映画『731』のポスターの隣に設置された「签名墙」(署名壁)。映画を見た人々が名前などを書いていた(写真:CFoto/アフロ)

「九・一八を忘れるなかれ」

 9月18日午前9時18分、中国東北地方最大の都市、遼寧省の省都・瀋陽に建つ「九・一八歴史博物館」前広場で、「勿忘九一八撞鐘鳴警儀式」が、厳かに挙行された。直訳すれば、「9月18日を忘れるなかれという警鐘を鳴らす儀式」である。

 博物館にしつらえられた大鐘をゴーンとつき、集まった省や市の幹部ら約1000人が黙とうを捧げた。同時刻、1000万瀋陽市民は「歴史を忘れない」という意味で、5分間にわたって自動車の警笛などを鳴らした。その模様は、昼のCCTV(中国中央広播電視総台)のニュース『新聞30分』で、中国全土に放映された。

9月18日、遼寧省瀋陽市の九・一八歴史博物館で行われた九一八事件の追悼式典の様子(写真:新華社/アフロ)

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 1931年9月18日夜10時頃、瀋陽(奉天)の北方約2kmの柳条湖(柳条溝)にある満鉄(日本が権益を持っていた南満州鉄道)大連行き下り線の線路が爆破された。いわゆる柳条湖事件である。

 2日後の9月20日に、日本帝国陸軍は声明を発表した。「北大営に於(お)ける中国官兵が満鉄を破壊し守備兵を襲撃するに至ったので、やむを得ず関東軍はその本来の任務達成のため発動するに至った……」

 当時の日本のメディアもこれに沿った報道を行い、日本国民も「中国軍犯行説」を信じていた。だが、森正蔵・毎日新聞社会部長は、1945年の日本の敗戦直後に発売し、ベストセラーになった『解禁 昭和裏面史』で、新崎甚三郎大将の証言などを交えながら、「関東軍の計画的行動であって自衛のための行動である」と暴露。現在では「関東軍謀略説」が定説となっている。

 ともあれ、この事件が発端となって、関東軍は電光石火のごとく満州(東北地方)一帯を占領し(満州事変)、翌1932年には満州国を建国した。1937年には、日中が8年に及ぶ全面戦争に突入する。

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