映画のワンシーン

今年のロカルノ国際映画祭では、 ルーマニアのラドゥ・ジュデ監督がコンペティションに復帰する。上映作品では小説「吸血鬼ドラキュラ」を不条理なコメディに翻案している

SagaFilm, Nabis Filmgroup, PTD, Samsa, MicroFilm

笑いたければ笑ってかまわない。ただし自己責任で――。スイスで最も権威ある国際映画祭、ロカルノ国際映画祭(8月5〜16日)がきょう、開幕した。上映プログラムからは、世界の生々しい現実を見つめようという狙いが感じられる。そのために選んだのは、観衆を憂鬱の淵に誘うのではなく、コメディ作品を通じてその感性に訴えかけるという方法だ。

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2025/08/05 09:00

Simantob Eduardo

SWI swissinfo.chの文化報道を担当。ポルトガル語編集部のオンラインエディター。記者、編集者、美術・映画評論家。フリーランスとのコラボレーションもコーディネートする。
ブラジルのサンパウロで生まれ、映画と経済学を学んだ後、ジャーナリズムでキャリア(記者、編集者、国際特派員)を積み、ドキュメンタリー映画の開発者、プロデューサー、ビジュアル・アート(美術出版、キュレーター)に転じた。2017年にSWI swissinfo.chに入社し、この幅広い経験を文化部のコーディネーションに生かしている。

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紛争や人道危機、戦争犯罪、命懸けで国境を越える移民、社会崩壊……増えるばかりの問題に対し、芸術、とりわけ映画は、どう向き合えるのだろうか。ロカルノ国際映画祭のジオナ・ナザロ芸術監督は今年、世界が抱える病理への最も文明的な姿勢と呼びうる賭けに出た。世の流れに反し、主要コンペティションの上映作品17本中6本をコメディ要素の強い作品にしたのだ。ただし、その多くは単純な笑いではなく、より暗く、より不条理で常識や規範に反したユーモアを提供する。

今年のロカルノは、主要コンペティションの作品以外もコメディや風刺、世界への皮肉に満ちている。たとえば、主賓は誰あろうジャッキー・チェン氏。ナザロ氏が喜劇王バスター・キートンになぞらえている人物だ。チェン氏は50年余りのキャリアを誇るまさに名優、名監督であり、物語と笑い、娯楽、アクション、武術をあらゆる作品で見事に融合させてきた。

香港の俳優ジャッキー・チェン氏

香港の俳優ジャッキー・チェン氏。スイスと中国が外交関係樹立75周年を迎えた今年のロカルノ国際映画祭に主賓として出席する

Invision

ただし、コメディを重視したナザロ氏の作品選びは、笑いによって悲劇を他の何かに見せるよう意図したものではない。ガザ、ウクライナ、スーダン、イランをはじめとする現実世界の無数の恐怖は、映画祭のエッセンスとして確かに存在する。ロカルノは人道危機になすすべのない現状において映画は意義を持ちうるのだと信じ、こうして繊細にバランスを取りながら、その信念に賭けている。

戦争もテーマに

たとえば、西側世界はロシアのウクライナ侵攻を非難する姿勢でおおむね一致しているが、上映プログラムにはロシア映画どころかウクライナ映画さえ見当たらない。そして、その不在こそが際立って感じられる。一方、ガザでの戦争ははっきり取り上げられている。今年のロカルノ映画祭が向き合おうとしている話題の中で、これが最も論争を呼ぶテーマだろう。

パレスチナ問題をめぐっては2024年、ノルウェー・パレスチナ合作映画「ノー・アザー・ランド 故郷は他にない」が独ベルリン映画祭最優秀ドキュメンタリー賞と米アカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を獲得した。パレスチナとイスラエルの青年らが共同監督を務めた作品だ。そして、この受賞を機にイスラエルの政府やメディアから激しい非難が湧き起こった。さらに、反ユダヤ主義とイスラエル国家批判をいまだに区別できない政治家やメディアを抱える欧米からも、イスラエル支持者が非難の輪に加わった。

ロカルノはこうした逆風に怯むことなく、主要コンペティションの上映作品を選定した。カマル・アルジャファリ監督の「With Hasan in Gaza(仮訳:ガザにてハッサンと)」はパレスチナの長編作品で、アッバス・ファデル監督の「Tales of the Wounded Land(仮訳:傷ついた土地の物語)」はレバノン映画だ。さらにナザロ氏は、エラン・コリリン監督のイスラエル映画「Some Notes on the Current Situation(仮訳:現状について伝えておくこと)」も上映作品に選んでいる。プレミア作品ではないためコンペティションからは外れるが、コリリン作品が選ばれた意義はどれほど強調してもしきれない。

イスラエル映画「Notes on the Current Situation」のワンシーン

狂熱に走る社会に人間性を求め、一人叫ぶ。イスラエル映画「Notes on the Current Situation」より

Dani Schneur

コリリン氏が世に出した作品外部リンクはまだ5本だが、内容の濃さはすでに相当なものだ。2007年のドラマ映画「迷子の警察音楽隊」ではアラブ・ユダヤ間の緊張を甘苦くも前向きな雰囲気で描いたが、2作目から批判的な姿勢が強まりだした。これを受け、イスラエルメディアでは評論家らが同氏を国家反逆者外部リンクと見なすべきかどうかを議論している。

若手監督の台頭

ルーマニアのラドゥ・ジュデ監督はベルリンなど欧州主要都市の多くで称賛を浴び、最近では米芸術史アートフォーラム外部リンクでも高く評価されている。ジュデ氏はロカルノの常連で、2023年には実験的な大作「世界の終わりにはあまり期待しないで」で映画愛好家たちを魅了。2024年の出品は短編2本と控えめながらも、観客に不条理な笑いを提供した。今年は主要コンペティションに復帰し、野心的かつドラマチックなコメディを披露する。怪奇小説「吸血鬼ドラキュラ」をわざわざ低俗につくり直したような作風で、3時間の超長編だ(余談だが、同氏はトランシルバニアの生まれで、ドラキュラ伯爵とは同郷にあたる)。

ルーマニア流のユーモアは、イヴァナ・ムラデノヴィッチ外部リンク監督の「Sorella in Clausura(仮訳:修道院のシスターたち)」でも披露される。同国には首都ブカレストを中心とする小さいながらも若く活発な映画コミュニティーがあり、ジュデ氏が兄のような、導き手のような存在となっている。「Sorella in Clausura」が上映されるのは、そうした作り手たちをロカルノが認めているからこそだ。

最優秀作品賞の「金豹(ひょう)賞」を巡る競争では、ムラデノヴィッチ氏や日本の三宅唱監督、ドイツのユリアン・ラドルマイヤー監督といった若き才能が胸が躍る台頭を見せ、先達たちに挑もうとしている。若手以外では、ジュデ氏のほか、チュニジア系フランス人のアブデラティフ・ケシシュ監督による「Mektoub, my Love: Canto Due(仮訳:メクトゥブ、我が愛――第2歌)」、英国のベン・リヴァース監督による「Mare’s Nest(仮訳:大混乱)」、ジャンリュック・ゴダール監督晩年の右腕だったスイスのファブリス・アラーニョ監督による「The Lake(仮訳:湖)」が主要コンペティションで上映される。

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2024/11/13

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ロカルノには長編の作品数が1〜2本の新人監督に特化したコンペティションもあり、最高級(ときには最悪)の作品との出会い、つまり驚きの場になっている。その驚きを最大限に味わうには予断を持たないのが一番だが、実際のところ、ここではアジア作品が話題をさらうのが相場となっている。今年は韓国のパク・セヨン監督による「The Fin(仮訳:フィン)」や、中国出身でベルリンを拠点とするルアン・ランシー監督の「The Plant from the Canaries(仮訳:カナリア諸島からの植物)」、フランス・ベルギー・ベトナム合作の「Hair, Paper, Water…(仮訳:髪、紙、水…)」が、そうした前例を再現するかもしれない。

映画界の遺産を守り、楽しむ

ナザロ氏は7月上旬、チューリヒで今年の上映プログラムを公式発表した際、映画界の遺産を守り、活用していくこともまた、一定の地位を得た映画祭の大事な役割だと指摘。過去の作品の保存を担うアーカイブ組織が今、自ら保管する作品と同様の不安定な状況にあることを念頭に置き、そうした組織と連携する必要性に言及した。

そのため、ロカルノはレトロ作品部門を設けている。来場する映画愛好家たちにとっては、毎年定番の楽しみだ。今年は戦後期(1945〜1960年)のイギリス映画をテーマとし、英国映画協会と、スイスの国立映画資料財団、通称「シネマテーク・スイス」が修復を手がけた作品を上映する。

映画界の記憶にスポットを当てているのは、レトロ作品部門だけではない。ロカルノは別立てで映画史部門を設け、偉人たちに敬意を表している。

また、今年は英俳優エマ・トンプソンさんのキャリアに対する名誉表彰や、主演作「いつか晴れた日に」(1995年公開)の上映も予定している。ジェーン・オースティンの小説「分別と多感」をアン・リー監督が映画化した作品だ。さらに、レバノンの映画制作会社アボット・プロダクションをたたえ、いずれも2021年公開の代表作「Costa Brava, Lebanon(仮訳:レバノンのコスタ・ブラバ)」(ムニア・アクル監督)と「Memory Box(仮訳:思い出箱)」(ジョアナ・ハジトマス監督、ハリル・ジョレージ監督)を上映する。

シモン・エーデルシュタイン監督の「Les Vilaines Manières(仮訳:無作法)」(1974年)

シモン・エーデルシュタイン監督の「Les Vilaines Manières(仮訳:無作法)」(1974年)。 スイス映画界の忘れられた至宝が今年のロカルノで上映される

Cinémathèque Suisse

さらに、スイスのシモン・エーデルシュタイン監督の作品も上映する。ほとんど忘れられているが、アラン・タネールやクロード・ゴレッタ、ミシェル・ステーといった監督らと並び、フランス語圏映画の黄金期に属する作り手だ。さらに、「サイドウェイ」(2004年)で知られるギリシャ系米国人のアレクサンダー・ペイン監督の2作品と並び、ロベルト・ロッセリーニ監督の「Anno Uno(仮訳:1年目)」(1974年)、リリアーナ・カヴァーニ監督の「The Year of the Cannibals(仮訳:カーニバルの年)」(1969年)など、欧州映画不朽の名作のニュープリント版も上映される。

よみがえる反骨の鼓動

米国の小説家・詩人ジャック・ケルアック。1950年代撮影

米国の小説家・詩人ジャック・ケルアック。1950年代撮影

Jerry Yulsman, Globe Photos, Zuma Press

コンペティションから外れ、やや目立たない扱いではあるが、紹介すべきドキュメンタリー作品が2本ある。より刺激的で、反骨的で、カウンターカルチャー的な時代の息吹を感じたい観衆にはもってこいの内容だ。

まず、エブズ・バーノー監督の「Kerouac’s Road: The Beat of a Nation(仮訳:ケルアックの道――ある国の鼓動)」は、米国の著名小説家ジャック・ケルアック(1922〜1969年)の生涯と作品を題材としている。ケルアックの代表作「路上」(1957年)がどうして現在も米国人の共感を呼び続けるのか、懐古趣味を完全に廃しながら、現代の作家や芸術家らとの対話を通じて考察している。

一方、「Nova ’78(仮訳:ノヴァ78年)」は、ケルアックの盟友でもあった作家ウィリアム・S・バロウズが実現させた衝撃的な芸術の祭典「ノヴァ・コンベンション外部リンク」を今によみがえらせる。このイベントは1978年12月の3日間、米ニューヨークで開催され、読書会やパネルディスカッション、映画上映、さまざまな芸術公演が市内各地で行われた。ローリー・アンダーソン、パティ・スミス、フランク・ザッパといった表現者らが多数出演している映像は、いわばタイムカプセルだ。芸術や詩、笑いをもって偏狭さや不寛容に立ち向かうさまは、必ずや私たちに現状への洞察を与えてくれるだろう。

作家ウィリアム・S・バロウズ

作家ウィリアム・S・バロウズ。ドキュメンタリー映画「NOVA’78」より。ケルアックや詩人のアレン・ギンズバーグと並び、1960年代カウンターカルチャーの先駆者とみなされている

Howard Brookner Estate

編集:Mark Livingston/ds、英語からの翻訳:高取芳彦、校正:大野瑠衣子

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