『宝島』(公開中)は、熱い映画である。別に南国が舞台だからではなく、出演者をはじめとする作り手の沖縄に対する熱い想いが、作品の全編にたぎっている。彼らの想いを伝えようとする熱量が、観る者を映画のなかに巻き込んでいく191分の大作だ。
物語はある日忽然と姿を消した、米軍から物資を奪い取る“戦果アギヤー”のカリスマ的なリーダー、オン(永山瑛太)の行方を捜し続ける、グスク(妻夫木聡)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)を中心とした、1952年から20年にわたる沖縄年代記。オンのことを調べるために親友のグスクは刑事に、“戦果アギヤー”で稼いだ金で学校を作りたいと言っていた恋人オンの夢を引き継ぐヤマコは小学校の先生に、裏社会からオンの情報を集めるため、彼の弟レイはヤクザになる。その三者三様の人生模様が、不在のオンを要として紡がれていく。
アメリカ占領下の沖縄に目を向ける【写真を見る】オンの恋人で、彼の想いを継ぐため小学校教師として働くヤマコ[c]真藤順丈/講談社 [c]2025「宝島」製作委員会
背景になるのは、内地の日本人たちが知らなかったアメリカ統治下の沖縄。これまでにも沖縄は、様々な形で映画に描かれてきた。民間人がおよそ9万4000人亡くなったとされる、第二次世界大戦末期の沖縄戦を描いた『激動の昭和史 沖縄決戦』(71)や『ひめゆりの塔』(53)、『木の上の軍隊』(25)。1972年に日本へ返還される直前の沖縄を舞台に、土着する精霊たちの伝説を絡めて描いたファンタジー『パラダイスビュー』(85)や『ウンタマギルー』(89)。60年にわたるラブストーリーと沖縄民謡が融合したコメディ『ナビィの恋』(99)。それら、日本人が忘れてはならない沖縄戦の歴史や沖縄独自の文化、風俗に根差した作品は多いが、アメリカ占領下の沖縄に目を向けた映画はあまりない。
例えば大島渚監督が返還直後の沖縄にロケした『夏の妹』(72)は、本土から来た少女が沖縄の人と触れ合うことで内地と沖縄の過去を知っていくという、ある種歴史批評的な旅映画だったし、沖縄出身の新城卓監督による『オキナワの少年』(83)は集団就職で上京した青年の、内地で差別的な扱いを受ける沖縄の民の現状と、アメリカ占領下の少年時代が交錯する、内地と沖縄に対する沖縄県民の想いを描いた青春映画だった。森崎東監督は『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(85)に、1970年のコザ騒動ののちに内地へ流れてきたストリッパーを登場させて、原発ジプシーやジャパゆきさん(アジア各国から日本に出稼ぎに来る女性)と共に、作品のなかで沖縄のことを目を向けるべき社会問題として取り上げた。
米軍基地から奪った物資を住民に分け与える“戦果アギヤー”。オンはそのリーダーであった[c]真藤順丈/講談社 [c]2025「宝島」製作委員会
だがアメリカ占領下で、沖縄の人がどのようにその場所で生き、なにを感じていたのかを直に描いた劇映画は、沖縄のロック歌手、喜屋武マリーをモデルにした、崔洋一監督による1968年の沖縄が舞台の青春音楽映画『Aサインデイズ』(89)と、地井武男の初主演作『劇映画 沖縄』(69)くらいではないか。返還前の沖縄でロケした『劇映画 沖縄』では占領下の沖縄を舞台に、故郷の地を米軍に接収される人々の抵抗と敗北、土地を奪われた青年が“戦果アギヤー”へと変貌していく姿、米軍が基地を拡張しようとして、地元民から土地が強制的に奪っていく様などが描かれる。作品のテーマは沖縄の民の抵抗と怒りで、武田敦監督が骨太のタッチで映しだした社会派映画だった。