藤村志保さん(2000年撮影)
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時代劇映画やテレビドラマで活躍した俳優の藤村志保(ふじむら・しほ、本名静永操=しずなが・みさお)さんが6月12日に肺炎のため死去した。86歳。神奈川県川崎市出身。所属のオフィス優が発表した。葬儀は、故人の遺志により近親者のみで執り行った。
同事務所は「これまで度重なる圧迫骨折により療養を続けておりましたが、回復には至りませんでした。ここに生前賜りましたご厚情に深く感謝申し上げますとともに、葬儀は故人の遺志により、近親者のみで執り行いましたことをご報告申し上げます。長年にわたり多くの皆様にご支援いただきましたこと、心より御礼申し上げます」と報告した。
1957年、横浜のフェリス女学院高等部を卒業し、共立女子大学文芸学部の聴講生となる。この頃、既に花柳流の名取「花柳麗」として日本舞踊を教えていた。60年に演劇を学ぶため渡米を計画するが、兄が胃がんで急死したため断念。61年4月に大映京都撮影所に入所した。
翌62年4月、島崎藤村の原作を市川崑監督が映画化した「破戒」のヒロイン「お志保」役に、主演の市川雷蔵の推薦で抜てきを受けて好演。日本映画プロデューサー協会などの新人賞を獲得した。芸名は永田雅一社長自らが原作者と役名からとって「藤村志保」と命名、期待の大きさを物語った。
テレビドラマにも進出し、65年にはNHK大河ドラマ「太閤記」で緒形拳扮する豊臣秀吉の妻ねねを演じ大河には「三姉妹」(67年)、「天と地と」(69年)などに出演。77年には「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」(77年)でマドンナを務めるなど存在感を示した。
バラエティーやナレーションなどマルチな分野で才能を発揮。2014年にはNHK大河「軍師官兵衛」でナレーションを務めたが、放送開始直後に背骨を圧迫骨折する大けがを負ったため、収録が困難となり、降板を余儀なくされた。
83年に女優として放送番組向上委員会委員に就任。85年には臓器移植の取材をもとに「脳死をこえて」を書き上げ、第6回読売女性ヒューマン・ドキュメンタリー大賞を受賞。自身も腎臓バンクに登録し、衆院法務委員会で参考人として意見を述べたりした。同作は86年に故大原麗子さん主演でドラマ化もされた。
98年に毎日映画コンクール田中絹代賞、川崎市文化賞、07年にNHK放送文化賞、12年文化庁長官表彰など受賞歴も多数。私生活では70年9月に映像コンテンツの企画・制作会社「日本シネセル」(現・CNインターボイス)の静永純一会長と結婚。おしどり夫婦として知られた。
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