【BS11】第13回 ゲスト:川中美幸【鶴瓶のええ歌やなぁ スタジオトークディレクターズカット版(3月20日放送分)】

よくハワイ行かれますよねいやだから家が あるからね向こにはいはいこ30過ぎで家 こうだからねええあハワイにハワイにええ それがね今日のゲストがきっかけもあると 思うえ買ったのがそうそうえハワイと縁が あったことがそうそうそう あさすがですいやなかハワいってきて ありがとうございますそう川中さんが ハワイの家を持ったってああの頃ね ちっちゃいマンションをマンションこれ あの家がきか景色もいいしねそうですね ダイヤモンドヘットも見えて見えてねも 最高うわすごいなと思ってそうですね 330ぐらいかな私が156の 時地元が一緒なんですよ割と大阪大阪です からね阪近いとこあ平僕は平野ですよ平野 平の私は杉田ですそこお好み焼きはどこで やった田です杉田ではいお好み焼きを お母様おさやったえ私が中学2年の時に 両親がお好み焼き屋さんを始めたんですよ でもそれまさかその歌っていうのは お母さんがうんそういうことで歌わしたい とかそんなあったんですかあのねタズうち の中にはね歌が流れてたんですよ流れてた あの父は南治郎先生で母は三ひさんえ母も 歌が好きだったんです好きだったもうミバ さんの大ファンやったんですよああ私が 覚えてるのは子供の頃も本当に小さい アパートにもう家族4人があの本当にま 両親が一応すごい苦労してた時代ですから ねうんでなんかみさんがこうテレビで出て くるとうちのお母さんすごく嬉しそうに 幸せそうな顔してるんですよで私も見を 見真似で歌ってるとあんたえこしてるなと かってお母ちゃんが言う てでま両親が必ずこ子供の日になると今で いう健康ランドみたいな必ずこう家族で 連れてってくれるんですよえうんたらそこ でちょうど子供の日でちびっこ野島大会 やってたんですよあたまたまやってたはい はいはいでうちの父が行き行け行けって 言うんですよいやいやいやいやって言うて たんですたら行けとかって怒らえてそれで 飛び入りで行ったんですよで何歌いますか じゃみ宮春美さんのバカちょで船を歌わせ ていただきます小学校なんです3年3年で バカちゃそれが優勝してしまったそりいや そうでしょうねそうでしょそ優そそれ ずるいわいやいやもう親がその苦労して 買ってあげられないものをこの子はたった 3分間で取ってきたえ何だったんですかあ 勉強机なんですよでやっぱ子供大からで あの歌歌って喉自慢で演歌歌うと目立つ から優勝しやすかったんですよそれから父 が味閉めましてねあっちこっちのもうのこ それでもうかっぱから出すんですよたら もう予選通知が出るほとんどサインの中に 入ってたんですよからなんか商品もらえる そう他何もいやもう捨てる昔でナショナル のフロンティアってねもう畳半生分ぐらい のスピーカー昔はスピーカーすごく大きく て入らないからアパートに縦に入れてたん です よスピーカーやあり普通スピーカでしたね 立てにねで1番嬉しかったのは現金を もらえる元金もたあ元気ももらえました 優勝したら4万5万とかねであの当時母が あのお給料が1万ちょっとぐらいの時代 でしたからうんすごいねそれそうなんです だからもう母の顔喜ぶ顔満たさに頑張って きた女の子でもありましたね親高校で すごいなそれそうそれでなんか親を楽させ てあげ 私が歌手になったらもう両親が楽になる もう黒黒で私見てましたからねうんだから もう歌が売れたら次の年家が立つと思って たんですよえでそれでもう歌手になろうと そあちだから中学2年であのスカウトして いただいたんですよえ作のモ翔平先生あ 大阪ではいそうですそれで君は大阪じゃ なくて東京に出て全国になりって言ってモ 先生がモ先生が言ってくださってえであん 時の新幹線が 4130今日覚新幹線はあったんですよ 大体あの西から東京に出てくる人はうん 富士山を通る時にうんうんあのやったる でって思うっていう聞いたことがあるん ですけどそうですかそんな感じはなかった ですあそうなんです 聞馬鹿にしたん違う違う違のいや馬鹿に 違う違う違う違うだからやっぱりそういう やっぱ富士山んってやっぱそういうパワー があるのかなま箱根を超える言からね やっぱりそでもまお父さんもお母さんも それ分かって出したんやけど寂しいやるな こうんま私はもう次の年お母ちゃん好きな 土地探しといてって言って出てきました からねもう行ったらま45万まもててね 向こう行ったらすぐに打ち立つと思ってた んですプロカシになっただってこの勢いで ねそうですでよう考えたらこの世界って いうのはもう一等賞が集まる世界やから ちょっと歌がうまいだけではやっぱり 世の中に出られへんっていうプロの厳しさ を知るわけですねで最初はみんなねこう 久しぶりに大型新人やってもううわーっと みんな言ってきやるんですようんたらね やっぱりそ1ヶ月2ヶ月と結果が出なく なると塩が引けるようにみんないなくなる んですようん子供でやのに分かるぐらい 引いていってうんそれでも私ね大人の世界 が信じられなくなってうんなんかも初めて の大きな人生の挫折でしたねそこではい もう引いていった名前会よみはいで大阪に 戻ったんですよあ1回戻った戻りました それでうちのお母さんがあんたな歌だけが 人生やないからなって健康な体があったら あんた何でもやっていける歌だけが人生や ないうん歌歌と思ったらあんた人間小そう になるからあんた見せやってみ早と思うで やってもう歌に室する必要ないよっていう そうそれ楽なったやろねそれでね気持ちが ねすっごい楽なってええじゃしばらくお店 手伝ってらしたんですかそうですね手伝っ てる時にその作詞家のモ先生がもったい ないなもったいないな本当の歌が歌えるの はな果過ぎて20304050なってから やでそれで大阪であのラジオ番組で昔で 言えば全日本か先権みたいな番組があの ラジオ番組であったんですよで650人の 中から最後は11人うん選ばれ決まったで それであの私がその中で優勝したんですよ ええそれはでもモ先生もものすごい喜んで あるなうんですよねもう本当にだから今 あるのはモ先生のその背中をしてくれる 言葉がなければまそうね心折れてやめて まうけどで再デビューをそこでしたサ デビューで24の時に2人酒と出会ったん ですようまいこと言ったやなそうれで私は この歌はもう気に入ってなかったんですよ ええだって考えてみて24の女の子ですよ あそっか歌詞がね生きていくのが辛い日は お前と酒があればいいてまして男口調やし お母ちゃんこの歌多分売れへんと思うけど て電話したんですよでうちのお母ちゃん ちょっとあんた聞かしてみとどんな歌やっ てでこの歌を歌ったら母が電話口で泣いた んですよお そうやこの歌は自分の等身台ではなくて うちの両親の歌やだから両親の大弁者で私 はこの歌歌えばいいねんそれでこう歌っ たらじわじわじわじわこの優先放送から日 がつき始めてそれからテレビ視線も増える ようになって名前と顔と歌が一致するよう になっていやんてよ見てるよテレビ売れ てるな言ってね そうそうですよ誰かに乗り移って喋るとね いやいやいやだから自分が歌いたい歌とま 提供されてうってこれ歌歌売れへんでと 思ったらど売れたとえこれ違うんですね 思ってたらそうですね私思ったんです最初 すごい嫌で抵抗してたんですけど当時は やっぱりまだねあのこういう歌歌いたいと か言えないからで歌が売れてくるとね 不思議ですね私もね売れると思ってたとか [笑い] そうい自分がいるんだこんな私が嫌やなと 思い ながらお母ちゃんとお父ちゃんとうちの お父ちゃんとお母ちゃんはもうすごく喜ん ででもうちの歯はねすごいですよあんたが な歌もしいつでも赤なったらいつでも このみ屋に戻ってくれるようにお母ちゃん この店守っとくからで東京にあの昭和で 言えば62年にお母ちゃん家建てるけど 大阪とこっちがえっって言うたらあんたの そばがいいって言うからみなお母ちゃん ちょっとあのいいとこ探しとくわ言うて につの家をね持たせてあげたかったんです ようんずっとアパートやったからねうん お母ちゃん喜んだやろなそそうですねええ やなこの一見やねうんそうでもねちょっと 広かったんで年取ったらなあんまり広い とこ住むもんやない などっちやのお母ちゃん掃除があ掃除が 大変そそれはでも嬉しいねんてやっぱり それ言いながらそうは言ってもねそれで あの読んで62年の春に読んで父はその 62年の11月12月に自分の誕生日に 天国に行くんですけどはいへえそう梅の木 を見てね梅星どんどん楽しみや言ってその 言葉残して天国に行き合ったんですはい じゃあお父さんもそのえ用意された家に はい えいやええ話やなこれ良かったなと思って あのその2人酒がヒットしてから結構こう じゃ順調にずっとま順調なのかまでもあの 私はドンと行かなくてもいいから細く長く ええなんかこう行きたいなと思ってたん ですよあの私師匠の言葉の中でねうんはい 覚えてらっしゃるかどうかわからないん ですけど流行り物はスりもやとだけど残り もにならないうん いうこの言葉あええこと言うてんな いやこの言葉がすごく残ってるんですよあ やっぱそれが1番幸せですよねうん本当 そうです厳しい芸能界ねこうやって47 年間もねあのまそれなりにお仕事いただい てそれでもう整形を立てれるってのは最高 ですよねうんまあねうん他にヒット局で2 輪ソソ2輪ソもよ売れてうんあこれね と思いましたこんな感じで言うてたんいや この頃もね2人だけのイメージがあるから 同じようなばっかり歌歌ってたらなんか もう自自分も飽きてくるしお客さんにも 飽きられるの違うかなもうすごくまた壁に ぶつかった時期があってで当時あの作曲の 現哲也先生とかプロデューサーが川中行に 紅白にカンバックさせる歌を作ろうって いうことになってで色彩花という日本の あの花1月から12月までのその花を テーマにしたあのアルバムを作って くださってでこれ4月のああそう輪ソは4 月の花だったちょうどそん時私あの昔の 芸術座であのお芝居だけをもう舞台やらせ てい出させていただいたんですねでそん時 にあのふゆちゃんとかみんなお芝見に来て くれて美さんいいんですかお芝居やってて てえなんでりソ今すごいすごいじゃない ですかいやもう最初のデイリーだけよと かって言ってた出出荷してる時だけ言それ がもうどんどんどんどん売れ始めて出てき て嬉しいやらなそれえ紅白はカンバックし ましたああ本当にすごいですねチームの力 もすごいですねチーム力すそうチーム やっぱり人の聞く耳ってのはしっかり持っ てないかんなと思いましたねういやあなあ 聞うまいこと喋るなえそうですかい聞き いるよそうですよねええ口空いて聞い ちゃいますあ聞く 潰し今更潰し聞く今回色々聞いたんです けどまもちろん知ってるだからなんぼか あってでもスラあらね渋スランとあの歌 いいですよねあの2ソの次の君いう君影草 スラていう歌なんですけどねあの歌いい でしょあの歌は当時あのちょうどすらんて いうNHKの朝ドラやっててでそれそれも ちょっとこうおけにの役で私てやっぱこう いう役なんやなてなんかもうちょっと なんかこうよろめきドラマ喜ドラマて言わ ないねなかなかなかなか聞かないよろめき ドラマて久しぶりに聞いたわめきドなんか そういうなんかこうなんかああみたいな そんな役をやってみたいなと思うんです けどちょっと来る役ってこういう役が多い ですお仕掛けの仕掛けにおだから2.半 ぐらいのうんなんかお芝居のお話が多い ですねやまたよすら嘘やあれあったらあい 多分すごいヒットしたんで入ってると思い ますでもねようやくこの歌詞がね染みる年 になりましたねあ人はどうして別れていく のってねうん何がにあの頃まだ若かった から歌ってるような感じでしたけどなんか 今の方がねわかるうん しんどいこともあるけれどもやっぱり全て 分かっていくてそうですね悟っていくって のも今今今1番いい歌が歌える年になった ん違うかなと思いますねよくカラオケだと するとあのねあのステージではこう歌え ないような高橋まり子さんの世界大好きな んですよあいいよね高で高橋まり子さんの アルバムの中で裏窓って歌があるんですよ 裏裏これがまた渋い歌なんです裏のない 自分のねない世界お酒飲みながらね歌って 酔うんです自分にいやいやどうこれええ なあとか思いながら今のええやんなここで たいもう第1世から言よことですでも今 ちょっとお酒が入ってないのでねややめな いやお酒が入ったまた違う声が出るんです よああそうちゃこれはもうよろしい ですやめなよろしですちょっと悪い目でし たねよろし ですはまりませはまりあちょちょっと飲ん でそういう自分もなんとなくこうふーっと したとこでこの歌歌いたいって感じあうん でもまあいろんなことやってきったからね 落語もやったかったでしょはいあのそう ラジオもまレギュラーやらせていただい たりあのお芝居もそうですけどあの落語に も挑戦させて あこれねこれあのメジの舞台だったんです けどえあの時うどん時うどんねどうして なさろうと落鮮あのちょうどモ先生の歌で あの深川成物語っていうまお芝居をやらせ ていただいた時になんかいろんなものに こう挑戦するっていうことででちょっと やってみようかなって1人芝居ですもんね じゃぴったりだと思うねそれもいや小竹 新劇もあったでしょ去年あの正直新規益 やらせていただいてお世話になってそうえ 私1度出てみたかったんですよああ僕はだ からカビ先生が亡くなった時に正直神経出 てるんですようんえあのうちの母が やっぱりあのカビさんの大フワだったん ですえうんで私を子供の時に真似してた らしいんですよあのどせむしむしとかって やってたらしい子供の時にあの関西の子 みんなやってるやってやってましたねなん か知らけど電話のシーンなんですよねそれ でこうお芝居が好きで私なんかこうあの 自然にぷっと笑うお芝居をこういうのやっ てみたかったんですよねでもなんか いろんなことにねチャレンジすることに よってやっぱりこう人との付き合いも 広がっていくしまそれがなんか自分が磨か れていくのかなと思っそうね本にあのもう いろんな歌歌ってらっしゃってでももっと 聞いてほしいなあ聞いてほしいやつねあ うんあの広瀬ちゃんがちょっと2輪層の前 の年なんですけど自分が思い悩んでなんか こう壁物った時になんか自分を変えてみ たいそういう時ってないですかまね女性で もね思いきり髪の毛を切ってみたいとかね 自分さんが変えたいと思ったえもうあかん と思ってそしたらたまたま広瀬孝美ちゃん が演歌の方のプロデュースをしたいって いうのを聞きつけてそれで広瀬こみちゃん にじゃ作ってもらおうっていうことで ロック円を作ってもらったんですうんえ 知らないそれ人生かけてます言なんです けど人生かけてます人生かけてますえ当時 ねこれまたジャケットも全然違ううん当時 だからねもうなんか自分を変えたいと思っ たですこれゆさんですか私分かったわへえ 可愛いでしょちょっとせこさんがね昔 こんな感じでねやっそうそうもうだから広 さコミちゃんに対抗してもう自分も ノリノリでたらもうこのジャケットドリの 時にあの一生懸命私こんな感じとかて どうせならちょか発のねウィグが流行って たんですよええそれで私もかよって言っ たらもうあの当時のプロデューサーが写真 撮りの時背中向けて新聞よで貼りました からねえどういうこと乗ってなかったんだ これ乗ってたのは私とそれからヘアメイク さんとスターリストの肩が乗って乗りに なりできゃーとかってやってたんですよ その当時の当時のデレクターが新聞持って 背中向けた ええそれぐらいわがままを聞いてもらった んですよお1回やらしてとうん1回やら ていよねこれえ可愛いしでも歌がね やっぱり2人だけのファンが逃げるよ みたいな感じのイメージがあったんです けどでもやっぱり1回自分をちょっとね 変えてみて変えてみたいいや聞きたいよ これだそうですよねです歌っていただけ ますか行きましょうかちょっと金髪のイク は今日持ってきてないんですけどそ見た ないない何ありがとうございます ありがとうございましたこちらこそ今日 楽かったですいこちらこそありがとう ございました残りになりたいと思い ますがいくらもすぎすぎ聞きすぎ

芸能界でも随一の”人たらし”と称される笑福亭鶴瓶さんと八木亜希子さんが、スナック風のスタジオにゲストを迎え、名曲にまつわる秘話からプライベートまで「歌」と「人生」を丸裸にします。そして、誰もが知るヒット曲や、ゲストの思い入れがつまった隠れた名曲を熱唱。
歌って語らう、見る人を思わず「ええ歌やなぁ」とうならせる大人のトーク&歌謡番組です。

BS11公式YouTubeチャンネルでは、スタジオトークを抜粋したディレクターズカット版をお届け。

川中美幸さんが、憧れの歌手・美空ひばりさんと共演した際の貴重なエピソードや、デビュー当時の苦悩を支えた家族への想いなどを語っていただきます。

歌唱シーンも含む放送版をご覧になりたい方はBS11+、TVerにて期間限定で配信中!

【出演】
MC:笑福亭鶴瓶、八木亜希子
ゲスト:川中美幸

【BS11+(プラス)】
https://vod.bs11.jp/programs/eeuta

【配信期間】
2025年3月20日~2026年3月19日

【番組情報】
全国無料放送BS11「鶴瓶のええ歌やなぁ」
番組公式HP:https://www.bs11.jp/entertainment/eeuta/
毎週木曜日 よる8時00分~8時57分
▼アンコール放送
毎週日曜日 午後6時30分~よる7時30分

【BS11公式HP】
https://www.bs11.jp/

【BS11+ 公式Instagram】
https://www.instagram.com/bs11plus

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9件のコメント

  1. 美幸さんトークうまいですね。
    ひばりさんがアゴで歌いなさい!のジョークはさすがです。

  2. 大分前になりますが 美幸さんのコンサートでトークが面白くて 大笑いした記憶があります😮今も変わらずですね!新曲心に染みるステキな曲🎵ですぬヒットすると思います🌸これからも頑張って下さい👊

  3. 君影草すずらん大好きでしたね。
    川中さん、人間性が素晴らしいですよね😃
    私は、越前岬が十八番で、若い頃よく歌ってました。

  4. 川中美幸さんのファンです、語りかける歌い方が素晴らしいです。
    トークが上手いです、友近さんの水谷千重子さんは、川中美幸さんをそのまま真似てる感じです。

  5. 川中美幸さん、可愛らしくて憎めない感が好きです☺️
    心もとても綺麗で優しい方なのが分かります✨

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