿を総勢500人のボランティアによるダイ・イン、左に未来を担う乳児や妊婦、復興と深くかかわるプロ野球・広島カープのキャラクターなどを配置した。

被爆した人と援護した人。本作と《大林春美 東広島 2024》は対をなす。色も本作は右に黒、左に陽光まぶしい芝生の緑の上にカンナの花の赤、黄色を散りばめ、対照を成している。

本作にも早志さんを挟んで左右に8時15分の食卓がある。右は原爆投下時の早志さん一家、左は現在の早志さんの家族や孫たちを表している。

筆者が本作を鑑賞するのは昨春の「マツモト建築芸術祭」以来2回目だった。改めて、人間や自然にはどんな苦難でも乗り越えられる逞しさがあることを思わずにはいられなかった。

地域の結びつきを伝える

《佐々木道範 佐々木るり 福島 2013》

原子力が引き起こした厄災は21世紀にもあった。2011年3月の東日本大震災に伴う福島第一原発事故だ。宇佐美さんは「Manda-la」を通して被災地のための力になろうと、《佐々木道範 佐々木るり 福島 2013》を制作した。

満開の桜並木の下に白い防護服の一団という奇妙な取り合わせ。しかも右に笛や太鼓、鉦かねを演奏する人がいて、周りでは一升瓶や缶ビール片手に飲めや歌えの大騒ぎをしている。料理もふんだんに並ぶ。どうやら厳戒の中で開かれた花見のようだ。

佐々木道範さん、るりさん夫妻は画面中央でわが子を抱いている。道範さんは福島県内にある寺の住職。震災後、寺に全国から食料品などの支援物資が届き、夫妻はそれを地域住民に配った。

福島の原発事故では多くの人が家や財産、仕事を奪われた。風評被害にもさらされた。困難を背負った住民にとって、佐々木夫妻の献身は心身のよりどころになった。そうした地域の結びつきを伝える本作は、希望を分かち合って生きていこうとする人たちへの大きな励ましになっただろう。

「互いを尊重し平和を祈る」

《マンダラ・イン・キプロス 2017》

海外で撮影した作品もある。《マンダラ・イン・キプロス2017》の舞台は地中海東部に浮かぶキプロス島。四国の半分程度の広さに約133万人の人口を抱える。

ギリシャ系住民やトルコ系住民などが住む多民族国家で、1974年のギリシャ系武装勢力による軍事クーデターとこれに対抗するトルコ軍の侵攻により南(ギリシャ系キプロス)と北(トルコ系キプロス)に分断され、今日を迎えている。

本作の手前で南北の子どもと兵士たちが乾いた大地に花を並べ、一つになった未来のキプロスの地図を作っている。よく見ると、兵士が持つ機関銃の銃口はどれも花でふさがれている。

並んだドラム缶は南北を隔てる境界線「グリーンライン」を表し、左右に分かれたギリシャ系とトルコ系の住民がそれぞれの宗教で平和を祈願している。衣装はみな同じ。もともと狭い土地に住む、仲のいい隣人同士だったことを意味している。

「互いの宗教を尊重し、未来の統合と平和に向けて祈りをささげる。そこにはキプロスだけでなく、分断と戦禍に苛まれている世界のすべての紛争地に向けられた願いも込められています」。宇佐美さんは静かに語った。

「絵作りをドラマ仕立てに」

《石橋則夫 千葉 2010》

主人公を画面中央に置き、その人や地域にまつわる人や物を周囲に散りばめながら1枚の写真でドラマを語る。こうした宇佐美さん特有の作品は大学時代に端を発する。

「ある授業で『友人』をテーマにした写真撮影が課題として与えられたのですが、モデルになってもらった私の友人がどんな性格なのか説明するため、持ち物をずらりと並べて撮ったのです。自分でも面白い試みだと思いました。以来この作風を貫き、《Manda-la》プロジェクトとして今日にいたりました」

もっとも、最初は「他の写真家の作品に似ているし、むしろ、そっちの方が面白い」といった批判もぶつけられた。「自分だけの写真を撮ることはできないか」と悩みながら制作を続けた宇佐美さんの転機になった作品がある。

それが《石橋則夫 千葉 2010》。石橋則夫さんは宇佐美さんの高校時代の美術部顧問。茶道もたしなむ。

正座して茶を点てる石橋さんを真ん中に、娘のコスプレ仲間や石橋さんの茶道仲間、美術部員たちが学校の美術教室に集合。茶道や美術の道具、書画、彫刻、和服など、ありとあらゆる関連物を取り揃えた結果、新旧の日本文化が静かに火花を散らす作品となった。

「石橋先生から『娘がコスプレーヤーなんだよ』と聞いたのがきっかけで本作を思い立ちました。ドラマ仕立てに絵作りをする作品の誕生でした」

「共感得るまで何度でも」

海風を帆にはらんだ大小の船が棚田の稲穂の波を進んでいくという、壮大で開放感に満ちた作品があった。《世阿弥 佐渡 2022》。撮影地の佐渡島は江戸時代、金銀山の活況で栄え、その富が島の芸能文化をはぐくんだ。

島は古くから流刑地でもあり、流された一人に室町時代初期の能役者、世阿弥がいた。本作では世阿弥にふんした能楽師と能舞台を中心に据えた。「佐渡が文化を宝船に乗せて受け継いできた島であることを描いた」(宇佐美さん)という。

海の青、木々の緑、稲穂の黄金、帆と雲の白。色の鮮やかさもさることながら、海風が山の端を超え、棚田を駆け上がってくるような構図が素晴らしい。深呼吸したくなった。

《世阿弥 佐渡 2022》

宇佐美さんの作品に接すると、いつも同じ疑問が湧く。「合成写真でもないのに、どうしてこんなに多くの人と物を一度に動員できるのだろう」。

宇佐美さんに尋ねると、「現地の歴史や文化を学び、何をテーマに撮るかを決めたら、あとは土地の人たちとの対話です。作品の意図を理解し、共感してもらうまで何度でも説明に伺います。『やりましょう』という返事をもらうまで、交渉には長い年月がかかります。たとえば《世阿弥 佐渡 2022》は2019年から交渉を始め、コロナ禍での中断を挟み、撮影できたのは2022年秋でした」と答えが返ってきた。

共感してもらえるまで何度でも――。作品への理解はもちろん、宇佐美さんの熱意が言葉に溢れていたからこそ、数百という人が駆け付けたのだろう。

同上 設計図

疑問はもう一つあった。「決められた撮影時間の中で、人や物をどうきちんと配置させるのか」。この疑問も投げると、「やはり現地に何度も足を運び、徹底的にリサーチやロケハンをしたうえで具体的な構図や配置を考えます。ちょっと、こちらにどうぞ」。

宇佐美さんに案内されたのは《世阿弥 佐渡 2022》のドローイング、つまり設計図の前だった。作品をトレースしたようにそっくりだった。「なるほど。設計図に沿って配置させるのか」と納得がいった。

「奇跡的に撮影できた」

《大塚健 秋葉原(東京)2013》

交渉の相手は出演者だけではない。《大塚健 秋葉原(東京)2013》は作品タイトルにあるように秋葉原の歩道を占拠して撮影した。公共用地なので警察や自治体から使用許可をもらわなければならない。

場所が場所だけに簡単には許可が下りなかったことは想像できる。「粘り強く交渉した結果、朝7時を条件に撮影が奇跡的に認められました」。

大塚健さんは画面中央でベッドに横たわっている男性。メイドカフェや執事カフェの経営など秋葉原のオタク文化を支える事業家で、筋ジストロフィーという難病を抱えながら、家族とのコミュニケーションを通してこうした事業を具現化してきたという。

「早朝、ゲリラで1分弱」

《声なきラガーマン 神宮外苑 2023》

公共の場所ながら例外的に警察や自治体の許可なく撮影した作品もある。《声なきラガーマン 神宮外苑 2023》の現場は、銀杏並木で有名な東京・神宮外苑前の通りと青山通りの丁字路交差点。近くに秩父宮ラグビー場や神宮球場、テニスコートなどもあるスポーツの聖地で、最近、外苑地区の再開発計画に伴う樹木伐採の是非が議論になった。

本作も計画への問題提起を狙って制作された。「外苑の緑を守れ」と叫ぶ住民やスポーツ関係者を横断歩道の左、開発を推進する組織の象徴を右に置き、真ん中でスクラムを組もうとにらみ合う様子を描いた。対立だけではなく、試合後の「ノーサイド」の精神も重ね合わせ、対話と共生の必要性を訴えたという。

撮影は冬の朝6時半に行われた。「本作は一切許可を得ないまま、ゲリラ撮影を敢行しました。青になった信号が赤に変わるまで、時間はたった1分弱でした」。 

同上 設計図

上はドローイング(設計図)だが、本作制作後に描いたものだという。宇佐美さんはドローイングを指さし、「本来撮りたかったイメージがこれです。もっと多くの人や細かい設定を考えていました」と説明した。たしかに本作と見比べると人の数や設定に違いはあった。

ただそのことより、このドローイングのインパクトの強さに引きつけられた。まず画面左右の動と静かの対照性がくっきり浮かび、それが道路最奥に小さく立つ聖徳記念絵画館に向かって吸い込まれるように続く構図に瞠目した。

無数の人の描写にも圧倒されたが、どれも違う姿に描き分けられていることがさらに驚きだった。沿道の草や木の枝、鳥たちも一つとして同じものはなかった。

「この世の生き物は生き方や考え方が違っても共存している。これからも共存していかなくてはならない」。改めてそんな考えが頭をよぎった。

線と点だけの絵ながら、独特の世界観を発散する宇佐美さんのドローイング。《世阿弥 佐渡 2022》のそれと同様、もはや一つの芸術作品だと思った。

「自らポーズを考えてくれる」

宇佐美さんから面白い話を聞いた。「撮影現場では設計図をもとに参加者に位置やポーズを指示しますが、時間の制約もあって隅々まで目が届かず、指示に漏れる人が出てくる場合もあります。ところが、そんな人でもちゃんと作品の狙いやストーリーに沿ったポーズやパフォーマンスを自ら考え、動いてくれるのです」。

この言葉から、参加者たちはそれぞれ「自分も演者の一人、発信者の一人」と主体性を持ってレンズに向かっていたことが分かる。全員がこうした考えでまとまったからこそ、作品は舞台芸術のようなスペクタクルを伴って見る者に迫ってくるのだろう。

ここまでずっと主人公中心に見てきたことを反省した。「もっといろいろな登場人物に目を向け、彼らからのメッセージを読み取ろう」。自分にそう言い聞かせながら2周目の観覧へと足を向けた。(ライター・遠藤雅也)

◆「美術展ナビ」で掲載された本展関連記事もご覧ください。
【レビュー】「マツモト建築芸術祭」3月24日(日)まで旧松本市立博物館などで – 美術展ナビ

Leave A Reply
Exit mobile version