日本では「共感」や「美徳」として涙が肯定されますが、実は世界共通の価値観ではないようです。(サムネイル画像:PIXTA)

スポーツ中継に涙はつきもの(サムネイル画像:PIXTA)
夏といえば高校野球! スポーツ中継に涙はつきものですが……(サムネイル画像:PIXTA)

「どうして日本人男性は、すぐ泣くの?」

各種スポーツ大会の表彰式、難関志望校の合格発表、ドラマや映画の感動的なクライマックスなど、日本人男性が感極まって涙を流すたびに、ヨーロッパ人の夫は不思議そうに首をかしげます。思い返せば確かに、同じようなシーンで泣いているヨーロッパ人男性を見たことがありません。

こちらでは、おめでたい場面で喜ぶことはあっても泣くことはないうえ、人前で涙を見せるのは「感情コントロールの欠如」「プライベートとの混同」と見なされ、むしろ違和感の対象になるのだそうです。

涙を見せたら即「ルーザー認定」
筆者自身、長年ヨーロッパに暮らして学んだのは、いかに相手に侮られないように振る舞うかの重要性です。

つまり、強い人間が得てしてリスペクトされるという環境において、涙を見せるのは相手に弱点をさらけ出す致命的行為。大切な人との死別といった特別な状況でもない限り、即ルーザー認定されかねないような振る舞いは何としても避けたいのでしょう。

一方、日本では「涙を流せる男」に時として共感や好感が集まるようです。最近ではヨーロッパのNetflixでも日本のコンテンツが配信されていますが、男性の登場人物が感動で涙するシーンをたびたび見かけます。大ヒット上映中の『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』でも、主人公の炭治郎を筆頭に登場人物が涙を流すシーンが頻繁に登場します。

なぜ日本人男性は、涙を流すことにここまで抵抗がなくなったのか? その背景を探ってみたいと思います。

「男は泣くな」の時代があった
今でこそ泣けることが1つの魅力や美徳として受け入れられていますが、日本にもかつては「男は人前で泣くな」という時代が存在していました。

武士道精神では、涙を流さずじっと耐えることこそが強さとされていましたし、昭和の父親像も、感情を表に出さず、寡黙にふるまうことが尊ばれていました。人前で泣くことは弱さの象徴とされ、喪失や別れの場面でも男性はじっとこらえ、背中で泣くことが美徳とされていました。

「泣ける男」がもてはやされる時代へ
そんな「泣かない男像」は1990年代ごろから徐々に変化の兆しが現れます。

テレビドラマや映画では、感情をこらえきれず涙を流す男性主人公が次第に登場するようになり、泣くことが本気の証しとして描かれ始めたようです。

2000年代に入ると、「泣けるドラマ」「泣ける映画」「泣ける小説ランキング」など「泣ける〇〇」という言葉が日本独自のジャンルとして定着し、涙を誘うコンテンツが一大ブームとなりました。ヨーロッパよりも感情の抑圧を強いられる日本において感動の涙はデトックスとなり、泣くこと自体が肯定されるようになりました。

こうして、男らしさは感情を抑えることから素直に涙を流せることに、変化していったのではないでしょうか。

日本人は、なぜ涙に安心する?
背景にあるのは、日本人独特の感情観と人間関係の構造です。

日本社会では、感情を表に出し過ぎることは「空気を読めない」「和を乱す」とされ、日常生活では怒りや悲しみを抑えて過ごすのが基本とされてきました。

その反動として、涙は感情を安全に解放できる数少ない手段となっています。涙は他人を傷つけないうえ、泣くことを通して自分の心の奥にある感情を認めてもらえる。だからこそ、多くの人が安心して泣ける作品やシーンを求めるようになったのかもしれません。

また、共感を重視する日本では、同じ場面で泣いたり、同じ映画で涙したという体験が、人とのつながりや共鳴を深める役割も果たしていそうです。

「泣かない=冷たい」ではない
とはいえ、泣けることがいつのまにか「感受性が高い」とか「人間性が豊か」という証明になり過ぎている面もあるように思います。

例えば、スポーツの敗者が涙を流す姿が称賛されたり、ドラマの中で涙をこぼすことで誠実さが演出されたりする場面が、あまりに定番化していくと、「泣ける人がすてき」というステレオタイプができあがってしまう可能性もあります。

筆者の夫が「なぜすぐ泣くのか?」と感じるのは、そうした涙の演出に対する感覚の違いなのでしょう。

結局のところ、涙の価値観はその国の歴史と文化を映す鏡なのかもしれません。

日本では、抑圧された感情が涙によってようやく表に出ることがあると思います。涙は、本音を語らずに生きる社会でこそ、感情の翻訳装置として機能しているのかもしれません。

一方、感情をオープンに話せる社会では、涙を流すより先に、言葉や態度で十分に感情を伝えることができます。だからこそ、「泣かない」ことは冷たさではなく成熟と捉えられるのでしょう。

 

この記事の筆者:ライジンガー 真樹

元CAのスイス在住ライター。日本人にとっては不可思議に映る外国人の言動や、海外から見ると実は面白い国ニッポンにフォーカスしたカルチャーショック解説を中心に執筆。All About「オーストリア」ガイド。

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