ペ・ドゥナという俳優をスクリーンで観るにつけ、いつも思う。まるで地球に初めて舞い降りてきた宇宙人のように、好奇心に満ちた眼差しで世界をいつも見つめている、と。くりくりした目をさらにくりくりさせて、彼女は目の前の出来事を大切に、丁寧にすくい取っていく。
いわばそれは、自分がまだこの世界に馴染みきれていない、“異邦人”としての眼差し。だからこそ彼女の視線には、観察者としての純粋さが宿っている。『ほえる犬は噛まない』(2000年)では周囲が見過ごす小さな異変に気づく女性を、『子猫をお願い』(2001年)では社会に適応できず孤立する若者を、『空気人形』(2009年)では人間社会を初めて体験する“人間ならざる者”を、『クラウド アトラス』(2012年)では抑圧されたクローン人間を演じて、人の心の距離を、都市の孤独を、社会のひずみを照らし出す。
無垢な瞳に導かれて、我々は「彼女の視線を通じて世界を見つめ直す」という特異な体験へと誘われる。物語の内部に引き込まれるのではなく、ペ・ドゥナと共に世界そのものを体験する。なぜなら彼女は、内部にいながら外部の視線を持つ者ーー“異邦人”としての役割を常に担っているからだ。女子高校生たちが文化祭でブルーハーツを演奏するまでの数日間を描いた『リンダ リンダ リンダ』(2005年)もまた、その系譜に連なる作品。この映画で、ペ・ドゥナは韓国からやってきた留学生のソンさんを演じている。
ほかの映画と同じように、この作品のペ・ドゥナもやっぱりちょっとだけヘンだ。皆から仲間外れにされているわけでもなく、かといって特定の親友がいるわけでもなく、いつも眠たげな目をこすりながら、知り合いの小学生と漫画を読んでいたりする。くりくりした目で、クラスを、学校を、社会を、日本を観察している。
そんな彼女が、ひょんなことから文化祭でブルーハーツを歌うことになる。「ソンさん、バンドやんない?」「はい」「ヴォーカルでいいよね?」「はい」「やるの、ブルーハーツだから」「あ、はい」「嫌じゃないよね?」「嫌じゃないよ」というわずか数秒間のやりとりで、バンドの加入が決定。ドラムの響子(前田亜季)、ベースの望(関根史織)、ギターの恵(香椎由宇)と一緒に、練習に明け暮れる。
彼女はバンドの一員ではあるものの、即席で呼ばれたメンバーであり、日本語も完全に理解できていない。青春映画というフォーマットにおいて、しばしば若者たちが「自分の居場所を見つける」ことが物語の核心となるが、ソンさんは最後まで完全に内部に入り込むことなく、むしろ外部に立ち続ける。まるで「居場所を見つけられない青春」こそが、リアルであることを示しているかのように。
バンド紹介という最も高揚する場面でさえ、ソンさんだけは真夜中の体育館でひとり語りを行う──「練習をサボるけどかわいい響子! あまり喋らないけどキュートな望! 怒ると一番怖いけど一番優しい恵!」。『リンダ リンダ リンダ』は、ペ・ドゥナという稀有な俳優が持つ“異邦人”としての眼差しを、徹底的に描き出した作品なのである。