【IMP.と平和】松井奏が出会った95歳の被爆者「私の遺言です」未来へ託す思い【写真募集】あなたの「平和を感じる瞬間」|ピタニュー特集
僕たちも平和について考えます。 今回広島に訪れて平和を考えるのは こんにちは。 こんにちは。 こんにちは。修学旅行。 はい。 そっか。そっか。 松井港さん 24歳。 そんな松井さんにとっての平和とは 色々考えたんですけれども、何よりこう、ま、何気げない日常って言ったらあれですけれども、朝起きて、え、お仕事をして仕事場の控室とかでなんか誰かがちょっとボケみんなで笑ってるのを見てるとあ、平和だなって思いますね。 [音楽] 日々生活の中で平和を感じているという松井さん。 今回は原爆によって何気ない日常を奪われた [音楽] 1人の被爆者の人生に触れました。 生きてることが辛くてどうしたの時一緒にみんなと一緒に死んでしまうなんだんだろう。あん時一緒に死んでしまってたらどんなに楽だったろうなんて本気で思いましたもんね。 IMPプレゼンツ 平和を作るセブンピース [音楽] なんか変な緊張しちゃうな。 かな 失礼しますね。お邪魔し は失礼します。初めまして。 はい。EMP とグループで活動してますみ子と申します。 き焼きでございます。 お願いします。桐さん失礼です。おいくつですか? 95。 いや、めちゃくちゃ大ですね。 もうね、半分のばあさんなんでね。 いやいやいやいやいや本当 なんか失礼があるかも分かりません。おください。 はい。お願いします。 年を感じさせない警快な語り口で松井さんを迎えてくれた 桐子さん。 95 歳と聞いてびっくりしてるんですけれども、こんなにお元気で ね、もうなんだかしぶとくしぶく生き延しまいました。 え、何をしちゃいますか? しく生き延びてしまった。この言葉に桐明さんが歩んだ 95年の辛さと悲しみがにみ出ています。 原爆10日からまもなく80 年がということで はい。この80年どんなお年月だ? そうですね、あの時にね、あのたくさんのクラスメイトかしやらが死んでいった はい。 あの子たちがねたらいいおばあちゃんになっただろうなと思うとねもう未だに涙が止まりませんね。 [音楽] 80年前、15歳の夏、 高校1年生だった桐明さんは 8月6 日の朝病院に向かう途中に肘山橋の多元で休憩をしている時に被爆をしました。 [音楽] ここで被爆したんですけどね。 はい。 あの木造小屋があったんですよ。 倉庫が。 うん。はい。 私は倉庫の影にいたんでね。 うん。 原爆の時も火傷抜かれたんですがね。 この橋を渡ってたらもう命なかったですね。 ああ、じゃ本当に こが命の別れ目という その瞬間はこう何が起きたのかって 分かりませんでした。 分からないですよね。 原爆が落ちた後何が起こったか理解ができないままたくさんの死を当たりにしたキ明さん。 もう最初のうちはね うん。 生き残ってしまったというめたさ。 自分はなんで生き残ったんだろうって。あの時一緒にね、みんなと一緒に死んでしまった方がよっぽど楽だったなと思いましたよ。 うん。 生き残って思ったことなかったですよ。何気ない日常が一瞬にして壊された。 [音楽] 80年前の8月6日 忘れよう忘れようとね。 うん。 思えば思うほどね蘇ってくれるあれ不思議ですね。 [音楽] うん。やっぱり こう記憶というかは本当に鮮明に覚えてる。 そう覚えてますからね。だから ああ、やっぱりこれは忘れてはいけないということなんだなと思ってね。 [音楽] 原爆の恐ろしさを風化させてはいけない。そんな思いを強く持ったキ明さんは 6 年前から被爆体験証言者として活動を始めました。こ 80 を超えてからそういう活動されてま理由というか改めてなんでそういう活動をしようと思ったのか ね。やっぱりね、 あの忘れられてしまって うん。 なかったことになってしまったらね、あまりにもまあひどすぎると思うんですよね。うん。 せめて後に残ったものが忘れてはいけないし、次の世代もちゃんと伝えておかないと 使命感みたいなのも感じない。 そうですね。もう生き残ったもののやっぱりそれは勤めじゃないかなっていう風に うん。うん。うん。 思い始めたんですね。 愛の傘を杖代わりにして95歳になっても 勢力的に活動する霧明さん。 この日は兵庫県から修学旅行で来た小学 生たちにおよそ1時間被爆体験を語りまし た。 ありがとうございました。ありがとう ございました。こちらね。 皆さんの未来がね、素晴らしい未来であるように祈ってますよ。さよなら。 [音楽] さなさな さよなら。さよなら。 実際にお話を聞いてどう思った? やっぱり教科書とはどこか違うなって感じました。 [音楽] うん。 人は協力しないと生きていけないから うん。 その平和って仲良くって意味だなってやっぱり思いました。 お、 世代を超えて継承される被爆者からの言葉。しかし希爆から [音楽] 80 年、年々当時のことを語れる人も少なくなってきています。 毎日の楽しいことって何なんですか? 楽しいこと? うん。 単価を作ったり俳句も今勉強したりしてるんですよ。 それで おしりしたり うん。 お友達と はい。はい。それであのみんなで持ち寄ったね、 あの甘いものあ やって食べたりね。 いいですね。お茶して 単価に俳。 そして甘いものが大好きと笑顔で話す桐明さん。 これは私の あ、 参加集団ですね。 ええ、すごい。 これね、 桐明さんは去年まで読んできた単価をまとめて失敗しました。この歌としてはやっぱりこう戦争だったり原爆の歌を [音楽] まあやっぱり広島の悲を うん。 再び繰り返さないためには うん。 ま、1 人でのたくさんの方にね、あの、広島のことを知ってもらいたいという思いも ちょっとあったもんですからね。 うん。 戦争や平和をテーマにひ明さんが読んだ 単価およそ500士がまとめられた歌習 広島を思う。 この歌習には桐明さんが体験した悲しい 出来事がたくさん読まれています。 先生はね、生き残った私たち上級生にね、 学校のグランドでこの子たちを仮想にする から手伝えっておっしゃるの。私はこの手 で火級生をね仮想 したんだよ。 霧明さんは後にその時の悲しみをこう歌で 表現していました。 燃えながら泣きながら母へたどり着き果てたるとよ。 8月6 日私の思いがね、ま、こもってるというかあ、私の遺由言です。 この歌習は遺言。 それは法制に自分の思いを残す就活の意味合いもあったと桐明さんは言います。直接被爆体系の終わりの方っていうのはもう数えるほどしかいらっしゃれないと思うんですね。 [音楽] 記録を残したり、 主を残したりし うん。 で、それを事につなげていくってことはね、平和を守るためにも大事なことだと思いますんでね。 [音楽] そして桐明さんは就活の難しさも実感しました。 [音楽] 1 人ではできません。自分では何にもしてないの。 いやいやいや 本当に申し訳ないんだけどね。みんなね、 その周りの方が歌にしてくださる でもそれをやっぱりやろうと思ってくださってる若者子供たちがま、いてくださるということが救いでございますね。 [音楽] うん。 [音楽] 歌習を作ることで感じた次の世代が原爆に向き合う思い。しかし被爆者の就活には課題が多くあると言われています。 [音楽] 初めまして。こちらは平和活に取り組む NPO法人 ア広島 箱に入ってるのが は あの岡美子さんというの亡くなれたんですけどもその品をこう 整理したものがここにあります。 なるほど。 国内外で被爆体験証言や平和活動を続けていた岡田えみ子さん。 [音楽] 安広島では岡田さんが亡くなった後、自宅にあったおよそ [音楽] 3000 点の文書や写真などを遺族から預かりリストを作成してきました。 [音楽] 例えばですね、えっと大統領本人からではないんだけれどもホワイトハウスの方からですね、お母さんに そういう形で来てるという本当に貴重な すごいでしょですね。 本当に一個人で こういったことをされてたというやっぱりうん。すごい方だったんですね。さん頭下がりますよね。やっぱりね。 時を超えても資料が語り続ける被爆の実装。 [音楽] しかし 広島市のこういうあの資料会にしてもいいな文章を保存してるところたくさんあるんですけどもやっぱり保管する場所がないというような問題がいっぱいあってなかなかまとまって預かってもらえるところがないかなと。うん。うん。 まか 何気ないものでもね、あのええ、特に今の若い人が私から見ると非常に貴重なもんだっていうのもあると思うので うん。 貴重なことは皆が分かっていても場所や 人手の問題で失われつつある被爆者たちの 資料被爆 から80年を迎えた今言葉や思いと共 にどう残くべきかを改め ていく必要があります。 桐さんにとっての平和とは何だと思いますか? そうですね。私はね うん。 戦争さえなければ平和かというとそうじゃないと思う。 うん。 人の道に外れたようなことがこの世の中にある限りはね、 私は本当の平和だとは言えないと思うんですよ。 [音楽] うん。 だからその当の意味の平和を掴み取るためにはまだまだこれから長い年月もがっかるでしょう。 うん。 それをみんなで力を合わせて うん。 見つけ出してほしいな、守っていってほしいなと思いますね。 うん。 平和はこう、まだまだ多分求め続けていいものってことですよね。 そうですね。 [音楽] 色々お話伺って、え、 率直な今の感想をお伺いしたいんですが うーん。 正直 思っていた以上だったというか、非現実的 な部分が自分の中ではどうしてもあったの が今日でこう変わりましたね。うん。本当 に話すのも辛いと思うんです。 なくなってしまった同級生、後輩たちの思いを背負って子供たちだったり、次の世代へ次の時代に伝えてかなきゃいけないっていう使命を持ってるっていうのは本当に強い方なんだなっていうのは改めて感じましたね。うん。 [音楽] そして松井さんにはロケをする中で平和と感じたものを写真に残してもらっていました。 [音楽] [音楽] その中で1番平和を感じた瞬間、 やっぱりツショットですかね。うん。 おそらくこの番組の中では辛い話、重い話になると思いますけれども、お休みの日何されてるんですかって聞いたら公民館に行って操してみたいな、そういう今は何気げない日で送ってらっしゃるこの笑顔のツショットが僕の中での平和を感じた瞬間でした。 今回松井さんの心に跳ね込まれた新たな平和のピース。 皆さんの心にはどんなピースが加わりまし たか [音楽] [拍手]
7人組男性グループIMP.と広島ホームテレビが被爆80年にお届けする「平和を創る7ピース」。今回、広島を訪れたのは松井奏さん。「私の遺言です」95歳の被爆者が未来へ託す思いと被爆地が抱える課題に触れました。
皆さんが平和を感じる瞬間をぜひ写真におさめて、お送りください。夕方の報道情報番組ピタニューでご紹介していきます。
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#imp #原爆 #広島 #ニュース #広島ニュース #ピタニュー
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2025年7月29日放送
※掲載された情報は、取材当時のものです。予めご了承ください。
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37件のコメント
切明さんお若い!かわいいおばあちゃん😊
戦争なくなるのはもちろん大前提だけど平和に過ごすために課題はいつまでも常に考えて行かなければいけないんですね
先月IMP.の舞台を観るために数年ぶりに広島を訪れ、平和公園でも手を合わせてきました。戦後80年を迎え戦争は遠くなりつつありますが、平和公園に行くと改めて、忘れてはいけない事として今もここにある、という気持ちになります。この番組を通してまた戦争について考える機会を与えて頂きありがとうございます。貴重な資料もどうか未来永劫後世に残せますように。
感じることがたくさんありました。"生き残ってしまった"という思いを抱えて、でも今も素敵な笑顔でお元気でいてくださって、貴重なお話を聞かせてくださる切明さんに、感謝でいっぱいです。小学生の子の「平和は仲良くって意味」という感想は、奏くんがIMP.のみんなといる時に感じる平和と通じているのかなと思いましたし、私も共感しました。と同時に、切明さんの思う、まだ求め続けるべき平和の考え方も大切だと感じました。被爆された方の終活についても、丁寧に繋げていくべきことですね。つらいお話もありましたが、温かい取材でしたね。奏くんありがとう。お写真とっても素敵です☺️
残された資料が平和への道に導いて下さると思います。適切に保存し、公開出来ますように。
私の亡くなった祖母が被爆者でした。自宅で仕事に行く準備をしてる時に被爆したそうです。
たくさんの大切な人の行方が分からないまま、何もかも燃えて無くなったと言ってました。
だから、今を大切に生きろと言われて育ちました。
切明さんのお話を見て亡くなった祖母の言葉を思い出しました。
広島にIMPACT舞台を行った時、原爆ドームの真近くまで行きました。その時を思い出しこの番組を見ると本当に心打たれました。切明さん、お身体大切にお過ごしください。
切明さん、奏くん貴重なお話をありがとうございました✨友達や身近な方が亡くなりどんなに辛かったことか、きっと想像を絶する時を過ごされたと思います。辛い経験を抱えながら未来のために語ってくださる方々の活動に頭が下がります。被爆国日本だからこそ平和への強い思いを私も心に留めて、生きていきたいと思います。
95歳とは思えないほどお元気でしっかりした切明さん。
被爆で生き残った後ろめたさを感じていたと言う言葉を聞いて、何とも言えない気持ちになりました…
平和とは戦争がなくなるだけではないということも、改めて考えさせられました。
何気ない日常が送れる世の中になっていけるようにと願うばかりです…
奏くんの平和を感じる1枚素敵でした
いつまでも平和で過ごせますように。どうぞ忘れないで
切明さんのお話に涙が出ました…。修学旅行の小学生の子が言っていた、平和って仲良くって意味なんだ、という言葉も胸に刺さりました。
正直軽い気持ちで見始めたのですが、来週にはその日がやって来ます。やはり決して忘れてはいけない事です、改めて考える、心に刻む機会になりました。ありがとうございます。
何気ない日常が奪われる恐ろしさ絶望考えるだけでとても辛い経験だと思います。
次の世代へと忘れられることなくIMP.を通してこうして伝えて頂けること大事だと思います。
家族でも話し合い1日1日を大事に生きていきたいと思いました。
切明さんの笑顔の裏にある、底知れぬ苦しみや絶望に打ちひしがれた経験の全てを推しはかる事は、あまりにも残酷な経験であるが故に難しいとは思うのです。でも、おこがましいですが、今まで抱えてきた苦しみや悲しみに寄り添い、二度と同じ事が起こらない様に後世に伝え続けていくことが、生きている人々の使命でもあるのではないかと感じました。
そして、今も続いている海外での戦争も、一日も早い終息を願わずにはいられません。
今回も貴重な体験を配信して頂いて、どうもありがとうございました。
素敵な取材でした。とてもお元気でいらっしゃるおばあちゃまがいつまでも若者に貴重なお話をして下さることを願っています!
次の世代の平和のために、辛く悲しい過去と向き合って、紡いでくださる切明さんの言葉の一つ一つを忘れないようにしたいと思いました。
広島でずっと平和学習して来たので今が生の声聞ける最後の時期だと思うから良い取り組みだとは思うんですよね。
被爆者も気持ちが千差万別で学校の平和学習で何人も話聞いて来たけど「次の戦争には勝て。負けたらこうなる」「側溝に帽子落としてしゃがんだ瞬間に炸裂してほぼ無傷だった。隣に居た友達は消えた」みたいな、恐らく多くがイメージする平和学習とは違う発言も飛び出してたし出来る限りわざわざ広島に来てくれた人たちには聞く数増やしてみて欲しいですね…
切明さんが体験された恐怖や悲しみは想像を絶するもの。貴重なお話ありがとうございます。ずっとお元気でいてください☺️
ツーショ写真の切明さんと奏くんが本当に可愛くて素敵でほっこりしました。奏くんの優しさも伝わる温かい取材でした。奏くんありがとう💛
IMP.の舞台で広島に行った際、原爆資料館に行きました。修学旅行の学生もたくさんいましたが、海外に方もたくさんいました。
被爆した方が当時の事を思い出すのは本当に辛いことだと思いますが、語り継いでくださる方々のお陰で日本だけでなく海外の方にも改めて戦争や平和を考える機会になっていると思います。
私はこの手で下級生を火葬した…とっても苦しい言葉。このことをずっと抱えたままなのかと思うと言葉になりません。何が起こったかわからないまま手伝わざるを得なかったことも、大きく心傷を受けたと思いますし"しぶとく生き延びてしまった"と笑いながら話したひと言に複雑な心情も伝わります。奏くんの思っていた以上だった…がとても正直な感想だと思います。私も直接現物を見たりお話を伺ったことは想像をこえていて心に残っています。資料なども後世に遺せますよう願っています。
あと何年かしたら被爆した体験を伝える方がいなくなってしまうという悲しい現実。私たちがしっかりとバトンを受け取り、また次の世代に繋いでいかなければいけないとあらためて感じました。
今回の奏くんで揃った7ピース。若いアイドルの方がこういう企画に関わったことで新たな広がりがあったのではと思います。それぞれ真摯に考える姿が素敵だったし、とても良い企画でした。
切明さんは、明るく話されている場面もありましたが、
ずーっと辛い思いを抱えてこられたのですよね。
長生きされていて、80歳を過ぎてから活動を始められたのは、
ご自身の「使命」の様に感じてらっしゃるのかなとも思いました。
今回の奏くんがメンバー7人目なので最後になるのかも知れませんが、
こちらの特集で毎月、戦争や平和について考える機会を頂き、
広島ホームテレビさんに感謝申し上げます。
ありがとうございました。
今後も、これで終わりではなく、
自分なりに考えて行こうと思っております。
切明さんの95歳とは思えないしっかりした話かたに驚きました。そしてお婆ちゃん子の奏くんとのツーショットにこれからの平和を願わずにいられませんでした。いつまでもお元気でいてください。
お友達の火葬の話を聞いて、本当に辛かっただろうと思いました。
心が痛いです。
そんな辛い思いをする人がいない世界でありたいです。
本来なら思い出したくもない事なのに未来の平和のために当時をお話して言葉を紡ぎ続けて下さることが本当にありがたいですし、それをしっかり受け止めて私達が引き継いで本当の意味での平和な世界を作っていかなきゃいけないなと強く実感しました。
切明さんの詩集
「ひろしまを想う」
きっと大切な人に届いていると思います
何気無い日常を平和と感じる気持ち…大事にしたいですね
奏くん 素敵な笑顔のワンピースありがとうございました
切明さん、95歳という年齢を感じさせない若々しさですね。被爆当時15歳ということで、証言も生々しかったですね。ショックでしたが、話すことは大変辛いことでしょうが、精力的活動するお姿に感服します。短歌集等出版するお手伝いをする方々にも、頭が下がります。何気ない日常こそ、尊いものですね。
IMP.を通して若い世代に原爆の事や平和の尊さがさらに伝わっていくと良いですね
もうすぐ8月です、毎日なにげない日常を過ごせる事に感謝します
切明さんの「戦争がないから平和ではない」という言葉が心に残りました、原爆という想像もできない過酷な経験をされて、「戦争反対、原爆反対」ではなく人間としてもっと深い所で平和を希求されている、奏くんと同じく本当に強い方だと感じました
令人感動的節目內容very nice!
膨大な資料を管理するためには場所や、それに伴ってきっとお金や人が必要。でもなかなか難しいという現状。
こういうことは今回初めて知ったので、また違う切り口から学びがありました。平和を創る、つなぐために自分たちは何ができるか。考えていきたいです。
戦争を知らない私達に語り継ぎ、資料を残し平和の大切さ、戦争の悲惨さを教えてくださる想いをしっかり受けとめたいと思います
未来の平和のために95歳の現在も被爆体験を語り続けてくださる切明さんに感動しました。本当の意味での平和をみんなで力を合わせて見つけ出していくことが私たちの使命であると切に思います。貴重な資料をこれからも適切に保存していただき後世に伝えていけますように。奏くん、ツーショット素敵でした♡
切明さんの辛くて悲惨な体験のお話。
子供達も真剣に耳を傾け切明さんの言葉に心からしっかり聴いてる姿は印象的でした。今でも世界の色んなところで戦争が起きてる現実が本当に悲しいです。切明さんと奏くんが一緒に歩いてる姿や一緒の写真がとても温かくて素敵で平和そのもの🕊️これからもお身体を大切にお元気でお過ごしください。切明さんがとっても可愛らしくて素敵ですね☺️
YouTube配信ありがとうございます。
生きていくことが辛い…
それでも 生きて下さったからこそ
今こうしてお話が聞けることは有難いです。
平和って「仲良く」って意味…
切明さんのお話を聞いた少女の
率直な言葉に心を打たれました。
「遺言」としての「ひろしまへの想い」が
次代へ繋がれることを願います。
切明さんの穏やかな優しい笑顔の隣で
松井奏君… 素直な心を表すような
キラキラと美しく優しい笑顔です。
平和について考えること。何不自由なく過ごしていると改めて考えることが無いのでこの企画を見た沢山の方々が考えるキッカケになったらと思います。切明さん、NPO法人の方々 松井奏くんありがとうございました。
謙虚で聡明でチャーミングな切明さん素敵すぎる
これまでの苦労を感じさせないほどに穏やかで、綺麗で、お肌もつやっつやで。素敵な女性。
わたしもこんなふうに歳を重ねたい!
先日、夜中でしたが、NHKで切明さんを取りあげたていた番組を観ました。
たぶんIMP.のこの企画がなければ、あんなに真剣に観なかったと思います。
毎年、この時期になると小手鞠るいさんの『ある晴れた夏の朝』という小説を読むのですが、この企画で取材された方々の心の中で願う『平和』と重なる部分がありました。
ひとりの人間として、平和についてきちんと向き合って考えたいと思います。
ありがとうございました。
切明さんのお話をお聞きして涙がこぼれました。
生きて下さって本当に有難う御座います。
みなちは人の話を邪魔しない聞き方ができて、優しい言葉を発せられるんだね。
貴重な動画でした。