『千代田の大奥』より「千代田大奥 御花見」 楊洲周延筆 明治27年(1894) 東京国立博物館蔵 ※会期中、展示替えがあります
(ライター、構成作家:川岸 徹)
江戸時代、江戸城(現在の皇居)に存在した「大奥」。その歴史と文化を紹介する特別展「江戸☆大奥」が東京国立博物館で開幕した。
大奥の真の姿をひも解く
徳川将軍家の血筋を守るという使命のもと、将軍の妻である御台所(正室)や側室、その生活を支える女中たちが暮らした空間「大奥」。男性は将軍と御典医(医師)を除いて立ち入りを許可されず、女性も壁書や女中法度など厳格な規則に縛られ、社会と隔離された生活を送り続けた。
情報が遮断され、閉ざされた世界である大奥。それゆえに人々は想像を膨らませ、頭の中に“大奥のイメージ像”を作り上げた。大奥の世界は江戸時代からこれまで幾度となく娯楽小説や芝居、ドラマ、映画などで描かれてきたが、それはあくまで空想によるところが大きい。では、本当の大奥とはどのような世界だったのか。
その謎をひも解く展覧会が特別展「江戸☆大奥」だ。遺された歴史資料やゆかりの品々によって、大奥の真の姿を探求していく内容。女性たちが身に着けた衣装や愛用品も見ごたえがあるが、何より大奥の隠された史実が浮かび上がり、謎が解けていく時間が楽しい。
大奥の誕生と成り立ち
春日局坐像 江戸時代 17世紀 京都・麟祥院(京都市)蔵
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現在の皇居、すなわち当時の江戸城の本丸、二の丸、西の丸に存在した大奥。その礎を築いたと伝えられているのが春日局(斎藤福)だ。春日局は三代将軍・徳川家光の乳母で、家光が将軍に就任すると同時に側室、側妾らを大奥に受け入れ、さらに御台所(正室)、側室、女中の序列を整えた。女性たちを囲いこむことで、将軍家に徳川家以外の血が入り込まないようにしたのである。
《江戸城本丸大奥総地図》(江戸時代 19世紀の制作)の展示から、大奥の構造を知ることができる。大奥の様子が細かく書き込まれた間取り図で、御台所(正室)が暮らした御殿向は黄色、男性の役人が入室できた広敷向は橙色、女中たちが居住した長局向は赤色と色分けされているのが分かりやすい。将軍が大奥に入る時に鈴が鳴らされたことから「御鈴廊下」と呼ばれる通路も記載されている。