哀 別 : 藤 圭子

[拍手] 町の日は町の日さ。 そう 気つけばいい。 あの人はあの人さ。 夢をどこかで探しいい。 おいしたってさ、愛したってさ、仕方ない じゃないか。 めて しまえば 涙の割に 1人ポっちの この俺は 風に吹かれて消え てる [拍手] [音楽] 恋よして愛を知り、 そしてあなたを知っただけ 恋になき を捨て、 そして涙を知っただけ。男なんてさ、女 なんてさ、寂しがりやばか。 悔してただけさ。でわれる犬は夜に紛れて消ええるだけ。 [音楽]

7件のコメント

  1. 今日は大好きな『別れの旅』(阿久悠&猪俣公章)を繰返し聴いていたらB面のこの唄がアップされました。最近は石坂まさをの曲を避けて聴くような癖がついていたので神様が叱ってくれたのかもしれません。今後は偏見なくなんでも聴いていきたいと思います。アップありがとうございます。

  2. この歌の2ヶ月後に離婚会見をした圭子さんが、歌詞と現実とが酷似した事態に「これはもう歌えない」と漏らし、歌唱を止めため、売り上げは激減しまました。この酷似について作詞の石坂氏は「他意などない」と繰り返されましたがが、歌詞を噛み砕き文脈と照合すると、やはりプロモの影は否めないのではないでしょうか…ワタシニハ最高のB面曲てす。

  3. そうですよねぇ。EPレコードの別れの旅のB面曲です。A面の別れの旅の作詞者の阿久悠さんは、ふたりの離婚を意識していなかったというのは、分かるのです。しかしこの哀別の作詞者の石坂まさを氏は、かなり意識して書いたと思います。この歌の歌詞を読んでいると、その当時の藤圭子さんの思いが、かなり反映されているように思います。流星ひとつの中で藤圭子さんが語っている内容が、出ていると思います。石坂まさを氏なりの狙いがあったと思います。しかし藤圭子さんにとって別れの旅や、この歌の歌詞の内容は、ものすごく心の琴線に触れる内容で、歌えなかったのです。そのあたりの藤圭子さんの心を無視して、レコード売上ばかりに熱中した、石坂まさを氏という人は、音楽事務所の社長としては、駄目だったのでしょうね。石坂まさを氏という人は、音楽家としては優秀なんだけど、販売戦略というか、歌手の育て方のあたりが、駄目だったのでしょうね。藤圭子さんみたいな優秀なタレントさんを抱えていたにもかかわらず、事務所を破産させてしまった。もう少し力のある事務所だったら。藤圭子さんをもっと活躍させていたと思います。

  4. 石坂まさをの詩は相変わらず面白い。決してスマートではない。むしろ無骨だ。そして泥臭い。そして捨て鉢だ。思い切って突き放す。時には素人みたいに苦しい表現もある。しかし、展開に独特の洒落っ気がある。これらのすべてが私は好きだ。

    1972年作品の「哀別」は、藤圭子本来の声質が石坂のハードボイルド的泥臭さをガッチリ捉えて唸り、結構聴かせる。

  5. 藤圭子さん良さがしっかり出てる楽曲だと私は思う。まとわりつかない、すがりつかない、いつも思います。藤圭子さんの良さ捨てられっぷりかと。虚像としても、あの新宿の舞台の時みたく抱きしめたかった💕

  6. 圭子さんが歌えなかったと言うのは、B面の哀別ではなくA面の別れの旅ですよね。
    一つ分からないのは、別れの旅の発売日は72年5月25日
    6月には欽ちゃんと別れの旅キャンペーン。
    前川さんとの離婚発表は8月なんですよね。
    よく分かりません。

Leave A Reply