青空の下で、ビール片手に、最高の音楽に酔いしれる…。こんな代えがたい幸せを味わえるのが、そう、音楽フェス!
海外アーティストが参加する大型フェスをはじめ、近年では日本のあちこちで地域密着型のフェスがたくさん開催されるようになりました。そんな地域フェスの先駆けといえば、神戸で開催されている「COMING KOBE(通称・以下、カミコベ)」ではないでしょうか。
カミコベは、阪神・淡路大震災から10年目の2005年、震災10年事業として「GOING KOBE」という名前で始まりました。
当時から現在まで継承されているテーマは「神戸からの恩返しとしての被災地支援」、「防災・減災」。そして大きな特徴は入場料が無料であること。出演バンドは神戸出身のアーティストはもちろん、全国の若手からベテランまで幅広いラインナップですが、なんと出演者もノーギャラという、チャリティーイベントなのです。
今年2025年、あの震災から30年を迎えた神戸。そして20回目を迎えたカミコベ。
この20年の間には、私たちの価値観を揺るがすようなさまざまなことが起きました。そんな20年間、そしてこれからのことを、カミコベを主催する株式会社パインフィールズ代表の上田佑吏さんと、同社スタッフであり、一般社団法人COMING KOBE実行委員会の代表理事でもある風次さんにお聞きしました。
上田佑吏(うえだ・ゆうり)〈写真右〉
2000年神戸生まれ神戸育ち。株式会社パインフィールズ代表取締役。神戸市内にて、ライブハウス「太陽と虎」や飲食店、レコーディングスタジオ、インディーズレーベル、音楽プロダクションなど、音楽に関連するさまざまな事業を広く手がける。2019年5月1日より現職。
風次(ふうじ)〈写真左〉
1979年尼崎市生まれ。バンド活動を経て、神戸のライブハウスで働き、2010年オープンのライブハウス「太陽と虎」で現在まで店長を務める。2019年から一般社団法人COMING KOBE実行委員会代表理事。
いつのまにか20年経ち「みんなのフェス」に
上田さんは、カミコベの創始者であり、2015年にgreenz.jpでも取材した松原裕さん
の息子さんです。ゆえにカミコベは子どもの頃から「お父さんがつくってるイベントに遊びに行く」感覚の、身近な存在でした。
しかし2019年、上田さんが19歳の頃に松原さんは闘病の末、逝去。その1ヶ月後には上田さんが後継者となり、会社の代表印を押していたと言います。
上田さん 父には生前から「(代表を)やってみるか」と言われていたんですけど、死ぬ時期なんか分かんないじゃないですか。だから僕も2〜3年後、大学卒業したぐらいからかな、って考えてたんですけど、こんな展開でいつの間にか……。自然といえば自然な流れなんですけどね。
「ぬるっと引き継いだ」と上田さんは軽く言いますが、当然のことながら、いざやってみると大変なことばかり。しかも経営を一から学ぶ段階であるにもかかわらず、就任から間もなく世間はコロナ禍へ突入。ライブハウスはクラスターの発生源として世間から非難され、何をしても受け入れられず苦しかったと言います。
2020年は苦渋の決断でカミコベは中止になりましたが、翌年から再び開催し、2025年の現在まで神戸の春の風物詩であり続けています。
初回からずっとこのフェスの実行委員である風次さんは、当時からのことをこう振り返ります。
風次さん 僕らも別にチャリティーイベントがしたいという気持ちで始めたわけじゃなくて。当時、神戸で開催されていたとあるフェスがなくなってしまうタイミングだったから、神戸でフェスがしたいっていう一心で「やろう!」となったときと、震災10年というタイミングが重なり、さらに神戸市の助成金(阪神・淡路大震災10周年事業)を活用したこともあって「じゃあ無料で」となったんです。
でも、やるたびに「まだまだ、こんなんではあかん」「こんなんでは恥ずかしい」っていう気持ちが芽生えてきた。
チャリティーだからこそ、僕らと同じ目線で手伝ってくれるボランティアの人が多く、お金のためにやってないぶん、こっちも思いに応えないと申し訳ないなと。いろんな人の協力を得て、試行錯誤しながら気付けば20年経ってしまいましたね。
そんな20年の間に、カミコベは徐々に「みんなのフェス」へと進化してきたといいます。
毎年「無料開催」にこだわり、お客さんやボランティアスタッフ、出演アーティスト、そして支えてくれる市民の存在が継続の原動力となってきました。
しかし、その裏では常に経営面での困難がつきまとっています。特にコロナ禍では、来場者数の制限を設けなくてはならなかったり、スポンサーが大幅に減少したりと、多くの困難に直面してきました。コロナ禍が落ち着いても、スポンサーの数はなかなか以前のように戻らないそうです。
風次さん もうほんまに限界に達している感覚ですよ。毎年終わってから「来年やれんのか?」って会議してる。今年も、「もうやめてもええんやで」って言ったんですけど。
上田さん これまでの貯金で何とかやりくりしてきたけど、それも無限にあるわけじゃない。そこはずっと戦いながらですけど、なぜかいつの間にか毎年やってる。「来年もやろう!」なんて言うわけでもないのに、自然とみんなが同じ方向を向いて、いつの間にかやってるんですよね。
いかにも彼ららしい継続の仕方ですが、そこには十分な動機があります。それは、「カミコベが大きな同窓会になっている」ということ。出演者もお客さんもボランティアスタッフも有志で参加するお店も、お互いに「ここでしか会えない仲間」となり、出会いや学びの場となっているのだそうです。
当日の写真撮影を担当した、カメラマンチーム。もちろん全員、ボランティア!(写真提供:COMING KOBE実行委員)
そして「同窓会メンバー」には、意外な人もいるようです。
上田さん 離れるスポンサーさんがいる一方で、「協力させてください」という企業さんも増えていて、その中には「20年前からカミコベ行ってます」っていう方が結構いるんです。出世されてスポンサーになってくれて。あとは、元バンドマンっていうスポンサーさんも結構多いんです。
風次さん うちのライブハウスを拠点にバンドやってた奴が、夢破れてバンドを解散したあとに起業して成功して、カミコベに協賛してくれたんですよ。僕はバンドマンたちの人生を預かっていると思いながらライブハウスで働いてるんで「やっと恩返ししてくれるんか」と(笑)。そいつらはもう全然センスがないバンドで……。一生懸命頑張ったけど解散して、「ああよかった、第二の人生を会社で頑張れ」と思ってた。そこから、数年後に現れたら大社長!ですよ。
もちろんバンドをやっているときは「カミコベに出たい」って話をしていましたけど、社長になって協賛とか、いろんな参加の仕方があるなと思いましたね。やっぱりみんなが目標や励みにしてくれるのは嬉しい。だからまあ、続けなあかんっていうことになってしまうというか……。
カミコベには、このようなストーリーがたくさんあります。それも、ずっと神戸でライブハウスを運営し、若いバンドを支え、育て続けてきたパインフィールズだからこそのご縁で紡がれたものばかり。風次さんは「お互いカミコベで会おう、そこまで頑張ってやろうっていう約束をしている」と言います。それは、若いバンドが「出たい!」と目指す登竜門になったカミコベが、かつてそこを目指したさまざまな人にとっても「頑張る理由」になっていることを意味しています。
10年ぶりのクラウドファンディングは「継続への問い」
さまざまな葛藤と喜びを包含して積み重ねているカミコベは、今年、2025年に大きな挑戦をしました。10年ぶりのクラウドファンディングです。
参加費無料のカミコベがクラウドファンディングなんて矛盾しているのでは?それならば入場料を取ればいいんじゃないの?そんなツッコミが入るであろうことは、もちろん想定内。上田さんは大いに悩んだといいます。
上田さん そこまでしてカミコベをやる意味があるんかな、もはや自分たちのエゴでしかないのかなって思いました。別にこれまでのカミコベの形にこだわらなくてもいいやん、とも。
でも、10年前に父がやったクラファンのサイトに父の思いが書いてあったんです。無料だからこそ多くの人に来てもらえるってことや、そこへ対してのこだわりがすごくあって。父をなぞるわけではないですけど、やっぱりそれは大切やなと思ったんですよね。
そして震災から30年というタイミングだからこそ、今年は規模を大きくしたいという思いもあったんで、覚悟を決めてクラファンをやることにしたんです。
「みなさんに泣きつくような気持ちだった」と語る上田さん。しかし結果は希望額の一千万円を上回る金額を達成。批判は一切なく、嬉しい言葉もたくさん届いたのだそう…!
上田さん 「カミコベがあるから音楽に出会えました」とか、直接「クラファンしました」って言ってもらえるとか。ああ、やっぱり続けていかなあかんなって改めて気付かされましたね。これがきっかけで出会えた人もいて、大変だったけどやって良かったと思います。
一方、風次さんは「寄付は集まらないと思っていた」とのこと。上田さんとは少し違う目線で考えていたようです。
風次さん 「(支援金は)集まるな!」と思っていました(笑)。
これはつまり「引き続き無料でやってほしいですか?」とみなさんに問うってことなんで。10年前も同じ気持ちだったんですけど。支援が集まったら、無料でやり続けていこう、集まらんかったら別の有料のイベントを始めたらいいって思ってたんで、それをみんなに委ねる気持ちで。だから集まるなと思ってました。カミコベ終われ!って(笑)。
そんな風次さんの思惑ははずれ、不安のもと始めたクラウドファンディングは、逆にカミコベがどれだけ支持され、愛されているのかを再確認する機会となったのです。
「みんなのもの」になったカミコベには、上田さんを含め、阪神・淡路大震災を知らない若い世代もたくさん訪れるようになりました。初期からの参加者には子どもが生まれ、子どもたちと一緒に参加する人もたくさんいます。
そんな中でも、原点である防災や減災の意識を広める活動は、決して忘れていません。会場に「減災ヴィレッジ」というテーマゾーンを設けたり、会場内に震災当時の写真を掲示したり。カミコベは「震災」と「音楽」を通じて、それを知らない世代と知っている世代が混じり合うきっかけになっています。
カミコベ2025のホームページに掲載されている会場マップの一部。「減災ヴィレッジ」「震災30年復興STAGE」など、ただ音楽を楽しむだけじゃないカミコベのポリシーが表れたブース設計(写真提供:COMING KOBE実行委員会)
会場に設置された「減災ヴィレッジ」には、阪神・淡路震災当時の写真展示コーナーや、防災にまつわるさまざまな団体の出展、チャリティーオークションなど、合計33ものブースが展開 (写真提供:COMING KOBE実行委員会)
風次さん 「続く」ってそういうことなのかな。ディープユーザーと初めての人たちが循環し合って、その循環が成り立っていったら結果的に続いていくと思うんですよね。
2025年は、年に一度神戸の中心地で盛大に行われる「神戸まつり」とコラボ。神戸まつりの会場内に「震災30年復興STAGE」を設けた(写真提供:COMING KOBE実行委員会)
震災の記憶と被災地とのつながり
「阪神・淡路大震災の被災地・神戸からありがとうを伝える」という原点を持つカミコベは、20年間、世界中の地震被害のあった被災地と連携し、寄付金を募ったり、ブースでパネル展示をしたりしてきました。
その中で大きく風向きが変わったのは、やはり東日本大震災だったといいます。
2011年3月11日。その2ヶ月後の開催に向けてカミコベは準備を進めていました。国民の災害への意識がピークに達したとも言えるタイミングでのカミコベでは、当時過去最高額(381万8,451円)の募金が集まったのです。
会場内に設置される、中身が見えるアクリルの募金箱。「お金がすべてじゃないけど…」と上田さんは言いますが、参加者に運営側の想いがどれだけ届いているかの指標のひとつは募金額です
以降、カミコベとして被災地と神戸をつなぐ新たな企画も始まりました。その時支援が必要な被災地から神戸までを自転車で移動し、その道中で得た経験や募金をカミコベ本番のステージで発表するプロジェクト「カミングライダー」もその1つです。
災害時の追体験としてお金と電気を使用せず、自転車のみで寄付先や被災地を訪れ、感じたものをCOMING KOBEのステージで新曲として届ける「カミングライダー」プロジェクト。実行委員長である風次さんも同行し、被災地の現状視察や、会場で集めた募金の寄付先のリサーチを行う。写真は2025年、11代目のカミングライダーを務め、石川県珠洲市ー神戸間を移動した「アイアムアイ」の二人(写真提供:COMING KOBE実行委員会)
災害時には「不謹慎」とされやすいエンタメですが、そんな空気の中でも「音楽を通じて被災地の復興を支える」という姿勢は、被災地と神戸をつなぐ架け橋となっています。募金の使い道もさまざま。例えば2024年に集めた募金では、同年9月に石川県七尾市妙國寺で能登の子どもたちのための体験型支援イベント「GOING NOTO」を開催しました。ふるまい屋台、縁日、射的、手持ち花火大会、音楽ライブなどを開催し、能登にカミコベを「デリバリー」したのです。
2024年9月3日、妙圀寺で開催された「GOING NOTO」。ふるまい屋台、縁日、射的、手持ち花火大会、ライブでカミコベをデリバリー(写真提供:COMING KOBE実行委員会)
上田さん お寺を借りて、子どもたちも集まって、めっちゃいいイベントになったんです。 能登半島地震のあと、これまでに2回開催したんですけど、そこの住職さんがクラウドファンディングに協力してくださったりして、僕らが元気を届けに行ったはずなのに、逆に支援されてしまった。 実際、カミコベ当日も神戸に来てくれたんです。
住職の娘さんが今年の自由研究で、七尾市の地震被害の現状を大きな画用紙にまとめて書いていたものを、カミコベの減災エリアで展示させてもらったら、めちゃくちゃ喜んでくれて。僕らがそういうものを多くの人たちに届けるのは、すごく意味があることやなと思ったんです。
このご縁は「被災」という共通点があったからできたものですけど、これからもこういうご縁や想いは継承していきたいと思っています。
風次さん 「カミングライダー」なんかはほんまにもう、情けないですけど、助けに行ってるのに被災地の人たちに助けられて帰ってきてるんです。
だからこそ、また被災地のみなさんに何か返さなあかんっていう気持ちになってますね。
これからのカミコベは「死なないフェス」を目指す
松原さん亡き後も、上田さんや風次さんを中心にさまざまなアップデートを繰り返しながら続けているカミコベ。お二人は「毎年限界を感じている」と口を揃えて言いますが、気になるのはやはり、今後カミコベは続くのか?どうなっていくのか?ということ。松原さんの後を継いだ上田さんの若い力や感性がどのように表れていくのかも注目したいところです。
上田さん これからは、過去よりも先のことを考えていきたいなとは思います。父が第1回目のGOING KOBEを立ち上げたのは25歳のときで、僕も今年25歳だから、ある意味リンクしているとも思う。だからこそ、今まで貫いてきたカミコベのポリシーはもちろん尊重した上で、震災から30年のこのタイミングはいろいろと変えるべき時かなと思っているので、新しい人間たちでつくるものを来年以降展開させたいと思っています。
カミコベでは、台湾南部の屏東県で開催される音楽祭「台湾祭」と連携。台湾祭のメンバーも減災ヴィレッジに出展し、当日はカミコベメンバーと今後について打ち合わせする場面も(写真提供:COMING KOBE実行委員会)
「続ける」ということだけを考えるなら、名前を変えて、入場料をとって、別のものとしてやっていくこともできます。それも含め、今まさにいろんな可能性を模索しているカミコベ。カミコベにしかできない、カミコベらしさってなんなんでしょう?
上田さん やっぱり無料っていうことにはこだわりたい。それがカミコベのポリシーというか。
あとは、被災した神戸から恩返しっていうことは大事だと思うんですけど、もう30年も経っているし、これからは恩返しばかりをするんじゃなくて、次に起きる地震に対して僕らができる防災の形を考えたいですね。ただ普通に防災のイベントをやっても面白くないんで、やっぱり若い人たちが楽しめて、かつ学びになるようなものにできればと思います。
お客さんも出演するバンドも、阪神・淡路大震災を知らない世代が増えてきたからこそ、「いつか被災者になるかもしれない」という上田さんの言葉通り、カミコベが誕生した背景とともに、防災に対する意識を高めていくことは、これからも継承していかなければいけません。
上田さんの会社の倉庫には、カミコベの備品の他に、災害時に近隣に配布するための食料や物資が備蓄されている
風次さんは、これからのカミコベのあり方をどう考えているのでしょう。
風次さん 変わればいいと思ってますね。守るのではなく、壊してつくっていけ、と思います。僕は20年続けてきた側なのである意味「満了」してる感覚もあるんですよ。
今までのものを守るっていうのは「やらされ感」もあると思うから、自分で考えてやっていけばいいと思う。僕らはたまたま音楽をやってたからフェスという形ですけど、みんなそれぞれ得意なものがあると思うから、みんながいろんなところでカミコベ的なものやってほしい。自分たちの暮らすまちに、愛とリスペクトをもってやってくれたら、まちも人も喜ぶし、人がまちになるし。
「満了」と言う表現をした風次さんに「達成感があるんですか?」と聞いてみると、「うわー、ないかも…」と少し考えた後で、こう続けました。
風次さん でも「続ける」っていうことは、結構一番のテーマですね。バンドでも何でもそうで、バンドマンたちには常々「才能があってもなくても、とにかく続けろ」と言っています。続けさえすればある程度の夢って叶うから、そこまでやる覚悟がないんやったらやめとけと。
そう言ってる自分が人より先にやめるわけにはいかない。だからライブハウスもカミコベも続けてきてるんですよね。
上田さん 達成しちゃったらもう終わってしまうかも。だから続けてるんでしょうね。
親父も最初にそこまでしっかり考えて始めたわけではないと思う。2005年に震災10年というきっかけがあっただけ。カミコベは始めてから意味ができてきてる、っていう感じですね。
何かを始めるとき、そこにあるのは何らかのきっかけや初期衝動だけで、理由や意味を考えすぎてしまったら何も始められないかもしれません。上田さんの亡き父である松原さんも、ともにやってきた風次さんも、25歳という若さがあったからこそ「無料でやるフェス」なんて無茶なイベントを始めることができたのではないでしょうか。そして、意味は続けることで生まれる。カミコベは「続けてきたからこそ意味が生まれたイベント」なのです。
震災から30年。変わりゆく神戸の街並みのように、現在25歳の上田さんがカミコベに新たな意味を持たせるべく、「自分たちだからこそ、やるべきこと」を考え続けています。20年走り続けてきた風次さんから、上田さんに引き継ぎたいものがあるとしたら?
風次さん そうですね、まあ、まずは「死なないこと」ですかね…(笑)。
上田さん そうですね、ほんまに「死なない」っていうのは大事ですよね。被災者になったとしても、そのための備えを伝えているカミコベは「死なないためのフェス」です。
わたしたちはいつ被災者になるかわかりません。「そのとき死なないために」まずは自助の術を身につける必要があります。カミコベでは「減災ヴィレッジ」などで防災への意識向上にも力を入れていますが、災害のない平穏な期間が長く続くと、やはりマンネリ化は避けられないもの。上田さんはここに課題感を持っています。「死なない」ことを訴えつつも、フェスなのだからもちろん音楽を楽しんでもらいたい。押し付けではない「楽しめる防災」のありかたは、若い世代である自分たちがトライしていきたい部分だと話します。
運営側も参加者も全員が楽しみながら、「防災」「支援」「音楽」をつないでいけたら、それこそが死なないため、言ってみれば「生きる力」を得ていくフェスになれるということですよね。
お二人の運営するライブハウス「太陽と虎」の前で
生も死も、出会いも別れも再会も、さまざまなことを織り交ぜながら歩んできた20年。毎年“いつのまにか”続いてきたカミコベは、続けることにより、その“意味”が常にアップデートされてきました。それは、決して一人でつくってきたものではありません。自分たちでつくったものがいつしか「みんなのもの」になったとき、数々のストーリーが生まれ、一人ひとりにとっての意味も生まれる。もはやカミコベは、単なる「フェス」を超えた存在になってしまったのです。
始めたから意味が生まれ、その意味によって生かされていく。そうやって、これからもきっと、カミコベは関わる人の数だけストーリーが紡がれていくのです。
そして、25歳の上田さんがカミコベの新たな方向を目指し、模索しています。未来にはどんな「意味」が生まれ、どのような形になっているのか、楽しみでなりません。
(撮影:藤田温)
(編集:村崎恭子)