TVアニメ版をよりいっそう原作へと近づけた『チェンソーマン 総集編』が賞賛とともに話題を呼ぶなか、続編である劇場版『チェンソーマン レゼ編』が公開された。血を飲みすぎたパワーに代わってサメの魔人ビームとバディを組むことになったデンジは、姫野を失ったのに心が動かない自身のことを憂いていた。とある雨の日の電話ボックスでのレゼとの出会いが、デンジのひと夏を変えてゆく——。
本作のすばらしさといえば、バトルアクションの芸術性、米津玄師の提供楽曲、原作からそのまま飛びでてきたかのような声優陣の演技など挙げればキリがないものだが、特段印象的だったのが“音楽”である。劇伴を担当したのはTVアニメ版から引き続き牛尾憲輔。牛尾といえばその劇伴作曲家としてのキャリアを湯浅政明の『ピンポン THE ANIMATION』でスタートさせ、のちも湯浅とは『DEVILMAN crybaby』や『日本沈没2020』といったNetflixオリジナル作品でタッグを組んでいる。また山田尚子ともたびたび共同して作品を作っており、『映画 聲の形』や『リズと青い鳥』、『平家物語』、『きみの色』の劇伴も担当している。
TVアニメ版『チェンソーマン』の劇伴を制作するにあたって牛尾は「ChainsawGAN」というAIツールを使用している。これはソニーコンピュータサイエンス研究所が『チェンソーマン』の劇伴のために開発したもので、このようなひとつのアニメのためのAI開発は他に類を見ないものだ。原作を読み、「良い意味で“メチャクチャ”だ」という感想を抱いた牛尾はそのを抱いた牛尾はその“メチャクチャ”さを表現するための「コントロールを離れて、本当に予測不能な素材を生成してくれるツール」としてAIを利用した。たとえばみずから打ちこんだビートをAIにチェンソーの音で再構成させる。そうするとチェンソーの音は、はっきりそれと聞きとれるものではなくなり、「通奏低音として“混沌”という要素を溶かし込」まれたものとなる。『チェンソーマン』という物語の持つ混沌を、ブラックボックスという混沌であるAIを通すことによって表現するというこれまた他に類を見ない創作手法を牛尾はとっている。
『レゼ編』にも大きく感情を揺さぶる劇伴がいくつもあった。レゼがボムへと変容するところで流れる「sweet danger」は、場面のテンションを一気に引きあげるスリルあふれる音楽だった。りんご飴が踏み潰されるイメージに重ねてデンジの舌がレゼによって噛みちぎられる、という思いもよらぬ展開のなかこの楽曲は、ノイズ的なもの——砂嵐のようなザザーっという音と乱れたピアノの伴奏、そしておぞましい叫び声のようなもの——がごちゃごちゃと入り混じった混沌から始まる。ここでのピアノの伴奏は、直前のお祭りの場面で流れている「slow summer eve」のテンポを乱れさせ、特定のフレーズをリピートさせたものである。「俺この娘のこと好きになっちまう」とレゼに恋心を抱き、ほとんど約束された両思いに胸を躍らせた幸福な時間は終わりを告げた。
レゼとの恋パートからボムとのバトルへと一気に物語が転換するこの場面では、「俺が知り合う女がさあ!! 全員オレん事殺そうとしてんだけど!!」という現状を即座に呑み込まなければ命を奪われる状況に置かれたデンジの心が、音を立てて軋む。好きになった人が自分の心臓を狙う敵だったという残酷すぎる事実を受けとめるなかでの精神的な軋みが、劇伴ではノイズとなって表れている。あるいはそれはまるでドリフトするかのように急展開を迎える物語そのもののタイヤが、地面と擦れて鳴らした軋みでもあるのかもしれない。そして音楽は打って変わって激しいビートを刻みはじめ、レゼとの戦闘が始まる。
また、レゼとデンジがプールで戯れる場面——サウンドトラックには「in the pool」というタイトルで収録されている——音楽も印象的であった。どこか懐かしさと物哀しさが入り混じったオーケストラの演奏は、徐々に壮大さを増してゆく。それはもはや学校のプールなどという手狭な空間ではなく、大海原を泳ぎまわる2匹のイルカを想像させるほどドラマチックに響く。学校に行ったことのないデンジとレゼの体験しえなかった青春が、断片的なふたりの戯れのイメージとともに構築され、ありえたかもしれない学生生活の夢が前面に押し出される。牛尾の劇伴はそんな夢のような青春の時間を華々しく引き立てている。もしくはこのノスタルジックな響きからは、すべてが終わったあとのデンジが幸せだった瞬間を思い返しているような響きも感じられるだろう。たしかな事実として存在する「泳ぎ方を教えてもらった」あの瞬間は、デンジにとってオーケストラの多層的で壮大な演奏に彩られるほど強烈な思い出だったはずだ。
終盤の海に沈む場面に流れる「in the sea」は、この「in the pool」と基本的なメロディを共有している。水中のイメージとともにくり返される同一のメロディによって、観客は否応なく真夜中のプールを思いださせられる。しかしこちらではストリングスのないピアノのみの演奏となっており、「in the pool」のような壮大さはなくむしろ肌寒いほどに淋しさがあふれている。失われた恋の瞬間とそうせざるをえなかったレゼへの対処を経たデンジの切ない感触が生々しく表現されている楽曲だ。ひとつのメロディからこうも違ったふたつの印象を作りだす、牛尾の劇伴作家としての力量がみられる2曲ともいえるだろう。
牛尾憲輔は劇伴を通じて登場人物の内面に寄り添い、物語の稼働を強力にサポートする。『レゼ編』ではぜひ劇伴にも耳を澄ませてみてほしい。
■公開情報
劇場版『チェンソーマン レゼ篇』
全国公開中
キャスト:戸谷菊之介(デンジ)、井澤詩織(ポチタ)、楠木ともり(マキマ)、坂田将吾(マキマ)、ファイルーズあい(パワー)、高橋花林(東山コベニ)、花江夏樹(ビーム)、内田夕夜(暴力の魔人)、内田真礼(天使の悪魔)、高橋英則(副隊長)、赤羽根健治(野茂)、乃村健次(謎の男)、喜多村英梨(台風の悪魔)、上田麗奈(レゼ)
原作:藤本タツキ『チェンソーマン』(集英社『少年ジャンプ+』連載)
監督:𠮷原達矢
脚本:瀬古浩司
キャラクターデザイン:杉山和隆
副監督:中園真登
サブキャラクターデザイン:山﨑爽太、駿
メインアニメーター:庄一
アクションディレクター:重次創太
悪魔デザイン:松浦力、押山清高
衣装デザイン:山本彩
美術監督:竹田悠介
色彩設計:中野尚美
カラースクリプト:りく
3DCG ディレクター:渡辺大貴、玉井真広
撮影監督:伊藤哲平
編集:吉武将人
音楽:牛尾憲輔
配給:東宝
制作:MAPPA
主題歌:米津玄師「IRIS OUT」(Sony Music Labels Inc.)
エンディングテーマ:米津玄師、宇多田ヒカル「JANE DOE」(Sony Music Labels Inc.)
©2025 MAPPA/チェンソーマンプロジェクト ©藤本タツキ/集英社
公式サイト:https://chainsawman.dog/
公式X(旧Twitter):@CHAINSAWMAN_PR
2001年、千葉県生まれ。
本屋lighthouse出版部より『「プルーストを読む生活」を読む生活(仮)』刊行予定。
好きな映画は『スイス・アーミー・マン』。
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