2025年6月17日更新

2025年6月20日より新宿ピカデリーほかにてロードショー

うつろう1980年代を背景に、少女のまなざしを通じて描く“大人になること”

泣き顔の幼児たちが次々に映るビデオ。じっと見つめるのは、われらが主人公フキ。暗い場所、不穏な空気、いきなり驚きの展開。明転した小学校の教室で、作文を読み終えたフキが口角の片方を少し上げる。どう、驚いた?と言わんばかりに。早川千絵監督の長編第2作「ルノワール」の冒頭はまた、純真無垢な子供をかわいらしく描く単純な映画ではないと宣言する。

主人公が教室で作文を朗読する場面は、本作が影響を受けた映画として早川監督が挙げた3本のうちの1つ、相米慎二監督作「お引越し」からの引用でもある(ほかに「森のくまさん」の輪唱も)。さらに、エドワード・ヤン監督作「ヤンヤン 夏の想い出」からは大人の顔をまっすぐ見つめる子供や階上から落とす水風船、ビクトル・エリセ監督作「ミツバチのささやき」からは少女と見知らぬ年長男性の危うい接近や、彷徨と幻想的な出来事(これは「お引越し」にもあり)など、いくつもの引用が散りばめられている。だが何より重要なのは、これら3作品の子役たちがいずれも驚くほど自然に演じていることで、その点は本作で長編映画初主演を飾る鈴木唯にも共通する。

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早川監督は、がんを患った父が入院した病院に通っていた子供の頃の印象を起点に、脚本に着手。長編デビュー作「PLAN 75」で高齢者が自死する権利が制度化された近未来という明確なコンセプトに基づき脚本を構成したのとは異なるアプローチを選び、長年蓄積してきたいくつもの断片的なイメージを吐き出し、つなぎ、全体像が見えないまま手探りでテーマを見つけるように書き進めたという。

1976年生まれの早川監督は、自身が11歳だった1987年に映画の時代を設定。ただしこの年の出来事を忠実に再現するのではなく、70年代後半から80年代にかけて起きたことや流行したものをエピソードにからめ、おおよその時代感を醸し出していく。具体的には、著名な超能力者が出演するテレビ番組に象徴されるオカルトブーム、キャンプファイヤーを囲んで子供たちが踊るシーンで流れるYMOの「ライディーン」、伝言ダイヤルなど。大半のロケを行った岐阜市を舞台にしたこともあり、大都市で見られたようなバブル景気の明白な描写はないものの、病院内の展示販売でピエール=オーギュスト・ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢」のレプリカにフキが興味を持つ場面で示唆されるように、大衆が洋画を愛好するほど豊かになったことがほのめかされる。その一方で、80年代に起きた神奈川金属バット両親殺害事件や東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を想起させるテレビのニュースやフキが体験する出来事により、価値観がうつろう時代の不穏さや人々の心の揺らぎを、ブルー基調の画面にほの暗く映し出してもいる。

当時を知る観客にノスタルジックな感興も提供しつつ、子供が家族や身近な人々の人生を垣間見てゆるやかに大人になっていく筋は、先述の3作品を反復する。ただしこれら過去作の子供たちに比べ、フキのキャラクター設定には2020年代の視点からのアップデートが加えられたように感じられる。たとえば、英語教室で仲良くなった子(高梨琴乃)の裕福な家に招かれ、家族の微妙な空気を察知したフキが仕掛けること。あるいは、母・詩子(石田ひかり)と仕事上で知り合った御前崎(中島歩)の関係を阻止しようと画策すること。これらのエピソードには、子供らしい純粋さと残酷さを伴いつつ能動的に他者に関わり、状況に関与しようとするキャラクターの新味がある。そんなフキを、鈴木唯が射貫くような強いまなざし、ほっそりした四肢の躍動、馬のいななきの模写にあふれる野性味で、実に印象的に体現した。2013年生まれで撮影時は実際に11歳だったという彼女。願わくばその野生馬のようにしなやかな個性と魅力を保ちつつ、女優として大成することを心から期待する。

(高森郁哉)

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