【Taka】「人前に立って歌うことが恐怖だった」怒りやトラウマと向き合った20年

自分がマイクを持ってもお客さんがざっと 座ったりとか応援されてないっていうその 感情がとてつもなくショックで衝撃的だっ たんでそれこそゴミとか投げられたりして ましたからファンの人たちから人前に立っ て歌うっていうことが恐怖だったというか 親の七光っていうワードが強すぎて自尊心 丸ごと削られたっていう感じでしたね [音楽] よろしくお願いしますよろしくお願いし [音楽] ますたかは何者ですかそうですねラッキー なサラブレッドですかねどんなところが ラッキーでしたかうんうんうちの両親 どっちも歌手なんでやっぱなかなかそう いう芸能界の家庭に生まれると大変なこと が多いんですけど僕の場合はいろんなこと はあったにせよ今こうやって楽しく生き てれるんでラッキーだなと思います15歳 の頃の自分が今の自分を見たらどう思うと 思いますかうんまあそうなるよねっていう 感じですかねそうなるよねというのはま ちっちゃい時から世の中に対しての自分の 思いみたいなものは強かったのでなんか それがこうロックバンドとしていろんな上 を直接ありましたけどここに定着して るって落ち着いてるっていうのがまなんと なく自分の中では腑に落ちるなって感じ ですね36歳まで音楽を続けていると思っ ていましたかま思ってなかったですね35 で1回あの自分の人生ともっと向き合い たいなと思ってたんですけど自分の立場 だったりとか周りの人間関係だったりとか 世の中に対して思うこともたくさんあった のでそういう色々なこう出来事のおかげで 今もま音楽をやらせてもらってるって感じ ですね目を閉じていただいてこちらからお 伝えする単語に対して連想するものをお 答えくださいはい アメリカ大好きで大嫌い日本人 大和魂 SNS 不便10代衝動 30代 気づき才能認められるか認められないかお 金あってもなくてもいい コンプライアンス時代の境界 線 芸能人イメージとは 真逆Jポップ日本の カルチャー火曜局 両親 食事全てがそここから作られるもの 戦争人間の愚かな部分曲作り 自己視聴ライブ発表会 声周波数以上です目を開けてください はい10代で衝動30代で気づきと おっしゃっていたんですけれどもご自身の 性格はどんな風に変わったと思いますか うん僕はわかし元々めちゃくちゃ ストレートであのシンプルな人間なんでま 若い時ってのはやっぱりその経験値がない 分その経験値を求めて行動すると思うん ですけどでその今度経験を元に30代って いうのはいろんなことにこう気づいていく そういう世代というか年代なのかなって いう気がします10代の頃は怒りを言動力 にされていたのかなと思うんですけれども はい今もその怒りはありますかその怒りを 作り出すのが大変ですねでも残念ながら 世の中に怒りなんてねその要素になるもの いくらでも転がってるんでそれをこう自分 がどうやって見つけていくのかっていう僕 であればその幼少期のムズムズした感情 みたいなものが溜め込みすぎて怒りに 変わってでそれがま爆発してっていう延長 戦場の中でバンドがあってっていうことな んですけどこのバンドがやっぱり今も いろんな方にこうま認めていただけて いろんな会場でライブができ るっていうことで自分がこう生きていると 怒りは1mmもないんですよねむしろ愛 しかないし感謝しかないんですけど火曜局 で両親JPOPで日本のカルチャーと おっしゃっていましたが両方とも自分の中 にありますかはいそうですねその両方が 多分僕のこの音楽人生を作ってるような気 がしますお金はあってもなくてもと おっしゃっていたんですけれどもはい あまりお金を目標にしたことはありません かうんそうですねそれなりにこう裕福な 生活をさせてもらってたのでお金に対する 執着っていうのはやっぱりないですね今 欲しいものはありますかないです何もはい 音楽以外に興味のあることありますかま 料理とかでも料理も結局作ってると企画 作ってるのと同じ感じなんでどうやったら これを食べる人が喜んでくれるだろう みたいなことを考えるのが好きなんだと 思いますメンバーにもよく料理を振る舞う んですかそうですねツアー中アメリカ ツアーヨーロッパツアーやっぱ食べ物が 違うので炊飯機持ってってちっちゃい鍋 セットとか持ってっ て簡単に作れるものを作るっていう感じ ですけど料理と曲作りが似てるってのは 面白いですねそうですね元々材料はあって でその材料をどうやって調理するかって いうことがポイントだと思うんで僕の中で はものすごい似てるなって感じです曲作り は自己市長とおっしゃっていたと思うん ですけれども今どんなことを主張したいと いう風に考えてますか僕は今とにかく うん世界 平和ですかね僕はこのバンドと共にま約今 10年ぐらい海外から日本を見てきました けど本当気づくことがたくさんあるので 60代70代の人たちが築き上げた世界が 新しい世代も入ってきて今もうパンパンに 膨れ上がってるんだと思うんですよねなん でこれは1回破裂するなりなんか壊れる なりするんだと思うですけど壊れてしまう 瞬間に傷つく人をなるべく こう少なくしてあげたいなっていうのはま 世界を回ってて感じてるところです [音楽] ね小さい頃はどんな性格の子供でしたか 小さい頃はとにかく目立ちたがり屋だった のかなっていう気はしますね思ったことを すぐ口にするような子供だたと思います 幼少期で特に記憶に残っていることは どんなことですかうーんなんだろう目し 幼少期だったんで何か1つって言われると ちょっと難しいですね次から次へと いろんなことが起きて次から次へと自分の 中で感情がこう爆発してくんでなんかそれ を制御するのが大変だったような記憶は あるんですけど不思議な家族なん で良くも悪くもっって感じですかね厳しく 育てられましたかうちの父は厳しかった ですねはい音楽は身近に感じていましたか もうちっちゃい時からうちの父が家で自分 の歌をこう流しながら生活するっていう 感じだったのでずっと音楽はあったと思い ますたかさんが初めて歌った歌を覚えてい ますかいや多分でも父の歌じゃないですか ねもうちっちゃい時から聞いてるんで大体 全局歌えるですけどまそれを多分 ちっちゃい時に覚えて歌ったりしてたん じゃないかなもしくはまそのなんかアニメ とか子供のものを見て歌ってたとか多分 そんなもんだと思いますね子供の頃から歌 がうまいなと自分でも思っていましたか 思ってましたね小学校ぐらいからはいじゃ 学校で歌っていてもなんかね学校のその歌 うまいいっていう線引はちょっと違うじゃ ないですかま言ったらその音楽のクラスで 合唱コンクールとかこういう歌い方みたい なそういうのはちっちゃい時からクソくい だと思ってたんでその時はなんかこう音楽 が得意だっていう感覚はなかったですね ただ歌うことに関してはなんか自分の絵を は強かったのかなと思います自分の声が 特別だなという感じもしていましたかそれ は未だに思わないですねあの自分の声なん で逆に客観的に全く聞けないというか僕 自身があんまりそのワンオクロッの ボーカルということもそうですしそういう 声を持たせていただいてるっていうことに 関しても自覚はあんまないですね子供の頃 には将来の夢はあったんですかなんかねで も小学校の時はお笑い芸人になりたいとか ま結局エンターテイメントの世界だった ような気がします当時好きだったテレビと かミュージシャンとかいらっしゃったん ですか [音楽] うんテレビはでもやっぱりバラエティが 好きだったんですかね普通の方よりは やっぱり身近に感じてたと思いますその エンタ目っていう世界が深い目線で色々見 てたかもしれないですね学校は楽しかった ですか小学校まで楽しかったですね中学校 からはま素晴らしい先生にも何人か出会え てま未だに仲良くしたりする友達が何人か いるんですけどそれ以外は楽しくなかった ですね勉強は嫌いでしたか大きれでした 学校に通うこと自体は嫌ではなかったです かめんどくせえってだけですね遠かったん で地元が渋谷なんですけど片道2時間半と かその当時かかっててそれがめんどくせえ なって思ったのとあとやっぱり中一の夏 ぐらいから芸能界に本格的に参入していっ たんでそこでのまたギャップもあったし 暗黒機の始まりみたいな芸能活動はやり たかったんですですかなんか多分目立ちた いって浅はかな気持ちだったと思うんです よねその先に訪れるその障害みたいなもの は多分始める時は何にも考えてなくて始め てから気づき出すっていう感じですかね どんな障害がありましたまやっぱりただで さえもこう小学校ま生まれた時から両親の 名前が先行して育つので森さんの息子さん とかまさ子ちゃんの息子さんみたいなもう それがワンフレーズというかだそれにこう 高学年ぐらいでちょっとこう少しやけも 刺すんですけどまだ反発するほどの能力は 持ってないで中学校に入って自分という ものをこう表現したいってこうちょっと ずつ高な時期に思い出した頃になんかこう 自分を表現できたらいいなと多分思ったん でしょうねで結局その世界に入るっていう ただ入るともっと大変っていうそれはより 子でいづらくなるっていうことですかそう ですねより僕でなくなるっていうはい高校 に入って1年くらいで辞められますかそう ですね高校1年生終わってそのまま中隊 ですかねどうしてやめようと思ったんです かうーんいる意味も見出せなかったしその 中1から中3 まで僕のこの人生の暗黒の全てがそこに 詰まってるんですけど問題を起こして やらかして首になってで高一になった時に とにかく365日毎日熟付けの毎日だった んですよねそれがもう耐えられなくてで 一応高校1年まで奇跡的に上がれたんです けどこれあと2年は無理だなと思ってでま そのタイミングで家も出てで事務所にも 謹慎みたいな感じだったんでやめることも 伝えて学校もやめて全てやめましたねその 時どんなお気持ちでしたか清々しかった ですね家から出てく時にスキップしてたの 覚えてます渋谷の駅まで家から出てどこに 向かわれたんですか1回出て最初の何日間 か友達の家いてでまそっからばあちゃん家 に行ってでそっから本当に半年ぐらいで 飲食店であの働いましたねそっからはもう ほとんど頑張って自分でなんとかやる みたいな感じでしたねでもやっぱりなんか その時の友達の関係ってのはやっぱすごい 深いものがあってこんな僕でも受け入れて くれる場所がやっぱりあったので感謝して ます今でもとにかく楽しかったです初めて こう誰も僕のこと知らない世界で誰も僕の ことをそういう目で見ない世界で人と コミュニケーション取ったりとかそれが すごい楽しかったですねご家族は心配し ませんでしたか心配してたと思うんです けどそれをこう黙って見過ごしてくれたま 親に感謝だなっていう感じですね1度やる と決めたことは結構 やる父親なのでま僕も維持になってました し何よりもそのそこから離れられたって いうことがその当時はとにかく幸せだ たんですよね感謝もしてるし自分の行動 能力にもリスペクト持ってるって感じで何 とも言えない感じなんです [音楽] けど音楽をやろうと思ったのはいつ頃です かでもそのバイト先で今のメンバーがま スカウトじゃないですけど声かけてくれて でかなりしつこくこう説得してくれたので そのおかげもあって真剣にやり始めたって 感じです ワンオクロックに加入しようと思った 決め手は何だったんですかああでもあの同 年代の何かを抱えてる子たちがその1つの スタジオちっちゃいスタジオで何かこう音 を鳴らすって いうそれがなんかむちゃくちゃ気持ち よかったんですよね初めましてだったし 本当にこう多分向こうは自分のこといすか なやつだなと思ったと思うんですけどでも なんか僕はその最初のリハーサルっていう かスタジオがものすごく衝撃的でとにかく みんな素人なんで音もぐちゃぐちゃですし でかいし自分の歌ってる声も聞こえないん ですよとにかくそれに負けないように歌う とか必死に引いてるギターベース叩いてる ドラムを見て自分も 負けじ魂を多分今まで経験したことが なかったんですよね衝撃的でそれがすげえ 楽しかったんですよねいすかないなと思わ れながらも皆さん絶対たかさんと一緒に やりたいと思っていたんでしょうかいや そんなことないんじゃないですかねあいつ 誰って多分聞いてたって話聞いてたんでま でもうちのそのギターのトールリーダー彼 だけは僕の存在を固くに信じてくれた人な んでま本当に彼についてってよかったなと 思って すぐにメンバーとは親しくなったんですか そうですねわりかし時間かからずに今日も 現場に来てるあの亮太は最後まで距離が ありましたけどでもわりかしすぐ打ち解け られたんじゃないかなと思ってます僕は なんで距離があったんでしょうかま怖かっ たんでしょうね多分見たことない生物 現れるみたいな感じだと思うんで真面目に 下向きに生きてきた彼からすると衝撃的 だったのかもしれないですバドを本的に 始めて周りの人はどんな反応でしたか バンド始めた時もやっぱり最初は森しと森 正子そういう感じだったですねライブ ハウスに自分たち作った音源を持ってこう 挨拶しに行ってもあうちこいのやってない んだよねみたいななんかそういう記憶が ありますそのイメージをどうやって払拭し ていったんですかまだとにかく 尖るそれぐらいしか方法がというか世間が 思ってるイメージはあったと思うんでその イメージとはやっぱり若い僕らからすると できることはバランス取ることでも 寄り添うことでもなくて真逆を行くって いう俺らは本当はこうなんだっていう真逆 を行くっていうことに徹してた気がします ね手応えを感じたのはいつ頃ですかいやで もいろんなライブハウス行って断られたり とかあとま普通にそのいんさんが いらっしゃってあのアイドルバンドでしょ とかって言われるんですけどその歌に関し てで言うと誰も自分には勝てないと思って たんでその悔しくもないというかあんま そういうこと言ってると後で痛い目見るよ みたいなぐらいの気持ちだったかもしれ ないですなんかこう根拠のない 自信ものすごくあったんですよねその家を 出て からそれまではそういう感情ってはも なかったんです けどそののない自身がずっと僕を救って くれてた気がしますもう音楽で生きていく という風にその頃には思っていたんですか 対誰か相手ボーカリストとかシンガーに 対してはその負ける気は1mmもないん ですけどこと自分に対してってなると自信 はなかったんですよね不思議な感情なん ですけど常に自分と戦ってると自分の トラウマと戦ってるっていう感覚でそこに るのがとにかく恐怖だったっていう感じ 感情ですねどういうトラウマですかま やっぱ自分がマイクを持ってもお客さんが こうざっと座ったりとか応援されてないっ ていうその感情がとてつもなくショックで 衝撃的だったんでそれこそゴミとか投げ られたりしてましたからファンの人たち からだなんかね親の7ひりっていうワード が強すぎてやっぱあの当時は自尊心丸ごと 削られたっていう感じでしたね人前に立っ て歌うっていうことが恐怖だったというか ずっと下向いて歌っちゃうっていうような 状況があってバンドやり始めた時も本当敵 はどちらかというといつも自分だなって いう感じでしたねでもだんだんワオ クロックでライブを重ねていくうちに観客 のこうポジティブな熱狂みたいなのも感じ られるようになりましたかそうですね本当 にファンのおかげですね僕に自を持たて くれて今でもただ下向きにまっすぐって いう感情だけをベーシックにま音楽と 向き合わせてもらってるファンの人たちと 向き合わせてもらってるメンバーと 向き合わせてもらってるっていう感じかな と思います当初から海外を目指したいと いう風に話していたんですかうん1番最初 バンド組んだ時はむしろそれが先行してい て既存のものにもすでに興味はなかったと いうかその日本で1番になってもいやも それもみんなやってるっしょっていう感じ だったんでなんか事務所的にはもっとこの ままやってもらってまドームできるような アーティストになって欲しいっていうのは あったと思うんですけどまそれはそちら側 の意見であって僕の人生は僕の人生だと 思ってたんでフムで海外に行って自分たち でその日本のそれこそ未来を広げることの 方がもっと誰もできないことだろうていう のでまバンドにももう約束したんだ僕が 入る時に絶対世界に連れて いう元々英語は少し話せたんですか全く なんで向こうに行って友達を作って英語を 覚えました文法とかは勉強全く未だに わかんないですあ未だにはい勉強してない んで海外ツアーに出てみてどんなお気持ち でしたか悔しかったですね最初はやっぱり わりかしその当時にしたらいきなり ヨーロッパ行ってYouTubeってもの が出始めた頃で意外とお客さんいるなって いう衝撃はあったんですけどででも やっぱりアメリカに行ってみるとほとんど 誰ももちろん誰も自分のたちのこと知ら ないし馬鹿にされることもあるしライブ始 まるって言ってやってみたら本当に日本で やり始めたところと変わらない3人とか 2人とかそういう状況があったんで本当に 音楽の神様っていうのは残酷だなと思い ましたけどでもそれと同時に自分自身の 人生としてはものすごく豊かなものになり そうな気がするなっていう気はしてまし た当初そのアメリカでの活動が多くなる中 で日本のファンが離れてしまうのではない かという心配ありませんでしたかま離れる ことは悪いことじゃないですからね永遠は やっぱりないと僕は思ってますし自分たち が海外で挑戦するっていうことは本来本当 にファンであれば応援してくれるはずなん ですよねでもやっぱりそこには寂しいとか なんか変わっちゃったなってっていう ところにファンの心理はあるような気がし ててでもそれも含め含めて物事を表現 するってこだと思うんで特に恐怖はなかっ たですねただ逆に帰ってきて待ってくれた 人たちにはもうとんでもないありがとうと とんでもない愛してるをやっぱりちゃんと 伝えなきゃいけないなとやっぱ思いました 強く最初の頃のツアは体力的にきつかった ですか最初の頃はまだむしろ若かったんで 全然いけなという印象でしたねどれくらい のスケジュールでこなしていたんですかま アメリカツアてなるとほぼ毎日ライブなの で3日やって1日空いて2日やって1日 空いてまた3日みたいな1ヶ月半2ヶ月 ほぼそれの繰り返しというバスで回られて たんですかそうですはいどんな感じのバス なんですかベッドが3段ベッドがこう3つ ぐらいでセクションであってそこにクルー もバンドメも全員乗ってアメリカ中をこう 回るっていう年々少しずつバスが大きく なったり豪華になったりはするんですか いやしてなかったです今回からじゃない ですかね1台がやっと3台とか4台5台6 台になってくっていうやっぱり時間が かかるんですねいろんなことね今の時代 時間がかからない方法もあるんですけどね でも美味しいものとか素敵なものって ちょっとずつは時間をかけて食べた方が 時間的には楽しいじゃないですかもちろん 人によると思いますけど僕は時間をかけて 1個1個納得してサクセスする方が好きな タイプかもしれないです海外でバカを踏ん でいく中でライブパフォーマンスもかなり 変化していきましたか変化したと思います そういう意味で言うとさっきのその話した トラウマ的な部分の生産はやっぱり徐々に できてきてる気もするし本当に歌うことで しか自分の人生も含めてこうフィックス できないのかなっていう気はしてますワオ クロックのような海外での活動の仕方を後 から追いかけている人もいるんですかいや どうなんでしょうここまでちゃんと大きい 道シベを作ったアーティストは僕の知る ところではいないと思ってるんで海外でま なんか使える要素があるんだったら バンバン使ってもらってもっともっと 凄まじいこの日本の文化みたいなものを 世界に提供してなと思いますね日本の エンターテインメントがより海外で 受け入れられていくためにはどんなことが 必要だと思いますか日本の政治は全く エンタメに対してお金出さねえとかって 言ってた時期もありましたけどまあでも このままでいいのかなっていう気はします ねやっぱりやるやつはやるんでどんな状況 でもやっぱり日本のことを思って日本の エンターテイメントをやっぱ世界にって 思えばそこに糸目は多分使わないないと 思いますし逆にそういう強いハングリーな 気持ちを持ってる人が生まれることの方が 僕は意味があるのかなと思います 最近10年以上経ってみてまだハングリー でいられていますか10年経ってねだいぶ 世界状況変わってむしろ今追っかけなくて も追っかけられる立場にあるんで日本と いうカルチャーがアメリカの エンターテインメントが絶対だとは僕は 1mmも思わないのでだからま世界を接見 するようなこう素晴らしいアテストは どんどん外に出てと欲しいなと思います けどこの10年余りの海外の活動で達成 できたこととまだできてないことってのは どんなことがありますかうーんでも厳密に 言うとまだ何も達成してないのかもしれ ないですねうんでもはやなんなら何がし たかったんだっけっていうことなのかも しれないですけど多分僕自身はワンオ クロックっていうそのブランド取り除い たらあんまり自分で何かを先導してって いうタイプではないと思うんで 多分自分自身が認められること1人の人間 としてそこに結局行きつくのかなっていう 気はしてますねだからそれがアメリカで あっても日本であってもヨーロッパであっ てもアジアであっっても変わらないという か1人の人間として誰かと接することが できてるかどうかってことすごい大事だな と思ってますバンドとしては結成20周年 ですけれどもどんなお気持ちですか20年 かっていう感じですね20年も経ったん だって 20年とか10年ってすごいなと思って ましたけどいざその境地に立つとそっかっ てあと20年やったらもう今ぐらいの感覚 でできないなっていう寂しさがあります それは年齢的なことですかどうなってるん だろうなっていう山登りみたいな感じです かね頂上を目指してる時はこううわーって 気合入れて登ってるんですけどいざ頂上が 近くなってきて下りだよって次り来るよっ ていう現実をなんとなくこう誰かから言わ れた時にえちょっと待ってじゃ下ったら もうこの山登り終わっちゃうのみたいな そんな寂しさはすごいあるすね今山のどの 辺りなんですかいやでも8号名ぐらいまで 言ってんじゃないですか10あるうちの メンバーとの関係は変わらないですか ずっと変わんないですずっと大好きだし ずっと尊敬してるしずっと感謝してますね すごいいい関係なんですね自慢ですねこれ はみんな人は死んでくわけでそういうこと を考えると悲しくなりますよねあもう こいつらとずっと一緒に入れないんだな みたいなそれは すごい悲しいまだ歪み合ってた方が ひょっとしたら死ぬ時は楽なのかなとか そういう感情になりますね 最近あの時加入してなかったら今どうだっ たと思いますかいや捕まてたんじゃない です か何で捕まってたと思いますかいやわかん ないですねとにかくなんかそのこのバンド やらなかったら多分僕も音楽やらないです しねきっととにかく何でもやって自分が 何者なのかみたいなことを探し求めたと 思うんですよそれはそれで同時になんで わかんないすねなどうなってたか [音楽] はご自分ののご家族を持ちたいと思いませ んか今は思わないですね子供は欲しいです けどまでも子供がいると多分子供になっ ちゃうんで自分のこの気持ちが今はもう バンドのことをやっぱやるべきことをやる ことが自分の使命だと思ってるんでうん それを全頭したいですねご自分が父親に なったらどんな親になると思いますかいや でも逆にこうなっちゃいそうなんで俺の中 見とけよっていう感じであの育てたいなと 思ってますワンオクロックとしては今何を 目指していますかまやっぱりさっきも言っ た世界平和をやっぱ目指して自分たちが そういう作品を作らなくていいような世界 が来ることをせに望んでますやっぱテーマ なんですよねそれってミュージシャンって テーマがないと面白くないんで 逆にテーマを燃やし尽くしてしまっ たら今度ミュージシャンっていうよりかは 表現方法としていろんなものをこう多分 変えてかなきゃいけないと思うんですけど この世の中の出来事のもしくはシンプルな ものの愛とか希望とか夢とかそういうもの に対してやっぱり人に気づきを与え るっていうことが僕の役割だと思ってるん で僕自身は今はとにかくその世界平和と いうテーマを掲げてまバンドやってるって 感じですね生まれ変わったらもう一度高に 生まれたいですかむず うーん本当に全く同じ人たちと同じように やれるんだったら戻りたいですけど1mm でも違うんだったら戻りたくないですね今 一緒にやってる人たちが本当に好きなん ですねがベストです今のベストは今なんで なんでこれと違うとなるとあんまり考え たくないかなって感じです [音楽] [音楽] 何を描かれましたかいやなんかあの椅子の お化け描きたくて顔描きたかったんです けどうまく描けなかったです人間から椅子 になっちゃった人 みなぜそれを描こうと思ったんですか なんか赤が印象的だったんで逆に 塗りつぶして赤がこう見えた方が面白いか なと思ったんですけど可愛いですですか ちょっと怖くないすかちょっとあれが目な のかなっていうところがそう目が ちょんちょんとあって鼻があって口があっ てみたいなお化けっぽい感じですジョー カーっぽい感じですちょっと手につい ちゃいましたよねいがはいでも楽しかっ たっ すありがとうございますありがとうござい ました [音楽] ヤホー

Yahoo! JAPANがお届けする『RED Chair』シリーズ
記事はこちら👉https://yahoo.jp/D9dMZw

RED Chair #21 Taka
今年、結成20周年を迎えるONE OK ROCK。Taka(36)にボーカリストに必要な条件を尋ねると、「問題児、素直、強烈」と答えた。自身はどんな人物で、どんな道を歩んできたのか。生い立ちや10代で抱えたトラウマ、海外で挑戦を続ける理由、メンバーやファンへの愛情。自ら切り開いた人生を振り返ると、シンプルな思いに行き着いた。

【RED Chair】
ひとりの人生を紐解く『RED Chair』。先駆者、挑戦者、変革者など、新しい価値を創造してきた人たちの生き方に迫ります。

【RED Chair 一覧】
https://news.yahoo.co.jp/media/redchair

【RED Chair 公式Twitter】

#taka #redchair

40件のコメント

  1. 37歳正社員3人子育て中の私です。そんな私が1番のおし、ワンオクロックです。
    ライブに2回行きましたが、コロナの後の2回目のLIVEが心にグッとくる言葉,思いを伝えてもらえました。
    LIVEにいくと、何年も頑張れます!!!

  2. いつも周りの友達とかを大事にしてて、凄く思慮深く謙虚で色々な場面で人をいつも助けてるのが凄いなと思う。なかなか出来る事じゃない。大きな事務所のプロモーションとかもなく、個人事務所で世界に飛び出してハングリーに地道に頑張ってるワンオクの皆さんやTakaさんを尊敬しています。
    親の七光りなんかではなく本当の意味で実力と才能と努力で掴み取った今の地位だと思う。
    ワンオクは日本の宝だよ✨✨いつも感動と元気をありがとう❤

  3. 必ず世界で1番になります、ドームに立ちます、フェスで大トリできるようになります、ってデカいこと言ってお気持ち表明しながら本業以外で俳優やったりCM出たり寄り道して、結局金目当てかってアーティストがめちゃくちゃいる中で、自分のやりたいことを貫きメディアにも出演せず、音楽だけで世界回ってるところが本当に人として尊敬してる。
    時代なんだろうけど、最近のアーティストってSNSでバズっただけで有名なったり、本業の音楽から離れて有名なってるアーティストが多すぎて本当の意味で好きになれない。

  4. 歌詞、インタビュー、ライブMCを見ていて、発言や思考がどこか年齢不相応というか、幼いなと思っていたけど、これ見てやっぱり確信したかも。
    いい意味でロックで反骨心があるけど、他者の感覚への共感や理解が不足しているように受け取れる。

    十代のような感覚で話していて、思慮が浅いのか説明や意思の説明に説得力を感じられない。

    行動力と努力でカルチャーの主流に上り詰めたけど、伴うわけではないんだな。

    個人的な意見だけど、こういう時に足を組んで相手と対話をするのもちょっと引く。

  5. 初めて聴いた時から、TAKAの声と音楽と歌詞に衝撃を受け、何度も何度も励まされ、ワンオクを知らなかった時の過去の自分も、これからの未来も,明るく光を照らしてくれる存在です。

  6. このインタビュアーの女性、人間力相当高い気がする。上手く言えないけど、とにかく、人生経験豊富そう。

  7. 上手く言えないけど、最後の「赤が印象的だから逆に白く塗りつぶす」っての聞いてうわまじでこの人すげーって声出た

  8. こんなにも淀みなく語れるって本当にすごい。言語化能力がものすごく高い。

  9. Takaは、ますかけ線が両手にあるみたいですね…。驚きました。調べたら100人1人から2人らしく。強運の持ち主で才能を開花させると。失敗と成功を繰り返す波瀾万丈な人生だとも…。 そういう運命だったのかも…と調べて思ってしまいました。

  10. 辛い事から逃げ、誤魔化してばかりいた自分を見て見ぬふりをしていた日々。そんな弱い自分の背中を押してくれたタカの言葉達は私に一歩踏み出す勇気をくれた。
    今はワンオクどころじゃないくらい忙しい日々だけど、そんな自分が好き。また落ち着いたらLIVEに行きたい‼️

  11. 裕福な人間が口にする「世界平和」は、結局のところ「現状維持」でしかない。つまり、格差があり、その格差の上位・下位で言うところの「上位」で在れてるこの現状がこのまま続いて欲しいということ。裏を返せば、今飢えてる人にそのまま「飢えていて欲しい」と願うことになる。

    裕福な人がいて、飢えてる人がいる。だけど、分け与える、みんなで平等に配分する、なんてことは絶対にできない。奪い合うしかない。

    上等な椅子にふんぞり返って何一つ不自由のない人間が「世界平和」なんて言っても「綺麗事」にしか聞こえない。

  12. 昨夜LA公演に娘と初参戦。娘が大好きな曲をTAKAがアンコールで「最後の曲We are」と言うと、娘ちゃん嬉しくて叫びながら大号泣でした。6年生の娘も昭和生まれの私も本当に心から来て良かったって思わせるワンオクは偉大です。

  13. The Beginning からワンオク知った俺からすれば七光りなんて微塵も思わんけどな。
    売れるべくして売れたとしか思えへん。
    ほんでこの前初めてライブ行ってそれが確信に変わった。

  14. 素敵な大人に
    色々なことがあったから
    素敵なメンバーと積み上げてきた
    格闘も涙も喜びも
    全てが ワン・オクロック
    何だね
    ずっとずっと
    続けて欲しい
    ❤❤❤❤❤❤

  15. 彼らの山登りはもうすぐ下が来るのかもしれないけど多分次の山を登るための助走なんだと思ってる笑彼らなら頂上まで行ったら次に登りたい山をすぐ見つけるに決まってるさ笑

  16. takaがかけてるサングラスどこのメーカーかわかる方いますでしょうか?(><)

  17. 私は他のバンドからTakaさんのことを知りました
    その頃は森さんの息子さんということも、NEWSの一員だったということも知ってはいましたが「なんかいいな」と思っていました
    でも調べたり「欲望に満ちた青年団」や「内秘心書」を聴いてTakaさんも沢山苦労してここまできたんだということがわかった時、Takaさんが、ONE OK ROCKが更に大好きになりました
    Takaさん自身が沢山苦労してきたからこそあんなにかっこいいMCができて心の奥にまで響く歌が歌えるんだと思いました
    これからもTakaさんが、ONE OK ROCKが大好きです!!

  18. 連想する言葉を答えていくところ、全てシンプルでいてはっとさせられるような答えばかりですごい

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