リュディビーヌ・サニエリュディビーヌ・サニエ

フランスの名匠フランソワ・オゾンが、自然豊かなブルゴーニュで一人暮らしをする老齢女性を主人公に、彼女とその子供との関係、そして秘めた過去をドラマチックに描いたヒューマンドラマ「秋が来るとき」が5月30日公開される。主人公ミシェルの娘、ヴァレリーを演じるのは、「スイミング・プール」以来、21年ぶりにオゾン作品への出演となるリュディビーヌ・サニエ。今年3月に来日したサニエが、今作出演の経緯やヒット作「8人の女たち」での秘話などを語った。

※今回のインタビューには作品のネタバレとなる記述があります。

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<あらすじ>
 80歳のミシェルはパリでの生活を終え、いまは自然豊かで静かなブルゴーニュの田舎でひとり暮らしている。休暇で訪れる孫と会うことを楽しみに、家庭菜園で採れた野菜で料理やデザートを作り、親友と森を散歩する日々を送るミシェル。やがて秋の休暇を利用して娘と孫が彼女のもとを訪れるが、ミシェルが振る舞ったキノコ料理が引き金となり、それぞれの過去が浮き彫りになっていく。後ろめたい過去を抱えつつも、人生の最後を豊かに過ごすため、そして家族や友人たちのためにも、ミシェルはある秘密を守り抜く決意をする。

――「焼け石に水」(00)、「8人の女たち」(02)、そして主演作の「スイミング・プール」(03)と、2000年代前半のオゾン監督作品は、あなたの出世作でもありますね。今作出演のきっかけを教えてください。

20年一緒に仕事をしておらず、やりとりも10年くらい途絶えていたのですが、フランソワ(・オゾン監督)からランチの誘いがあったんです。長年会えなくて寂しかったので、それがとてもうれしくて。昔の級友と再会したような感じで、お互いの近況報告や友達同士がするようなたわいない話をして――でも映画のことは敢えて話題に出さず、もちろん起用してほしいなんていうことも言いませんでした。そして帰宅後、夫に「今日、大事な友達と再会したの」なんて報告していたら、エージェントから電話がかかってきて、「フランソワがあなたにオファーしたい役があるが」と伝えられて、すごく嬉しかったです。彼はランチと言いつつオーディションをしていたのかもしれません。

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――オゾン監督が得意とする、複雑な事情や秘めた過去を持つ女性の物語です。脚本を読んでの感想をお聞かせください。

この作品に対する、オゾン監督の心構えにすごく感動しました。コメディではない人間ドラマで、高齢者の女性が主人公だということ。そういう設定はレアなことだと思います。一般的に高齢女性は、大抵は優しく、孫を可愛がるようなおばあちゃん役が多くて、過去を持たない人のように描かれますし、複雑な存在としては描かれませんよね。

そして例えばハリウッドでは、トップ女優であっても50歳を超えたら仕事がないなど言われるような中、70~80代で、しわを隠さないような等身大の女性が主人公の物語というのはとても素晴らしくワクワクすることです。オゾン監督が、先見性を持っていることの証だと思います。

――あなたが演じたヴァレリーも、ミシェルの娘であり、また幼い息子を持つシングルマザーで、状況によってそれぞれ異なる顔や役割を持って生きる女性です。オゾン監督から、演出上のリクエストはありましたか?

ミッシェルは娘を殺そうと思っていたのか――? 監督は疑念を持たせるよう、敢えて曖昧に描いています。だからこそ、ヴァレリーの母親に対する態度も、いかようにも編集でできるように、アグレッシブなテイクから、大きなショックを受けている感じ、その中間など、いろんなバージョンのテイクを撮りました。このように、多くのバリエーションがあったので、監督が編集で組み立てていったのです。撮影中一つ一つのテイクに明確なリクエストがあったわけではありません。オゾン監督は、私生活でも私が娘であり母親であることもよく知っているので、そういうことを前提にヴァレリー役に選んでくれたのでしょう。

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――ヴァレリーは、この物語の中でスピリチュアルな存在としても登場します。そういった役柄は受け入れられましたか?

私自身は、特定の信仰は持っていないので、私なりに自由に表現しました。私の夫がベトナム系なので、アジア圏の仏教文化の、現世ではないあの世の存在を考えたり、先祖を祀るだとか、そういうことに関しての違和感はなかったです。例えば、幽霊という存在は、なかなか宗教的に説明できませんが、イエス・キリストがそれを証明することもできないと思うのです。

――オゾン監督とのコラボレーションは前作「スイミング・プール」(03)と、20年近い長い年月が経っていますが、現場での雰囲気や撮影で変化を感じましたか?

そうですね、オゾン監督はかつてより現場では穏やかになったと思います。昔はぶつぶつ不満を言うタイプだったので。もちろん今でも1回のテイクで満足することはないのですが(笑)、それが私にとっては久しぶりな感じで楽しかったです。彼との仕事で、俳優として最も嬉しいことは、監督自身がワンカット、ワンカットの構図をちゃんとチェックしてくれるんです。

私がこれまで仕事をした監督の中では彼だけです。大抵の監督はモニターを見ているだけ、そういう人が多いのですが、彼は本当に私たちが演技しているその真ん中にいる感じで、俳優を見守ってくれています。これは安心感があって、例えば彼が何を求めているかもあうんの呼吸でわかります。ですから、今回の撮影はまるで自分の家でくつろいでいるような、心地よい感覚で進みました。私も20歳の頃に比べたら、俳優としての自信もついて、昔は監督に何か言われたら、こっそり隠れて泣いたりしたこともあったのですが、もう今ではそういう不安定な自分ではなくなりました。彼が私をからかうように、ちょっとキツイことを言っても、ハハハって笑って返せるくらいの関係になりました。

「8人の女たち」「8人の女たち」

――ちなみに隠れて泣いていたというのは、どの作品ですか?

「8人の女たち」です。大女優たちが参加して、そして私も主人公のうちの1人でしたから、大きなプレッシャーを感じていたんです。撮影の朝、フランソワは1人1人の控え室に挨拶に行くんです。「おはよう、カトリーヌ(・ドヌーブ)! とっても素敵で、元気そうだね」とか、次は「イザベル(・ユペール)、今日もいい1日を過ごそうね」とか、そして次はファニー(・アルダン)に……そんな感じで女優たちに、すごく愛想のいい挨拶をして回るのですが、私のところには1番最後に来て、「おい、お前、自分の顔見たか?」なんて、チクッと皮肉を言うんですよ。もちろん、それは私たちが友人関係だったからこその、からかう感じなのですが、「君が失敗したら大変だよ」みたいな、プレッシャーを当時はかけられていましたね(笑)。

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――気を許しているからこその関係かもしれませんが、オゾン監督の作品はちょっと“意地悪オバサン”的な視点を感じることもありますね(笑)。

90年代にフランスでヒットした、頑固で意地悪な老婦人が主人公の「ダニエルばあちゃん」というコメディ映画があるんです。現場で、フランソワがぶつぶつ言っていると、「ちょっとダニエルやめてよ、みんな嫌がってるわよ、静かにしてよ!」なんて冗談めかして言い返したこともあります(笑)。

――作品選びの基準を教えてください。また、ご自身の私生活の変化に伴う、俳優活動での変化はありましたか?

私にとって大事なのは、まずは監督が誰かということ、それから芸術的な面で惹かれるもの、それから、テーマです。今の私自身は子供たちを育ててきた母親ですが、必ずしも自分と同じような人物を演じたいというわけでなく、逆に自分と全くかけ離れた人物を演じたい欲求があるかもしれません。

5年ほど前に仲間たちとパリの郊外に俳優学校を設立しました。授業料は無料で、どちらかというと恵まれない家庭に育った子どもたちに演じる機会を与えようと立ち上げた団体で、そこでの活動は私にすごく充足感を与えてくれ、大事に思っています。一般的に俳優という仕事は、自己中になりがちで、何かを継承していくこと、誰か他の人の役に立つこと、そういう感覚を見失いがちです。ここで、他者のことを思うこと、それが私にとってはすごくプラスになっています。さまざまな背景を持つ移民の出身の若者たちの境遇を知り、自分の立場は恵まれていること、一方で大変なことも相対化して見ることができます。監督にもいつか挑戦したいと思っていて、私の監督作品を持ってまた日本に来られたらいいなと思っています。

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