【コラム】BARKS烏丸哲也の音楽業界裏話046「サイレントマジョリティ」

前回のコラム045で、近い将来<LuckyFes>にAIが登場したらどういう世界線が描かれるのだろうか…という妄想話を書いたのだけれど、実際に3日間の<LuckyFes’25>を体験したことで、その感覚は大きくズレていたと悟った。

実際のところ人間は、サイレントマジョリティという言語化されていない暗黙のルールやモラルによって、地域社会や共同性を保ちコミュニティを保ってきた。人間社会を支えているのは、法律や制度といった明文化されたルール以上に、「言わずとも皆が従っている慣習」や「空気を読む感覚」だ。これが人としての最も基本的な規範意識なのだけど、サイレントがゆえにネット上には可視化されずデータとして残りにくい。AIが学習しにくいのは、むしろ多数派の「普通の感覚」だ。

ネット上に顕在化した少数派や極端な意見が学習され、それが「社会全体の意見」と誤認してしまうリスクはないのか。学習データに基づいた合理的な提案や判断が「理屈としては正しいが、場の空気や文化的文脈にそぐわない」可能性も出てくる。人間社会の現実は「非言語的な規範による暗黙の了解」で動いているというのに。

そもそもサイレントマジョリティは、地域ごとの歴史や生活習慣に根ざしている。グローバルなデータから導いた「標準解」は、なんの意味も持たない可能性が高い。そしてこの「暗黙の規範を拾えない」という構造は、音楽文化における生成AIにも直結する。

生成AIは「過去の傑作の要素」を再構築する。しかし、音楽文化を動かしてきたのはデータではなく「その時代を生きた人々の空気」だ。「時代のざわめき」や「世代の傷跡」「言えない想いを分かち合う沈黙」…それらが音楽の響きに染み込み、人々に「自分たちの歌だ」という文化として機能してきた。何故ブルーズが生まれたのか。ヒップホップの意味は? なぜベトナム戦争終結10年後に「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」(ブルース・スプリングスティーン)ができたのか。Nickelbackの「How You Remind Me」がヒットした背景にあったアメリカ同時多発テロの悲劇…、ひとつひとつの曲に明文化されていないストーリーがある。それがアートだ。

<LuckyFes’25>が生み出す空気が素晴らしかったのは、アーティストのパフォーマンスと多種多様なフレンズたちが醸し出す「現場」の文化が素晴らしかったからだと実感した。音楽文化は「現場」によって育まれる。音に包まれた時の一体感、拍手のタイミング、沈黙に包まれる緊張感、予定調和を破るMCの一言で数万人を引き付けるとてつもないエネルギー…言語化されない共有体験が文化醸成の核だ。多幸感に包まれた人はみな優しくなる。それを引き出したのがアーティストの存在だ。でもそれは言語化されていない。ネットで情報を漁ろうとも、現地に行かないと何も分からない。

音楽は、ただ聴きやすければいいものではない。むしろ我々は、少し不格好で、時に違和感のあるものを受け入れながら文化を紡いできた。「違和感」「不完全さ」「意外性」「心地よい裏切り」…空気振動を音楽として知覚する脳はそのような刺激に敏感だ。生成AIは「ニーズに最適化した楽曲」をいくらでも作りだすけれど、サイレントマジョリティが受け入れてきた微妙なズレや挑戦が文化を発展させたとするならば、均質化を進めるAIによって、音楽は背景ノイズのように消費され文化的活力を失う可能性もある。

いま必要なのは「AIに音楽を作らせないこと」ではなく、「人々が音楽文化をどう守るか」を問い直すことだ。サイレントマジョリティという沈黙の声が文化を育み、その場を天国にする。そんなかけがえのないフェス体験は、これからの人間社会にとって欠かせないものになると直感した。

文◎BARKS 烏丸哲也

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