女優の鈴木杏樹
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女優の鈴木杏樹(55)が29日、ニッポン放送「うどうのらじお」(金曜後3・30)にゲスト出演し、芸能界入りの紆余曲折(うよきょくせつ)を語った。
もともと引っ込み思案だったことが心配され、地元の神戸にあるインターナショナルスクールに通うことに。ところが、家族に不幸があったことから、高い学費などを理由に学校を辞めることになった。
当時まだ中学2年だったという。「中学2年生くらいで働けることって何だろう?と思った時に、(松田)聖子ちゃんとか全盛だったんですよ。ベストテン、ヒットパレードとか大好きだったから。歌手になって、働こう!みたいな」。歌手を目指すため、音楽学校に通い始めたことを明かした。
学校の発表会に出たところ、「そこでスカウトされて、ロンドンに行くということになって。学校は辞めて、ロンドンに留学することになる」と、十代でロンドンへ音楽留学。海外からの歌手デビューを狙ったという。
そんな折、運悪く湾岸戦争が勃発。米軍だけではなく、英国も多国籍軍の一員として参戦することになった。「それで日本に帰ってきたんですよ。“1回、帰りましょう”と」。湾岸戦争が収束したら戻るつもりだったが、「半年くらいたっても、もちろん戦争は終わらないし、何もすることがないから、東京の事務所に“私、何でもいいから仕事させて下さい”って言って」と直訴したという。
ところが、ここで契約上の問題が発生した。「音楽は向こうに契約が残っているから、音楽以外の仕事をしましょうということで」。そのため、音楽が関係しない芸能活動を日本でスタートさせたという。
「この子は一体、歌以外は何ができるんや?というのは、事務所も分からないから、いろんなことをさせていただいた。リポーターもしたし、コマーシャルも出たし、高田純次さんのアシスタントで、番組の司会アシスタントさせていただいて。それが初めての司会業だったんですけど」
挑戦したさまざまなジャンルの中に、もちろん女優業もあった。「ドラマも、2時間ドラマのちょい役とかでやらせていただいて。自分自身は何が好きやったとか、これやったらできるかもとか。事務所側から見て、“これ結構やってたから、この仕事やっていきましょう”みたいに、だんだん選別していって、女優業と司会業をやらせていただいたら…みたいな」と振り返っていた。
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