2025年9月3日

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昔、『TWD』が好きでよく見てたんだけど、あれってゾンビに噛まれることで、感染、死亡して、ウォーカーとして蘇るみたいな原理だったと思う。だからもちろんグロい描写はあるんだけど、彼らウォーカーは、人間に襲いかかることを目的とする、知性のない動物のようなもので、残虐的な行為をしたくてしているわけではなく、彼らの目的が結果として人間側を恐怖に陥れるだけだった。だから、TWDにおいて必要以上に残酷な描写といえば、ゾンビvs人間ではなく、人間vs人間だった。この映画もそうだけど、結局自分たちが恐れているのは、理性をもたない動物ではなく、知性を持つ人間だってこと。

しかし、哭悲における「ゾンビ役」は、生きているので理性はあるし、罪悪感ももちろん持っている。ただ、人間の隠された欲望を、隠すことができなくなった、半野獣のような状態ってこと。だからこそ観客側は、過激なエログロ描写に嫌悪感を感じつつも、自身にその欲望がまったくないと言われると、はいとは言い切れないんじゃないかな。

何巻だったか、進撃の巨人の、人は残酷なのが見たいんだよってセリフを思い出し、改めて、自分のことを言われているような気がした。やりすぎだ、倫理観のかけらもないと糾弾しても、それを観にきたのは自分だろと、後ろ指を刺されるような感覚。自身の残虐的な思考回路に、少し陰鬱としてしまった。

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