『ぼくほし』の尾碕もまた、大人として子どもに向き合う責任を背負いながら、どこかで「自分が信じた道を突き進みたい」という衝動を手放せない存在にも見えた。大人でありながら未熟さを抱える姿は、ハリーと尾碕を貫く共通のテーマのよう。

 だからこそ、主人公の健治(磯村勇斗)が裁判を“本音でぶつかる場”と語り、「そういう戦い、理事長さんは得意なのでは?」と煽ったとき、尾碕は「面白い。やってやろうじゃないか」と笑みを浮かべて乗ったのだろう。大人としての責任と子どものような衝動、その両方を抱えた稲垣の層の厚い演技は、どこか愛らしい。

 稲垣が演じる“こじらせた大人”の魅力は、避けて通れない場面で必ず覚悟を示す点にある。本音でぶつかることを避け、ただやり過ごすこともできる現代において、“いざ”というときに立ち上がれることはもちろんだが、その声を受け取る“度量”そのものが、私たちに必要な“強さ”のようにも感じた。

 “みんな仲良く”が理想だが、現実には小さな衝突があちこちで起こる。人が集まれば、考えはぶつかる。全員一致はありえない。だからこそ、本音を隠して争いを避けることが唯一の正解ではない。本音をぶつけ合う場を持つこともまた必要なのだ。

 『ぼくほし』は「学校は『生きている』」という言葉で幕を閉じた。ルールは固定されたものではなく、その時代に応じて模索し続けるものだ。それは学校に限らず、社会や人生そのものも同じ。生きている限り、私たちのもがきは続く。

 では、「生きている」を終える瞬間についてはどうだろうか。そこに光を当てる新たなドラマが始まる。10月13日スタートの草彅剛主演『終幕のロンド —もう二度と、会えないあなたに—』(カンテレ/フジテレビ系)だ。

 草彅が演じる鳥飼は、シングルファーザーの遺品整理人。故人の思いを拾い上げ、遺族へ届ける。突然その日を迎えた人、生前整理を望む依頼人……。彼が向き合うのは、人生の“これまで”を生き抜いた人々だ。

 『ぼくほし』が若者の“これから”を描いたのに対し、『終幕のロンド』は年配者の“これまで”に寄り添う。稲垣の尾碕が「戦う」ように本音でぶつかったのに対し、草彅の鳥飼は「微笑みながら隣に座る」。スタイルは対照的だが、根底にあるテーマは同じだ。どちらも“生きるとは何か”を誠実に見つめている。

 学校という場で未来を模索する若者たちも、人生の幕を下ろすときに想いを託す大人たちも、共通して抱えているのは“生きる”というもがきだ。形は違えど、誰もが避けて通れない営み。ふたりの俳優が示すドラマのリレーは、私たちに“考える勇気”と“寄り添う優しさ”を同時に思い出させてくれる。稲垣から草彅へ。連続ドラマを介したこのバトンは、視聴者一人ひとりの人生にも確かに手渡されていく。

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佐藤結衣


佐藤結衣

フリーライター。求人メディア、芸能雑誌、アパレルブランドのWebマガジンのライティング・編集を経験。現在「Real Sound」にてインタビュー記事、コラムを執筆中。O型。猫派。

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