映画監督 淺雄 望 さん(文学部 2010年 卒業)
学生時代は授業で映画を学ぶ傍ら、映画サークルでの活動や映写技師のアルバイトなど朝から晩まで映画漬けの日々を送ったという淺雄望さん。卒業後もこだわり続ける自身の映画づくりと並行して、有名な監督の作品にも携わってきた。そして今回、映画制作スタッフの一人として母校、関西大学のキャンパスへ戻ってくる日が訪れた。
淺雄 望 さん
自身のメッセージを映像で届ける仕事
幼い頃から両親と映画館へ足を運んだり、テレビで放映される映画に胸を躍らせていたという淺雄さん。自身も映画の道に進みたいと心動かされたのは高校生の時。
「主にSFやアクションといった娯楽作品が好きでよく観ていましたが、進路を決める時期にボスニア・ヘルツェゴビナの紛争を描いた反戦映画『ノー・マンズ・ランド』を観たんです。映画の持つ表現力、観る人にメッセージを訴え掛ける力に改めて感銘を受けました」。
自分の考えや訴えを表現できる映画監督という仕事にあこがれ、自分も撮ってみたいと自然に思うようになった。そんな淺雄さんに両親が勧めてくれたのは関西大学文学部の映像文化専修。映画を学べる! と迷わず受験し、夢への一歩を踏み出した。
大学時代は熱心に授業へ出席して多種多様な映画を鑑賞。先人たちの作品に触れて、そのテーマや作家性などを分析することで、掘り下げて観ることができるようになり、視野も広げられたという。また「文化会映画研究部」と「同好会キネマちゃんねる」を掛け持ちして映画を撮りながら、学外では梅田にあるミニシアターで映写技師のアルバイトをこなし、帰宅後もレンタルビデオ鑑賞、と映画中心の日々を送った。
学生時代のアルバイトは映写技師
やがて卒業後の進路を考える時期がやって来たが、映画会社に就職して助監督を経て監督になる、という約束された道は存在しないと知った。フリーの助監督をしながら、自主制作映画をつくり続ける道を選ぶべきか迷った。
その際、「社会経験が無いまま映画の世界に飛び込んでいいのか?」という疑問が湧いた淺雄さん。「世の中にはいろんな仕事があって、いろんなところで頑張っている人たちがいる。いつか自分が、映画の現場では出会えない人たちの生活を描くときに、何も知らないまま描くのは浅すぎるし、もっと広い視野を持ちたいと思いました」。
そんな思いから、卒業後は映画とは無関係の仕事に就いた。もちろん映画から完全に離れることはなく、平日はサラリーマン、休日は映画の現場でフリーの助監督として活動する二重生活を始めた。
カメラ越しに見た母校の美しさ
大学院修了後にお世話になった監督の一人が大九明子監督。初めて参加したプロの現場で、映画の撮影現場そのものの楽しさを体感した。創意工夫によって映画がどんどん面白くなっていく過程を肌で感じたことで、やはり自分の監督作品を撮りたいという気持ちが強くなった。
以降、大九監督には何度も声を掛けてもらい、今回も監督が手掛けた作品のメイキング監督を任されることになった。
その映画は4月25日公開、関西大学を舞台にした『今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は』。同じく関西大学出身、ジャルジャル福徳秀介さんの小説家デビュー作品の映画化となる。ロケ地はもちろん関西大学のキャンパスや周辺地域だ。
今回、淺雄さんはメイキング監督として参加し、監督と役者たちのやり取りなど撮影の裏側の様子をカメラに収める役割を務めた。「映画のスタッフとしてキャンパスに戻って来られるとは全く想像していなかった。なんだか誇らしい気持ちがあって、エキストラ出演された先生方に「私、卒業生です!」ってやたらとアピールしてしまいました(笑)」。
自分が毎日のように通った場所、あんなに見慣れた風景も、カメラ越しに見るとすべてが新鮮に感じられた。一列に並ぶ部活動の看板や正門前の風景、学生たちの混沌とした雰囲気まで、普段見ていた景色とは少し違う。美しい映像に仕上がった本編は胸に来るものがあったという。
「在学生の方々にとっても、卒業生の方々にとっても、よく知っている場所が映画の舞台となってスクリーンで観られるのは貴重な体験だと思います。ぜひ劇場で、その優越感に浸りながら(笑)楽しんでもらいたいですね」。
マイノリティにもスポットを当てて
助監督などスタッフとして多くの作品に携わっている淺雄さんだが、自身が手掛けた監督作品も既に世に送り出している。短編、中編作品の他、初長編映画『ミューズは溺れない』では、新人監督の登竜門とされている二つの映画祭でグランプリに輝いた他、観客賞など計6冠を獲得し大きな支持を得た。
この作品の主人公は、恋愛感情が分からない女の子だ。撮影前には周囲から「そんな子はいない「」感情移入できないのでは」と指摘された人物像。恋愛をしたことが無い、恋愛に興味が無い、恋愛をすることに怖気づく子などこの世にいないとの意見を聞き、逆に「これは撮らないと!」と奮い立った。
そして完成した映画が公開されると、「主人公の気持ちが分かります」という声がたくさん届いたそう。「私は社会の中でいないものとされている人たちに、ちゃんとスポットが当たる映画を撮りたい。自分が気付けなかった人の悩みや苦しみにも、できる限り寄り添いながら、描いていきたいです」。
淺雄さんの初長編映画『ミューズは溺れない』の撮影風景
いつか出身地への思いを込めた反戦映画を
さらに将来いつか撮りたいと心に決めているのは反戦を訴える映画。思い返せば映画監督を目指したきっかけも反戦映画だった。そして何より自身が原爆を投下された街・広島の出身で、戦争の記憶を語ってくれる方が身近にいる環境で育ったことも大きいと話す。「自分がメッセージを発する立場になれたのなら、広島のことは避けて通れない。いつか反戦のメッセージを届けられる作品をつくれたら本望です」。
また映画監督などを目指して映像業界を選んだ人たちが、「この業界に入ってよかった」と思えるような環境を、業界全体が作っていくべきではないか、と話す。「労働環境やハラスメントの問題、マイノリティ表象に関する課題なども、現場単位でなく業界全体 で改善を図っていけたら。良い作品をつくるためにも、一人一人がより気持ち良く仕事ができるよう、みんなが声を上げやすい環境づくりを心掛けていきたい」。映像業界の発展にも夢は膨らむ。
最後に後輩たちへ力強いエールを送る。「私はずっと、君には映画の才能が無いからあきらめた方がいい、と言われ続けてきました。でも、あきらめられずに続けていたら、時間はかかったけど映画も撮れたし、今は新人ながら『監督です』と言えるようになりました。『才能が無い』なんて他人の言葉はただの言葉。映画づくりを目指す人も、他のことを目指す人も、他人のそういった言葉に左右されないでほしい。本当にやりたい気持ちがあるなら、挑戦してもいい。続けていれば、きっと何かにつながります」。
出典:関西大学ニューズレター『Reed』80号(3月21日発行)
淺雄 望 ─ あさお のぞみ1987年、広島県生まれ。関西大学文学部を卒業後、立教大学大学院を修了。関西大学在学中に映写技師のアルバイトをしながら映画づくりを開始し、卒業後は助監督などで映画やCM、テレビドラマの現場にも携わる。監督作品には『怪獣失格』、『躍りだすからだ』、WOWOW『ああ、ラブホテル ~秘密~』第三話などがあり、初長編映画『ミューズは溺れない』は、TAMA NEW WAVE、田辺・弁慶映画祭の両映画祭でグランプリに輝いた他、観客賞など計6冠を獲得した。
関連リンク
関西大学ニューズレター『Reed』80号(PDF版)