<橋幸夫さん通夜>橋幸夫さんをしのぶ舟木一夫(撮影・会津 智海)
Photo By スポニチ
4日に肺炎のため82歳で死去した歌手の橋幸夫さんの通夜が9日、橋家の菩提(ぼだい)寺である東京都文京区の伝通院で営まれた。歌手仲間や芸能関係者ら約700人が駆け付け、最後の別れを告げた。橋さん、西郷輝彦さんとともに「御三家」の一人として一世を風靡(ふうび)した舟木一夫(80)も参列し思い出を語った。
訃報が伝えられた後、コメントを一切出していなかった舟木。この日午後6時半ごろ境内に姿を見せ、祭壇の橋さんと対面。その後、取材に応じ、故人にかけた最後の言葉を聞かれると「穏やかな顔も見たくない、ご苦労さまとも言いたくない。だから何も言わなかった」と悲痛な思いを明かした。
舟木にとって橋さんは1学年上の「先輩」だった。「自分の歴史の中の一行が抜けたみたい」と、その喪失感の大きさを語った。御三家が顔をそろえるのは年に2、3回ほどだったといい、周囲がライバル関係をあおることもあった。それでも「みんな自分が一番と思っていた。忙しくて私生活で会う時間はありませんでしたが(橋さんは)偉大な先輩でした」と振り返った。
最後に会ったのは約4年前。偶然の再会だったが、その際「先輩が声を痛め、悩んでいらっしゃった」と回想。橋さんは2023年に歌手活動を引退したが、後にアルツハイマー型認知症と闘いながら活動を再開した。その姿に舟木は「歌い手が歌を忘れることは死んでも無理。(歌うことは)本能に近いんでしょうね」とその心中を思いやった。
祭壇は橋さんが静岡・熱海の自宅から眺めていた富士山をイメージして作られトルコキキョウ、カーネーションなど約3万本の花で彩られた。遺影には、2024年10月31日に写真家・山岸伸氏が撮影した写真。戒名は「歓喜院導譽幸運居士(かんきいんどうよこううんこじ)」で「皆さんに喜びを導いてくださり、幸せを運んでくれた」の意味が込められている。葬儀委員長を務めた所属事務所「夢グループ」の石田重廣社長は「僕の誕生日(7月1日)に電話で“社長、誕生日おめでとう”と言ってくれた。それが発した最後の言葉と聞きました」と橋さんの最後の肉声を明かした。葬儀・告別式はきょう10日正午から同所で営まれる。
▽主な参列者 石田重廣、保科有里、鳩山由紀夫、狩人、安倍理津子、川中美幸、田川寿美、錦野旦、田辺靖雄、生稲晃子、せんだみつお、舟木一夫、長山洋子、山内惠介、三沢あけみ、日野美歌、はやぶさ、山東昭子、三善英史、三田明、金沢明子、麻生けい子、coba、飛鳥とも美、春風亭柳好、青空好児、ロザンナ、夏木ゆたか、桜川たつる、yH2(敬称略、順不同)
【鳩山元首相 幼少期からファン】
幼少期から橋さんの大ファンだったという鳩山由紀夫元首相も参列。焼香を終えた後、取材に応じ、自身も同じ「ゆきお」という名前であることから、橋さんの名にちなんだ「割り箸由紀夫」と呼ばれたエピソードを披露した。また、首相辞任後に訪れたコンサートで「今でも鳩山さんを総理だと思っています」と声を掛けられたといい「大変感激しました」と振り返った。そして「もっと歌っていただきたかった」と悔やんだ。
続きを表示