ミスター赤ヘル・山本浩二さんの兄 「若い人に色んなことを考えてもらいたい」 思い出すのが辛い被爆体験を次世代へ

広島が被爆80年を迎えた8月、東京の 江戸川区で原爆店が開催されました。 被爆の実装を伝える画作品を始め、元町 高校の生徒が被爆者と2人参脚で描いた 原爆の絵なども展示されました。 すごく思い出す。だから展示するのは人に人には見てもらいたいけど、特にあの若い人には見てもらいたいけど、自分は絶対見たくない。あ、 [音楽] 東京江戸川区の被爆者団体で会長を務める 87 歳の山本浩さん。今回の原爆店を主催しました。 [音楽] 山本さんはミスター赤ヘルと呼ばれた元 広島カープの山本浩司さんのお兄さんです 。 4人兄弟の長男で7歳の時爆地から 2.5kmにある現在の広島市西区恋で 被爆しました。 後頭部がだから火傷して大火傷ね。水袋の ところへ ハエがうじムシ産んであの卵産んで うじムシになってそれが頭の中で泳ぐんだ こな 産んどるところそれを大が橋でこう取って くるがまたものすぐ痛いんだよな 今年の8月6日原点 の会場に弟の司さんが駆けつけまし 年が離れた4 人兄弟の末っこの浩司さんは被爆の翌年に生まれた被爆です。 は熱の 被爆80 年の節目を迎え被爆体験の継承へ力を注ぐ兄の助けになりたいと 初めて兄弟でのトークショーを引き受けました。 楽しめる芸能の 1つ落 で我々はもう野球しかやってないからとにかくその平和のために野球を通してあの被爆者の皆さんに喜んでもらえるようなそういう気持ちでいつもプレイはしてましたね。めちゃくちゃ無口なんですよ。 [音楽] 本当口べタでよくこの役をやるようになったなて本当に無口だったんですよ。 無口だったという兄のひさんが被爆体験の証言活動を始めたのは被爆から 70年以上経った 2017年。 あの日の想像を絶する記憶に負蓋をしてきましたが、 我 被爆者が次々といなくなっていく時代に被爆体験を語ることを決心し、 今も続けています。 たと思うんですけど、 今までけ何十年かけて 40年50年60 年でかけてあったことを忘ようとして本当に忘れてきたわけだよ。 で、広島が離れてもうあえてその嫌って 逃げとったのが こういう活動し出したら思い出すんね。 中年かけて忘れたやつがどんどんどんどん 蘇みってくんの。これは苦しいよ。その いい思い出じゃないんだから。こそを取っ た悪い思い出がに向かってくんだから。 これが1番辛かった。今でも夢には見る からね。 それで あの日の記憶と葛藤しながらも証言活動を続けるひさん。 無口だった兄の必死な姿を見てきた弟の浩司さんは 兄への思いを打ち明けました。 ですよ。 兄がこういうこと始めたっていうのは本当に信じられないことで、あの、一切そういう話を聞いてなかったもんですからね。これはおそらくその被爆の、え、あれを風化火化させちゃいかんだろうという思いがあったと思うんですよね。 尊敬しますよ。 [拍手] 来場したおよそ280 人を前に頼もしい弟からのエールを受け取ったひさん。被爆者がいなくなる時代が迫る中、命ある限り次世代への継承へ力を振り絞ります。 [拍手] 今何か残しちゃろう思うのが できるなら残しとこういうのが目的をね、 もう若い人になんせいろんなこと考えて もらえて、あの、どうせとは言いませんよ 。と考えてもらえてこんなことが起こるん だいうことを [音楽]

11月に開催の「カープレジェンドゲーム」に出場する、ミスター赤ヘル・山本浩二さんには、被爆者の兄がいます。被爆80年の2025年、東京で被爆体験の継承に力を注ぐ兄の力になりたいと、山本浩二さんが駆けつけました。

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#カープ #広島 #原爆

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