10月のある爽やかな朝、米ニュージャージー州のジュリー・ミラーさん(46)は、ソウルの高級地区、江南にある美容外科がひしめく16階建てのビルに、タクシーから降り立った。5日間の滞在の目的は、ソウルの王宮や厳重に警備された北朝鮮との国境訪問、そして何年分かの若返りだ。
レノボ・スキンクリニックに入ると、流ちょうな英語を話す韓国人女性が、コーヒーとお菓子を出してくれた。その後すぐ、マネージャーがミラーさんを、ドーム型の検査機へと案内した。肌の油分やハリ、シワ、毛穴、シミなどを分析するという。
レノボ・クリニックでの診療の様子
Photographer: Woohae Cho/Bloomberg
クリニックでは、フィラーや脂肪溶解注射、顔の表面を再生するレーザー、切らないフェイスリフトなど、幅広い治療メニューを提供している。ミラーさんは、ボトックス注射と、肌を引き締めるための高強度超音波療法を受けることにした。最終的な請求額は約3000ドル(約47万円)。決して安くはないが、少なくとも米国の地元より40%安い。こうした施術は通常、保険適用外なので、これは重要なことだ。ミラーさんは「時間を少し戻したい」と言う。「米国よりもずっと安いので、考えるまでもない」。
毎年何万人もの旅行者が、安価な美容整形を求め、韓国を訪れる
Source: Bloomberg
ミラーさんは、脂肪吸引から最先端の幹細胞治療まで、美容整形手術を受けるために韓国に集まる数十万の欧米やアジア各国からの外国人旅行者の一人だ。米調査会社胃マーク・グループによると、がん治療から簡単な肌の管理まで、医療・美容ツーリズムは2023年に韓国で20億ドル以上(約3130億円)の収益を生み出した。同年には60万人の患者を受け入れたこのビジネスを、韓国政府は成長の大きな原動力とみている。
医療危機
国際美容外科学会の発表によると、韓国の美容整形外科の個人開業医の数は、過去10年間でほぼ2倍の2700人以上に増えている。人口当たりの密度は世界で最も高い。調査会社スタティスタによると、2021年は1000人当た9件近くの施術が行われており、韓国は美容整形手術の世界的中心地となっている。
江南地区だけでも数百の美容外科クリニックがあるなど、美容医療業界が繁栄する一方で、人口5200万人の韓国は医療危機に直面している。 檀国大学の報告書によると、医師不足により2017年以降、3750人以上の死者が出ているとされ、批判の的になっている。 昨年2月には、全国で約1万3000人の医師と研修医がストライキを実施し、そのうちのほとんどが今も職場に戻っていない。
救急外来は空っぽとなり、集中治療が必要の患者は予約まで数カ月も待たされる状態となっている。韓国の公衆衛生システムは質の高い医療を提供できるが、病院や医師の報酬体系が低いために、多くの医療施設が採算がとれずにいる。研修医の中には、週80時間も働かざるを得ず、最低賃金にかろうじて届く程度の給料しかもらえない人もいる。
引退した小児心臓専門医で、同国の国会議員を務めた経験もあるパク・インスク氏は「医療制度はひどい危機的状況にあり、もはや元には戻らない。今、政府がすべきことは、必要な医療を優先することだ」と危機感をあらわにした。
美容医療に使われる針などの道具
Photographer: Woohae Cho/Bloomberg
格差
韓国で起きていることは、世界中の医療業界で起きているトレンドの最先端と言える。病院勤務医は一般的に高給取りだが、その代償として長時間労働や不眠を強いられることも多い。美容外科医は、よりゆったりとしたスケジュールで収入を増やせる。例えば、オンライン医療ネットワークを提供する米ドクシミティによると、23年の米国の皮膚科医の平均収入は46万9000ドルで、小児科医のほぼ2倍だ。また、政府の21年のデータによると、ドイツでは皮膚科医の年収が34万4000ユーロ(約5540万円)なのに対し、一般開業医の年収は29万2000ユーロにとどまる。
医療観光による利益を求めているのは韓国だけではない。タイは、不妊治療から健康診断まで、あらゆる医療を求める人々のハブとしての地位を確立した。22年に政府が患者向けの1年ビザを承認してからは、さらに多くの外国人を引きつけている。マレーシアには22年、前年より52%多い約85万人の医療観光客が訪れた。シンガポールもこうした外国人旅行者が増加傾向にある。
不安も
一方、韓国ではこのところ、医療観光客の誘致が難しくなっている事情もある。韓国医療観光振興協会によると、昨年12月に尹錫悦大統領による「非常戒厳」の宣布による政治的混乱以来、韓国内の病院の外国人患者の予約のうち約20%がキャンセルされた。
韓国での美容整形手術の失敗に関する報道も不安をあおっている。 観光客向けのわずか6ドルのボトックス注射やオンデマンド治療といったサービスの提供が増え、業界が急速に成長したことで、美容クリニックの中には経験の浅いスタッフに仕事を任せるところも出てきた。 その結果、けがや死亡事故が発生し、韓国政府は最近、麻酔を必要とする処置の際、カメラによる監視を義務付ける政令を発令した。
韓国・ソウルの江南地区に乱立する美容クリニック
Photographer: Woohae Cho/Bloomberg
それでも、ドイツのアミラ・イルディズさん(33)は毎年ソウルを訪れ、美容整形を受ける。19年のボトックス注射とレーザーフェイシャル治療を皮切りに、その後、歯やバストのインプラントへと段階的に進めてきた。10月は、医師がイルディズさんの血液から幹細胞を抽出し、それを再び注入して体に活力を与える治療のため、クリニックで1日を過ごした。
この治療のおかげで、イルディズさんはよく眠れ、よりエネルギッシュになり、顔色も良くなったという。イルディズさんは「韓国が大好き。見た目も気分も良くなりたいなら、ここには常に新しい何かがある」と絶賛する。
(原文は「ブルームバーグ・ビジネスウィーク」誌に掲載)
原題:Medical Tourism Boom Lures South Korea’s Overworked Doctors(抜粋)