【朗読】木の手 – 瀬戸内晴美 <河村シゲルBun-Gei朗読名作選>
木の手 瀬戸内はみ 朗読ケリー白と ほんまに亀まへんのやろか 先生は優しい境内心 は名薬は表は張ってもうちが琵は抜き持っ ていってもよろしおすか言うて口に出して 聞いてしもたらも いらへんのとよう岩らへんのと違うやろか 。そなうちのおばあちゃんが言わります ねん。 やけど先生の電話のお声が子供みたいに はんではったしすぐ持ってきてって言わっ た酒言うておばあちゃんの懸念に耳か傘へ 変と飛んできましてん の庭に一軸とかザクロとかビアの木が上っ てたら病人が出るとか運が逃げるとかいう いい伝えがありましたろう京都では要 そんなこと言いますねん。演技の悪いもん 人さんのオタクに持ち込んだらあかんして おばあちゃんエロ神経立ててはりました。 そういえばうちの庭には昔から一軸の日が あったなあ。そのせいやろか。うち中の 人間がおかしなことになってるのは先生 一軸を好きどすか。あら、やっぱりお嫌い ですか?うちもどうもあの売れた一軸の形 見るとなんやら恥ずかしいなって構いま へんねん。一軸の実とのわ説やんか言う たらうちの人がお前は見かけによらず スケベや酒そんな連想するんやってアホに しります。 でもあの身のガブっと割れたところ中覗い たら青身がかったカ肉に武ド色がぼかしに 滲んでひみたいに内側にヒラヒラ切れ込ん どるの見たらなんやしら果物とも思えない 生臭い匂いがするようでうちぞっとして カわんのどす 生臭い果物言うたらうちの母はこの頃妙な 果物ばかり食べたがるようになって呆きれ ます。キウイとかマンゴとかアボガードと かいう見ただけでも気食の悪なる決対な 外国の果物ばっかり食べたがってます。 近所の果物が心てて、急にこの頃そんな 怪しげな果物ばかり仕入れてて。私が店の 前通るた。ゆ子さん先生のお好きな果物 入ってませ。持ってって遅れやすって声 かけ寄りまんねん。はあ。うちの母は司会 どさ近所では皆さんとは言わずに先生と 呼んでます。父ですか?うちとこの病院は 父方のおじいちゃんが流行らしたんです けど、父は歯者が嫌いで新聞記者やら出版 した勤めばっかりして嫁さんに来た母が 家業をついだ形になりましたよって。父の ことは近所の人は先生とこの旦那さんと 呼んではるようです。母は先生より1つ2 つ年下どうしたろか。やっぱり船中派の チキチキでうちの父と結婚する前恋人が 戦死は張ってもうどうでもええという つもりでたまたま円談のあった父のところ へとついできたんじゃないかと思います。 父は戦争には行きましたけどすぐ南子で足 に負傷して帰ってきたんやどす。右の足を 今でもちょっと引いてますけど。を 目立たしまへんし、父のこと好きに ならはる女たちは左方をちょっと上げて わずかに足を引きずる父の歩き方がええ のんやと言います。気町のバーのママが そう言うてだと母に言いましたら母が何 言うてんねん。今生き残ってる船中派の男 なんかみんなクズばっかりや。今日本の中 で1番悪いやつは船中派の男なんやで。 あんたみたいなおっちょこちょいでも船中 派の男にだけは騙されん時やと来ないます ね。そらもうちの母は仕事はし張ります けどきつい女どす。見てたら父はぐーたら で、え、都市してまだ同人雑誌がどうの こうの言うて自分より若い人集めて 生きがってる文学老年ぶりが我が父 と思いますけど、白髪がさして手入れして 変のどすけどキラキラ光るほど綺麗で カラやんをちょっとふやけさせたみたいな 顔立ちしてるせ にはよモテは そいでも我が家は母の歯医者の腕の確かさ で食べていかれてるので新しい患者さん なんかはみな母が家つきで父が用姿に入っ たんやと思い込んでるくらいです。おばあ ちゃんは不でな息子を気の強い嫁さんに 恥じてチなって台所や掃除や選択などせと してはります。 お 手伝いもん来てもおうかみたいな天でラバラ間がき勝っるついてれ腹しまへん。はよたっ て もっか中の配の種どすけど誰も手がつけられまへん。私は [音楽] 28ですけどは 21です。妹の上に弟が1人生まれてたん ですけど、5つで小もりの不注意で車に 惹かれて死んでしまいました。小の不注意 豊たかて5つくらいの男の子が小も手へ 降り切って走り出すのを誰が止められまし たろか。母が小もを攻めすぎて小もが自殺 ミ水して新聞に出たりして大変やったとか 言います。 私は小学2年生の時としたからその頃の ことをいくらか覚えてます。でも子供には 聞か狭いとしてたでしょうし、私の覚え てるつもりのことは後になって近所の人の 噂や何かを自分で見たり聞いたりしたよう な気になってるのかもしれません。小の兄 という人が田場からやってきて酒に寄って 母に殴りかかったのを見てこおって泣いた のを覚えてますけどそれも確かに見たのか 人の話でイメージができてしまったのか 母は死んだ弟が生きていたら天才やったか もしれんなんて1人で泣いたりしますけど うちの誰もそんなこと信じてやん。おばあ ちゃんの話では3人の兄弟の中で弟が1番 おネの祖想がひどかったということだし ええ母も企業料の悪い方やないと思います 。大柄で派手な人でわこを見られます。 この数年特に羽好みになってきて私らよか 赤いものなんか見いつけてそれがように 似てます。派手なものが匂うようなったの はそれだけ年を取ったんやと無然として ますけど何をしてもありがたいとか嬉しい とか楽しいとか思うこと知らん人で見て たらうち10で1番不幸せな人やないかと 素論なることもあります。 宝石が出入りしてしょっちゅ何かしら かわされてますし点 私のこうて来るものの10倍くらい 吹っかけられて次々作らされてますけど 確別それが嬉しいというわけでもないよう その証拠に年々相打症がひどうなって打つ になったらもう内中でどうしていいか 分からへんようになってしまいます。体中 が悪いと訴え始め医者はどこも悪いと岩原 へ変どさ 死んだ方がマしやとるんどす この調子では仕事もいつまで続けられるか 知らんと心配ですけど先のことは誰にかて 分からへんもんどすしねそうの時はむやみ と攻撃的で覇者が張りますしそれもまた その後に来反動を思うと宇宙のものは ハラハラして怖がって遠くから眺めてる だけです。ちょうど今はそうの時でシルク ロードへ行く計画立てて夢中になって電話 ばっかりしてます。機嫌はええのどすけど 毎日毎日ボルテージのタをなっていくのが 分かって今に自己爆発するやないかと気 がきやありません。先生が出血しはりまし た時、母はたまたまそうでも打つでもない コンディションのええと起動した。私が 先生にずっとお手紙してるの知ってたと 見えて、まだ寝てた私の小屋の窓を どんどん叩いて新聞差し入れてくれました 。ちょうどあの半年前から私たち結婚して てうちの庭の隅に小屋立てて2人で暮らし 始めたものでした。なんやて私が寝ぼけ まなこで首出しましたらいつものように念 の入った化粧した顔を青じろませて母が 黙って新聞突き出し先き残ってた白ハぎを 虫り取りながらこういう手もあったんやな とうまきました。へえ。その時呟いたと いうより埋めいたように聞こえました。 新聞開いて私はやっぱり悲鳴をあげ、まだ 眠ってた夫を叩き起こしてオロオロして それからわあわ泣きました。でも疲れて 泣きやんでしまうと妙に胸の中がすっきり してなんやら先生からこういうことすると ずっと前から聞かされたような気がしてき ました。すみません。 こんな話するつもりなかったのに つい言うてしもうておやどしたろ。母が今朝また私たちの小屋のを叩いてこのバラの花届けしといてと申しました。どこに届けるのん?アホやないか。佐野種さんは青い祭りが誕生日言うてたのはあんたやろうと怒鳴ならまいましてん。 天さんにこんな真っ赤なバラの花束それも こんなに行さは変のと違うやろかって言い ましたら雷が落ちましてつべこべ言わんと 思ってお行きやすい仏さんにあげるん どっせとこな言いましてでも持ってきて ほっとしました。もうこんなに行とラン ばかり集まって春るのどすもの花屋の店 みたいどすな。やっぱり母の目がクルーて なかったどすね。お仏もバラで溢れて 追いやすのどすか。そういと赤いバラも 結構絵になりますね。へえ。先生もマンゴ やアボガードなんて決対な果物お好き屋の ドスか信じられませんけど先生かて純粋の 船中派の女のおや酒うちの母とどっか通じ てるのかもしれませんね。ああいう果物は なんやら動物くそうて叶わんのですけど 好きな人はその匂いとこっりした味がええ のんどすってね。いえ滅したりシしません 。先生が商人料理1年も続けてはるのも 知ってますもの。せめて果物なりと こっちりとした動物臭いもの召し上がっ といてください。母がするといらしく 感じることを先生が幸るとそう思わないの はやっぱり髪の毛のあるなしだけのせい でしょうか?母はうつの時は決して口に死 しませんのにそうの時にはよく私も佐賀の 安種さんに頼んで噛み沿ってしまおうか など言います。その都度私は嫌な顔して母 を睨むらしく、母はそんな私の表情を見 たくてわざとそう言うてるようなところが あります。母が出などできこない人間や いうことは内中のものが分かっています。 口では偉そうなこと言うて父を会社なし みたいに言うてますけど父がどんなに外で 女の人作ってても父に惚れててよ離婚し へんなんだ人どす 滅多に愚痴言わん人ですけど時たお前たち のため離婚もせんと辛抱してきたのになど ぶつくさ言うことがあります。そんなこと はないわけで、母は会社なしの父に結構 惚れてたんやと思います。 父が3年ばかり家を出て神の方で別の女の 人と暮らした時があります。私の小学校 23年の頃す。はあ。弟が死んだのも確か 父の家での頃と重なってました。弟が死ん だのは父の同落のバチが当たったんや。 お腹いせんと次の不幸がすぐ清りませぜと 言うておやの晩当園の滋賀の方で占いして はる女の人がお客たちに聞こえよがしに 言うたのを母がすごい見幕でその太ったお ばあさんの肩を突き飛ばして家の外へ 押し出してしもうたのを覚えてます。父は そのおばあさんと入れ違いく内に叫臭い息 して入ってきました。木の弱い父はシラフ ではとてもよう家の艶の席へ出られなん だろうと思います。49日が済む頃、また 父の姿が家から見えよう。母がブランデを 毎晩1人で飲むようになったのはその頃 からのように思います。指示がどこから 拾ってきて、私が可愛がってた犬のペカに 母がブランデを無理に飲ませすぎ殺しかけ たことがあったのもその頃やったと思い ます。犬がお酒に用うの見たこと終わり ですか?苦しむのは人間と同じ きみたいに暴れて血ヘド吐いてもうダめか と思いました。母は残忍な性格やないの どす。やけどいつでも心が不匂いで寂しい のやないかと思います。母が一ぺそういう 父を裏切らなんだかと言うとようわかり ませんけどまあそんなことの一ぺや2あっ たんやないかと思います。 相性っていうのはおかしなすね。母は娘の 私の目から見ても魅力のある女やと思い ますのに。父はいつでも逃げ越しで母に 背中ばっかり向けていてま向きになって あげへんのどす。多分母を空いていた患者 さんの1人のやり手の弁護士さんを母は 拒ばみきれんかったのやないかと思います 。それとも寂しかった母が年が7つ下の あの人に持たれていったのかもわかりま へん。なんとか台風の北夜とした真夜中に 電話があって私が出ました。母は2日前 から淡路の別荘へ休みに行くと言って留守 にしてました。 の中にいきなりヒューという寂しい風 みたいな女の鳴き声が入ってきてびっくり しました。子供が泣きながらしりあげ しゃくり上げしているみたいな口調で キれ切れに言うてる女の言葉の意味が最初 はなかなか分から別しまへんとしたけど だんだん女の人が私を母と間違えてるのや と分かってきました。母とおばあちゃんに の私は顔立ちは他人のようで全然似てし ませんのに声はよう人に間違えられます。 女の人は初めてではない電話の区長で主人 を返してくれないなら自殺するとか物騒な ことを言うてはります。 よう向こうの声の切れ目らえて私は母のて 娘や言うてやりましたら電話の中でけっけ というような笑い声がいっぱいになりまし た。それから2日ほどして母が帰ってきた 時、女の人から電話がかかってきたと言う てけっけという笑い声真似したりしまし たら母がじろっと私を見てもうすんだんや と一言のように言いました。それっきり 弁護士さんの姿見たことありません酒井 多分あの横で話しつけたやないかと思い ます。 あの人との間が続いてたら母は今頃もっと のどかなのやないかとかわいそうな気して ます。母はええ女やと思いますけど私は父 の方が好きです。次々若い女の子が父に まつわりついていく気持ちわかります。 うちとでは父が何年も家庭ほったらかしに してたくせに子供たちの教育は父にして もらったという感じがあります。 放送を父は女の子だからと言って腕の内側 にさせましたし星座すると足の形が悪う なる言うていつでも足投げ出させて横座り させられてきました。いでいわゆる京の 挨拶が全然できへん娘に育ってしまい、 結婚の相手も当然自分で見つけてくるもの と自分たちも親も決めてました。 うちの旦那を連れてきた時、母も父も何も 言いませんでしたし、おばあちゃんは海賊 にしたら似合いそうな人やなと一言疲した だけで1番気に入ってくれたようです。 うちの人は私より2つ年上どすけど、一緒 にいたら7つも8つも年上みたいに感じ ます。ほんま言うたら10年も前から つまり中学時代から付きた好きな人がいた んですけど彼とはあんまり煮すぎててなっ て下す 彼も2つ年上です。おかしなことにうちの 旦那の前の彼女も私と同じ年で彼の現在の 北の方も私と同い年です。どういうわけか 、この年の女とこの年の男の組み合わせと いうのはとても大手私の周りだけでも 立ちまち10組くらい数えられます。 みんな月光仮面世代で同級生という感じ。 いわゆるベビーブーム世代というのは シャムの双子みたいにどうか体の一部で くっついてるような血縁的な懐かしさで 結ばれてます。男とか女とか言うより身内 とか仲間とかいう感じで恋いだの惚れただ の言うよりもっとカラっとした友情みたい な繋がりが先にあるみたい。恋人や夫婦に なってもあんまり相手のこと寝掘りは掘り 聞きたがらへんし、何か過去にあって当然 という気持ちです。お互いの秘密に触れと 解くのは相手に対するエチケットみたいに 思てるのと違いますやろか。 うちの旦那は自分の彼女のことはベロっと 喋りはりましたけど、私が釣られて彼の ことを言いかけると聞き当ないというの です。そいでつい言いそびれてしもって そのままどすけど前の彼には今でもずっと ラブレタ出し続けてます。それにこの頃彼 はうも遊びに来るようになって旦那も一緒 に仲良付きます。 先生なら分かってくれはると思うですけど 、私彼を今でも好きなんです。うちの旦那 は染食やってて着物作ってもうどうやら私 のことまで食べさせてくれてます。それで 私は好きなものだけ染めて気まな仕事させ てもらってますが、自分も仕事を染める前 当期もやってみたことがあるんです。彼の 家が代々焼き物の家で遊びに行くうち自分 も好きになってしもたんです。でも当期は 女のする仕事やないと思います。今ブーム で女の人もよがりますけどあれは力仕事で やっぱり男のもんやないでしょうか。彼の 方はもう今ちょっと認められてきてます。 あと20年もしたら、え、仕事になるん じゃないでしょうか。その人のくれたお湯 の実を私が使ってたらうちの旦那はお前の 作ったもんやろうと決め込んでいます。 それくらい彼と私は煮すぎていてお互い 見えすぎて気遣いすぎてちょっとしたこと も感じ合いすぎて帰って見失ってしまう そんな時期があったんです。 ちょうどその頃うちの人がひょいと現れて ちょっとしたハプニングで結婚してしまい ました。友達がなんや穴いにいた人とする んやったら前の彼にしといたらええやんか と呆れたくらいドス。彼は私の突然の結婚 にびっくりもせまへんとしたけど、それ まで付き合ってた私たちがお互いを見失う はめになった相手の人とは別れてしばらく 東京へました。帰ってきた時今の北の方 連れてったという次第どすそやけどずっと 私の方は彼当てに手紙書き続けてます。 先生にもお目にかかるのは1年に1度 くらいでしようもない手紙ばっかり出して ますけど先生に出すのも彼に出すのも私は 恋むや思ってます。毎日暮らしてたら言い たいことが喉まで溢れそうに詰まってきて 、その言いたいことは旦那と日常喋ること とはちょっと違うて、もちろん旦那に喋っ ても聞いてはくれると思うんですけど いちいち返事してもらうことでもない話な んです。 言うたら土を掘ってその中へい捨てにして 埋めてしもていいような拉チもない話 ばっかりですかと言うてそれがあまり たまるとやっぱり腹くるという感じ私は なんや知らんこの世に生きてるってことは こういう土に埋めてしまいたいようなラチ もない気持ちを味わうことにあるのやない かなって気します。死んだらあの世がある のかもしれませんけど、あの世の人になっ たら土に穴掘って埋めたいような気持ちは さっぱり脳なるとちゃいますやろか。それ 思うとまだ死にない気がするんどす。 ほんまに書きたいことを書くのやから私の 手がみはみな恋いやそやけどそれは土に 埋めるような気持ちで惚れた晴れたでは ない彼やったら何を書いても分かって くれるし少々妙なこと書いても平気やし他 の人に誤解されんようちゃんと焼き捨てて くれるし先生と同じで返事はくれらへん けどあんたの手紙は面白い言うて呼んで くれはるし、おせ辞にせよ待ってくれはる からほんまに書きがいがあって嬉しいん です。そんならうちの旦那になぜそのこと を隠しとくの言うたら困ってしまいます。 やっぱり知らせる問題はないと思うんです 。うちの旦那や向こうさんの北の方には ただの友達やことになってますけど、ある 部分の精神的な繋がりは誰よりも深いと 思うてますし、そんなことやっぱりうちの 旦那に言うべきやないと思います。男同士 もなんやら仲良してお互い相手のことを 好きや言うてます。これやこし話しどすか 。あ、コーヒーならうちに入れさせとくれ や。まだ手紙の中に書かへ変かったかしら ん。私半年くらいコーヒーやの手伝いした ことありますねん。その店は元来コーヒー の豆屋さんで店と言うても豆屋さんの窓口 とか言うか喫茶店として経営してるわけや のって。小さな1人建てか 2人立ての注文に応じてる店やったんどす。私は元はこへお客さんとして入りしてたんですけど、そこのおじさんと仲良いつか喫茶店してもええなあんて思い始めさせてもらうことにしたんどす。そういう店なので妙につぶる人種も気やはり [音楽] ました。人はコーヒーそのものが好きと いうより解説したりもったいぶった知識 ひけらかしたがってスカんたらしいおっ さんです。女の子なんか連れてきて水の コップに氷は入れんといてや味が落ちる からなんて木度っていうの聞くとこっちも 青臭くなってきてわざと言われたんと違う 豆をどさどサブレンドして顔を見てたりし てたもんどす コーヒーにしろお茶にしろそんなごたそう な顔しておごそかに飲まんならんもんと ちゃいますやろそんなことしたら意悪いに 決まっとると思いますねん。お抹っ茶の 立て方も学校でちょっと習いましたけど、 あのコナーを上手に立てる立て方を教えて くれるのかと思ってましたら挨拶の仕方 ばっかりで物事の上手なごまかし方 ばっかり教えてくれはるような気がして 全然ピンとキいのどす。本当は私も初めは うちの旦那と同じように染の方もやってた んです。そやけど女やからどうしても 切る側に立って考えてしまいます。そし たら着物1枚に何十万もするもの作るの。 どこか待ちてると思うってアホらしくなっ てしまうのどす。いる人を美しく見せるの は色の少ないほど絵に決まってるのにごテ 課長書き込んだりして行さな支したりして 女の巨栄心くすぐるだけのような気がし ます。そういう今の先生みたいな白と黒 だけが1番豪華で清潔で人が綺麗に 引き立つのと違いますやろか。私自身は白 と黒とコしか似合わへんと思てます。話し てしまいましたけど、そのコーヒー屋の おっさんはコーヒー入れるたびにブズブズ 口の中で呪文みたいなことを唱えてはり ました。なんて言うてるのかって聞いたら 豆によう出ておくれ。よう出ておれって 言うてはるんや。ソドす。豆は効く耳持っ てるでというのがそのおっさんの事論でし た。確かに豆は耳持ってるのかなと思うの は同じ豆、同じ分量、同じ腰袋使うでも 黙って入れる私のコーヒーとおっさんの声 かけながら入れるコーヒーの味は一味違う からした。 このビバの木はうちの旦那が種を巻いて これくらいに育てたもんす。へえ、 40cmくらいになってますやろ。元の美 の木は淡路の母の別荘にある木どす。 とても美味しい身がなるんせ。うちの旦那 は妙な人で食べた果物の種は何でもかでも 片っ端しから土に巻いてしまいます。へえ 。それが不思議にみんなついて目出す んどす。 と私たちの小屋の間の辞書にそやから今ビ は腿梨し 栗柿あんずぶつ目 グ何でもかでも苗が育ってます。そうそう 柚ずもみかもあります。去年はスイカが いつの間にか赤ん坊の頭ぐらいになって ゴロンと土に転がっててびっくりして しまいました。本気で作るつもりならうん と面倒みななりませんのやけどうちの旦那 はとにかく種巻いて種から目が出て1つの 命が生きてくるのを見るところが無償に 嬉しい立ちでそこから先のA身を鳴らせる ということにはあんまり興味ないんやない かと思います。不思議なことに種に何ひ つけときしまへんのに。これは何年何月 どこからもろた梨しやとかどこの村で取っ てきた牡蠣やとかよう覚えてはるんす。 スカの味すか水っぽかったけど結構爽やか で食べられました。 うちのおばあちゃんが言うのには人間には 生まれつき金の手とか日の手とか木の手と かいうのが決まってるのやそうです。文明 が見発達の頃には火の手の人間が火を 起こし 金の手の人間が家の仕事してやく作り木の 手の人間が作物作ったんやと言います。や から木の手の人間が種巻くと皆作物がよう 育つんや。あの人は確かに木の手の人やと いうんす。そんなら他の人間の能力は土内 したんやと言いましたら文明が進みにつれ て人間は自分の潜在能力を自分で見失う ようになってしもった。バチ当たりな話 やって怒ってます。じゃあおばあちゃんは 何の手やって聞きましたら分かってるやん か糸の手や言います。ほんまにおばあ ちゃんは最縫がうまいし旗か上手に おらはります。ならうちの人は手間違えて 職業選ばはったやないかに出なればよかっ たと言いますとほんまになあ今からでも おそうないけどって本気に呟いてるんです 。旦那に話したらケラケラ笑わってました 。それでもその後旦那のすること見てまし たらおばあちゃんの言うのがまんざら 出たらめでないよう思われてきます。 流菓子入れる青い粗末なガラスの瓶があり ます。やろう。あんなものいっぱい並べて その中にわくずや古座の切り刻んだのや ゴミやカレ派などごちゃごちゃ入れ日に 温めて不用度や大避作ったりするのを豆に ちょこちょこやってますしいつ覚えるのか 肥料や土のことよう知ってはります。 種巻いてる時はコーヒー屋のおっさん みたいに種によう言うて聞かせてます。 こら分かったな。お前必ず来年出せよ。命 吹き返すんやぞ。分かってるな。それまで 土の中でゆっくり眠っとけ。ちょっと横で 聞いてたら焼けてくるくらい。もう優しい 声出してめん々んと言うて聞かせてます。 それから手のひの上で何も撫でてやって から時には切粉までして筒に埋めます。え 、先生この日はそうやって今植えてやって くれますか?へえ。うちの旦那に話して やったら都内喜びましたろう。人見知り する立ちで何べも一緒に来そうにして ドタ場になるとなんやら用事作って気いし まへんねん。うちの人は先生が天さんだけ やったら行きやすいのにと小説家の先生を 煙たがります。彼は先生が小説家だけやっ たら遊びに行きたいけどと天さんの文を 煙たがってます。男て妻つまらん理屈つけ て照れるもんやと思いますわ。コーヒー屋 のおっさんも豆に物言わると旦那に教えて やりましたら当たり前やと言うとサボテの 話してくれました。どこやらの国の物好き が同じ種のサボテ2つの蜂を窓際に並べ、 1つのサボテには毎やお前は可愛い。お前 は見事だって言い続け。もう1つの2は 毎朝。お前はみともない。お前は嫌なやと 言い続けたら半年後に可愛いと言われた サボテンは見るみる見事に成長して綺麗な 花を咲かせみともないと言われ続けた サボテンはほんまにみともなくなって蜂の 上にしがみつくようにして枯れて下もたん やソドすって何の本で読んだか知りません けどうちの旦那はまるで自分でそれを実験 したよう 確信に満た口調で言うてました。そやから この美も植える時よ育つんやぞ。え、 見つけるんだぞって言うて聞かせてから このか沼土を土に混ぜてしっかり植えて こいと言われてきたんです。ほんまに育っ てくれますように。もしこれがついたら 今度はかきかザクか持ってきます。はい。 水はバケツ販売で十分ロス。こらビわや様 だってやん。しっかりついてくれんと。 うちの恥やで。しっかり頑張ってせぜ 大きななってや。 今朝この苗掘り起こしてる旦那の横で私 ついたため息が出てしまいました。内した んやと聞きめられましたけど不足 やろとごまかしてしまいました。 先生にまだ話してませんけど ほんまは私 また子供不の 前の子はお腹で死んで溶けかかってるの 知らなんだという話お手紙でしましたね。 それからまた妊娠したんですけど、今度の 子は子宮外妊娠でもう少しで私も死にかけ ました。とっさに旦那の地を輸血して もろって命取り止めたんやす。そやけど 一ぺ血もろたらその人の子供はもうでき へんのやと言います。旦那はこんな時代に 子供のええやんか生まれてくる子 がかわいそうやって言うて慰めてくれます けどあの人の子供好きは黙ってたてわかり ます。 冗談に前の子の死んだ後では木の種巻く時 みたいによう言うて引かせた種巻いて やっと笑てたんですけどせっかく授かった のにまた牛の手もってもうあの人の子供は 永久に埋めへんのかと思うとやっぱり シーンとお腹の中が爪となってきます。 ふっと。そんな 彼の子やったら埋めるのかという思いが頭 の中を走ったりしてドキンと慌ててしも たりもするんです。旦那に感謝してながら 内緒で彼に手紙など書き続けてることが やっぱりバツを受けるようなことでしょう か。 23日前停 で 彼の北の方にパったり出たら 目立つお腹してました。 あら、おめでたって聞いたら 嫌だ。うちの人まだ話さなかったのって不 にパーっと輝くような笑顔見せてました。 はい。 やっぱり あれは輝くようなという形のぴったりの 笑顔とした その瞬間。 ああ、この人私の手紙のこと知ってはる なあと思い当たりました。 どうぞ。はしっかり つきますように。 選び抜かれたとっておきの名作朗読文芸。 文芸ホラースリラー、サイコサスペンス。 人生に潜むミステリアスな空間の数々。 おすすめはこちら。 よろしかったらチャンネル登録ボタンを 押してください。
#文学 #朗読 #瀬戸内晴美
胸に反抗の火を燃やして戦後を生きてきた
一人の女性……
愛する女の優しさ、性愛の計り知れぬ深さ
を描いた、まさに円熟の作品の一篇です。
この時は 前年の大病の後遺症でろれつが
おかしかった頃で、当時は長編大作「比叡」
を書き下ろし中に書いた短編だとか……。
作者の御親戚の作家 長尾玲子さんに伺いました。
次回の「えりあし」と共にお楽しみください。
@名作朗読チャンネルBun-Gei
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瀬戸内晴美(寂聴)1922~2021
徳島県徳島市生まれ。
東京女子大学国語専攻部 学位は文学士。
天台宗 尼僧 僧位は大僧正。
生きることは愛することを、座右の銘に。
数多の人生遍歴を重ね今も尚、前を見続けている姿勢は感動的だ。
作家としても、これまで多数の著作により多くの文学賞を受賞。
いち早く「ケータイ小説」のジャンルにも進出し、
新境地へのチャレンジ精神は旺盛そのものだ。
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ケリー・シラトリ(けりー・しらとり)
1961年 東京生まれ。
メディアクリエーター・女優・作家
幼少期より劇団に所属、子役として舞台等で活躍。
文化放送アナウンススクール卒業。
学生時代はラジオ・TV等放送局でアシスタントとして活躍。
海外生活に長け文筆家としてコラム・エッセイなど多数掲載。
FM局MC、司会業、朗読会等多数。
パロディ、バラエティ、ミステリーまでこなす実力派女優。
現在は作家・シナリオライター・放送作家として幅広く活躍中。