女優の鈴木杏樹
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女優の鈴木杏樹(55)が29日、ニッポン放送「うどうのらじお」(金曜後3・30)にゲスト出演し、闇に葬られた司会業での失敗を明かした。
音楽学校時代にスカウトされ、海外での歌手デビューを目指し英国留学をした鈴木。しかし、湾岸戦争勃発で帰国することになり、契約上の問題から歌手以外の芸能活動を日本でスタートさせた。その中で多かった仕事が、女優業と司会業だったという。
「ドラマも、2時間ドラマのちょい役とかでやらせていただいて。自分自身は何が好きやったとか、これやったらできるかもとか。事務所側から見て、“これ結構やってたから、この仕事やっていきましょう”みたいに、だんだん選別していって、女優業と司会業をやらせていただいたら…みたいな」
16年まで20年以上にわたり、フジテレビ系「ミュージックフェア」の司会を務めた。失敗談について問われると、「しょっちゅうですよ」と打ち明けた。「歌手の皆さんの(名前をかんだり)。“いしぇしょうじょうしゃん(伊勢正三さん)”とかね。“いつままゆみ(五輪真弓)さん”とかね」と、当時の失敗談も披露した。司会泣かせだったのは、森高千里だったといい、「森高千里さんなんて、“もりたかちたとたん”だもん。かっこ付けて、“それではお聞き下さい。もりたかちたとたんで…”って言っちゃうみたいな」と振り返った。
忘れもしないエピソードがあるという。「トータス松本さん、隣、隣、隣ってなっていて。その時、カンペとかなかったんですよ。まだ書いていただいてない時代で。覚えてたんですけど、メンバーの名前を。一瞬にしてパーンと飛んでじゃって」。それでも、トークを振りたかった鈴木は「“お隣の方、どうですか?”って。“次の方は…?”って。さすがにトータスさんが“病院の待合室じゃないんだから、名前を呼んだって下さいよ、杏樹さん”って」と、ぶっちゃけていた。
「笑って下さったけど、そんなんとか。そんなんとか、とか、とか…ですよ」と、数々の失敗談があるという。「『ミュージックフェア』だから全部切っているけど、NG集みたいなので出されたら一番だと思います。私、グランプリ」と打ち明けていた。
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