カズオ・イシグロの長編デビュー作を石川慶監督が映画化した『遠い山なみの光』(公開中)のスペシャルトークイベントが10月13日に池袋HUMAXシネマズで行われ、石川監督とBiSH解散後、小説やエッセイなど文筆業でも活躍するモモコグミカンパニーが出席。モモコグミカンパニーが熱い感想を石川監督に届けると共に、石川監督が映画を鑑賞した観客からの質問に答えた。

『遠い山なみの光』(公開中)のスペシャルトークイベントが行われた『遠い山なみの光』(公開中)のスペシャルトークイベントが行われた

カズオ・イシグロが自身の出生地である長崎を舞台とした本作は、戦後間もない1950年代の長崎、そして1980年代のイギリスという、時代と場所を超えて交錯する“記憶”の秘密をひも解いていくヒューマンミステリー。日本人の母とイギリス人の父を持ち、大学を中退して作家を目指すニキ(カミラ・アイコ)は、戦後長崎から渡英してきた母、悦子(吉田羊)の半生を綴りたいと考える。娘に乞われ、悦子は口を閉ざしてきた過去の記憶を語り始める。それは30年前の長崎で悦子(広瀬すず)が出会った、渡米を夢見る佐知子(二階堂ふみ)という女性とその幼い娘、万里子(鈴木碧桜)と過ごしたひと夏の思い出。初めて聞く母の話に心揺さぶられるニキだったが、彼女は母の語る物語に秘められた“嘘”に気づき、やがて思いがけない真実にたどり着く。

『ある男』(22)で第46回⽇本アカデミー賞最優秀作品賞を含む最多8部⾨受賞という快挙を達成した、石川慶監督がメガホンを取った。この日のMCは、奥浜レイラが務めた。

※本記事は、ネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)を含みます。未見の方はご注意ください。

本作から大いに刺激を受けたというモモコグミカンパニー本作から大いに刺激を受けたというモモコグミカンパニー

モモコグミカンパニーが本作を数回鑑賞し、公開時にも作品への深い考察と熱い想いを語っていたことから、今回のイベントが実現した。驚愕のラストが待ち受ける本作だが、「3回観ました」と切り出したモモコグミカンパニーは、「最初は原作を読まずに観たんですが、完全にだまされた!と思いました。そこで一度、衝撃を受けた」と告白。

「2回目に、これは一人の女性の半生と葛藤を描いたものなんだと冷静に観たら、またその見方があった」とリピートすることで深い味わいがあったという。各国の映画祭でも話題を呼ぶなか、石川監督のもとにも「いろいろな質問がきます」とのこと。「いろいろな解釈をされる方がいる。女性と男性でも、受け止め方が違うという感じがした」と反響について紹介すると、「たしかに」と大きくうなずいたモモコグミカンパニーは「『結婚、出産以外、特になにもないじゃない』という最後のセリフが刺さった。私は結婚も出産もしていないけれど、それ以外に大きなことって自分の人生であるんだろうかと葛藤するところがあって。すごく共感しました」と女性として共鳴するところも多かったと明かす。

監督の石川慶監督の石川慶

さらにモモコグミカンパニーは、本作を通して一人の人間のなかにはあらゆる人格があるということを改めて実感した様子。「カズオ・イシグロさんの作品は回想が多い。過去を考えた時に、いろいろな自分がいて、一貫していないのが人間だよなと思いました。佐知子みたいな自分もいれば、悦子みたいな自分もいる。そういう別人格がたくさんあるのが、人間らしさだなと思いました」と語ると、「すごくうれしい感想」と喜んだ石川監督。

「前に撮った『ある男』という映画も、いろいろな人格があるという話。ここで話している自分と、家に帰って家族といる自分ってやっぱり違うじゃないですか。いまって『人格ってひとつじゃないとダメだよね』という雰囲気があるけれど、いろいろな自分を認めてあげられると、生きやすくなる。それを前回に扱っていて、今回描いたこともそれに近いところがある」と解説。女性のエンパワーメントが推進される現代においても、現実としては子育てや仕事、自己実現などすべてがうまくいくことは難しいことであり、「それもちゃんと受け止め、受け入れつつ、ということが原作に描かれていた。そういう想いを込めて作っていたので、いまの感想はすごくうれしいです」と目尻を下げていた。

『遠い山なみの光』について熱く語り合った『遠い山なみの光』について熱く語り合った

カズオ・イシグロの原作をアンソニー・ホプキンス主演で映画化した『日の名残り』(93)も好きだというモモコグミカンパニーは、「カズオ・イシグロさんの作品と石川監督の作品は、観ている人に、余白を委ねるところがすごく似ている」と持論を述べ、「シンパシーを感じるところはありますか?」と質問。恐縮して苦笑いした石川監督は、「イシグロ文学って、1から10まで全部わかるというものじゃない。自分も映画を観終わって『全部わかりました』と外に出たら忘れてしまうものではなく、そのあともちょっと引きずりながらご飯を食べたり、そういう時間をかけながら映画を完結してほしいという想いがある」と映画作りに込めた想いを口にした。

するとモモコグミカンパニーは、「いい意味で、久々にこんなにわかりづらい文学的な映画を観たなと思った。衝撃を受けて後ろ髪を引かれるというより、もっと人間的な深い部分で自分に問いを投げかけられているような感じ。観たあともずっと考えてしまった。2、3回目は、メモ帳を持参して『ここはこうなんじゃないか』と書き留めながら観た。そうしないとうまく自分の中で消化しきれないぐらい、すごく深い作品」とまさに石川監督の想いが届いているような鑑賞スタイルで、「もう1回観たいという人が多いんじゃないかと思います」と思案。その予想どおり、この日の会場には「すでに5回観ている」という人も駆けつけていた。

観客の質問に答えるひと幕も観客の質問に答えるひと幕も

そして、観客からの質問に答えるひと幕もあった。「編集で一番苦労したのは?」という質問があがると、石川監督は「今回、いろいろな国の人たちが関わっている。ラストのバランスについても、イギリスのプロデューサーやポーランドのプロデューサーに投げてみると、それぞれ意見が違う。イギリスの方は、もっとはっきりわからないとダメだと。ポーランドの方は、回想のフラッシュバックは全部抜いて、もっとぼやっとしたほうがいいと言う」と意見が分かれたと述懐しつつ、「お国柄だけではなく、いまここにいるおひとり、おひとりでも違うと思う。最終的にカズオさんに『どうしたらいいですか?』と聞いてみたら、カズオさんは『あなたの映画なんだから、いろいろな人がいろいろなことを言ってきて迷うと思うけれど、あなたがこれだと思うものを支持します』と言ってくれていまの形になった」と信頼と共に預けてくれたと感謝。

また「佐知子はアメリカに行きたがっていたところ、悦子はイギリスに行った。ここの違いは?」と実は佐知子と悦子は同一人物だったという展開がありながら、その2人に差異があることについて聞かれると、石川監督は「カズオさんの原作を読んでも、そこは(佐知子と悦子は)厳密なイコールで結ばれているというよりも、時空を超えて重なって見える感じ。娘のニキも同じような問題を抱えているし、女性たちの同じ物語だとも言えるような気がして。その人たちが“遠い山なみ”のように重なって見えて、それが最終的にスクリーンの前の、2025年の自分たちにも重なってくるといいなと。自分は、小説はそういうふうに書かれていると思った。ギミックとして『この人がこの人でした、びっくりした』という話ではなく、もっと自分たちに投影できるような仕掛けにするためにも、山がぼやっと重なっている形にしたいなと思っていた」と意図を明かし、「そうやって、微妙に違いがある。探ってもらえたらうれしい」と呼びかけていた。

【写真を見る】笑顔で手を振ったモモコグミカンパニー【写真を見る】笑顔で手を振ったモモコグミカンパニー

最後の挨拶においても、モモコグミカンパニーは「この作品に出会えてよかった」としみじみ。「自分のなかで世界観も広がった。監督のお話を聞いて、現代の自分たちにも重ね合わせてほしいという言葉がすごくステキだなと思った。作品と自分を切り離すというよりも、いまの自分を重ね合わせる。もう1回そういう気持ちで観られたら、また見方が変わりそう」と何度も観たい映画だと力強くコメント。熱い感想が飛び交った会場に「ありがとうございます」とお礼を述べた石川監督は、「熱意を持って(感想を)話してくれる方がすごく多い。カズオ・イシグロさんの原作を読んだ時に、『自分に渡された』という感じがした。そういう想いで作っていたけれど、誰かにはちゃんと渡ったなという感じがしている。まだまだ上映が続いて、1人でも多くの人に渡せていけたらうれしいなと思います」と願いを込め、大きな拍手を浴びていた。

取材・文/成田おり枝

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