「太陽の塔」はシンボルじゃなかった!?万博記念公園の真実と「エキスポタワー」が消えた謎|大東駿介の発見!てくてく学〈カンテレNEWS〉

[音楽] 大東俊介の発見学 [音楽] はい、テクテク学大です。本日はですね、ここは万博記念公園見てください。皆さんご存知陽の塔あります。ま、こちらで 70 年あの時代やったからこそ感じられる万博の魅力っていうのも本当に僕プライベートでよく来るんです。 ここが今の万博会場だと勘違いしてやってくる人がいるみたいですね。 でしょ?僕もニュースで見ましたよ。間違えないでください。ここ 70 年万博解場でもこっちはこっち素晴らしいからね。もし間違えて来ちゃってもこっちを楽しんでもらいたいなという。 現在開催中の大阪関西万博。 これまでの来場者数は 1700万人を突破し大政ですが、 1970年に開かれた大阪万博は累計 6400万 人という来場乗場者数を記録。人類の歩と調和に世界中の関心を集めた 1台でした。 ここ万博記念公園では反世紀を過ぎた今で も当時の熱狂ぶりを感じることができるの です。 今回は記念公園のツアーガイドも務めて いる二上にその魅力を教えてもらいます。 二上さんはこちらの 案内をされてる そうなんですよ。 プランオタクとしてあっちの方の万博のボランティアもしつつこっちの万博記念公園のボランティアも両方しております。 してるな。めちゃくちゃ好きじゃないですか。 はい。好きすぎて駆け持ちしております。 え、じゃ、僕も本当にまだ知らないこといっぱいあると思うんで、ちょっと魅力今日はたくさん教えてください。 はい。はい。よろしくお願いいたします。 よろしくお願いします。 しすさん。 うん。70 年白のシンボルといえば何か分かりますか? シンボルって言ったらもう後ろ見えてますけど太陽の塔じゃないですか? はい。いや、実はうん。 あちら万博のシンボルではないんです。 ないんですか? はい。 70 年万博のシンボルは太陽の塔ではなかった。 [音楽] どういうこと? あ、これは当時ですね、テーマ感の、ま、 1つの部品というか、パーツというか ああ、じゃ、シンボルっていうものとはまた別なんですね。 そうなんです。 それ全然知らん方。これみんな勘違いしてる人多いですよね。 はい。で、当時はですね、ここに屋根がこうぐっとかかってまして ありましたね。 非常にあの塔が見にくかったと。 はあは。 なので当時を知る人はあ、すっきりしたねって言います。 そうか。だからこ実際ここに来て立った時に はい。まん丸るくこうくり抜かれてちょっとだけ顔が見える。 はあは というような感じだったそうですよ。 そうなんですね。 はい。 え、で、そのシンボルっていうのは実際ど、どういう、どうなんすか? この後その謎が解けるかと思います。 何気になる?え、じゃあもうついていきます。教えてください。 はい、ではご案内したいと思います。 そうなんや。 公園内には太陽の塔以外にも当時の万のおかげがたくさん残っているのだとか。 公園内には当時パビリオンがあった場所に記念の石碑が作られているんですよ。 はあはあはあ。 あ、早速フランス館。へえ。ま、各ごとにここにあったっていうのがあれば自分で歩いてどれぐらいの距離感でパビリオンあったんやとか分かりますもんね。 そうなんですよ。 へえ。 いや、なんか当時はね、あの、タカ値とかなんかこうティッシュなどを持っていったら香水を振りかけてくれるっていう機会があったみたいで、 へえ。 なんかいい匂いをするためにたくさんこの布切れを持っていったっていうエピソードを当時の方にお伺いしました。 素敵な話ですね。 このようにパビリオンがあったことが分かるは公園内のあちこちで見ることができます。 当時トで人気だったパビリオンが 2つありました。 え、何と何なんやろ。 ええ、 アメリカ ピンポンです。 そうですよね。 はい。 アメリカともう1つ何なんやろ。 はい。今で言うロシア、当時で言うソ連なんです。 ああ、そうなんですね。 はい。 東西冷戦のさ中に開催された大阪万博。 国の一をかけてパビリオンは作られました。人気を 2 分したアメリカ官とソ連館にはそれぞれ目玉の展示が だ月の意思でしょ。 どこ行くの? アメリカ。 どこ行くんですか?どこ行くの? アメリカ。 どこ行くの? アメリカ。 アメリカが打ち上げた宇宙船アポロ 12号が持ち帰った月の石は最長 5時間待ちを記録するほどの大人気。 当時なんかこんなん見れたもんじゃないわけでしょ。 はい。なんかほんの数秒で次のお客さんに譲ってくださいっていうことで一瞬だったそうです。 そうなんや。 対するソ連感も負けていませんでした。 時刻で開発した宇宙船の実物を展じ、その技術力の高さで来場者を圧倒しました。 そうか。確かにそん時争ってましたもんね。競ってたからロシアとアメリカが ですのでね、あっちがこのネタ持ってくるならこっちはこのネタでっていうことで内容は開幕万博が始まるまで一切伏せられてたそうなんですよ。 そうなんですね。面白いな。 70 年白の影は他にも続いては公園の東側へ。右に大きな建物が見えてまいりました。 公園の東側にあるこの建物。当時は鉄鉱というパビリオンの 1つでした。その建物の前に何かを発見。 あれどこのパビリオンの? それが実はこちらなんです。 エキスポタワー。 はい。 あれね。 へえ。 これね。 はい。 でっかいです。 このエキスポタワーが当時の万博のシンボルだったんですよ。 そうなんだ。 はい。 へえ。もうみんな太陽の塔や思ってもてるけど。 はい。 エキスポタワーがシンボル。 現在の万博記念公園を南側に出たこの場所に高さ 127m のエキスポタワーが立っていました。これこそが 70年万博のシンボルだったのです。 これ登ったことあるんですか? あります。 エレベーターでふっと屋上というか高いとこに登ると大阪城が見えたのを覚えております。 へえ。 そうか。主役はま、このイベントの顔はカワーだったんですね。 はい。はい。で、実は太陽の塔が 6 ヶ月の白が終わったら取り壊される予定で、 で、こちらのエキスポタワーは永久に残るはずだったんですけども、立場は全く逆転しまして、 万終了後に取り壊される予定だった太陽の塔はその芸術性の高さやに与えた影響からなくなるのを惜しむ声が寄せられ、保存 が決定。 逆に開催当時のシンボルだった エキスポタワーは万博終了後も補修工事が 加えられることはなく2003年にその姿 を消したのです。 残るはずだったものが取り壊されて壊さ れるはずのものが今でもあれだけかっこ よく立ち続けてます。 主役の俳優さん食ってスピンオフ始まったみたいなことやっていうことでしょ。はい。 [笑い] 悪いやっちゃで。え、 いや、そんな、そんな ねえ。えや大好きですけど。そうか。そういうことやったんですね。 はい。 70 年のおかげを感じられるスポット。最後は とても意義の歩きがこの近くに立ってるんです。 [音楽] 意義のある木。 はい。それがこのタイムカプセルの木なんです。 まさかまさかですけど。 はい。 タイムカプセルに入れていた はい。 種。 そうなんです。それが育ってるのが はあ。あ、この赤松。 はい。 この3本。 現在のパナソニックにあたる松下が手掛け たタイムカプセルプロジェクト。 20世紀の日本の文化を象徴するもの。 およそ2000点をタイムカプセルに入れ 、5000年後に開封するという壮大な 計画。その中に木々の種も入っていました 。 100年に1度点検するという目的で 2000 年に開封した際にその種から育った苗ぎを植え 25 年経った今ではこんなに大きく成長したのです。 すご ですから1970年の命は2000 年まで生きていたっていうことになるんですけどもでそれを 5000年後に伝えるということで 100 年ごとにチェックして最終開封年は 6970年となっております。成暦 すごいなあ。何孫でしょうね。それね、 何孫がやってくれんねんやろ。 でもまあ今もう目先のね、利益とか目先の人間の豊かさのためにいろんなものを犠牲にしてるからやっぱそれぐらい先々のことを見て地球の作り方、国作り、街づりをに取り組むっていうのはすごい大事な発想ですよね。 [音楽] そうですね。 うん。本当にたくさん教えてもらいました。ありがとうございました。 ありがとうございました。 大藤さんが学んだ万博記念公園の魅力。 続いては世界最大級のスケール国立民族学博物館。こ白記念公園の中にある国立民族学博物館です。 [音楽] 国立の博物館ですからね。 僕ちょっと本当申し訳ないですけど、国立の博物館がこの公園の中にあるって僕存じあげなかったんで。何してたんやろ俺?今まで。 1977 年に開した国立民族学博物館は世界各国の民族学に関する調査研究を行うことを目的に設立されました。 万博記念公園に何度も足を運んでいる大統 さんも知らなかったこの施設 はとんでもないスケールの博物館なのです 。 今回はこちらの日高教授に案内してもらい ました。 よろしくお願いします。はい。早速じゃ 展示場の方行ってみましょうかね。でこも いきなり はいそうそう まさに何これっていうような状況 なかなか何ですね。はい。 の仮面なん仮面なんです。これ これ仮面ですか? 仮面なんです。顔に当てるやつじゃないんだと思うんですけど。え、 ま、いろんな仮面の使われ方も置いて見せるとかね。再例の時の象徴的なものとして僕らで言うと神様のより代的なもう へえ。 し介さん はい。 貴重な資料がむき出しで置かれてるのってすごくないですか? 確かレプリカでもないんですもんね。 そうです。 やっぱ、あの、国の人たちの文化とか、ま、生活ってことを知ってもらいたいっていう風に思っていて、ま、そうした意味ではやっぱ感動とかっていうのが非常に大きな要素になってくるんですけれども、 設立当初から守り続けているのが露出展示。海外から集めた本物の資料を手の届く距離で感じて欲しいと。ほぼ全ての展示物はケースに入れられていないのです。 [音楽] 木材のこう風化した感じとかそうですね、 色合いとかがもう肉眼で自分の好きな角度からこう確かめられるってことですもんね。 はい。 これな、これが僕の1番グ 異勢ビ これ何だと思います? え、これ はい。 これなんやろうな。 ちょっとびっくりします。 え、で、これ何かに使われてる儀式とかに使われるもんなんですかね? まあ、そうですね。広く言えばそうですね。 こボブスレーみたいにな 3人ぐらい乗るんじゃないですか? ちょっと想像力が飛躍しすぎ。ベッドとか。ああ、まあまあそうですね。人が入るってことではそうですね。当てていいですか? [笑い] どうぞ。どうぞ。 カ桶ピンポン。 あ、そう。 あ、これはガーナのアフリカのガーナの棺桶。 そのこに入る方が、ま、異性美量をしてたのか、異勢日が好きだったのか、ま、そうしたらもう自分に密接に関わるもの ええ、 ありますけど、 面白じゃ一点物でその人の象徴みたいなものを片った。 そうですね。だからうちの修に行きますとライオンとかね、飛行機とか ああ、そうか。どうけんさんとかやっぱマイクの形とかしてんのかな。 [笑い] ねえ。 ああ、俺は死ぬまでアナウンス動みたいなね。今見たものはほんの導入部分。内はここの地域に分れていて、世界中の民族資料およそ [音楽] 1万2000点が展示されています。 館内を全て回るとすごい距離なんですよね。 全部回るともう4km以上になるので。 え、4kg? はい。あの、で、さらにこう細かく回っていくとそれ以上になるので、おそらく [音楽] 1日ではちょっと見きれない。 4kmあるんですか?これ。 そうなんですか。 世界最大級の、ま、 20 世紀以降作られた人民族博物館としては世界最大級の希望。 時間がいくらあっても足りないのでサクサク見学しましょうね。 ここからがオセアニアなんですけども、私がま、是非紹介したのがこの大きな 船。 船。 はあ。これすごいな。 これ見2号という船ですね。 へえ。 1975 年に沖縄海洋白覧会っていうのが開催されたんですね。 はい。 その時にオ屋にま、ミクロニシアに島という沖縄約 3000m離れた島があるんですけども、 そこから公開術を駆使してこの船で沖縄まで来たんです。丸の人たちが。 も、その仕様の流れとか、また星の位置で法学をこう知ったりとか [音楽] もうだから本当に昔大昔のその船の技術で はい。 へえ。 で、ま、そうした公開術なんかを教えていくための教材がここにあるようなヤのね、葉っぱの軸と宝で構成したカイ図と言われる。 これが海図なんですか? はい。 面白。 はい。 で、これはベテランの公開さんが自分で作って塩のこう島々の位置感となんか塩のうねりとか流れとかそうしたこと表して、え、教える教材として使われてた。 [音楽] これすごいわ。 こういうものを見ながら世界を感じてもらい、ちょっとショートカットして次日本じゃあ日本どうなのって言ったらまた結構これこれで不思議な感じになるエリアを紹介し も行きます。 いやいやいや4km歩きましょうよ。 CMの後 ちょっと待って。これは僕ちょっと素通りできひんけど。 大藤さんも大興奮。日本の展示物すごすぎる。 さらに博物館の裏側で歴史的な文化財を 守る活動にも迫ります。 万博記念公園の中にある国立民族学博物館 を訪れている大東さん 続いては日本のエリアへ 私があの担当の1人でしました日本展示場 がこちらのコーナーになります。へえ。 これはだんから日本各地のお祭りのことを紹介するコーナー。 うわ、すごいわ。これ本当に日本の文化も知らないもんですね。 [音楽] そう。 これもんですか? これ。これ鹿児島の ヤゴロドンっていうは覇斗っていう鹿児島の うん。うん。うん。 人たちのま、1つの象徴的なもので は巨人伝説をモチーフにしてると。 そうなんです。 で、それが練り歩いて、ま、無裁を願ったりとかするという 面白いですね。 こうしたあの展示物なんかが、ま、展示されてますけれども ちょっと待って。これは僕ちょっと素通りできひんけど。 これ熊本のですね。え、お祭りで白とか はあは。 松ぼっくりとかわとか そうなんすよ。 じゃ、彫刻でもなくこれは全部本当葉っぱとかそういうので作ってるんだ。 そう。 後ろ見てみ。 あんなもお前ら俺のことも知らんやろみたいな。 あれ愛媛の牛という。 愛媛。 あ、愛媛県。 これどうしよう。どんどんさっき行きたい日高さんと全然行かれへん。 とだ。今日本中のお祭りがもう何百年続いてるお祭りとかが仮疎でこう杉手がいないって言って結構苦労されてるお祭りも多いじゃないですか。 はい。はい。 だこういうところで改めて知って興味持っていろんなところからこう見に行くっていうのも そうなんです。それ本当にそれはしてほしい。そうすると 地元の人たちもうわ上がりますから。 こうした歴史的文化剤に欠かせないのが 補修や保存の処理。 日高教授は保存科学というジャンルの専門 家で破損の状態を調べて修復したり劣化を 防ぐための処理を施したり価値ある文化財 を守る研究活動をしています。 特に地震などで被災した土地を実際に訪れ て破損した文化財を救出する活動も勢力的 に行っているのです。 ま、私の仕事としては、ま、基本的にそう いう文化財保存とか継承とかいうことを ちょっと考えることを専門に へえ 仕事をしている。そうか。 だからそういう災害があった時、ま、人命がもう何より第一なんですけど、ま、その中でこう失われていく文化とか [音楽] はい。 こういうものもたくさんあるってことですもんね。 そうです。 博物館の中にある日高教授の研究室では 古い文化剤をCTスキャンなどの危機で 計測し破損の状態を調べたり材質を特定し たりと伝統 の継承には欠かせない努力を続けています 。 本当に災害とかもいろんなことあります けどその都度いろんな各地で電統文化とか がもう壊されてなくなっていく可能性を 秘めてるわけですもんね。そうですね。 ただそうした文化がもう1 回復活してくると割と地域をこう元気になってくるというか 確かに 文化という共通言語なんでしょうね。その地域の人たちにとってもそれでこうお互いが話が始まってうん。 博物館ってこう見に行く場所を知り知る場所じゃない。それだけにとまらないってこと結構皆さんに理解した方がいいかもしれないですね。 そう。ま、そこにはいないかもしれないけど人と繋がっていく ていうことですね。 そういう装置なんだということをちょっと皆さん 始まりの場所ってことですよね。 はい。え、そういう気持ちで来ていただけると僕日本中の祭り行ってみたいですもん。 ありがとうございま 是ひよろしくお願いします。 ありがとうございまし。 どうもありがとうございました。ござ いや、万博記念公演も時代も場所も超えて楽しめるエリアでしたけれども菊さん 55 年前の博行ってらっしゃいますもんね。 来ました。アメリカソ連館 月の石見たらただの石。 見てきましたよ。 懐かしかったんじゃないですか。ちょうど投のこと思い出したりしね。 どこ行くの?アメリカという方ね。本当に多かったですけれどもね、こういう魅力もあって。田瀬さんどうですか?番 はい。まだ私生まれてない年ですけれどもアメリカ間 東京ドームに似てるって思ってしまいました。 そうですね。確か 実際どうでした?見ててそういう感じってありましたか? あ、あの今私も思いましたね。ま、当時当然あの東京ド務はなかったですから。 別の番組でそれをモチーフに東京ド務がっていうの聞いたことがある。 そうなんだ。そんな話ていうことかもしれんなそういう魅力ってね、今でも伝わってくるっていうことです。来週大さん兵庫県の淡路島行ってくれてます。お楽しみください。 ゴンテル あっちゃん。 [音楽]

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11件のコメント

  1. 太陽の塔は邪魔🌞👈

    咲洲に持っ行け、吉村くん🤡👈跡地に首都機能を移転させて新都にしろ。天皇は京都に還都¯⁠⁠_⁠༼⁠ ⁠•́⁠ ͜⁠ʖ⁠ ⁠•̀⁠ ⁠༽⁠_⁠/⁠¯

  2. ソ連館の「失業のない国」というのが、「宣伝」あることを知ったのは平成になってから。今年の大阪・関西万博で、ソ連の一国であった「トルクメニスタン」のパビリオンを見た時、小学校の時に感じたソ連館と同じテイストを感じた。

  3. 小学生の時にバス旅行で民族学博物館へ行ったが、その時見た「干し首」のインパクトは今でも覚えてる
    頭蓋骨を抜かれた首は握りこぶしみたいに小さかった
    今思うと小学生にこれ見せるんか?て感じだけど、異文化を知るという意味では貴重な経験になった

  4. 太陽の塔って10メートルくらいのしょーもないオブジェだと思ってたら70メートル!
    民俗学というと何か面倒でスルーしたくなるけど、諸星大二郎の世界みたいで博物館凄そう
    万博を氷のような冷たい目で見てたけど、自分の無知を反省 凄い!

  5. 自転車で行ける距離なので頻繁に行ってますが、ミンパクは小学生の頃に見た首狩族の干し首が怖くて、大人になるまで行けませんでした。
    太陽の塔も小さい頃から見てたので特段の想いは無かったのですが、太陽の塔に纏わるドキュメントなどを観てから、あんなとてつもない芸術を身近に感じられることに感謝しています。

  6. ありがとうございます
    万博公園を解説してくれてるイケオジの素人感が薄すぎるw
    民俗学好きなんで民博いつか行きたいです

  7. 壊される直前に友達と二人でエキスポタワーに上ったのを思い出した。
    展望デッキのガラスの隙間から風がビュービュー入ってきて、怖かった!

  8. 丁度ピッタリ一ヶ月前、旧鉄鋼館の万博記念館の70年万博企画展示最終日に行って来ました✌やはりロケとニアミス続いてるなぁ~イルミ設置されてるもんな~🌆綺麗でしたよ✨️そしてドリカムと夏祭りでサプライズ花火🎆上がった後のモノレール🚝混雑が殺人的で最終接続電車にギリギリ😅
    今年の万博の倍以上の規模を誇るだけあり収容人数あるから大規模イベントがここで行われるのがわかります。台風🌀でも最低入場者数16万!を今回超えたの花火と音楽フェスとブルーインパルスと片手で足ります😢当時1位のソ連館の2800万人を万博トータルでも超えなそうですもんね😮

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