喜多川歌麿/attributed to Chōbunsai Eishi (1756 – 1829), Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で

 NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役を務める、江戸時代中期に吉原で生まれ育った蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その波瀾万丈な生涯が描かれて話題になっている。第35回「間違凧文武二道(まちがいだこぶんぶのふたみち)」では、蔦重は松平定信の政策を茶化した『文武二道万石通(ぶんぶにどうまんごくとおし)』を出すが、定信は皮肉に気づかない。それどころか支持してくれていると勘違いし、改革をさらに進めることに。蔦重は次なる一手を考えることになり……。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

「春画」は古代中国では養生法の解説図だった

 今回の大河ドラマ『べらぼう』では、意外な物語の展開に驚かされることが多いが、まさか「笑絵」で泣かされるとは思わなかった。

「笑絵」とは「春画」「枕絵」とも呼ばれる肉筆画や浮世絵版画のことで、性的な事柄と笑いの要素が含まれているのが特徴だ。

 以前に放送された第30回の「人まね歌麿」では、横浜流星演じる蔦屋重三郎が、染谷将太演じる喜多川歌麿を売り出すために一計を案じた。「どんな人の絵も真似ができる」という歌麿の評判が広まったタイミングで、歌麿のスタイルを打ち出せば、皆が注目するはず。そう考えた蔦重は、枕絵を描くのはどうかと提案。その理由をこう説明している。

「名のある絵師ってなぁ、面白い枕絵を残してる。表じゃ流せねえ分、自由にやれるし枕絵から名を成した絵師も多い」

 春画の起源は古代中国にある。前漢の広川王が、男女の交わりを描いた図を宮中に置いたことが始まりとされている。古代中国では、男女の交合によって「不老長生」(いつまでも年老いることなく長生きすること。「不老長寿」と同意)を得ようとする「房中術(ぼうちゅうじゅつ)」が、健康を増進させる養生術の一つだとされていた。春画は、房中術の解説図として用いられていたようだ。

 中国の房中書が医学書として日本にもたらされたことで、春画も伝来することになったようだ。天保8(1837)年に、儒者の日尾荊山(ひお けいざん)は随筆『燕居雑話(えんきょざつわ)』で「春画起源」として次のように書いている。

「春画は和名をそぐつの絵といひて、俗に云笑絵のことなり」

 春画は日本では「偃息図絵(おそくずのえ)」とし、俗称として「笑絵」と呼んでいたようだ。

 日本における春画といえば、江戸時代のイメージが強いが、すでに平安時代の中期にも肉筆による絵巻物として描かれていた。江戸時代に木版画技術が発展したことで、大量生産が可能となり、庶民の娯楽として春画が広く普及することとなった。

 そんな春画の作者として、日本で最も知られているのが葛飾北斎であり、そして今回の放送でクローズアップされた喜多川歌麿である。

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