アジア最大の映画祭、第30回目を迎えた韓国の釜山国際映画祭に今年も参加した。通常よりも1か月早い9月開催となった今年の釜山映画祭だが、相変わらず充実したラインナップで、例年以上の盛り上がりを見せていた。そんな中、オープニングを飾ったパク・チャヌク監督の『No Other Choice(原題)』やギレルモ・デル・トロ監督の『フランケンシュタイン』、キャスリン・ビグロー監督の『ハウス・オブ・ダイナマイト』と並んでチケットの争奪戦が繰り広げられたのが、『Bugonia(原題)』だ。

監督は、もはやアカデミー賞常連のヨルゴス・ランティモス(『哀れなるものたち』(23)、『女王陛下のお気に入り』(18))、プロデューサーはアリ・アスター、主演はエマ・ストーンとジェシー・プレモンス。しかも、チャン・ジュナン監督の韓国映画『地球を守れ!』(03)の英語版リメイクということで、韓国人の若い男女を中心に巨大な会場は埋め尽くされていた。上映後にはジュナン監督が登壇しトークイベントが開催され、観客は食い入るように熱心に聞き入っていた。

釜山国際映画祭での『Bugonia』上映の様子釜山国際映画祭での『Bugonia』上映の様子

2020年にアリ・アスターが、この英語版リメイクのプロデューサーとして加わり、当初はオリジナル版の監督チャン・ジュナンがメガホンを取る予定だったが、健康上の理由で降板、2024年にランティモスが監督することが発表された。そういえば、2023年12月に「Variety」のYouTubeチャンネルにアップされた、アリ・アスターとラティモスの40分間の濃密で非常に興味深い対談動画があったが、ここで2人は親睦を深め、その後ランティモスが監督に決まったのではないか。そんな気がしている。

ストーリー。世界的に影響力を持つ大企業のパワフルなCEO、ミシェル・フラーの正体は実はエイリアンで、地球破滅を目論んでいる、という陰謀論に妄執する2人の男は、ミシェルを誘拐する作戦をついに実行に移すが…。

【写真を見る】『Bugonia』で主演を務めたエマ・ストーンとジェシー・プレモンスは『憐れみの三章』でも共演【写真を見る】『Bugonia』で主演を務めたエマ・ストーンとジェシー・プレモンスは『憐れみの三章』でも共演[c]Searchlight Pictures/Courtesy Everett Collection

女性CEOをエイリアンだと信じ、その根拠を熱弁する主人公の養蜂家、テディ(演じるはジェシー・プレモンス。いつもよりもスリムで汚らしくもシャープな印象。凄まじい狂気に圧倒される)。寝耳に水とばかりにテディの説を全否定し、命乞いするミシェル。地下室のワン・シチュエイションでテンションが高まり、サイコロジカル・スリラーの様相が張り詰めていくが、そこに闖入者がやってきて、話は思わぬ方向に転がり始める。

『Bugonia』で社会で活躍する女性を「地球を破壊するエイリアンだ」と結論づけ、拉致監禁する陰謀論者を演じたジェシー・プレモンス『Bugonia』で社会で活躍する女性を「地球を破壊するエイリアンだ」と結論づけ、拉致監禁する陰謀論者を演じたジェシー・プレモンスCourtesy of Focus Features [c] 2025 All Rights Reserved.

映画のテイストとしては、ランティモスの過去作と比較すると前作『憐れみの3章』(24)に一番近いが、 作品の完成度は『Bugonia』のほうが高い。虚をつく音楽が今回も特徴的で、『哀れなるものたち』に続いて再びタッグを組んだ、イェルスキン・フェンドリックスのブルータルで不安を煽るパワフルなスコアが印象深い。劇中、人気パンクバンド、グリーン・デイの代表曲の一つ「バスケット・ケース」が流れるが、このタイトルは「精神的に不安定な人」という意味を持つ。ランティモスと4度目のタッグとなった撮影監督、ロビー・ライアンのゴージャスな映像美も出色だ(特にエンディング)。今作はアメリカ、イギリス、そしてランティモスの母国ギリシャの3カ国で撮影されている。

映像監督のロビー・ライアンは『女王陛下のお気に入り』、『哀れなるものたち』、『憐れみの三章』にも参加映像監督のロビー・ライアンは『女王陛下のお気に入り』、『哀れなるものたち』、『憐れみの三章』にも参加[c]Searchlight Pictures/Courtesy Everett Collection

ランティモスお得意の不条理ブラック・コメディであり、SFでありクライムサスペンスであり、実はホラーという本作。オリジナルと比較すると大筋は同じだが、いくつかの点で大きく異なる。まずエイリアンと目されるCEOがオリジナルでは中年男性だったが、今回は女性。オリジナルでシン・ハギュン演じる主人公の相棒は女性の恋人(ルックスが大変個性的なサーカスの曲芸師)だが、今回は同年代の男性の友人とそれぞれ変更されている。オリジナルにあったラヴストーリーや主人公の暗い過去の背景はほぼ省略されている。そして重要なのが、オリジナルが序盤からコミカルなトーンが前面に押し出され、主人公の恋人が強力なコミックリリーフとして活躍していたが、『Bugonia』に明るいコメディの要素はなく、ダークでニヒルスティックな笑いに集約されている。

誘拐されたCEOミシェルが地下室に監禁され、拷問を受けるシーンを見て、これは『悪魔のいけにえ』(74)か『ホステル』(05)だな、と思いつつも、一番近いと感じたのがザヴィエ・ジャン監督のフレンチ・ホラー『フロティア』(07)。あの作品でも女性主人公が監禁され髪を刈られ、『Bugonia』と同様に派手なガン・アクションもフィーチャーされていたからだ。

混乱に陥ったフランスを舞台に、海外脱出を試みる若者たちが殺人鬼の餌食になっていくサバイバル・スリラー『フロンティア』混乱に陥ったフランスを舞台に、海外脱出を試みる若者たちが殺人鬼の餌食になっていくサバイバル・スリラー『フロンティア』[c]After Dark Films/Courtesy Everett Collection

エマ・ストーンが坊主にされ(かつらではなく実際に自毛を剃って坊主にしたという。見事なプロ根性。さすが本作のプロデューサーの一人)、その後白塗りにされた顔を見て、これはエイリアンみたいだけど、それよりも『吸血鬼ノスフェラトゥ』(22)のノスフェラトゥは確実に意識しているな。いや、『ディセント』(05)の白いクリーチャーにもそっくりではないか。などと考えさせられた。ちなみに、オリジナルの『地球を守れ!』にもウィリアム・ラスティグ監督の『マニアック』(81)やトニー・トッド主演『キャンディマン』(92)といったホラーを思わせるシーンが散見された。

『ホステル』では、バックパッカーの若者たちが旅先で拷問の館に迷い込む姿が描かれた『ホステル』では、バックパッカーの若者たちが旅先で拷問の館に迷い込む姿が描かれた[c]Screen Gems/Courtesy Everett Collection

『Bugonia』は、伏線としての血みどろなショック描写を経て、クライマックスで強烈な飛び道具として(文字通り)ゴア描写が炸裂する。このインパクトが強烈で、ランティモスはこのシーンが撮りたくてこの映画を引き受けたのではないか…?と訝るほどに、本作のブラックユーモアのすべてがここに集約されており、このシーンを見るだけでもホラー映画ファンは本作を観る価値が十分にあるといえよう。来年の日本公開を熱望!

文/小林真里

Leave A Reply