松平定信が文化13(1816)年に入手した海荘跡(江東区深川、写真:a_text/イメージマート)

 NHK大河ドラマ『べらぼう』で主役を務める、江戸時代中期に吉原で生まれ育った蔦屋重三郎(つたや じゅうざぶろう)。その波瀾万丈な生涯が描かれて話題になっている。第34回「ありがた山とかたじけ茄子(なすび)」では、田沼意次が老中に復帰する芽はなくなり、松平定信が老中に就任。蔦重は悔しさをにじませながらも、出版活動で意次の無念を晴らそうと考える。『なにかと人間くさい徳川将軍』など江戸時代の歴代将軍を解説した著作もある、偉人研究家の真山知幸氏が解説する。(JBpress編集部)

田沼派を抑え込んで老中になった松平定信

「打ちこわしの一月後、天明7年6月19日、松平越中守様(松平定信のこと)は老中首座に抜擢されました」

 今回の放送でそんなナレーションが流れたように、いよいよ松平定信が老中に就任し、すぐに老中首座に就くこととなった。

「田沼意次から松平定信へ」と時代が移り変わっていくわけだが、スムーズに移行したわけではない。田沼意次が老中を辞任したのは10代将軍の家治が死去した2日後、天明6(1786)年8月27日なので、定信が老中に就くまでには9カ月以上、間が空いたことになる。

 その間、田沼派は依然として力を持っていたが、打ちこわしが起きたことで、社会への不満の矛先は田沼へと向き、ついに一掃された。そして定信が本格的に台頭することになったのである。

 ドラマでは、定信の老中就任を受けて、町でさまざまな噂が流れる様子が描写された。30歳と若くして老中に抜擢されたことや、白河藩で藩主を務めて飢饉でも餓死者を出さなかった実績などから、期待に胸を膨らませる町人たちの姿がそこにはあった。

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