井浦 僕は、柘植さんとちょっと古いご縁があるんです。ファッションモデルのお仕事をしていた頃、柘植さんは最先端のヘアメイクさんで、コレクション会場とかでよくお会いしていました。柘植さんのいる現場は特別なものになるので、「今日は柘植さんがいるんだ!」と知るたびに興奮していました。「今度は何をやってくれるんだろう」と柘植さんをすべてそのまま受ける楽しさみたいなものを僕は20歳ぐらいから体験してきたので、一生くんのように「こんな風にしたいです」とは絶対に言えません(笑)。
今回も最初に田宮の人物造形について、どんなお話から始まるのかなと思っていたんです。そうしたら、すごく緻密な色まで入った田宮のデザイン画を見せてくださって。柘植さんがやりたいことがすぐに伝わってきて、そこから僕も「こういう装いになる田宮って、あのときかな? だったら、これぐらい作っていかないといけないな」と田宮の温度感が変わっていったりしました。僕は柘植さんから「これ、できるか?」と提示されたものを受け取り、そこからどれだけ柘植さんの想像、イメージを超えていけるのかという楽しみ方でしたね。最初のイメージの段階から衣装が仕上がるまで、アップデートされてはいきましたが、最初から全然ぶれていなかったです。
© 2025『岸辺露伴は動かない 懺悔室』製作委員会 © LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社
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──「最高の幸せは最大の絶望を連れてくる。2番目でいい」という田宮の台詞がありますが、幸せと絶望について、何か信条はありますか。塞翁が馬ではないですが、幸せがすぎると心配になるようなことはないでしょうか?
高橋 幸せが怖いという感覚はないです。ただ、幸せに慣れたくないという気持ちはあります。それは俳優としてというより、人間として。特に最近は幸せに慣れてしまうことが、非常に恐ろしいことなんじゃないかなと考えたりしますね。最初から怖がっていても仕方がないので、幸せであることはまず受け入れた上で、それに対してこれは当然ではないと心から感謝していたいと思います。