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14歳のときに兄・柏原崇さんの「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」の本選会でスカウトされて芸能界デビューした柏原収史さん。映画「スリ」(黒木和雄監督)、映画「月の砂漠」(青山真治監督)、「大病院占拠」(日本テレビ系)などに出演。ロックバンド、舞台演出、アイドルグループのプロデュースなど幅広い分野で活動。2019年には、東日本大震災の復興支援活動をきっかけに、浅草に苺スイーツの専門店「浅草苺座」を開店し、実業家としても話題に。東日本大震災から10年後の福島を描いた映画「こんな事があった」(松井良彦監督)が9月13日(土)に公開される柏原収史さんにインタビュー。(この記事は全3回の前編)

■人気ラーメン店に行きたくてオーディションに?

山梨県甲府市で生まれ育った柏原さんは、小さい頃から漫画を描くことが好きで、将来

は漫画家になりたいと思っていたという。

「小さい頃は本当に地味な普通の子どもという感じでした。特に目立つような子でもなく、

『将来の夢は?』って聞かれたら『漫画家になりたいです』とは言っていました。中学3年ぐらいまで人前に出るのもすごい苦手でした。恥ずかしがり屋で」

――お兄さんの柏原崇さんは芸能界志望だったのですか?

「いいえ、全然です。兄貴は僕よりもっと人前に出るのを嫌がるタイプです。一生懸命勉強して学校の先生になると言っていたので。父親がずっと自営業だったので、『公務員になれ』って昔から叩き込まれていたんですよね。

それなのに、たまたま僕が中3で兄貴が高2のときに僕の友だちのお母さんが『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』に黙って応募して写真審査を通過して本選会にという通知が家に来て、それを知った兄貴が『何だ?これ』って激怒していました」

――最終的に行くことに?

「はい。本選会も行かないって言っていたんです。そんな恥ずかしいところに行きたくないし…みたいな感じで。しかも期末テストの時期だったから『絶対に行かない。テストのほうが大事だし』って言っていたんですけど、たまたま日にちが休みの日に当たったんですよ。

兄貴は『絶対いやだ。人前に立つなんていやだ』って言っていたんですけど、母親としては『行かせたい。チャレンジさせたい』と思っていて。

当時、テレビで『行列ができるラーメン屋』というのが走りであって。それで僕と兄貴が八王子にある『みんみん』というラーメン屋に行列ができていて美味しいとテレビで見て『ここに行きたいね』って話していたんですよ。

それで、母親が『本選会に行くんだったら途中に八王子があるから、“みんみん”に寄ってあげるよ』って言ったので、兄貴が『えっ?』ってなって(笑)。『僕も行きたい』って行くことに。本当にふざけ半分で行ったみたいな感じでしたね。行きにラーメンを食べたので、本選会では兄貴はふざけていました。

正直に言うと、『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』で何か賞を獲ると、それが芸能界への道ということすら知らなかったんです。まだ6回目だったので、イケメンコンテストみたいなイメージでした。

それで、受賞者は賞金とハワイ旅行、車1台もらえるとか…そんな時代だったんですよ。今はわからないですけど、万が一優勝したら50万円もらえるし…とか、そんなことでしかなかったというか。兄貴は結局グランプリになったんですけど、全然夢にも思ってなかったです。『兄貴ってカッコいいんだ、世間的には』ってそのとき初めて知ったというか(笑)」

――地元でイケメン兄弟と言われていたのでは?

「全然です。なので、『何で僕の友だちのお母さんは兄貴を応募したんだろう?』って不思議でした。でも、本選会まで残ったと聞いて『兄貴ってカッコ良く見えるのか、みんなには』みたいな(笑)」

――そのときにスカウトされたのですか?

「そうです。当時は『ジュノン〜』の応募年齢が15歳以上だったんですよ。兄貴を推薦したおばさんは、本当は兄貴と僕の2人を応募しようとしたみたいですけど、年齢制限があったのでダメで。

僕は普通に兄貴に付いて行っていたら、たまたま隣にいらっしゃった方がトライストーンのマネジャーさんで。トライストーンがまだできたばかりで、『良かったら弟さんどうですか?』って母親に言っていたらしいです。僕は知らなかったんですけど」

――スカウトされたことを聞いた時はどう思いました?

「何のことかわからなかったです。何をするのかもわからないし。ただ、僕はその当時ちょうどバンドを始めた頃だったんですよ。まさかプロになれるとは思っていなかったけど、すごくハマっていたので、音楽の道に進む可能性がちょっとでもあるならやってみたいなって思いました」

■高校卒業後、上京して俳優業だけでなく念願のバンドデビューも

スカウトされた翌年、1994年、柏原さんはドラマ「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」(TBS系)でデビューすることに。

「『ドラマのオーディションがあるんだけど、行かない?』って言われて、単純に『東京に遊びに行けるんだ』と思って最初に受けたドラマのオーディションでクラスのひとり、レギュラーエキストラみたいな役で取ってくれて。

それが終わったらやめるものだと思っていたんですけど、そのマネジャーさんが次に『映画のオーディションに行かない?』というので行ったら決まって。最初の頃がたまたま運が良くて受かったんですよ。それで、気がついたらヌルッと入っていたという感じでした」

――撮影には山梨から通っていたのですか?

「はい、東京に泊まることもありましたけど、基本的には山梨から東京には『特急あずさ』で通っていました。高校1年生の7月にデビューしたので、3年間は本当に通いまくっていたという感じでした。

だから、そこを支えてくれたのは母親でした。駅まで送ってくれたり、迎えに来てもらったり…というのは本当に大変だっただろうなって思います」

――俳優の仕事を始めたことに対して、お母さまは?

「喜んでいました。そんなに長続きするものだとは思っていなかったかもしれないですけど、息子たちが出ているドラマとか映画を見るのはやっぱりうれしいって言っていました」

――デビューはどちらが早かったのですか?

「それが全く同時なんですよ。1994年の7月期のドラマで2人ともデビューしたので。第1話の放送でいったら僕のほうが2、3日早かったですね。でも、それが仕事という認識もなかったというか(笑)。

それが仕事となり、お金がもらえるものだとも思ってなかったので、何本かやってから契約みたいな話になって。交通費とかも出しますと言ってくれて。月々いくら出しますという話になったら、うちの母親が、『高校生にそんなにあげないでください』って言ったんですよ。母親に値下げされました(笑)。

高校生であまりお金を持っていたらおかしくなっちゃうからって。でも、今振り返れば、新人でレギュラーエキストラとかで、しかも甲府からなので交通費が結構かかるから利益なんかないだろうに、よく投資をしてくれたなと感謝しています」

高校卒業後、柏原さんは上京して一人暮らしを始め、本格的に仕事をすることに。

「僕はひとり暮らしがめちゃくちゃしたかったのでうれしかったです。うちは母親が『早く寝なさい』とか、『宿題したのか』って、愛情ですけど厳しかったので、自分の好きな時間に起きて、自分の好きな時間に寝て、出かけるのも帰って来るのも自由というのはすごく楽しかったですね。バンドもやっていましたし」

――お兄さまとのバンドや『チュートリアル』の徳井義実さんともバンドを組んでいますが、バンド活動を公的に始めたのはいつ頃からですか?

「友だちとアマチュアで始めたのは中学からで、高校を卒業して東京に出てきて仕事を始めてから兄貴が結構ワーッと出たので、歌を出さないかみたいな話があったんですね。『収史もいずれやろうな』って言って下さって。

ちょうど福山(雅治)さんが出始めた頃だったので、そういうスタイルというか、爽やかなポップスを歌って…みたいな感じで兄貴が打診されていたんですけど、そういうのもちょっと恥ずかしいからいやだって言っていたんですよ。

それで、僕が東京に出て来て、学生時代に組んでいたバンドは解散していたので、東京で誰かメンバーいないかなと思って探していた時に、最初に兄貴とやっていたバンドのドラムの人と会うんですよ。

その人は、いろんな重鎮ともやっている人で、年齢も一回り以上上だったんですけど、いわゆるプロのミュージシャン。『プロのミュージシャンと知り合えた」ってすごいうれしくて。その人のスタジオに通ってセッションしたりして、それが楽しくて楽しくて(笑)。

それで兄貴が『何か収史、最近楽しそうだな』って言うから『兄貴も遊びに来てみる?』って言ったら兄貴も楽しいってなって。ボーカルがいないということで、うちの兄貴がフォーライフさんに『収史と一緒のバンドならやります』って言ったんですよ。

それでベースを見つけて、4人でバンドとしてデビューしましょうという流れになり、それが『No’where』というバンド。僕が19歳の時で、いわゆるメジャーとしては初めてでした」

――柏原さんとしてはバンド活動をメインにと考えていたのですか

「そうですね。『No’where』でデビューしたときに『やったー!俺、プロミュージシャンになれたんだ』みたいな舞い上がりがあって(笑)。僕は自分のことは『ロッカーだ』と言っていて、マネジャーは『はい、はい。わかった、わかった』みたいな感じだったんですけど。

それで、20歳の頃に勝手に金髪に染めて、マネジャーに『俺、ロックで行く。バンドで行くから』って言ったら『何をやっているの?』みたいになって(笑)。

今でこそ金髪のミュージシャンは珍しくないですけど、当時真っキンキンの金髪って『globe』のKEIKOさんとHYDEさんしかいなかったんですよ。僕はそのお二人が大好きだったので金髪にしたんですけど、役者としてはキャスティングが難しくなる。役が固定されちゃいますよね。そう言われました」

■金髪でイキがっていたとき「君はそのままでいいんだよ」って…

2000年、映画「スリ」に出演。この作品は、かつては伝説のスリだったが、酒に溺れてかつてのテクニックを失った初老のスリ・海藤(原田芳雄)と彼を取り巻く人々を描いたもの。柏原さんは、海藤に弟子入りする若者・一樹役を演じた。

「金髪でイキがっていたさなかだったんですけど、黒木監督が会ってくれるということになって。『会うのはいいけど、髪は黒に染めないよ、俺は』って思っていたんですけど、お会いしたら監督がずっとニコニコされていて、『君はそのままでいいんだよ。その金髪のまでいいから』って言ってくださって」

――原田芳雄さん演じる主人公との師弟関係の雰囲気も合っていて良かったですね

「ありがとうございます。でも、僕が今までで一番適当にやっていた作品だったんです、本当に。セリフも現場で、その場で覚えるみたいな感じで。監督は、僕が適当にワーッとやっても『うん、OK、OK』って言うから『本当にOKですか?』みたいな感じでしたけど(笑)。

今考えたら、原田芳雄さん、石橋蓮司さん、風吹ジュンさん、平田満さんなど重鎮がバーッと並んでいる中で、ほぼ新人みたいな僕が真面目にやっていたら、緊張で胃もやられていただろうなと思いながら」

――撮影現場での原田さんはどんな感じでした?

「芳雄さんが現場に行ったら監督といろいろ話し合って、その日のシーンを結構書き換えるんですよ。それもあって覚えていかなかったというのは結構あるんですけど。

『今日のこのセリフ、こういう風にしたからこれでやってみてくれ』みたいな感じで。芳雄さんと監督が話し合って…という感じなので、今思えば本当に1シーン、1シーン、1カット、1カット、全て出来ることはなさっていたんだなって思います。カッコいいですよね。

それで、しゃべったら優しいし、冗談を言ったりもしてくれるし…みたいな。

その後も芳雄さんの家で有名な餅つき大会があるじゃないですか。あれにも何年か参加させてもらっていました。芳雄さんの息子さん、原田喧太さんには今でも音楽系で可愛がってもらっていますし」

――スリに弟子入りするという設定でしたが大変でした?

「スリの練習をするんですけど、もちろん本物のスリには教われないので、プロのマジシャンの北見マキさんという方に教わりました。3カ月ぐらい弟子入りじゃないですけど、マジックの手先の動きとか教わって。『おそらくスリの人はこういう風にやっているんだろう』という手ほどきを受けたというか。

クルミを二つ持たされて、手の中でずっと二つが当たらないようにグルグル回すという練習をするんですよ。それが器用になる練習みたいで、最初はぶつかるんですけど、気が付いたらスムーズにいくようになったらうれしいし、楽しかったですね。

そのときにカードマジックも結構覚えさせてもらったので、たまに酔っぱらったらやったりしています(笑)。年末の忘年会とかで」

――プロのマジシャンになれると言われたそうですね

「そういう風におっしゃってくださって。僕も好きだったし、マジックにも興味があったのでうれしかったです。役者というのは、いろんなことを覚えられるのがいいなあって思いました」

――柏原さんは、この作品で日本映画批評家大賞新人賞を受賞されました

「それまで演技レッスンもして、真面目にいろいろやっても『違う!違う!そうじゃない』って怒られていたのに、『一番適当にやった作品で賞がもらえるって何なんだろう?この仕事は』って思って。その辺からだんだん『芝居って楽しいのかな?』みたいな感じになったんですよね。

賞にこだわっているということは一切ないんですけど、賞をもらって評価されたんだなっていうのと、あと、その辺からオファーがありがたいことに増えたのもあるんじゃないかなと思います」

2004年に映画「オーバードライヴ」(筒井武文監督)、2006年には映画「カミュなんて知らない」(柳町光男監督)、映画「ドリフト」(神野太監督)、映画「ドリフト2」(神野太監督)など主演作品も続いていく。次回は撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

※柏原収史(かしわばら・しゅうじ)プロフィル

1978年12月23日生まれ。山梨県出身。1994年、ドラマ「人間・失格〜たとえばぼくが死んだら」で芸能界デビュー。「ねらわれた学園」(テレビ東京系)、連続テレビ小説「てっぱん」(NHK)、「Re:リベンジ-欲望の果てに-」(フジテレビ系)、映画「どこに行くの?」」(松井良彦監督)、映画「おまえの罪を自白しろ」(水田伸生監督)などに出演。ミュージシャン、アイドルのプロデュース、舞台演出、苺スイーツの専門店「浅草苺座」を開店するなど幅広い分野で活躍。9月13日(土)に映画「こんな事があった」の公開が控えている。

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