この作品は、史実がどうとか映像がどうとか言う作品ではなく、あくまでもフィクションで、駆逐艦はただの舞台装置である。
ヒューマンドラマがメインというのは理解できるのだが、それにしても「まぬけ」に描かれている
戦闘シーンは引きの映像が無く、何をしているのかわからない。誰か、図で解説して欲しい。
そんな作品なので間違っていることもあるし、記憶違いがあるかも知れないが、気になったことを書く。
・護衛していた輸送船が敵から雷撃を受けた後のシーンで、雪風は敵の潜水艦を追いかけ、爆雷を投下するのだが外してしまう。
問題はこの後で雪風は、敵から魚雷を撃たれ回避行動を取る。その後、ソナー手と思われる人物が敵の潜水艦は作戦海域を離脱しましたと報告し、戦闘が終了する。
作戦海域から離れたからと言って、ゲーム等でば無いのだから、戦闘が終了するわけでは無いはずでしょう。
好意的に受け入れば、護衛すべき船団と離れすぎたから、潜水艦を追うのを止めたのだろうか。
それにソナー手がそこまで敵の潜水艦の位置を補足しているのに、敵の潜水艦が魚雷を撃てるだけの距離で、明後日の方向に爆雷を投下しているのが「まぬけ」である。
爆雷を外すシーンってのは珍しくないが、いくらでも他の描き方ができたはずである。
ここのシーンは、詳しくない人が見ても、艦長は周囲の人達に、速力が出ませんと反対されているのにも関わらず、
敵の潜水艦を取り逃がすどころか、自船を危険に晒した「まぬけ」なシーンに映るだけでこの場面は必要だったのでしょうか?
・雪風は通信機を破壊され、他の船と連絡ができない為に孤立してしまうシーンは、そもそも雪風が後続艦に通信ができない事を伝えればいいだけなのに、
艦長達は通信機が使えない事を知ってるにも関わらず、何もしないのである。他船との連絡手段は他にもある。信号旗を使う方法や手旗信号など。
そもそもこの映画の再序盤に、発光信号器を使っていたというのに使わないのである。それは余りにも「まぬけ」である。
それに晴れた昼間で、先頭を進んでいたからと言って、味方の大艦隊が完全にいなくなるまで、本来であれば、二百人余り乗っているはずの乗員達が誰も気づかない。何をしていたのかと疑問に思う「まぬけ」なシーンであった。
さらには、レーダーで敵を発見したしましたと報告を受けて、双眼鏡を覗くとなんと上から下までクッキリ見える空母の姿が見える。晴れた昼間にも関わらず、見張り員はどこを見ていたのでしょうか。
『YUKIKAZE』には実は、十数人しか乗員していなかったという設定なのかも知れないが、なんともお粗末な「まぬけ」である。
・不発弾を処理するシーンでは、艦長が男気を見せて現場から避難しないのであるが、他の人物達も雁首を揃えて見守っているのである。
せめて艦長と責任者の数名だけ残っていれば、いつ爆発するかもしれないという緊張感が増したであろうに。
それにせっかく5分をカウントするのに、一瞬で時間が過ぎてしまう。まさしく「間が抜けて」しまっている。
雪風は台風で沈没したとナレーションで言われていたが、本来であれば台風で損傷した為に解体されたはずである。
なんとも、演出でも脚本でも「まぬけ」である。
こんな「まぬけ」な船でも生き残れたのだから『YUKIKAZE』は幸運艦であるというのだけは、誰の目から見ても疑いよう無いであろう。
戦闘シーンを描かないのか、それとも描けないのかは知らないが。有能な人物達を「まぬけ」にするなら、「雪風」である必要では無かったはずである。
あくまでも丹陽のシーンもほぼ無いなら、その全てが架空の船「弱風」という設定で、救助シーンだけで映画を作ればいいのにと思わずにはいられない。
興業としてネームバリューのある「雪風」が必要だったのかもしれない。だとしたら一番の大「マヌケ」はそれに釣られて見に来る人達だろうか。
最後にこの作品は、『戦後80年』を強調していた。この『戦後80年』は、残念ながら元乗員の方々のほとんどが亡くられてしまっている。なので、好き放題描いても、元文句を言われはしない。『戦後80年』というのはそんな意味なのであろうか?