吉沢亮&横浜流星の圧倒的「理解らせ」力‼️原作勢が『国宝』の魅力をガッチリ語る80分

どうも太郎ですはいということで本日は もう早速本題の方に入っていきたいと思う んですけどもえっと本日取り上げる作品な んですけどもこちらの作品ですね 法ということで えっとまあの6月6日先週の金曜日これを 撮ってる時点で先週の金曜日に公開なん ですけれどもまなかなか素晴らしい作品 でしてで今日はちょっと結論を先に述べて いきたいと思うんですがまとりあえずです ねちょっとガチでおすすめの作品ま紛れも ない傑作ま対策だし映画としての クオリティも非常に高いめちゃくちゃ高 いっていうところでまおすめであることは 間違いないんですけどもま全体通して やっぱり素晴らしいところと素晴らしく ないところがあるねっていう感じではある んですねま当たり前の話なんですけども 素晴らしいとこばっかの作品っていうのは そうそうあるもんじゃないんでただこの 作品全体を見るとねやっぱりあのもう すでに色々話題になってる部分あるかと 思うんですけどもなんて言うんですかね あのかもなく不可もなくみたいな言葉が あるじゃないですかそれの裏返しって言う んですかねかもあるし負荷もあるいいとこ もいっぱいあるしちょっと気になるところ もあるよみたいなただ全体としてはおす めっていうところは間違いないところです ねでやっぱりあの私これ原作の小説を読ん でるんでどうしても個人的に外せないとこ ではあるんですけどもあの原作と同じ テーマを映画として描いている原作の映画 家というよりは同じものを映画で書いた別 バージョンっていう感じがするんですよね でこの辺やっぱり原作を読んでらっしゃる 方で原作が好きな方とかも色々こうね気に なるというか色々感じられる部分あるかと 思うんですけどもまちょっとそういう 立ち位置の作品だよなっていうのは個人的 に思いました でもう1つ最後ま吉沢りさんと横浜竜星 さんもうこれお2人とも国報でいいなと いうか人間国報として認定していいんじゃ ないかなっていうぐらいの素晴らしい演を 見せられているのでここはちょっとあのま ハイライトというかね1番最後に書いて ますけど1番重要なポイントとして訴えて いきたいというか皆さんにお知らせして いきたいポイントという感じがします ま国報ということで改めてちょっと作品の 概要なんですけどもえっと原作があ るっていう話しましたけども吉田集一さん の原作でこれあの怒りとかねすでにえっと 監督のリーサイルさん理想リサンル監督と はすでにコラボというかね小説の映画家 っていうことで何度か組まれてる方なん ですけどもその吉田集一さんの国報という 小説でこれ小説版はあの青春編と花道編と いうことで上下の2巻なんですねでま内容 としてはそのま大体反世紀450年ですか ね反世期にわって主人公の菊っていうま 歌舞伎役者が主人公なんですけどもその菊 の反省を描く1台みたいな感じになって ますなんかこう時代背景とかねいろんな 登場人物もかなり詳細に描いていってるの で本当にその歌舞伎役者の物語りという よりは歌舞伎役者のその芸を目指してと いうか芸の究極を目指して頑張っていく その主人公を取り巻く世界も含めて本当に なんていうか物語っていうよりもむしろ エマきもう1台サーガみたいなそういう 言葉がぴったり来るようなそういう作品に なってますでそれを今回映画化したのがま リサイン監督これ私個人的にはあのフラ ガールっていう作品しか見てないんです けども元々吉田一さんの原作で怒りとか 悪人とかやられててあとあの渡辺けさんも フィーチャーしてっていうことでねあのま 買って知っるじゃないんでしょうけども これまでに組んだことのある安定感のある メンツでえしっかり映画化していただいて るっていう感じですねま映画家っていう 言葉というよりも映画でベスバージョン 作ったっていうのが私の受け取り方では あるんですけどもま事にしても監督が リサイルさんで脚本を書かれたのが奥寺 里子さんという方ですねでこれ本当にね あの原作がめちゃめちゃ長いんで大変だっ たと思うんですけども結構ラワを振ってる というかこうバシバシカットしてバシバシ アレンジしてるみたいな感じになっていて これすごい強っていう感じなんですよね これちょっと後で触れるんですけども基本 的にはその改変とか割愛とかがすごく うまくいってる部分があると思っていてで この方あの狼子供の雨と雪の脚本を書かれ ている方でで実は私あのこの方が書かれた 脚本の作品で実はそれしか見てないんです けどもあの有名どころで言うとね8日目の セミとか結構低評のある脚本ということの ようですまようですっていう言い方になっ ちゃうんですけどもまその奥寺里子さんが しっかりアレンジした脚本に基づいてで 演技をばっちりされてるのがまご存知吉沢 りさんと横浜竜星さんということでねま この演技が本当にすごいっていうのがこの 作品の1番のなんというか目玉っていう 感じはするんですけどもその2人のこの 豪華共演しかも共演の縁がなんて言うん ですかね艶っぽいの円っていうかねそんな 感じで言いたくなるようなそういう作品に なっていてすごく深みのある作品ではある 一方でその見た目に目が嬉しいっていうか ね目が喜ぶ感じの美しさを楽しむだけでも 見る価値のある作品っていうすごい贅沢な 作りになってます まちょっとそういう形のねあの割とお勧め しやすい作品っていうところもあるんです けど少し深いところまで折り下げてご紹介 していきたいのが今回の動画の趣旨なので まもうちょっと作品の説明じゃないんです けども少し深掘りを続けていきたいと思い ます ま主人公の菊ですねえ主人公立花って言う んですけどまここに書いてある通りあの 長崎の人形の一問入まで父を高層の末に なくすとまヤザの息子さん1粒みたいな形 で生まれていてでま親のヤザの組長がえ 長瀬正俊さんが演じられてたんですけども ま幼い頃に父をなくしてしまったとでその 後上形歌舞伎の名門ので看板役者花井 半治郎これを渡辺健さんが演じてるんです けども花井半次郎に芸能を変われ単心で 歌舞伎の世界ゲで世宗集の歌舞伎会の中で 才能を武器に期待の女方として客行を浴び ていくまあのこれ公式のサイトのあの 荒らす紹介とかキャラクター紹介なんです けどまさすがに見事にまとまっていても これ以上付けすこともあんまないんですよ ねあのヤザの息子として生まれたんだ けれどもま幼い頃に父をなくしてしまって でその後歌舞伎役者に引き取られてその 歌舞伎役者の家の中で歌舞伎役者としての 道を歩んでいくでま本作の主人公っていう ことで吉田涼さんが演じられてるんです けどもこれが本当になんと言ってもう 出たらめに美しいんですよね美しい見た目 に綺麗っていうだけではなくってなんか もう来面も含めて花があるって言うんです かねもう存在感がすごくてでさらにあの声 も美しいんですよねこれあの今回この作品 を撮るにあたって吉田りさんと横浜両星 確か1年半ぐらい歌舞伎の稽古を積まれ たっていうことですごい大変な苦労され てるらしいんですけど声の貼り方とかが すごいんですよ全て吉田りさんも横浜り誠 さんもご自身がその歌舞伎の歌も自分で やられているっていうことでねちょっとね そのとんでもない入れ込みっぷりって言う んですかねここまでやってるっていうそれ を見るだけでもっていう感じの見事な出来 になってるような気がしますまちょっと私 歌舞伎素人トっていうかね歌舞伎そのもの をちゃんと見たことがないので素人がそう 感じてるだけっていうところはあるのかも しれないんですけどもまでもあの歌舞伎の 監修で入られてる方も結構タコマをされ てるみたいなんでやっぱ彼彼ら2人すごい んじゃないかなとは思うんですけどねま この立花気候が主人公ということでで物語 の方なんですけどもま一言で言っても本当 にハ乱万丈っていう感じなんですよね人生 も何もかも全部捧げて全てをかけての道に 満埋していくっていうのがこの立花な気候 なんですけどもそう聞くとシンプルな話の ようにも聞こえるかもしれないんですけど 全然そんなことないんですよね全部芸に 突っ込んでる割に割ろんなことが起こって いくまそれゆえに起こっていくってところ もあるんですけどもでまキャラクター紹介 にも書かれている通り才能を見込まれてま 花半治郎っていうその歌舞伎の役者の大物 に見込まれて歌舞伎役者になっていくって いうところで才能の人でもあるんですけど もそれ以上に努力の人でもあるんですよね 才能の上に努力っていうもう完璧なまこう いう作品見る時にね我々が期待するような その理想の主人公っていうところもあるん ですよねその理想の主念公才能もか持って いてかつ努力もらない戦士に芸に取り込ん で取り組んでいくんだけれどもそれでも 運命に邪魔されていろんなことにぶつかっ ていくみたいなその七天抜刀というかその 苦しみ抜く人生をしっかり寄り添って描く みたいな作品になっているでこのま再と 努力を兼備えた期待の女方がま日本一の 株者を目指して歩み続けていった結果どこ にたどり着いていくのかっていうのがま この作品の1番のストレートのプロットに なってますでちょっとね見せじゃないん ですけども予告編でも出てるところをいく つかちょっとお見せしておきたいんです けど すごくいいセリフがやっぱあるんですよね あのこのシーン米国不でもやっぱり フィーチャーされてるあのハ乱万丈山あり 谷の人生の中でその谷の底谷底のどん底に あってそれでもま歌舞伎役者として待って いくしかない踊っていくしかない演じて いくしかないってそういう彼にとっての 内面的なターニングポイントになるシーン なんですよねま妻であるあき子っていう キャラクターがいるんですけどそのあき子 にどこ見てんのって言われてどこ見てたん やろなっていうこう何気ないセリフのよう に聞こえるんですけどこれ本当に深いん ですよね一生懸命ゲに埋していてまある 意味迷わずぶれずまっすぐ前を見つめて 進んでるはずの主人公なんですけどもふと 妻に問いかけられたその一言にどこを見 てるのかっていうところを改めて自分で 問い直していく本当に大きなターニング ポイントになってくシーンなんですがここ はねあの撮影も見事なんですけどやっぱり それこそ聞き迫る演技というかね吉沢り さんの1年半の稽古のが決勝していると いうかそういうシーンになっていてでこれ あの原作から結構アレンジされてる ポイントの1つなんですよね元々この屋上 で踊るシーンっていうのは確かなかったと 思うしこのどこ見てたんやろなっていう セリフもなかったと思うんですけど映画 オリジナルの脚本としては非常になんと いうかね作品のテーマとか世界観とかこの 彼主人公の器の人生とかねそういうとこ 全部をひっくるめてみた時にすごくこうシ を食ってるというかねすごく 寄り添えている薬が合ってる感じの完璧な アレンジだと思うんですけどこれなかなか ねあの見てたどこを見てるっていう言葉 自体の深みっていうのはやっぱりこの作品 のテーマとすごく絡んでくるんですよね この作品ってあの原作も含めてなんです けどもま歌舞伎というその見せるものと 見るものの間にその2者の間にそこには 本来ないものが立ち上がってくる見えて くるっていうそういう構造があってでそう いう構造全体の中で見せる側のものは一体 何を見てるんだろうねっていうところが 割とこうね大きなテーマとしてあるんです けども原作の方はやっぱり膨大な要素と いうかすごく長い小説で大きな舞台を扱っ ているんでいろんな要素が様々立ち上がっ ていてこう結構ね巨大な森みたいになっ てる感じがあるんですけどその中で映画館 に際してちょっと焦点を絞ってくれてる 感じというかね彼には何が見えてるのか あるいは彼は何を見ようとしてたのか みたいなところにこう見てるものを 引き寄せてくれるちょっとねガイドして くれるとか道みたいになってくれてるそう いうセリフなそういうセリフになってる ような気がしますでこれ多分原作でその あんた誰やっていうセリフがあってそこに 対応するやつだと思うんですよねでそっち のセリフは映画ではなくってでこれその 対応というかねこういう整理にしたんだっ ていうのはちょっと本当うまいと思うん ですよね あのまそっちのあんた誰の方はちょっと 小説の方ぜ非読んでいただきたいっていう のはあるんですけどもあんた誰やっていう この気候のセリフが放たれる瞬間というか ねま実際には放たれてるかどうかもよく わかんないちょっと曖昧なシーンではある んですけどもある意味そのどこまで行って も役者っていうのはどこか高めから見られ ている品定めされているというかねそう いう上から見られている見続けられると いうか見られ続ける役者の宿命を示してる ような言葉でもあるような気がするんです けどそれをちょっと一旦気候側に引き戻し てしかもま物語全体の割と早めの方向にも 持ってきてるか早めの部分に提示してきて るってのはちょっとうまいと思うんですよ ね単純にセリフとしてすごくいいってのも あるんですけどそれだけじゃなくって物語 の構成を作る上物語の構成を作る上で とてもよくできてるなという気がします でもう1つちょっと気候のセリフご紹介し ときたいんですけどもこれですねあの神様 と話してたんとちゃうで悪魔と取引してた んやっていうこれは原作にもあるシーンで ま彼の娘であるま娘というかあの隠し語 っていうことになるんですけども結婚して ない相手との間に生まれた子供綾野って いうのがいてま綾野とのシーンまちょっと 縁日でお参りしてるみたいな場面なんです けどあのこの作品綾野関連は原作と比べて かなり大胆にアレンジされてるというか 扱いがかなり時間出てきてるんですけども このセリフは原作の中から残されてると いうがピックアップされて再配置されてる シーンなんですよね ま菊がある意味そのあらゆるものを犠牲に してっていうそういう精神性の部分を描写 として支える上ですごく重要なんですけど 原作と比べた時のまあのの位置付け云々 っていうところを考えるとこれがちょっと ねあのただ子供を内がしにしてるというか 隠し号を内がしにしてる隠し号も含めて 家族というものを帰り見ないっていう割と シンプルな描写に見えてしまう部分もある かなというのは思いつつも単純にこの シーンの吉沢涼の立ち姿が本当にいいん ですよねちょっと写真じゃ伝わらないかと 思うんですけどもちょっとこうねゾっと するような色気があるというかねあのま 色気というか本当はいけないというかその 禁断の美しさみたいなね本当あっちに行っ ちゃいけないんだけどとっても綺麗だよね みたいなそういう歌舞伎の女方がずっと こうね人を引きつけていくげな方向の色気 というか色かというかそういったものを ちょっと濃厚に立ち込めさせてくるそう いう演技になっていてちょっとすごくいい んですよでまた声の質というかね喋りの 感じがまたとても良くてこのシーンま予告 編でちょっとおしみなく出されてるんです けども本編で見ると本当ゾっとするぐらい 気持ちいいセリフになっていてであとあの 子供綾野がね一緒にいるんですけどその 扱われ方声がとても可愛かったり歩け なかったりするんですけどフレームの外 だったりねそういう映画的な描写のされ方 もすごく気が効いてるというかいいシーン だなっていうことでちょちょっと注目し たいところですねちょっと原作とはまた 少し違う描かれ方になってる部分かなと いう気がします でえもう1人の主人公の方もちょっとご 紹介しておきたいんですけども ですねえ大垣俊助っていう名前なんです けどまあの歌舞伎の妙のま花井半夜って いう名を継ぐというかね集名することに なるんですけどもえま書いてある通りま 上形歌舞伎の名門名門の温蔵師として 生まれ看板役者花井半治郎を父持つまこの 花井半治郎っていうのが吉沢涼が演じてる 菊を引き取ったその歌舞伎役者の大物なん ですけどもその 菊がまもらわれてきたというか用姿に入っ た先の元々いた長男温造司っていうことで ねで生まれながらに将来を約束され歌舞伎 役者になることが運命付けられてきたって いうことでまもちろんその大物歌舞伎俳優 歌舞伎役者の息子1人息子っていうことで ね将来はその名を継ぐことになるだろう 感じろっていう名前を継ぐことになる だろうと本人も含めて誰もが思っていた ところになんというかどっからともなく すごい才能を持った歌舞伎役者である気候 が現れてきてっていうことでねあのすごく いい設定というかね対立構造がもうなんて いうかですかね事態に含まれていてこの 設定で面白くならないはずがないみたいな ところがあるんですけどもでその彼がまあ 仲良くなるんですよねそのライバルとして バチバチやるんですけどももうまさに無理 の親友というか兄弟というかそんな感じで 仲良くなっていってまその菊の親友として あるいはライバルとして共に切磋琢磨して いくここがまたすごくいいんですよねあの やっぱりスポコンじゃないんですけどこう いう主人公がね何かの道を極めるために 頑張っていくっていう時にその道を共に 歩んでいく心志しを同じくするライバルっ ていうのはやっぱりま絶対に面白い要素な んですけどもそれがこの俊助介っていう ことで横浜竜星さんが演じられてるとただ やっぱりあの本人が元々長男ということで ね当然その半次郎っていう苗積を継ぐこと になると思っていたところに菊が才能を どんどん開化させていくっていうことでま それにつれて徐々にちょっとね葛藤を抱き 始めるっていうことでこの葛藤の描かれ方 が本当にいいんですけどそれを演じてる 横浜竜セさんがま吉沢りと負けを取らず 本当に美しいんですよねでちょっと横浜鈴 さんについてはねそのさっき言った1年半 稽古してなんというかすごいところまで 行ってる歌舞伎の演技っていうのもすごい んですけどこれ彼のねこの大阪のボンボ ンっていうこの俊家の字の姿の表一ぷりが 素晴らしいっていうか凄まじいんですよ 横浜出身なのにもう大阪の本にしか見え ないんですよね何なんですかねその全然 元々の本人の素の姿っていうのは全然 そんなことなさそうなのにこの作品で見る 彼っていうのはなんかね売りザ顔に見えて くるというか本当にこう髪型の方のえとこ のボンっていう感じに見えるんですよね これ本当にま歌舞伎の演技の方にどうして も目が取られがちなんですけど字の姿の 演技っていうとこでは本当横浜留星さん すごいレベルに出してるなって思いました ねあのま彼の前作というかね片思い世界 っていう作品が今年あってでそれも見てる んですけどもそのその片思い世界での 傷ついた科目の青年ピアニストみたいな そういう役柄からは全然想像のつかない すごい達者な役者っぷりなんですよねま この後2枚あの予告編のシーン出そうと 思うんですけども本編で見ると破壊力が 本当にすごいんですよ でもちろん歌舞伎の演技もすごくってで ちょっとクライマックスの芝居のシーン 演技は本当に危き迫ってる感じでねその 瞬間もう完全に主役の吉田りさんを食っ てるみたいな感じすらするんですよもう 本当に筆見の演技だと思うのでまちょっと あのこの動画見るにあたってまだ作品見 られてない方っていうのがいらっしゃると 思うんで今回ちょっとねはしないように 話していこうと思うんですけど眉間の方は 本当是非あのこの動画見たらもうその後 ちょすぐもう劇場に足を運んでいって いただきたいっていうぐらい絶対に見て 欲しい演技を横浜さんがされてますという ことでちょっとね予告編出してみるんです けど このねゲがあるやないかっていうセリフが 本当に響くんですよでこれま横編でも使わ れてるんですけどその横編で切り抜かれた とこだけ見てもねこのゲがあるやない かっていう言い方がね本当にじ員と来るん ですけどこれ原作にないセリフだと思うん ですよね似たようなエピソードはあるん ですけど少なくともそのま菊語の本番前の 楽屋のセリフじゃなかったはずででこの前 のねこのゲがあるやないかっていうセリフ の前の菊クのセリフも予告編で出てくれる んですけど俺には守ってくれる知恵がな いっていうセリフがあってこれがまた 素晴らしいんですけどそこでねこの2人の 初演部隊前にま親海の親であり気にとって は育ての親である炭治郎が2を勇気づけた セリフにこうする形になっていて これは原作ときっちり軸を合わせた 素晴らしい脚本の仕事だなと思うんですよ ね ていうかね これをまこのセリフを持ってきた時点で 勝ってるんですけどそれをねこの顔で言っ てる横浜ってのが本当に素晴らしくてま 横浜さんあの片思い世界はねあの役柄が やっぱりちょっとあのまスクリーンタイム も小さいし重要な役なんだけれども あんまり派手な演技を必要とされない 役だったってところもあってちょっとまだ 進化が分かってなかったというかね私 気づいてなかったんですけどこの人本当に すごい役者だなっていうのがこのセリフ1 つでこうドカンとこう潜入感というかね第 1印象ひっくり返してくれる感じになって ましたこれは本当にいいシーンでしたねで 続いてもう1つまたすごい顔を見せてくれ てるんですけどこの本物の役者になりた いっていうねこの挫折のシーン大きな挫折 のシーンでこちらもあのセリフとしては 原作になかったかなと思うんですけども いや原作にもあったのかな本物の役者ねあ そうかあの原作とは出方が違うんですよね これ回層シーンでちらっと使われるセリフ なんですけどこれを全面的な映画家では前 に持ってきてるというかね本数の中に 取り込んできてでかつ 言われ方というかねそのこのセリフが言わ れるシーンが映画独自なんですよあのま 物語全体の中でねあの菊の才能によって このボンボンであったまボンボンと言い つつね本当に才能のあって将来を約束され てたようなすごい役者でもあるんですけど もその彼が器にとって変わられるっていう 話になっていくんですよねでその気候に とって変わられるあのま大学は気候で行 くっていうセリが予告にありますけれども その父半治郎が負傷してしまって舞台に 立てなくなった自分の大学を気候にし たっていうそのセリフ弾薬は気候でいくっ ていうセリフをま突きつけられた瞬間じゃ なくてその後実際にその大学を務めている 菊の演技を見たことで本物のショックを 受けるっていうシーンなんですよねこの プロットもまた本当にいいアレンジだなと 思うんですよ彼が1番ショックを受けたの は その親が自分よりも菊の演技を上だと言っ たことではなくてその菊の演技を見て自分 自身負けを認めてしまったってその瞬間な んですよねそこの描き方はちょっとある 意味原作を超えてるかなと思うんですよね めちゃめちゃエモーショナルででここで さらにねあのまこの物語の主人公のま恋人 というかヒロインみたいな役割だった花江 っていう女性がいてでこの本物の役者に なりたいって言って泣き崩れる ま俊介を花江が支える形でついていくって いう動きになるんですよねでここは原作と 同じなんですけどただ原作と比べると花江 が全然ちゃんと描かれてないのでかなり 唐突になってしまうんですけどまなんと 言ってもそれが発生するのがこの横浜竜星 さんのすごい演技この顔の後なのでなんと なく納得できてしまうというかねあの原作 読んでない方でもまこれなら花江ついてっ ちゃうかなみたいな気がするんじゃないか みたいなあのま花江のアパートにフらりと 現れるシーンっていうのは原作にもあって このそれがこの2人の間の関係性を匂わ せるというかねこの花江がついていくって いうプロットの布として動いてるんだと 思うんですけどここが全体として別の足に なっていて 本当はそのアパートに現れた俊助と一緒に 花江がっていう風に動いていったはずの 原作をアパートに現れたシーンでは花江は ついてかないんですよねてか助け と共に姿を消すっていうシーンはこっちに すり替えられていてでその前の布として出 てきてるそのアパートのシーンはマヤド リアって言って何こぬ顔で介が去っていく みたいな調方になってるんですけどこの雨 の扱い方とかねちょちょっと気が効いてる なと思うんですよね甘いアドリアって言っ てくる俊助で劇中のそのま前半の クライマックスの中でま舞台の膜が空いて で雨が降ってるみたいな劇の中で降ってる 雨の扱い雨の音とかがねちょっと雨音が 自分以外の役に向けられてる活彩のように も聞こえてくるようなそういうちょっと 昨日聞いたアレンジがされてる辺たりも ちょっと映画化のいいところかなみたいな まちょっとあの個人的に気に入ったって いうだけなんですけどもそういう足になっ ていてま やっぱすごく映画的なんですよねこれは ちょっと後で話そうと思ってるんですけど 本当にこうねこの作品を映画にするって いうことで映画としての軸っていうのが すごくしっかり定まっていてでこれあの 吉足というかね好き嫌いにも繋がるところ はあると思うんですけど私はちょっと すごく評価してるんですよね この小説が原作になってる作品を単に映画 化する小説を映画にするんじゃなくて小説 が目指してるものを映画っていう別の道筋 から同じように狙っていくみたいなそう いう作り方になってるのは本当にすごく 尊い心志しだとも思うし果敢な挑戦だとも 思うんですけどもそこがすごくうまくいっ てるのはこの作品の1つ見所になってるの かなっていう気はしますね ということでちょっとねあの2人の主人公 にまフォーカスを当てて先に喋ってみたん ですけども全体の見所的なところを ちょっと改めて整理するとですねま1つに はその物語自体の濃厚さというかね味わい の深さっていうのがあるんですよねもう ゲート友情の物語ってこう書いてますけど ゲート友情の物語だったら面白いに決まっ てるじゃないですかみたいなねでその2つ の軸がゲと友情っていう2つの軸がその 並行して書かれるとかね縦軸と横軸とかで はなくってなんかこうねゲーっていうこう 1本天に向かってまっすぐに伸びていく すごい高い柱の周りを2つの主人公2人の 主人公の螺線が絡み合いながら互いになん というか登っていくみたいなねそういう すごく美しい構造になってるんですよこの 上を目指していくすごく大きなベクトルと その上を目指していく柱に引き寄せられる ようにというかね逃れられないみたいな そういう宿命的なところもあるんですけど もその周りを一定の距離を保って2つ2人 の主人公が本当にお互いの周りを回り ながらお互いに登っていくみたいなその 美しい構造っていうのはちょっとやっぱり 物語としての強度がすごく高い っていう結果につがなってる気がしますね なんて言うんですかねこの2人の友情がね 単に親しい友達とか心志しを同じくする 仲間とかそういう次元に終わってないん ですよねあのまもちろん 愛像っていうかね互いに嫉妬したり互いを 許せなかったりあるいは自分を許せなかっ たりみたいなねめちゃめちゃ濃厚で濃密な こう常年みたいなものがま小説でも結構 地密に面密に書かれてるんですけどもそれ を小説とはまた違ったアプローチでね3 時間の映画の中できっちり納得させて 見せる脚本になっていてでそれをちゃんと きっちり納得できるレベルの演技にして いるま横浜竜星さんと吉澤りさんっていう ことでねなかなかこの友情の物語っていう のがちょっと近年稀れに見るレベルの濃度 になってるとか密度になってるというか もう絶対面白いに決まってる構造なんだ けどもその構造に甘えてないっていうかね それを土台にさらに上の次元に行ってる 感じがします で歌舞伎のシーンがねま2つ目なんです けどやっぱり本当にこれすごくってま 歌舞伎は本当に私素人なんでねま見たこと もないですし詳しい方が見ればやっぱり 色々荒が目についたりもするのかもしれ ないんですけど声の貼り方1つとっても あるいは体の使い方さき方とっても何もか もちょっとね普通の役者が演技であるよう なことじゃないんですよね本当にもう素人 から見たら本当にもう歌舞伎の天才にしか 見えないんですよ どれだけの鍛錬がそこに注ぎ込まれてるの かってちょっともう想像もつかないんです よねなんというか素人にできる声じゃない んですよその役者俳優がま例えば1週間と か1ヶ月とかね短期で訓練してなんとなく 歌舞伎役者っぽく見えるようにやってみ ましたっていうレベルに全然見えない やっぱ1年半っていう時間はまもちろんね 法務職の株者の皆さんがねその障害をかけ て追求していくゲのレベルっていうのとは また全然違うもんだろうとは思うんです けどちょっと素人目には見えてこないそう いうところまで行ってるであと歌舞伎を 演じてるその2人の役者がすごいってのも あるんですけど歌舞伎の演目の使い方が まだうまいんですよねこれ脚本の勝利だと 思うんですけど原作だとあのもっと いろんな演目が出てくるんですけどかなり 思い切って整理をしてるんですよねま冒頭 の赤のっていう演目はまそのままとして それ以降がねそのメインを2人2人じゃ ないやこれ2人2人って読むんですよね2 人富士娘それから2人道場寺っていう2枚 看板的な演目をメインで使っていてその 主人公である菊と俊助の共演っていう構成 を検事していくというかねそれでドライブ していくんですよでさらにその物語の クライマックスをソ崎真獣っていう目が あってこれを2回やるんですけどこの使い 方が本当にうまくてちょっとこれねあの ベッドこの後すぐ語りたいと思ってるん ですけどその2回の染崎真獣が めちゃめちゃ強力なドライバーとして物語 をドライブしていてで最後詐欺娘っていう ねあのま菊をま花井半治郎っていう ま苗石を周名ししてるんですけどもその半 次郎が詐欺娘っていうまソロの演目って 言ったらあれなんですけども1人芝居を やってくそうやってラストに持ってくって この構成は本当にめちゃめちゃ思い切って 大変だと思うんですけど実際考えてみたら もうこれしかないなっていう最適会という かねベストな形に持ってきてる気がするん ですねでそのそ崎新住のとこなんですけど ま新住ってねあのちょっと映画だけ見た人 にどれだけ伝わるのかっていうのは ちょっと私あの原作読んでから見てるんで 自分ではちょっと想像つかないんですけど もあの新珠新獣っていうことでねあのお発 っていう友女がその恋人の特米に対して あんた一緒に死んでくれるのかいっていう まその無言の問いかけというかね 自分はもう死ぬ覚悟ができてるでもあんた は一緒に死んでくれるのかっていうそう いう問いかけをするシーンなんですよね男 に対してでそのシーンまその真獣のって いう遠目のクライマックスになってる シーンが劇中で2回やら2回現れるという か2回使われるんですけどこの2回ともね 覚悟っていうものの扱いというか覚悟と いうモチーフを使って すごい濃いシーンを作っていて素晴らしい んですよで特に2回目はねそのそれをやっ てる歌舞伎としての芝居とか歌舞伎伎の 演技っていうところのすごみも相まって もう本当に鳥肌者物なんですよ これはねちょっとまあのそ先っていう演目 自体を知らずに見るとどう感じるのか ちょっと分からないですけど ま原作読んで信住っていうものを理解しま 信珠を理解するって言ったらすごい おがましいんですけどそれ信住で描かれ てるものはこんなことですよっていうこと をある程度把握した上で見た私にとっては ちょっととんでもない名シーンっていうか ね もう本当に死ぬ覚悟っていうものをね こんなレベルで演じるんだっていう でそれによって彼らがどこに向かっていく かこの2人がどこに行くのかっていうねま 芸の道に命をかけるっていう ま言葉で言えば簡単なことなんですけども それをどのレベルで彼らが捉えてるのかま 二重の意味でそうなんですよねあの俊助と 菊尾っていう2人がどう捉えてるかって いうところに加えて演じてる吉沢りさんと 横浜竜星さんがそれをどのレベルまで降り て救い上げてきてるかっていうその 聞き迫る演技っていうのが本当にすごいん ですよ はでそれがその3つ目の見所そのものなん ですけどもま聞き迫る演技って言葉で言っ てもねなんとか全然伝わらないと思うん ですけどでもこれはもう言葉で何を言って も野望っていうかね伝わりっこないのは 分かりきってるんですけどとにかくま事実 関係だけ言うとちょっと吉沢涼さんとね 横浜竜セさんっていう2人の俳優の俳優と しての進化というか本量が発揮されまくっ てるっていう感じなんですよねでその上に ちょっとね渡辺健さんの顔力みたいなのが あったりしてねあの例えば冒頭赤関のって いう演目を少年時代の気候が演じるでそれ を見た炭治郎がその気候の才能を見い出す シーンっていうのがあってでまちょっとし たシーンなんですよね本当に短いしあの ダイジェスト的にその赤の演目を演じるま 少年の気っていうのがいてでそれを見た 渡辺ケがもう本当に顔だけで全てを納得さ せるっていうかね渡辺県の顔を見ることで あこの少年の演技はすごいんだなすごい 才能があるんだなっていうことがこう関節 的に納得させられるというかねでプラス それに書いてあの田中みんさんっていう方 えっとま俳優もされてますけど本職という か元々は武用家あのご本人は家ではなくて 武容家と言って欲しいと言ってらっしゃる ようなので武用家っていう言葉を使うん ですけどもま武用っていうもののまもう真 のプロっていうかねそういう方なんです けどもエキがね本当にもうザ化け物って いう感じなんですよねあの小野川万ギって いう伝説の役者というかねあのま劇この 劇中のま気構たちの時間軸の中で日本一の 歌舞伎役者みたいなところ日本一の女方 みたいなところの位置付けにある小川満月 っていう役者をやってるんですけどまその 満月自身の演技を見て菊が化け物やって いうシーンがあったりするんですけどその 化け物やって言ってる菊のセリフにも 100%を納得できるというかねどっから どう見ても見事な化け物みたいな演をされ ていてこのすごみとかもねもう惜しむとこ なくふ断に盛り込んで作品全体の世界観を 深めてるというか今何どんな恐ろしいもの を見てるんですかっていうメタな情報がね ひしひしと伝わってくるんですよその 歌舞伎の演技のすごさが分からなくても あるいは歌舞伎の演技自体がねあくまで その本色の歌舞伎俳優でない役者さんが やっているま間がい物とは言わないです けれども演じられている巨行のものであっ たとしてもその演じられてるが何を意味し てるのかっていうすごみがすごくよく わかるというかねでこれちょっと歌舞伎の 構造とも通じるとこだと思うんですよね その形を突き詰めることで重傷化していっ て その車実とは全然違うレベルの形とか 見立てとかねそういうものによって本質を えぐり出して表すそうやって高みというか 究極に到達するためにある意味も様式化さ れた世界の中でその様式を突き詰めること で逆に本質が見えてくるみたいなそういう のがま歌舞伎の1つの形というかね構造な んだと思うんですよねま熊取りとかねあの 化粧とかそういうところも含めてま衣装と か小道具もそうですけど特に小道具とかね あの釣り金とか色々出てくるんですけど 全然あの別に釣り金の車実的な見た目 なんか全然追求してないしや例えばねあと あのレンジ士っていう演目がちらっとあっ たりもするんですけどもあの紙を振り乱す 後白の紙を振り乱すブンブン回すあの レンジ士っていう演目にしたってあれが死 ですっていうっていうのは趣旨に見える ように実 に寄せたりは全然しないんですよねでも めちゃめちゃ追求してあの形になってるん ですよねその方向性なんですよね果実では ない方向性でもものすごく突き詰めていく ことで究極的に突き詰めていくことでその 本質に至るみたいなそういう吹きの構造が ある意味なんというかねあの 取り入れられているというかね この渡辺健さんの顔力とかね田中みさんの 迫力とかねそういうものもなんというか 演技という候行ではあるんだけれどもその 映画としての演技を突き詰めていくことで 歌舞伎が到達しようとする本来のその元々 ね目指されている本質に 別の道乗りから到達できるというかねま ちょっとあの何言たいのかわかんなくなっ てきたんですけどもそういうとにかく 突き詰め方がすごいっていうのはちょっと 見所としてあるのでま主演の2人だけでは なくてね他の俳優さんも含めた演技って いうのは本当に一見の価値ありとか筆見の 価値ありっていう感じですね ただまあの冒頭にも言ったようにねかも なく不もなくじゃなくてかもあって不もあ るっていうとこで言うと不満点っていうか ねあのここがこうだったらもっといいのに なみたいな欲張りというかわがままみたい なところは感じたんですよ個人的に まなんと言ってもやっぱり原作先に読んで しまってるっていう立場もあるんですけど やっぱ割愛部分が大量にあるんですよねま 原作が使ってるのがそもそも小説上下か2 冊で450年にわって展開する話なんで むしろ3時間に納めてるのはすごいじゃ んって言ってもいいんですけどそれでも やっぱりあの原作がすごく面白いのでその 面白い原作に魅了されてる立場からすると 他にもすごくいいシーンとかいいプロト いっぱいあったんだよねもったいないな みたいなそういうところはどうしても感じ てしまうというかねまないもの値段りなん ですけどあるんですよねこの後ちょっと 触れるその女性の描かれ方の問題ってのも 結局そこが熱光だと思っていて3時間の 映画に収める中でどうしても入れきれない というか収めきれなかったものがあってで それをま除外してしまうとやっぱりああ いう形になっちゃうよねみたいなその辺は まあの解決策は別にないんですけども やっぱりちょっと気になる部分としては あるかなとでそれからあの歌舞伎のシーン もねあの見所のところに歌舞伎のシーンっ て書いといて不満点にも歌舞伎のシーンっ て書いてるの何なんだっていうとこあるん ですけどこれ完全に個人的な好みだとは 思うんですけどあの BGMない方が嬉しかったかなっていう気 がするんですよねま劇板って言うんですか ねあの劇中の歌舞伎のシーンにあの ストリングとかオーケーキャストラ的な ものも含めてBGMが入るんですねであの BGMすごくマッチしていてでシーン自体 のその全体的な感を盛り上げてるのは 間違いないんですよすごくいい仕事がされ てるっていうかねめっちゃ感動するんです けどそのオーケストラチックな劇板もただ 純粋なその興味っていうかねこんなんだっ たらちょっともっと嬉しかったかなって いうのはやっぱり素のあの時方って言うん ですかね歌舞伎の演目として上映されて いる形での楽器だったり掛け声だったり あるいは観客席の息遣いとかねそういう 演じてる人とか見てるがあの呼吸が感じ られるような形で見せてもらえたらもっと 良かったかなあもっと良かったかなってか もっと良かったかどうか分からないんです けどもそういう形で見てみたかったなって いう思いがあるというかね元々キっていう のはそういうBGMなしに演じられるま BGMがないというかそのオーケストラ BGMなんかはつかないのでその歌舞伎の 本来の形での音響で見せていただけたらな というか見てみたかったなっていう感じ ですかね実際見てみたらやっぱBGMあっ た方が映画としてはいいねってなるかも しれないんですけどちょっと見てみたかっ たなっていうところはありますと あとあの歌舞伎のシーンっていうことでは 厳密にはないんですけど原作も含めてこの 映画の中でもやっぱりテーマとして モチーフとして大きくフィーチャーされ てる演じている見せてる側のキックを自身 が見ている景色っていうのはちょっと解釈 違いっていうかねあのこの映画で出されて いる形 よりは私はむしろむしろ一層真っ暗闇とし て画面安転とかで提示してくれても良かっ たんじゃないかなって気がするんですよね そこに気候が何を見てるのかは結局彼に しか分からないものみたいなそういう強び 解釈をちょっとしてしまうのでま映画の 表現もねあのまちょっと言い方悪く聞こえ たら嫌なんですけどもすごい分かりやすい 表現にはなってるんですよでかつある意味 限界かなっていうところもあってあの形に なってることに対していやそれはダメ でしょとは言わないんですけど個人的な 好みとしてちょっとむしろ見せない見せ ないで見せるみたいな形にしてもらった方 が良かったかなっていう気はしますんで これあの自方じゃなくてオケストラが入っ てるとかねあるいはそういうある意味は 分かりやすい形でそれが見せられ るっていうのはちょっとあの後でもう1回 触れるつもりでいるんですけど映画である ことに順じるっていうそういう政策姿勢な のかなとは思うのでその一貫戦っていう ことでは全然今の形でもいいかなという気 もちょっとしてます ま両バージョン見て見比べられることが できたらねそれが1番贅沢でいいんです けどもあの好みとしてこっちだったら 良かったかもとは思いつつ今のこの形今回 その国報っていう映画が撮ってる形に対し て不満点というほどではやっぱないすね あのこうだったらよくこれを見てみたかっ たなっていうだけの話ですねこれあのこの 歌舞伎のシーン自体の描写自体は別に何も 悪くないとは思います で最後ちょっとねやっぱりこれはどうして もざるを得ないんですけどやっぱ全体の 上映時間はね2時間55分は長いんですよ ね商業映画としてはちょっとまギリギリ 許されるみたいな空調ある気はしますけど どうなんですかねま個人的には全然気に ならなかったし退屈もしないどころかなん か2時間55分一瞬で終わってしまった ような感触すらあるんですけどやっぱ一般 論としては長いしにも色々難しくなる部分 があるんじゃないかなっていう気はするん ですよねただその一方でちょっと長いけど 短いって書いてますが原作考えるとね正直 3時間でも短いんですよねだからむしろ やっぱり青春編花道編で2時間30分ずつ ぐらい合計5時間ぐらいにまとめて もらえるとベストだったんじゃないかなっ ていうまた内物ねダりのレベルですけども そういう風には思っちゃいますね たら内物のついでにもっと言わせてもらう と青春編道編で分けて花道編は15年後 ぐらいに年を取った吉澤りさんと横浜竜星 さんでやってくれると最高かなっていう気 がするんですよねま今回あの2人の演技に 全然文句はなくってそのま50歳ぐらいな のかな劇中最後の方の気候を演じてる吉田 涼さんのねちょっと白髪がさしたような 色気も全然文句ないんですけどやっぱり 例えばこっから15年彼ら自身がみっちり 俳優やった上でさらに厚みというかね すごみを増した2人で菊俊の舞台の外の姿 をちょっと見てみたいっていう感はあるん ですよねま舞台の上でのね彼らの演技って いうのはもう本当にね逆にそれこそねあの 年を取ったら変わるっていうものでもない というかね年を取ったからこそのすごみ みたいなものを今映画でこの時点で2人が 演じてるその形というか姿に文句はないと いうかなんもうそのレベルになると違いが もうこちらにも分からないのであの歌舞伎 をやってる2人ま50でやってる詐欺娘の 菊クを15年後に吉田涼さんにやって 欲しいと思うわけではないんですけど舞台 を降りたところのねそういう姿楽屋の姿と か あるいはその舞台の外での彼らの家族で あったり友情であったりそういったところ の話を15歳に年を取った吉田りさんと 横浜竜星さんで見てみたいなっていうのは ちょっと本当にまもう完全に内物ねりと いうかねというか何言ってんのって感じな んですけどもそういうのはちょっとちらっ とやっぱり思いますね ということでちょっとねかもなく不負不も なくではなくてかもあり負荷もあ りっていうところの負荷の部分はなんか もう言いがかりというかねどんなん言って も無理でしょっていうとこでしかないんで そういう意味ではもう完全に絶賛っていう 言い方をしてもいいとは思うんですけれど もちょっと見所と不満点ということでま 一応言っときたいことというかね感じた こととしては言わせていただきましたと いうことで最後ですね ま原作との違い原作からの割愛部分と違う 部分についてはちょっと少し話を改めてし ておこうかなと思うんですけどもまあの 最初にも言った通りね原作 に対して原作を映画化したというよりは 原作が描こうとしているテーマと同じ テーマを映画っていう形で映画の形を 突き詰める形で別バージョン作ってるって いう感じなのでま割愛されたり違ってたり すること自体には何にも問題ないかなとは 思うんですけどねただちょっとあのま 例えばねこれ映画を見て原作まだ読んでな いっていう方とかに原作をお勧めする みたいなそういう観点でもちょっとまとめ ておきたいかなとは思います原作って どんなだったんですかねみたいなでまず 割愛部分なんですけどもあのま辻っていう 男がねあの原作では結構金になって るっていうかこれ立花 菊の父親を殺したある意味新犯人というか ね 親の敵みたいな存在なんですけどもヤザの 親分辻っていうのがいてま辻含めてその 反射の人々っていうのが結構出てくるん ですよ元々主の気候自身がそのヤザの息子 っていうところはあるんですけどまそこは さすがに変えられないとしても今2025 年に公開する映画として反射を描くのは ちょっと色々難しかったのかなというかね ま別にあの初詮初詮って言ったら違うなま 映画の物語の話なので別に反射書いても別 にいいとは思うんですけどもやっぱり色々 難しくなる部分もあるかと思うんですよね そのそれこそねこの映画が公開されてま まだ3日ぐらいしか経ってないですけど その中で女性の扱いがひどいとかそういう 議論がやっぱり巻き起ってるのを見ると あの捜索だからと言ってっていうところは あるんですよねま捜索の中でね反射が出て きたことで反射を肯定するとかそういう話 にな短落的になるわけじゃないんですけど まそもそもその強烈に長大な原作を3時間 にまとめるにあたって色々割愛する中でま 反射部分はとりあえずカットするかみたい になるのはしょうがないかなっていう気が するんですよねただこの反射関連の人々が 全部カットされているせいで綾乃の プロットも菊の妻のあき子のプロットも 全然別物になってしまってるのはまあ 間違いないんですよねで結果として女性 たちの乗が描写がほぼ漂していて 今あのさっき言ったその女性の扱いがって 言われる問題されてるそういう議論みたい なものもある意味そもそもここが根っこの 原因だったりしませんかみたいな気は ちょっとするんですよね ま特に辻のプロットがないのかなっていう のはねまあともう1人反射でとんでもない やつがいてでこれが綾野のプロットに すごい絡むんですけどまこれはちょっとな 扱いが難しい上にちょっと綾のプロットも ガンガン深掘りしなきゃいけなくなっ ちゃうんでこれ入れちゃうと多分4時間と か4時間半とかになっちゃうんだろうなっ ていう気がするんでましょうがないかなと は思うんですけどまそのせいでちょっとね あの女性の扱いの話っていうのがま難しく なってるというかねあの議論を呼ぶ きっかけになってる気はちょっとします でもう1つあの特自と弁天っていうね すごくいいキャラが原作にはいるんです けどあのすごい魅力的なキャラクターなん ですけど完全に消えちゃってるのは ちょっと単純に残念ですねもったいないと いうかねま特自は一応ねあの気候の少年 時代ま気候がえ長崎から大阪に出てくる前 長崎パートでは一応あの存在はしていてで その後原作ではその後もずっとねまつかず 離れずというかま時々離れたりはするん ですけどもその菊を影になり日向になり 支え続けるすごく熱い友情を持った熱血感 みたいな感じで最後まで物語の最後まで 気候を支え続けるみたいな感じで出てくる 特っていうキャラはもったいないなって いう気がするんですよねでその彼がね特じ っていうキャラクターはあのま気候を支え るっていう役割でなではあるんですけど その気候の支え方がね大体女性関係なん ですよねで特殊がいないことでちょっと そのま元々のその菊の恋人であった春江で あったりあるいは菊の隠し語である綾野で あったり舞台に上がっている菊に対してま その裏ま舞台の下学あるいはま奈落ってま 比有的に言ってもいいと思うんですけども そのそういう話がね一切描かれなくなっ ちゃうんですよねそこが描かれてたら逆に 特がめちゃめちゃ生き生きと描かれる だろうとは思うんですけどもまでも今の形 でも3時間なんでしょうがないかなとは 思うんですよねっていうかむしろねその 綺麗にま観光脱体というかま観光脱体と 元々意味は違う気はしますけどもその綺麗 に骨だけ抜いたらこういう綺麗な形になる んだなっていうちょっと関心するような 気持ちもあるんですよ食事を完全に切って しまって女性関連も全部切ってしまって 本当に背骨と油のとこだけ残したというか ねすごく綺麗な形に抜き出されてるなと いう気はするのでまあの不満点があるわけ じゃないみたいな本当は不満ってことでも ないっていう言い方をちょっと前にして ますけどもそういう観点ではこの開変割愛 はましょうがないというかねなんとなく 受け入れられる気はしますまあともう1人 弁天っていうねすごくま扱いは特自ほどで はないんですけどやっぱりすごく魅力的な キャラがいたんですけどもその彼がいない ことでま歌舞伎会っていうものがそもそも 芸能界の芸能界っていう1つ大きな世界の 1界隈だっていうちょっと広めの文脈で 原作小説がなんというか時代小説的時代 小説って言っても時代劇っていう意味では なくてあの特定の時代を描くっていうそう いう意味合いでのその時代小説として機能 してた部分がなくなっちゃって るっていうのはちょっとねもったいない これもやっぱりもったいないんですよね まあいちいち全部拾ってたら本当に絶対3 時間か5時間あっても足らないと思うので なっちゃうのはしょうがないんですけども 原作のこの部分弁天画になっている あの時代の芸能界とかそういうところはね ちょっとねあの面白いというかね原作小説 がちょっと1つ頭抜けてるというかすごい 決作だなと思ったんですけどその決作に なってる要因の1つかなと思うんでそこは ちょっとあの検索をお勧したいっていう 観点でこの弁天というキャラクターがいた んだよってことはちょっと映画しかご覧に なってない方にはあのお知らせしていきた いっすね であと最後さんねあのこれはねあの原作で も別に私好きなキャラクターじゃないしと いうかあの絶対このキャラ好きな人いない と思うんですけどもこのつさんっていう別 の歌舞伎役者が担当してたパートっていう のはま菊のその彼のキャラクターとしての 柱であるゲに全てをかけるっていうその 姿勢のもう1つのドライバーというかね あの彼がいることで芸に全てをかけ るっていうことの結果というか影響という かいろんなことがねより深い陰営影を持つ ようになっていくような形になっていて それがね人間としての気候の描写原営を やる役者としての気候ではなくて舞台の外 も含めた人間としての気候の苦悩であっ たりなんだったりっていうところにこう ちょっとね延営を与えてくれる感じになっ ていたのでま彼がカットされてしまうこと 自体はましょうがないとは思うんですけど これもやっぱもったいないかなっていうま あの映画っていうね短いでそれをやろうと するとやっぱりこういうキャラが出ると むしろ薄っぺらく見えてしまう気はするの でまこれはこれでしょうがないのかなって いうかま正解なんだろうなって思うんです よねまあと弁天がいないことで芸能界描写 もないんでねこのつさんのプロットの最後 の方とかも消えちゃうんですよねなんでま この辺はもう全部ばっさり一まとめで カットしたっていうのはAっていうかね 正解だったんだろうなという風に思います でま割愛じゃなくてアレンジのところです ね原作との違いのところもちょっと言って いきたいんですけどえっとままず小野川万 さんですよねあの田中みさんが演じられ てるザ化け物ってさっき言いましたけど この化け物役者のところあの個人的に1番 びっくりしたのはあのほ川満ギが最初から 人間法として出されてるとこなんですよね 原作の方はあくまで菊trokがま花 半治郎として人間国報になるまでの話 みたいな位置付けなのでま原作に明治的に 書かれてるわけじゃないんですけどその株 者の中で人間国報になるのはあの原作の中 では気候だけなんですよねでその スペシャルな立ち位置がちょっとこうね 緩ぐというか消されるんだけど逆にここで 満ギが最初に人間国であるっていうことで ま他のいくつかの描写も合わせると満ギ から気候への何かが継承される話みたいな そういう1つの軸として あの意味があるのかなというかね軸街は 補強されてるっていう効果はあるのかなと いう気はします で満月さんについて言うとねついて言うと ねちょっとあの1番気に入ってるというか すごく 関心したのはあのま渡辺県外が演じる花井 炭治郎が3代目ビッコを集名するっていう ことでま集名疲労の挨拶をするシーンが あるんですけどそこでビッコが倒れるん ですよねで倒れたビッコが運び出された後 舞台から運び出された後周名披労挨拶で 一緒に座っていた菊ごと満ギだけが舞台に 残される残ってるんですよでその満ギの 描かれ方っていうのはすごく象徴的だなと 思うんですよね あれだけのことが起きた後にそれでも舞台 に残っていた2人っていうかねそこは うまいと思うんですよねそこがそのシーン のね意味するところみたいなところも すごく原作のシーンを食ってるっていう 言い方にやっぱなると思うんですけど すごく うまいって思いましたねいい脚本だなって いうかね でこの万月っていう存在がね割と明治的に こう師障筋というかね菊後に対しても俊介 に対してもその後の2人の道筋を彼が定め てしまってるかのようにすら思えるみたい な偉大すぎる先人みたいな位置付けになっ てるんですよねでこれはやっぱりあの なんていうかねいい響きに聞こえないかも しんないですけど分かりやすくていいと 思うんですよねでもっと言うとそのある 意味菊俊っていう2人の主人公がいて2人 とも天才なんだけども 彼ら2人だけがすごく特別っていうことで はなくて天才なんだけども不正質の天才 ってことではなくてねむしろそれほどの 才能を持ってあれほどの犠牲を払って努力 をしてさえ連面と続いていく歌舞伎という 巨大な伝統のタイガみたいなものの中で ある1時点の継承者でしかないんだよって いうねすごく膨大なというかね壮大な枠組 が透けて見えるようなあの別に彼らを彼ら 2人の才能とかをね非消化するわけでは なくてその彼らの上にさらにより大きな方 もないものがあって彼らがその一点として より強く輝くみたいなねそういう構図を 作ってる気はするのでこの満クのアレンジ はなかなかいいかなと思うんですよね で2点目なんですけどここはねちょっと 1番重要なポイントというかねあのま女性 の扱いひどいじゃんっていう話をいくつか もう目にしてるんですけども 確かにまあなんて言うんですかねひどいは ひどいんですけど原作も踏まえて考えると 原作ってこのま除たっていう言葉で書いて ますけど本当にね原作を読むとあの女性人 ってどいつもこいつもすごい結物ばかりな んですよでま例えばねあのなぜか藤駒って いう名前になってますけども赤木気候が 出会った芸光のま1コマっていう名前だっ たと思うんですけどもそのま藤駒一駒が彼 と出会ったその夜にうちさんにするわって 言ってこう人生をかける宣言をするんです けどその言葉のねかっこよさみたいなのは もうちょっとあの世界を描かないと伝わっ てこないと思うんですよねま時間が足ら ない上にねその色々描けないものは描か ないみたいな形で整理をしている以上そこ はましょうがないんですけど原作読むとね 1コマかっこいいんですよね でそれは1コマだけではなくってあのま 長崎で元々気候の恋人だったしかも同じ 耳づくの掘り物を背に入れたその上でその 京都から京都じゃないから大阪に身1つで 出てきた花江春江にしても映画の中での 描かれ方だとこの命を閉したというかねを 預けた身をかけたその気候というものが ありながらそれでも俊介と共に出版して いってしまうってあのシーンに至るあと いうかねキ々というかねそういうものが やっぱ見えてこないですよねまあのシーン については横浜竜誠さんの演技がすごいん でやっぱ納得はいくんだと思うんですけど も映画だけ見てもでも原作を見てねずっと 読んでいった上であの場面にたどり着くと 春ってすごくこう複雑で深いキャラクター に見えてくるんですよねま深い だけではなくて強いっていうかねまあと あのそれって聞くの妻のあき子にしても そうなんですよねあのあ子のでまある意味 その菊に騙されるというかね菊がま株機会 の中で復帰するために手段を選ばずに何で もやるっていう覚悟を決めた上でま角沸か すっていうかねあの 愛してないのに妻にするみたいなそういう プロットになってんですけどその 妻のあき子自身が騙すんなら最後まで騙し てよっていうめちゃめちゃかっこいい セリフを言うんですけど映画だってその かっこよさはやっぱで出てこないんですよ ねまこれも本当しょうがないとは思うん ですけどでまてかね本当に全員そうなん ですよねこの俊助介の母のさち子とかね あとま藤駒いこの娘の綾野とかね本当に こう女性人がいちいち美しくて強いんです よでまひどい目に合うというかねあの不当 な扱いを受けるんで悲しい存在ではあるん ですけど誰1人としてそれに負けてない 感じなんですよねどでもない扱いをされて るってだけじゃないんですよ なんなんて言うのかなあのちょっとこの 映画見ててでかつその女性人の扱いがって 話を見てて思ったことなんですけど疾風 軽装っていう言葉があるじゃないですか 逆境の中にあって初めて本当に強いものが 分かるみたいなで原作国報法もちろんその 気候と俊が芸の局地に向かって登り詰めて いく話ではあるんですけど 今とは違う時代でかつその時代だけでは なくてあの世界あの界隈っていうね女性が 本当に不当な地位に置かれている世界の中 でのその厳しさとか不常理っていうもの 自体をその気候と俊介だけではなくてその 周りの世界の不助理自体もしっかり描く ことでそれゆえに決然と立ち現れてくると いうかね浮かび上がってくる浮き彫りにさ れてくる女性の強さとか輝きが原作では 描かれてると思うんですね でま考えてみたらなんですけどその そもそもこの作品全体が女方の話をしてる んですよね形を極めてであの劇地のセ類で もあったかちょっと原作だけだったか わかんないんですけどその形を極めて女に なってその女であることすらも捨てた後に 残るそこに本質があるみたいなそういう話 をしてるんですけどそこで追求されてるの はその女性というもののまある意味1つの 理想の姿なんですよね でその理想っていうのはそれ自体ある意味 その見物として消費されるみたいなねそう いう文脈の上にも乗っかる話なのかもしれ ないんですけど そういうひょっとしたらちょっと危い現代 的には危いかもしれないものを持っていく 中でそれを扱ってる中で同時にそのそう いう形ではないいろんなものを切り捨てた 表彰ではない生々しいその肉体とか常年と かねそういうものを持った女性も一緒に 描いてるのが検索なんですよねでそれはね その女性が不当に扱われてる世界で作中の 女性がそれを追任してるとかね作者がそれ を追任してるとかそういう話じゃないん ですよね 歌さきのその女型っていうそういう究極の シンボリズムというかね象徴とか表彰とか そういうある意味巨行とか仮想とかそう いったものの世界から現実の社会の不上理 にも立ち向かっていく生身の女性までが 連続して描かれているのが国報っていう 元々の世界だという気がするんですよ でそれを思うとちょっと本作でのま改変 映画版での開変はまちょっと仕方ないかな とは思いつつもま残念は残念なんですよね ラスト前の野のところもちょっと正直違和 感は残ったので でまそのラスト前ちょっと違和感は残りは したんですけどもあののプロットも一応 処理された上でのオーラスのところそこも ちょっと映画の違う部分ではあってま大枠 では違ってないんですけどま気候がある 意味その浮用の世界を離れて1つの境地に たどり着くみたいなそういう話ではあるん ですがただその気候がその境地に向かって いくにあたってのキーイベントみたいな ところで舞台への乱入者っていうのがあっ てその辺りがちょっと変わっているという かねその辺りからちょっと変わっていくと いうか別ルート別ルートまああるいは別の 面裏面って言うんですかねそのちょっとね 視点も含めて変わってる感じがしていて で 映画版の方はなんというか気候が追い求め てるものは何なのか芸も 言っても作り物なのか偽物なのかみたいな そういう布が1回打たれてるような気が するんですねでちょっとねあの前段でこの 映画の不満点みたいなところでね歌舞伎 シーンに音楽がついてるっていう話をした と思うんですけどそういうところがねあの 今回のリサイル監督の覚悟なのかなと思う んですよね ま巨行っていうキーワードと絡むと個人的 に思うんですけども彼の今回の映画は やっぱり映画っていう形にこだわってるん ですよね映画というフォーマットがあって そのフォーマットを突き詰めた上での話を しようとしてるっていうかまそもそもね そのさっきも言いましたけど女型っていう ものがそうなんですよね長型っていう言葉 には形という字が入っていてで歌舞伎って いうもの自体がある意味その形をどこまで も追求して研ぎすましてま中化してきてる 芸術っていうところがあってでそれを さらになんというかさらに外側から同じ ように形を詰める形で描こうとしてたのか なと思うんですよねなのでそのストーリー 構造構造的な部分とか形式的な部分も しっかりちゃんと組み立てて演じられる株 の演目も整理してセリフの高もちゃんと 取ってで最後まで見るものと見せるものの ま2者の間で成り立ってるその歌舞伎って いう芸の世界をそのどちらでもない第3者 的な視点を取り入れて描いてきてる だからその偽物っていう言葉が出されるの かなっていう気がするんですよ であのちょっとねこの映画見てて私が結構 グっと来たポイントいくつかあるんです その中の1つあの歌舞伎を実際に演じて いるシーンの中で舞台で役者が目を切った 後にその観客席を舐めるようなカットが あってでそこで画面の橋に換気余って 泣き出して両手で顔を追ってしまうお客さ んっていうのがちらっと映るんですよそこ でぶわーっと取り肌が立ったんですよね めっちゃ引っ張られたというか ただそれで逆に気づいたっていうかねあの 思ったんですけどこの作品を見ていて客席 で歌舞伎を見てるような感覚はあんまり なかったんですよね むしろその演じてる役者の演じられてる役 ではなくて演じてる側の円者が クローズアップされてるようなよりの ショットとか もっと別れとこでその化粧が落ちて素顔が 見えてくるシーンとかねとむしろその観客 席も一緒に 絵の一部として見せてくるようなショット とかなんかこう歌舞伎っていうものを見 てるんじゃなくて歌舞伎というものを 見せる映画を見てるみたいなそういう感覚 になっていてでそれって多分すごい明確な 意図があって意思があってやられてること だと思うんですよね でそういう意味ではその 最初から言ってる話にまた戻るんですけど この作品はその映画という形を突き詰めて それこそその歌舞伎のCにBGMを入れる みたいなところまで含めて映画っていう ものの通常のフォーマット形式を突き詰め て作品の中でそのキャラクターたち登場 事務たちがやろうとしてるような形を 突き詰めたその先を見せようとしてると いうかね形を突き詰めることでその先に 到達しようとするみたいな小説版とは別の 映画ならではあの映画でしかできない別の アプローチで別のバージョンで同じものを 見せようとしてるそんな感じがするんです よねでそういう意味でそのそれがすごく 映画的な あでは映画を見るものにとっての自然体な んですよねていうかこっちで形突き詰めて おきましたんでさあ見てくださいみたいな そういうサービスというかねまちょっとま あのそういう 見るものに対するサービスとしてやって るってことは多分ないと思うんですけども 形をきっちり突き詰めることでやっぱり 整理されて見えてくるもっていうのはそれ こそ本当にねフラットを映画館に行って 2000円払って何の期待もなく何の予感 もなく万全と見始めた人にもちゃんと 伝わるような形で出されてるような気は するんですよね でその極みがあのラストの詐欺娘なんだと 思うんですけど本当にシネマティックに 美しいんですよね 映画としてすごく美しい映像であり音響で ありでそのシーンでそのそこに至るまで何 度もきっちり反復されてきているはいって いうデのアイズが本当に魂に響くんですよ このっていう言葉がねあのま別に何かが 解き明かされるとかじゃないんで伏線って いうことではないと思うんですけどそこ まで何度も何度も入ってって出てきたんだ なっていうそのデの合図が改めて認識さ れるというかね心にドシンと打ち込まれる というか だからそういうあの原作とはいろんな意味 で違っているし色々違うんですけどその 最後のはっていうデノアズ 気候のはっていう言葉を聞いた瞬間になん かこうねその魂はしっかり掴んでるという かね ま色々高のみというか内物ねりをしてる 部分はしてしまう部分はどうしてもあるん ですけども映画としては本当にいい作品 だったなって思うんですよね同じものを ちゃんと見てみたというかね まあのそういう意味ではまあ1番最初に 言ってるんですけども本当にガチでお すすめな作品だなっていう気はします まということでねあのちょっと色々また例 によって長々と語ってきたんですけどもま 国報2025年6月6日公開ということで 現在絶賛公開中ですので眉見の方是非劇場 に運びいただきたいなという感じなんです けどもあのまここまで聞いていただいた方 見ていただいた方にはもう言う間でもなく 伝ってると思うんですけど個人的にはあの 原作も強くお勧めしたいんですよねあの ちょっと癖のある分隊で書かれてて私も 最初ちょっと戸惑ったんですけど乗り越え て呼んでいくとその分隊がもう本当に ベストのチョイスだったなっていうか完璧 なチョイスだったなっていうのを後で めっちゃ納得するんですよあの最後まで 読んだ瞬間の納得感本当にすごいんですよ ね でまそういう癖はありつつも本当に面白 いっていうところ の上にそれに加えてなんですけどこの映画 が気に入った方は絶対面白いと思うんです よねプラス吉沢り君が演じた菊とかね横浜 竜セ君が演じた助に惚れ込んだ人もその顔 をぼ浮かべながら呼んでいくとさらにぐっ とくると思うんですよ2人の魅力がもっと 深まるというかねその2人のキャラクター がより深く分かるというか響くというかね でもう1つあの女性人の描かれ方が ちょっとなみたいに言ってらっしゃる方も きっといるし感じられてる方いると思うん ですよ感じて当然だと思うんですよね ちょっとその描き方はなくないって私も 思うのでただそういう風に感じる方も原作 を読んでいただくと元がどうだったかって いうところを確かめていただくとちょっと また感触変わるんじゃないかなと思うん ですよねま時代が時代でね舞台が舞台なん で結局扱いはひどいんですけどそれは別に 作者が女性をひどく扱ってるとかいうこと じゃないんで ま逆にむしろねひどい世界があった中で それでも輝いていたカレンで勇敢な姿 みたいなそういうものがむしろ描かれて るってことがきっと分かると思うというか ねあの うんそうですねだから女性の扱いっていう とこでちょっと不満を感じた方はえ映画 だけではなくて原作も見た上で全体を ちょっと受け止め直してみていただけたら なとは思うんですよねまもちろんあのね 映画単独で成立する世界がなんというか どういう評価を受けるかっていうのは別に 原作に頼らずに存在するべきだとは思うの で映画に対してそういう 文句っていうかね不満を感じられる方は別 に全然それはそれでいいというか分かるん ですけどもまもしご興味あったらちょっと 原作の方も読んでみていただけたらなって いう感じですね まていうことでねあの最後ま結論の最後の ポイントもう1回だけ言っとくんですけど 吉沢り君と横浜両星さんはもう人間国って いうことでいいんじゃないかなっていう ことであのこれねま日本アカデミーシって いうものにどれだけの意味があるかっての ちょっと正直問題としてはあるんですけど それを一旦忘れて 日本アカデミー賞今年はちょっと主演団 優勝はもう吉沢り君で女談優勝は横浜瀬君 じゃないかなっていう気がしますね本当に それだけの演技をしてたと思うしむしろ これで取れないんだとしたらまこの後 とんでもない作品が出てくる可能性もある んですけどこれで取れないんだとしたら 日本アカデミって何なのみたいにも思っ ちゃったりする気がするんですよねま もちろんあのこの後すごい作品が出てくる 可能性はあるんですけどここまでま6月 まで来てね国報を見てこれはもう今年 決まったんじゃないかなっていうのがあの 正直な感覚としてはあります はいということでまた本当にね例によって 長々と喋ってるんですけどもえ国報という 作品本当にすごい作品なのでまちょっとね パンフレットもねこれちょっと めちゃめちゃ力入ってるんですよ ま俳優さんのインタビューだけではなくっ てま原作脚本音楽撮影振り付け美術監督 までインタビューに答えてるっていうねで 歌舞伎の専門家のエッセみみたいなのも 入ってますしま衣装とか美術も本当は すごいんだってこともちょっと言っとき たかったんですけどももうすでに1時間 超えてるのでちょっとこのぐらいにして おくんですがまそれも撮影はちょっとね あのすごいよっていうこと言っときたい ですねあのちょっとねあの客席から株きを 見てる感じはしなかったって言ったんです けどそれは本当にそうなんですよ全然そう いう取り方をしてなくってむしろその 歌舞伎に対してニュニュートラルな人が 取った感じの印象なんですね実際あの えっとソフィアンエルファニさんっていう 外国の方が撮影監督なんですけども その客観的なというかね第3者的な視点で ま見るものと見せられるものの間の ダイナミズムをさらに横から取るみたいな 感じになってるのかなと思うとそれは すごくいいアプローチというかねあの 正しいアプローチま正しいま1つの正解と いうかねそういうアプローチだと思うん ですけどそういう風に取っていて うまいんですよね まこの辺ちょっとね 是非あのパンフレットも一緒に買って読ん でみていただきたいなと思うんですけども この国報のパンフレット ま1000円しちゃうんですけども損は ないなという気はしますというかむしろお すめですねもしこれから劇場行かれる方は ま品切れしてなければなんですけども是非 パンフレットも一緒の買いもめいただけれ ばより深く楽しめるんじゃないかなと思い ますしあとあの国報の原作ですね吉田さん ま文庫本も金ル版もありますので是非あの お時間あったら手に取っていただければと いう風に思います はいということでえ長々と語ってしまった んですけれどもいかがだったでしょうかま あのなんか1時間いるのはもうしょうが ないのかなっていう気が最近してきている のであの長くなってももう申し訳なく思う 必要ないかなとかまどうせあの見てる方は ねつまんないと思えば好き他の動画に どんどんスキップしていっていただけるて いうのがまこの世界なのであんまり気にせ ずに言ようかなとは思うんですけども ちょっと話が長いなっていうのはま どうにかといいんですけどねなんか事前に ね話したいところとかまとめてるのに全然 長いんですよねまそれだけ話したいことの あるいっぱいある映画に出会えて るっていうのはま本人としては幸せなこと なんですけどもまこの辺あのもっと まとめろとかねあのご意見とかご要望とか あったらあの是非コメント欄でお知らせ いただければと思いますし逆にあの聞き たい範囲だけ聞いていただいて全然構わ なくって聞きたい範囲だけ聞いてもしあの 共感いただけたら高評価ボタンなどを押し ていただけるとま本人は大変励みになり ますので是非サポートもよろしくお願い いたしますはいということでえ国報につい て話をさせていただきましたなかなかとお 付き合いいただきましてありがとうござい ましたていうか最後までご覧いただきまし て本当にありがとうございますまた次の 和解でお会いしましょうお相手私 クラッシュし太郎でしたバイバイ [音楽]

吉沢亮さんと横浜流星さんが恐ろしく美しい炎を燃え上がらせる、魂の熱演で話題沸騰の映画『国宝』のどこがそんなに凄いのか? 原作勢であるわたしの重たい主観を交えつつ見どころ・魅力を語りまくるエピソード、また1時間を遥かに超えてしまいました🙇‍♂️

本作品、色々と語るべきポイントはありますが主にメインキャストの魅力、そして物語の持つ強力なパワーについて深掘りしつつ、原作との違いに触れながらあまり核心的なネタバレは無しでガチ目に語っております。未見の方にも、既にご覧になった方にも楽しんでいただければ幸いです!というか、原作勢の方、ぜひ感想をコメント欄にお寄せください!原作も推していきましょう!

※本編中、登場人物の一人「春江」を「花江」と言い間違えている部分があります。謹んで訂正させていただきます。(高畑充希さん、素晴らしい演技をされているのに申し訳ない限りです🙇‍♂️)

このチャンネルは映画ポッドキャスト Crush on Cinema! の別館として、観てきた映画などについて気軽にざっくり語っていくフリートークコンテンツです。ご感想やご意見ご要望はぜひお気軽にお寄せください!チャンネル登録もお待ちしております!

#吉沢亮 #横浜流星 #国宝

2件のコメント

  1. タローです!すみません!本編中、登場人物の一人「春江」を「花江」と言い間違えている部分があります😢 謹んで訂正させていただきます。高畑充希さんの演技は素晴らしいのにとんだ失礼をしてしまいました。申し訳ない限りです🙇‍♂️

  2. タイガー&ドラゴン

    ヤクザから落語家へ…
    師匠は息子よりヤクザのトラを愛す
    落語の噺を実話を重ねてストーリー展開
    トラはカタギに、そして落語家林家…襲名
    トラに惚れた女も、結果…噺家息子とくっつく展開…

    血筋も天才だけど…、よりもトラの人柄と噺家の魅力も天才的
    何よりも2人が支え合っている流れ…

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