公開日時 2025年08月15日 05:00

映画評「木の上の軍隊」 画期的も物足りなさ 住民犠牲、責任向き合わず
映画「木の上の軍隊」の一場面〓(○の中にC)〓2025「木の上の軍隊」製作委員会

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琉球新報朝刊

 映画「木の上の軍隊」の全国公開が7月25日から始まった。平一紘監督をはじめウチナーンチュが県外の人々と力を合わせ、これだけの沖縄戦映画を作り上げたことは画期的であり、とても誇らしい。それゆえに「ウチナーンチュの視点」を期待して本作を見た時、少し物足りない点があったことも確かだ。
 「木の上の軍隊」は、こまつ座による舞台がベースとなっている。映画版の特徴の一つは、沖縄出身の新兵・安慶名セイジュン(山田裕貴)と県外出身の上官・山下一雄(堤真一)が木の上に避難するまでの過程が描かれていることだ。その中で、多くの住民が巻き込まれ犠牲になった沖縄戦の様子が少し描かれているのは評価したい(まだ足りないとは思うが)。
 1月17日付本紙に掲載された平監督のインタビューによると、本作は「戦争による集団的な価値観の変化」が物語の根幹になっているという。木の上に隠れ、ひたすら援軍を待っていた山下は、あることをきっかけに終戦を知らされ、激しい葛藤の末に受け入れる。典型的な軍人だった山下が一人の父親に戻るまでが劇的に描かれる。
 だが戦闘の責任者である山下が、多くの住民の犠牲を生んだことに向き合う場面はない。地元出身の安慶名が自分だけ生き残ったことに苦悩する場面があるが、責任を感じてほしいのはむしろ山下の方なのだ(あくまで作品の話であり、モデルとなった方を責めているわけではない)。
 映画で描かれる限られた時間でそこまで意識が変わるのは現実的ではないかもしれない。ただ、山下が戦後、住民の犠牲に向き合うのではないかと示唆する何かがあってもよかったのではないか。それがないまま、山下と安慶名が「分かり合えない関係性を乗り越えた」とも受け取れる感動的なラストシーンに至ることに、少しもやっとするのだ。
 本作が沖縄戦の実相を描くことだけを重視しているわけではないのは承知している。それでも、映画を見た全国の人々が沖縄戦に、そして沖縄戦と地続きの問題に関心を持つきっかけになってほしいと願っている。
 公式パンフレットで、シネマラボ突貫小僧の平良竜次さんは「私たち戦後生まれのウチナーンチュにとって、この作品は『沖縄戦を語るスタート地点』」と評価している。平監督の活躍に期待すると同時に、表現者だけに役目を負わせてはいけないとも思う。私たち一人一人が、それぞれのできる範囲で沖縄戦を語っていこうではないか。
(伊佐尚記)

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