【並木良和・榊原郁恵】ハートフルラジオ虫の知らせ:今陽子 2025/5/17 【ノーカット版】
[音楽] 結構広いですね。 これお水ですか?あ、お水です。可愛い ね。小さいですよね。いいですよね。 めっちゃかい。 コップ1杯分ぐらい水。前回からのプロ [笑い] ま、まだ自社なの? ちゃん。そう。前回、前々回からです。 そうでしたね。うん。あれ でもいいですよね。これぐらいの量逆に。 うん。 あのすごいいいんですよ。飲み切り。 ね。飲み切りサイズに。はい。ロハス。 うん。ロハスウォーター。へえ。 どこのですか?え、これで210。 あ、でも結構ありますね。牛乳瓶1 本分ぐらい。210だって書いてあ。 210。ん、200?210です。 210?うん。 ふて一緒にゆりぞってゆぞったよ。携帯いいですか? [笑い] うん。 そうだね。携帯かぶってるね。 大丈夫です。 大丈夫。関係大丈夫です。大丈夫です。 さんマイクの位置だけ。うん。はい。 すいません。あ、被ぶってない。 私のジャ下がればいいんじゃない?私。 ありがとうございます。これしといた方がいいですよね。 あ、お願いします。ます。お願いします。 これはなんかか柄かな?ちょっとなんか書いてあった。 展示か。 最近いアクセいっぱい色々なの売ってますね。 そうです。 そういうアクセサリーとかあとあのこうぶら下げるやつとか。 あ、うん。ね。そう。 すごいねよ。ビッグカメラ行くとすごいっぱい。これ車につくからいいんですよ。 車に着くのマじ、あの マジックなってるんで バットね。うん。 車のこのこ行こうつって。 意外にこう横にしとくとだってね、忘れちゃったりするから。 ああ。あ、 え、そういうのどこに売ってますか?やっぱりネットですか? ネットも買えるけど、あの、ビッグカメラとかさ、あの、そ、あ、あの、ルーハン転行っぱ Amazon。Amazonうん。 Amazon けられないんですよ、そういうの。 Amazon嘘でしょ? え、えっと、なんて、なんて検、その検索の仕方がわかんない。 だから後で教えます。うん。うん。 とりあえずあのマイクのテスト はい。クです。クエです。あ、まだ始まってない。あ、はい。 はい。 はい。あ、僕ですか?なです。はい。よろしくお願いします。ハートフルラジオムの幸せ。はい。 はい。おはようございます。お願いします。はい。はい。 はい。今よ子です。よろしくお願いします。じゃあ、本番行きましょう。はい、回して。 はい、じゃあ皆さんよろしくお願いします。 お願いします。お願いします。 じゃあゆさんお願いいたします。 ねえ、なみ今日ね移動の車の中でずっと懐かしい曲を聞いてたのね。あの夏メロってやつ。 うん。おゆけさんが懐かしい歌って言うと王将とかですか? 空場飛ぶよ。将棋のに村らと そこまで古くない。ああ、そうですか。 うん。ママもなんか歌ってみて。 うん。はい。 まこ甘えてばかりでごめんね。いわ なをちょっと歌ってみたいと。幸せなら手をたこ あ、いいですね。 やっぱ楽しいね。昭和会までもね、私が一番好きな歌はそれじゃないの。 うん。うん。どんな歌ですか? 恋は私の恋は 次は新は新は はい。なんでよ。 なんで名曲がさ、駅のアナウンスになっちゃうの?ま、ちょっと面白いけど、私ね、もうピン様の代々大不安なんですよ。うん。ピン様。 ピン様。誰だよ。え、 こんばんは。イ方先輩。お久しぶり。 こう来るわけですよ。 ね。 ピン様でございます。皆さんピン様よ。 私ピン様です。 ピン様って感じがします。 ご存知ないですか?ピン様でございますよ。本洋よ子さんですよ。 よろしくお願いします。 キートキラーズね、知ってると思います。 はい。はい。激しく。はい。はげ激しく。 はい。 波々はあ、波々でございます。です。 波。そんな落としですか?はい。僕50 ですから。ギリギリですね。はい。はい。 でも昔からもずっと 知ってるのよね。 知ってます。もうずっと子供の頃からずっと流知ってるのよね。 50の方、50の方が え、あ、あ、母親が聞いてたりすると。 そう、そう、そう、そう。 いや、母親ならまだいんといですけど、最近あのうちの祖父母がつって大体そうですよね。はい。 そう。あ、で、ママです。 [笑い] ママよろしくお願いします。ますね。今波々が 50ですって言いましたけどはい。 ピン様はま、ピンキーと気えが あのね、もうね、早や来年でね うん。迎歴うん。60歳完暦。ああ、 迎歴完暦。 そう、だからいいでしょ、これ、このキャッチフレーズだからね、えっと、ピンキーとキラズがデビューじゃなくて、一応今ソロデビューが 15歳の時。はあ。 あれ曲は何ていう曲で? 余ったれたいのっていうね。もうくそもその通りなの?くっそ面白くない曲で。 ええ、曲をそんなにいや、もう絶対岩谷と子たコンビで最高のコンビなんだけどひどい曲で。 え、あの、もう歌うことはないですか?そのデビュー曲て 絶対歌わない。嫌なんですか? あの、ていうかね、その当時ね、山本リンダさんの困っちゃうながすごいヒットしてた。 はい。はい。はい。 で、安易にそれがそれがヒットしてるからていうんで余ったれたいのっていうのが本当に一緒にいてね、 手をついでまあまね売れるわけない。 [笑い] やっぱり5 尾をあげあげるっていうのがあれなんですかね。 だって困っちゃうな。だから そうですよ。だって夏の女さんもアイスクリームユースクリームですもん。やっぱりあげると ゴ尾あげるとヒットするんですよ。 その頃はそうなのかな? え、そうなんだ。なの? え、じゃあ可愛らしいフリフりの衣装かなんか来ました。 フリフリはね、着なかったけどでも一応ミニスカートだったの。 あ、ごめんなさい。笑っちゃった。 笑いすぎでしょ。それくっちゃん すいません。そう、ミニだったの。本当 そうなの?ちょっと でもその当時みんなミニだったのかしら?まじさんとかも皆さん小川智こさんとかも 皆さんミニスカートだったじゃないですか。 うん。あのこないだその当時の紅白線やってたんだけど みんなミニだったね。 ね。うん。割と。 うん。うん。 ああ。じゃあだから時代だから それはもう決まりで嫌も何も。うん。嫌も何もなくてね。うん。 ま、もうま若いわけだし。え、そう、15 歳。えっと、うん、中学3年生。 ええ、だからまだ義務教育中だから、 あの、歌ね、まだこの本当はいっぱい私コマーシャルソング歌ってるんだけど、いっぱい歌ってるんだけど、画像には出られなかったわけ。 うん。声だけ。うん。 その頃はね、今みたいに緩くなかったの。 もうとにかくあの10 代は特に義務教育だから もう絶対ダめてことで。うん。 うん。 歌はたくさん歌ってたけど、あのテレビとか画像に出てたことはないの? あら、 そうだったんだ。歌番組はもう結構、 あ、数はありませんでした。 あの、だからソロではね、歌番組はだから出たことない。 ええ。うん。そうだった。 うん。歌番組はもやっぱりピンキとキラーズになってから だからすごく衝撃的に私たちにね、印象残ってるわけですね。 うん。だからあの今洋子がピンキーになったってことを知らない。 人も結構いた。うん。うん。 で、じゃあずっとまソロでやってたけど うん。ピンキーとマシティはキラーズよ。 え、つまり殺し屋。 そうそうそうそうそうそう。 だっておじさんたち。 おじさんた。そう、そう。もうザおじさんです。はい。 そう。10歳、20 歳ぐらい違うようなおじさんたちと一緒だった。 ところがね、あの、ジョージさんだけは 123歳、あ、元か15 歳ぐらい違うけど、ルイスって1 番若いのはね、4つ。としか違わないの。 うん。 うん。だからね、そんなに私からしたら4 人ともおじさんでもないの。 うん。うん。 でも全然ミニスカートじゃなくってあの時のそのパンタロンスなんつったらしいの?パンツっていですか?はい。 その格好ででちょっとこう丸いこうね。 うん。旅ハトはい。 めすごいああいうファッションも珍しかったんですけど。 そうね。うん。 泉拓先生と当時の奥様が考えたんだけどね。 うん。当時のね。 あ、5回、5 回結婚してらっしゃるんで、当時のはいはい。奥様がはい。 ちょいちょいなんか衝撃的な。 いや、いや、いや、もうね、もう、もうこの年になるとこのキャリアになるとね、何でもオッケーって感じで。え、 すいません。先輩。 いや、いじゃもやめてくださいよ。そうなんですよ。先輩、先輩って言われちゃうんですけど、ポリプロに はい。うん。 え、つ頃入ってこられたんですか?入ってこられたんで、 もうもう20 年以上になるんでしょうかね。 ね。だからもう堀プロの迎歴で言うと私の方がまあ先だからって言うんです。 先輩って言われるから何をおっしゃいますじゃないですか ね。それでなんかもうピン様、ピン様ってこう呼ばさせてもらって うん。そう。あの頃冬園が流行ってたからね。だから 4 様からなんかアイにピン様になっちゃったんだよね。 でも色々にやっぱりすごいなんだろう参考になるわけですよ。 ああ。 はい。ま、芸能もちろんそうなんだけどうん。 すごい元気だと思いません。 元気ですよね。 行くちゃんも元気じゃない? いや、そうだけど一緒にそのお仕事をやった時に本当に元気だなと思っていや、こついていこうと思いましたもん。本当に。 [音楽] うん。いや、あのミュージカルやったもんね。一緒にね。 うん。うん。 あとやっぱり歌番組とかでこう歌ってる姿を見た時に後ろ姿ってやっぱりなんだかんだこのあのこうなんだろう年が現出たりとか色と生活感が出たりするじゃないですか。それで後ろ姿見た時にすっごいって思って [音楽] いやそうなんですよ。あの違う今度歌番組でピン様を見た時に え人どれだけ鍛えてんだろうって。 うん。うん。いや本当そう思って 背中に哀愁はなかった。 うん。哀愁はなかった。 もう張り切った姿が こうなんかこうにみ出ててあらまあね。 そうだからこうどんだけだこう自分自身をねなんかこうなんかこうなんちゅうのかしら激励例じゃないなんちゅうけど [音楽] コブしてやってるんだろうって思ってうんうん うんまあでもうん元気は元気本当 うんねうんもうだって70代入ったのに 70 代ってこんなに元気でいいのかなっていう風に自分で不思議に思ってるぐらいだからうん ねだってデビュー当時っていう 取れて12時間ほらね。うん。 どうやってそのまま続行もあったから1 日って24 時間なんだけど私にとっては1日30 時間ぐらいだった。 何をしてましたその時だってそんなにそんなにね。うん。 [音楽] うん。うん。何をしてるんですか? なんか知らないけど、その当時ってその 10代は8 時に帰らなきゃいけないとかそんなないからルールが。 はあ。だから私16歳でクラブキャバレー ね。それからえっと夜中にCM 撮影とかするわけ。うん。うん。 時間ないから夜中でCM 撮影してで朝はもう6時か7 時に小の撮影行って映画を撮って うん。はい。うん。 そしてお昼ぐらいからテレビの歌番組のため取りを 1日大体20本ぐらいへえ。 恋の季節ばっかり20 本ぐらいため取りをしてで、夜はもう8 時から生放送の歌番組に行くわけ。 へえ。だからね、もう本当に なんか仕事仕事仕事歌って歌って歌ってって感じだったの。 うん。 で、今もう新幹線もね、どんどんどんどん望みとかもう早くなってるけど やっぱり移動にも時間かかってたわけですよ。 ね。そうね。だからその子 夜光台とかも乗りました。 あ、乗った。乗った。ブルートレイン。あ、 はいはい。 うん。だからもうそれに乗ってるうちにあ、青森着いたとか言ってで、青森からなんかまた青連絡戦に乗って函館行ったりとか、わゆる本当にツワーなんてかっこいいもんじゃなくて本当にもう土回りっていう感じで本当に。うん。うん。うん。 うん。本だってギリギリ私ですら寝で移動して営業が終わると夜のその診断台に乗って であのカーテンみたいなもので 仕切られるじゃないですか。あれが嫌で上とか横に男の人とかがね 寝てたわけじゃないですか。で、足元には自分の衣装とかそう ね。 帽子のバなんかとかバッグがこう足元にあって それでなんかなんか毛布みたいのかけて寝てうん。 で、なんかね、踏切り通るとヒーガンガンガン。 [音楽] そう、そう、そう、そう。うまい、うまい、うまい、うまい。 今どこなんだろうとか。 その通り。その通りね。 ね。うん。 そうですよね。ね。まあ、でも情緒はあったけどね。 まあ、そうですね。 あったことはあったけどね。 旅って感じはしたけどね。 コンビニもないからお弁当だってなんかなかなかないし ないそう。今だったらね、もうずっとね、何でもあるけれどもあの頃は本当夜遅くなるともう食べるものもなかったしね。 うーん。え、なっちゃうなってそう思う時なかったですか? いやあ、結構ありましたよ。ま、歌は元々すごく好きだから。 でももちろんそれでやっぱりあのキラーズのおっさんたちはやっぱりみんな大事にしてくれましたから ね。うん。 マネージャーとかのに行ってんだったから。 [音楽] うん。うん。 だから結構みんなに大事されて お姫様生活してましたからね。 うん。だから結構キラズはあの私にいじめられましたよ。 もうあの音が取れなかったりすると 何やって こんな音が取れないのとか言って10 代の女の子がはい。 この音ティーンテン。この音まだできないのみたいな。本当クソ生意きな女の子でした。もうもう歌も踊りも小さいというからですか?ピン様は。 [笑い] うん。そうね。もう元々好きだから。 だからもう本当に小学校1 年生ってか幼稚園ぐらいからバレーとかあとピアノのお稽古とか好きでやってたから。 うん。うん。うん。お父様のそれおすめかなんかで 誰もお勧めじゃなくて自分が行きたくて。 え、そう。 ああ。 うん。だから一緒に始めた56 人仲間がいたんだけど、みんなギリだからみんなすぐやめてっちゃうんだけど、私は自分が好きだから。 何かを見て影響受けたとか。 うーん。そうでもないけどもとにかくもう好きだったから。 だからピアノも初パンぐらいまで引けるようになったし。うん。 ええ。 うん。バレーも結構ね、投シューズでなんかチバレーのチでらしからぬのバレーを踊ったりしてましたよ。 あ、そうなんだ。 うん。でもそれが本当に芸能入ってから色々役立ってるから。 うん。うん。ああ。 だから体もすごい強いけど生体も強いですね。 あ、生体はね、あんまり強くなかったんだけど、あのニューヨーク行ったでしょ? あ、28歳から30歳まで29 らず解散してた後 でその論になって うん。その後のやっぱりニューヨークのボイスコボイスレッスン うん。 がすごく今の私の強化な生体を作ってる。うん。うん。うん。今は簡単にね、ニューヨークに行きますとかってなんかちょっとこう A会はレッスンしてきますとかなんかあるけどその当時のピン様の時代のその 28歳ぐらいの時うん ニューヨークに行ってちょっとこうトレーニングというかしてきますっていうのってかなり大変だったんじゃないですか? そうね。あんまりなかったね。 だって1ドル300 いくらとかそのくらい時代でしょ。 さすがに360 円ではないか。ちょいといくやっちゃん。 360円ってものすごい昔よ。 ちょいと。え、あの 200円だったかな?1ドルその頃。 うん。それでもね、随分違うけどね。 あの、だからやっぱり本当にあの、そんな 1人で貯金はいて誰も知り合いないのに うん。ニューヨークに1 人で行くっていうのは今考自分が考えてもよくやったと思うし うんうん 本当に勇気がいったなって今今更ながら思いますよ [音楽] 自分でどうしても行きたいって思ったんですかその時 うんていうかねとキラーズがあまりにもほらもう売れちゃって うん もうすごいなんか一時代気づいちゃって うん的アイドルというかね そうでもちろんありがたいんだけどセいっぱいそ を作ってはい。 うん。だからもうイメージが強く強すぎて その後やっぱり私本来はやっぱりこうジャズとかポップスとかミュージカルが元々洋学とかあとブロードウェイミュージカルとか好きな人なんでうん。うん。 そっちへ行きたいんだけどどうしても恋の季節ピンキーっていうのが あの贅沢な悩みだけど邪魔でうん。 うん。だから1 回それをこうお選択したかったの。 うん。 うん。あのクリーニングしたかったの だ。 それはやっぱりずっと日本にいてやってたらやっぱりもうなかなかね。うん。 できないからで思い切ってヨークへって行っちゃったのね。 うん。だからもすぐ勇気は行ったけどでも結果本当にそこ行ったのは正解だったと。 うん。うん。 でも帰ってきてどうでした?日本のその受け入れ体制っていうのは? あのおかげ様でその頃ちょうどねあの仁オタホテルのクリスタルルームとかコルドンブルーとかバックに 10 人ぐらいダンサーをつけて歌って踊る賞レビューがものすごく流行ってる時 うん。 だからもうちょうどニューヨークから帰ってきてあのラスベガスのダンサー呼んで歌って踊ってし それをもう本当に10年とか15 年とかちょうどアメリカ帰ってきてやらしてもらったから すごくナイスタイミングだった。 うん。やりたい仕事がね、 アメリカから帰ってきてすぐできたから。 はあ。あ、 そういうね、やっぱり先輩方が色々とそういうの気づいてくるから、 今この芸能界もどんどん変わってきてるんでしょうね。うん。 ねえ。まあ、なかなかね、あの、自分のやりたいことをやるっていうのはなかなか難しいよね。特に 1回やっぱり売れちゃうとね。うん。 すごいのよ。だってね。 うん。 あの、折り込んだなんだかんだの記録とかいっぱい見るとすごいんだから。 うん。ね。本人も知らなかったんだけど ね。うん。 [音楽] 恋の季節だってもうね、えっと、ダブルミリオン歴代最多 17種1位だって。17種。ええ。うん。 ああ、折り込んでね。折り込んでね。 うん。はい。 うん。で、あの、紅白歌合線ももちろん出んなきゃいけないけど、あれでも白組、 赤組どっちみたいな。 そう、それがね、私がやっぱりセンクシだったみたい。あの、その頃女の子のボーカル要するに男女性っていうのはいなかったんで。 うん。 で、どっちで出るかっていうのでNHK さん揉めまして で、やっぱりボーカルだって80% 私が歌ってるじゃないですか ね。うん。 向こうは同じこと追っかけてるだけだからね。 うん。だからやっぱり80 したらNHK さんがあのはやっぱりピンキちゃんが歌ってるからじゃあ赤組にしましょうって言うんで それ以来だからドリカムさんとか うんうんうんうんトプA とかそれからやっぱり女の子のボーカルはみんな赤組になっただ私があのなんて言うの選ク者うん ああ 本当それだけでどっちにしますかっていう うんあったんだって ねすごいよ目にごめん。うん。 でも本当に私がほとんど歌ってんですからね。 そうですよ。そうですよ。 不公平ですよね。本当に。 [笑い] それこそね、ピン様身長が高くて で、やっぱり大きいう 女性はうん。 この火用会売れないっていう風なジンクスもあったらしいじゃないですか。 [音楽] そう。だからね、わ田明子お姉ちゃはですね、年はお姉様なんですけど、一応私が 1年ぐらい先輩なんですよ。はい。 難しい立場なんですよ。 年上の後輩。 すっごい難しい立場なんですよ。未だにすごい難しい立場ね。 だから本当にあこさんと私だまず私が出てその間に瀬川 A子さんという人もあの人も170 いくつあってうん。 でもとにかく大きい女は絶対絶対売れないって言われて うん。 で、もうこの野郎これ破ってやんだけと思ってあ うん。うん。 だからあこさんはある意味私に感謝かもね。私が唇を切ってあげたから。 A子もね、瀬川えAちゃんも。うん。 ね。で、P 様はピンキーとキラーズ出たけど、あこさんもそれこそ芸名をなんかこう可愛らしい芸名。 マーガレット。そう だってあこさんのわ物語で私あこさんのお母さん役やったの。 そうですよね。うん。そう。 笑っちゃった。マーガレット技だって。 [笑い] マーガレット技じゃなくて良かったですよね。 良かったね。マーガレットだったら今ないね。きっと わかんないけど。 そうやってだからね、大きい女性はって言いながらもだからなんか あとやっぱりきピラピンキーとキラーズという風にグループで出たっていうことがあれだったんですかね。 うーん。でもね、私はやっぱりあくまでも生意きだけどソロをやりたかったの。 うん。うん。 ソロでやりたかったの。うん。 で、あので、さっき言ったように1人で 15 歳でデビューして売れなかったでしょ。 うん。その後佐原直美さんとか幸さんとか 泉たくさんとこ入ってきて そっちの方が佐原直美さんの方が先に新事賞取ったりレコード対象取ったりして はあ置いてかれちゃったから先輩なのに で幸沢さんもじゃあえた。 そうゆさんもだからあの頃すごいんですよ。 えっと、直さんの世界は2 人のためにいいじゃないの幸せならば幸さんの夜明けのスキャット 天使のスキャット でその後英子さんも北行きでも来たし もうすっごい実力派の歌手ばっかりがいて うんうん うんすごいやっぱりプロダクションでしたよ あそうだったんだ うんだからねやっぱりそういうとこで私もソロでやりたかったんだけどなんかねまとにかくさっきも言ったようにでかいのは売れないって言わ れてたから この子をちっちゃく可愛く見せるためには後ろに男を はらせれば きっとは可愛く見えるんじゃないかという泉先生の安易なお考えで うん。 そう。それで当時クラブやキャバレでバンド版やってた 4人を集めて でピンキとキラーズ作ったのね。 ああ、バンドマンだったんですか? そう。バンドマン。うん。 じゃ、あんまりこうコーラスとかっていうのはそう。それでさっきの話一生懸命私がコーラス教えたの。 ああ。 うん。そう、そう、そう。だからで、その頃ね、あの、野ひ子さんっていううん、今女優さんで有名ですけど、あの、あの頃は歌手だったのひ子さんが へえ。 やっぱりレビュー局売れなかったんだけど。で、ひ子さんあの通り綺麗なのね。 うん。 で、本当はピンキーは死のひ子がなるっていう風に切らずが聞いてたみたいで。 へえ。 で、で、私が言ったんで、え、話が違うつって。 そんな で、私ももっとかっこいい。 あのね、イケメンのもっと若いかっこいいのがね、来るとすごい期待してたらあんなおっさんが呼に来たんで、 お互いに初対面最悪だったの。 [笑い] でも結果それだったから売れたんでしょうね。 うん。 もし私がすごい綺麗なひ子さんみたいに綺麗な人ででキラーズがこうちょっと今の J1やB ファストみたいなイケメンだったら売れてなかったかもね。 うん。 そうか。うん。 なるほどね。まあね、想像の世界だから分からないけれど。うん。 はあ。 関心しちゃうでしょ。うん。 いろんな出会いとかあるもんよね。 はい。まあね、これだけ長いことやってるともう本当に話がね、 もういくらでもあるんです。 いくらでもあるでしょうね。 うん。でも本にはしないけどね。 うん。うん。しない。 うん。もうね、人のことやっぱり言うのって難しいじゃない? うん。 ね。あ、今日でも結構行っちゃってるけどね。 ああ、だって60 年だったらもう1年だって360 日いろんなことがあるわけで、それ言い出したらもうキりがないですもんね。 そうね。ね。 で、やっぱりその安の方達ってやっぱりそういう裏の話って結構興味持ってて聞きたがるじゃない。うん。 [音楽] うん。だからたまに私SNSで Facebook とかブログでたまにちょっと裏話こうしたりするとやっぱり食いつきいいですもんね。 うん。うん。うん。 だって今と全然違うわけでだけど今の世代のたって歌うだけど昭和にすごく魅力を感じてるみたいで。そうなのよ。再びね、なんかまたあのブームっていうか昭和火用今特にあのテレビだと BS系がね、すごく多いし なんかすごい新鮮にもうこんな長くやってるのになんか新鮮にこう扱ってくださるっていうのはありがたいなと思ってる。うん。 うん。ねえ。 でも昔のことをどうしてもこれだけは許せなかったとかなんかそういう辛い思いとかないですか?ま、いいこととかっていうのはいっぱいあるでしょうけど、もう本当あの年こんな大変だったとか忘れられないようなそういうのって うん。やっぱりあのあまりにも忙しくていくら歌気でも声が出なくなっちゃったんで。 うん。そりゃそうでしょ。 うん。もうだって本当だから日ね。 1回公演ぐらいなのね。うん。 で、それをやらなきゃいけなく、ピンキーと嫌 1 週間あったんだけど、もう全く声が出ない。 うん。うん。 で、しょうがないんで、あの、紙にもう声が出ませんって紙に書いてそれをこう胸に持って不安の前に行って、もう歌いませんって声、声出さないでこうマスクしてこうやってやってたら逆に不安の方がもう休ませてやれって。 もうマネージャーもう早くもう今立ってなくていいからもう早く寝させてやれみたいな ええ ていうことがあってだからそうそれもあったし ついに全員でマネージャーも運転手もバンドボーイもみんなで一緒に一斉に逃げたことあります。夜逃げ え仕事もうおっぱり出して もうやってらんないつって 全員で逃げたんですよ。うん。うん。 だから123 人だから一緒にいると目立つからバラバラに。 うん。うん。へえ。 いくつぐらいの時ですか? だからもうリサルあれやってく17 ぐらい。 え、みんなでなんとなくこそこそと打ち合わせかなんかして もういや、堂々と打ち合わせして でうん。 で逃げたんだけどちょっとね土時な人がいてねんか本名か本名だったかゲ名だったかなんかでホテル止まっちゃってそっからもうパッパッとついて私は熱海の旅館に逃げてたんだけど 1人で うんうん私はねえっとマネージャー1 人とジョジさんかなんかと3 人で行ったのかなやっぱり10代の女の子 1人じゃ怖いからうんうん だけど本当なんか土時な人がいてすぐ見っちゃって 1日ですぐ見っかっちゃったけど 計画的には何、どのくらいの計画だったんですか? あ、3 位をて休みたいなって思ってたんだけど。 うん。 まあ、でも布団部屋で10 時間寝れたから。 ああ、 もうあの部屋に止まるとバレちゃうから。 だから布団部屋であ、 もう死んだように寝てて、10 時間寝れたからね。 すごい休めました。 へえ。そんなことあったんだ。 そう、逃げました。 へえ。 そしたら、あの、スポーツ新聞の台が、 え、やっぱり恋の季節ならぬ国士の季節 っていうタイトルを有名な記者の方が タイトル書いてうん。 でも本当に逆にね、悪いことしたんですけど、プロとしては悪いことしたんですけど、皆さんが同場してくださって そんなに大変だったのかつって。 うん。うん。だからあんまり 怒られなかったですね。 ああ。うん。 すごい経験 ねえ。 本当にね、もういろんなことあったけど、ま、このこの時 1番辛かったですね。うん。 [音楽] リクエスト曲です。へえ。ロすご。はい。 あ、これアレンジが違う。 うん。オリジナルとうん。 新しいね、きっとこれ。うん。イントロが違うから。あ、歌い方も違う。 あ、こっちの方がいいな 。1969年リースしたんだ。 これあんまり聞いたことなかった。 ふ、そうか。禁じられた恋の方がなんか耳にありますよね。 うん。有名なのはね。そっちの方がビッグヒット。 うん。へえ。 でもこの頃り子さんはね、割とね、フォークソングっぽいのばっかり歌ったらしたから。 うんうんうんうん。 で、この村井彦先生がすごくこの時乗ってる作曲家だったから。 うん。 うん。だ、そういった意味して珍しいですよね。こういうこのバラード的なの 心がいいんですよ。り子さんの声。どう わな曲をリクエストしてくださったのでおかけしました。森山り子さんで恋人。うん。うん。はい。 恋人。 これね、多分ね、新しいアレンジの方だと思うんですね。あの、オリジナルはもうちょっとあの、違う感じなんですけど、でもすごくこの私がほら、こういうハスキーで低い声だからさんみたい。 こういうソプラノの綺麗な 声が憧れてんですか? ないたりするじゃないですか ね。 それで私はこのり子さんのこういうラブバラードが大好きで うん。へえ。 1969年の12月ですってこの曲。 ほぼね。ほぼ一緒ですね。1969 って私の涙の季節の時だから。 うん。 うわあ。ありがとうございます。恋人森山本さんの曲をおかけしました。 うん。 まあね、いろんな話をしたいんですけど、ま、虫の知らせということなのでね。はい。 ピン様も色々な経験があると思いますが、そういう虫の知らせ的な経験はどうですか? ま、もちろん芸能入って方は色々あるんですけど、私が今でもすごく印象に残ってるのが、あの、中学 2 年の時にだからもう本当状況寸前なんですけど、 あの、もちをこじらせて福園になっちゃってうん。うん。うん。うん。 んでもう結構ね、あの命危ない見けたちょっと結構重症だったんで [音楽] はね、危ないですね。 そうでその時にだからもうあの意識なく猛としてる時に 夢を見てたらうん。 多分あれはさ子の川だと思うんだね。 うん。うん。なんかが現れてうん。 で、川の向こっ側に 亡くなったあのおばあちゃんが こう向こうにええ。 で、おばあちゃんがはい。よくこっちいらっしゃいってこう呼んでんの。 うん。 で、こっちではなんかなんかうちの母わかんないけどなんかこっちも声がするの。 うん。川の子手前も。うん。うん。 で、私はおばあちゃんの方に行きかけるんだけど うん。 なんかこっちの声の方が強いし、あ、なんかこのカバー当たっちゃいけないなみたいなんで、 それでうん。戻、戻ったらうん。 したらなんか1 回脈も止まったらしいんだけど うん。脈がまた動き出して うん。で、要するに もろとしてた私が目覚めたっていうか、立ち直ったというか。 [音楽] うん。うん。 だ、そういうね、あれ、あれ間違いなくはっきり覚えてるから 多分あの夢の中にそれが出てきたっていうのが なんか今までで一番不思議だっていうか うん。ちょっと怖いんだ。そういうの ありますね。うん。 つまり寿命って言うじゃないですか。寿命ってみんな 1 つだけだと思ってる人が多いんですけど、寿命っていくつか決めてくる人っているんですよ。 ほお。うん。ださんの場合にはそこが1 つ寿命になってるんです。 で、そこでもしだからおばあ様の方にチャンネル合わせていったら確かに脱いでるでしょう。ネット肉体を脱いでますねという。 うん。自分で選べるのその時に。 えっと生まれてくる前に自分で決めます。滞在期間なんですよね。この地球の滞在期間。肉体を持った滞在期間なのでそれをま人によって多くのん多い人でっていうのか 7 回ほどそのタイミングを決めてくる人もいます。だから例えばだけど 102304050670みたい。うん。 でも1個っていう人もちろんいますし そうだ。 さんのように、ま、いくつかっていう風な形で、あの、決めてくるって人もいますし、人によります。 うん。へえ。 うん。じゃ、確かにそこはそういうちょっとこう タイミングだったんですよね。 うん。でも選択をこっちに とまる方にしたという。うん。は。うん。 じゃ、もしかしておばあちゃんの方行ってたら私そこで終わってましたね。 うん。はい。はあ。うん。へえ。 でもそれまで寿命なんですよ。言い方を変えると。 あ、でも若くしてそういう風に行ってしまう方ももちろん色々ですね。 うん。で、としても寿 ああ、そっか。うん。90 で亡くなったから大王でではないんですね。 0 歳でもいい方を変えと大王なんです。なぜならば寿命だから。 うん。うん。なるほどね。 はい。う。うん。 いやあ。 うん。まだだからやることがあるって、こう自分の中でまだこのまま行けないっていうのがどっかにあったんですよ。だからチャンネルをこっちに うん。うん。うん。はい。 だからその後ね、芸能会して、芸能会デビューして 私の人生始まりましたから。 はい。そうです。そうです。 そうですよね。 うん。そのきっかけになったと言っても過言ではないから。 まさにそうですね。 うん。でもね、それってもっと深く言うとやっぱりこの人生って ね、やっぱりこう山あり、谷ありじゃないですけど、やっぱり辛いことも多いし、大変なこともあるし、だからそこでどうしようかなってどっかでは知ってるんですよ。魂はそれをやるっていうことだけど、それに自信がないっていう場合ってあるじゃないですか。 だそういうタイミングだったんです。うん。 魂の方は。 それでそっちの方に行くってこともできたんだけど要するに帰るってこともできたんだけどやっぱりとまってそれをちゃんと形にしようっていう方を選択し要するにチャレンジする方を選んだってことです。 うん。ほう。 そんなつもりなかったんだけど掃除したんだ。 はい。うん。魂っていうこの深い方は こちの表面的な頭の方ではなくなくて はい。うん。はあ。うん。 だからチャレンジというスイッチが入ったんだ。 だから今でもなんかこういろんなことにチャレンジするようなそうい性になってるってことなんですかね。 うん。 本さはね、この人生でやっぱね、いろんなどんな形でも 1 番を、え、取るとか1 番を取るって変ない方かな。だからトップを取るとかとにかく 1番になるとかやっぱね、そういう うん。テーマっていう表現でいいのかな思ってるのでだからもうそれはもうやってるわけですよ。うん。うん。私 はい。うん。そうですかね。 そうなんです。うん。あんまり1 番取った。だからその第1 戦でね、活躍するとかそういうことです。 あ、 うん。だからちゃんとそのね、こうグループの中のトップの方に立つとかね、そういう うん。 ああ、そういえば学校時代とか学生時代とかって必ず生徒会員とか学級委員とか うん。そうです。持ち上げられるんです。そっちの方に自分がそうしたくなかったとしてもそっちに押し上げられるんです。 ああ、そう言われば そうですね。割と人の上に立って やってきたこと多いですね。 はい。だ、それはもうまさにこうなるべくしてなってるというか。 うん。はい。 で、て、あの、こう後ろを見ていると、えっと、ご家族だったり、ご先祖だったりすごくね、音楽に関わり、音楽ってそのジャンルは違うんだけども、音楽に関わってる人たちってのがいっぱい見えるんですね。で、その人たちのこう、後とか応援がやっぱり今のコさんを作ってる部分っていうのも、あの、終わりになるので、だからやっぱりちゃんといるべくしていくなんの、あるべくしてっていうのかな、あるっていう風に言えます。 どうして分かっちゃうんですか?あ、うちの叔父はドイツの師匠だし、おじいちゃんは 108だし、おばあちゃんはシ戦だし はい。 もうみんなね、すごいその法学も含めてみんな音楽のそういうはい。うん。だからもうそこにちゃんと生まれてるんですよね。で、そういう環境を選んでるんです。言い方を変えると。 うん。本当に。 で、守護霊さんになってる方もこう小歌 小歌のお師匠さん という女性の方が後ろにいます。うん。 うん。うん。 この方は守護霊と言ってコさんを中心になって守ってらっしゃるあの方になります。 うん。はあ。おばにいます。 あ、そうですか。 で、その方がこう守護霊になってらっしゃるので、わゆるそういったやっぱりこうね、なるべくしてっていう方があるじゃないですか。まさに うん。 行くべ、いるべくして、なるべくしているという。 わあ、初めて。 どっちかつうたらピンさん洋学の方に魅力を感じてません。 ところがね、うちの家族はみんな法学なの。 うん。うん。うん。うん。うん。 それはなんか関係ない?なんかこう見えない?ちょっと。 あ、いろんなジャンル。例えばその楽だとしてもでもやっぱり音楽っていう大きな括ってあるじゃないですか。やっぱりこういうのにいろんなそのジャンルに慣れておくっていうのはとても大事なことで、だから細胞にこう なんて言うのかな刻まれてるんですよ。簡単に言うと。 うん。 で、さんは例えばこれから例えばミュージカルであったりとかあとはちょっと僕音楽よくわかないですけどジャズであったりとかやっぱりそういうものにやっぱり関わっていく ていうのがやっぱりすごいテーマにこれからのテーマにも実はあのなっているのですごくね数字が 1 個頭に大きく見えていて90 って見えるんですね。うん。 で、でもこの救助ってのがな、その寿命とかっていうことよりもその自分が、え、なんて言うのかな、生涯現役でげ、現役で 100 歳まで行くぞみたいなあるじゃないですか。そういう感じ。 90 まで行くぞみたいな。そういう90 までステージ立ちますよ。 あの、思ってます。うん。 あの、生意きですけど、行きた、行けたら 100 歳の人まだいないから100 歳で行きたいなってぐらい思って。ステージに立っていた。 うん。うん。は、で、 ステージで死ねたらいいなって。ああ、 だけどね、それはもう本当にプロ中のプロなんですよね。だからうん。でもそれがすごくね、僕には 90と見えるんです。あ、でもね、本当に 90 まで現役できたらいいなっていうのは心の奥で思ってました。 うん。うん。そう。だからもう本当にそこに向かってやっていく。 うん。そう。波々すごい。 すごい涙。私初めて言われました。でも あ、本ん当ですか? そう。でもそれがすごくやっぱりこう自分のテーマになってるのでだもう本当にここに向かって進んでいけばいいですねっていう。それでね、さんおっしゃってるの。 がやっぱりコさんってすごくうんと今 ちょっとこう変わってきてるんですけど すごく何でも自分で抱え込むというか自分 でやる自分でっていう風にこう抱え込んで しまうことですごくそれがストレスになっ ていたとでもそれをだいぶ周りに振ること ができたり甘えることができたりのすごく いいっておっしゃるんです。ピンポン。 うん。本当に今私98 の母を介護してるんですけど、 もう今やっと少し楽になったんですけど、 全部1人で抱え込んで 誰にも助け求めないで やってたらもう本当に死にそうになりました。 そうですよね。実はあなたが潰れてしまうってだからもっと甘えていいし、これちょっと甘いすぎかしらってあなたは思うぐらいでちょうどいいって言ってます。 うん。 うん。もう本当にね、それはね、最近よく言われて、だからもう最近はそういう介護のスタッフの方にもう甘えられる。 は甘えて自分の時間も大事にするようにしたらだいぶ楽になりました。 うん。ですよね。 そうすとやっぱり元気ってやっぱりこう感じられるようになりますね。 ああ、すごい波々。うん。 うん。いや、あの、言ってることはただ言ってるだけなので。 はい。なのですごくそういうやっぱり意識の変化っていうのが大事だしでやっぱりそれをちゃんと大事にしていけばそれこそさっき言った 90っていうね。うん。ああ。 そう。だからそっちに向かって進んでいけると。 うん。うん。いけそうですか?頑張れば。 はい。もちろん。はい。 今年は特に楽しんでればいいです。楽しいってやってればいいです。何かこう特に目標掲けてとかっていうようにもただ楽しんでればいいです。 [音楽] あ、それいいですね。はい。 うん。なんかね、そういうやっぱり今流れが取りまえているのでどれだけやっぱり楽しめるか、ま、楽しんでらっしゃるんだけど楽しめるか、それがね、すごく大事。 ありがとうございますしね。 ちょっとね、ここんとこね、ちょっと自信なくしてることもあって、いや、本当にあの、やっぱりもうね、 70 代入って健康のことや、い、母のことやろんなことがあって、ちょっと落ち込んでたんですけど、 今日おかげ様でいい仕事だわ。 もう本当にすごくなんかね、波々のね、言葉がね、で、自分の中にそういう考えも少しあったし、 すごく今日ね、勇気もらって、 励まされて、 あの、ちょっとまた頑張れそうです。 ね、楽しんでください。 その取り巻いているそのオーラはどういう色が見え? オーラはね、ピンク紫がすごいだからね。 ピンクうん。なんていうのかいい。 ピンキーだ。 そういうこともではなくではなくというかにほら うんときめくと解きめきって言うじゃないですか。恋するとめ恋すると解めきみたいななんかね、そういうのすごいやっぱりこう自分の中で大事にされているのがこのピンクで反映されてるんです。 様、今誰でしたっけ?BTS じゃなくてたっけ?あ、今、BTS の弟分のA配分とかね、あとJ1 のね、よなし君とかね、 え、B ファストのりき君とかね。はい。もういっぱいイケメンのね、好きなのいます。 イケメン好きなの。 でもそ、ほら、とめくじゃないですか? それが私のね、大事なと解時めきです。 そうです。そうです。で、それがすごいピンクであの、現れてるんですね。 じゃあ、間違ってないんですね。 いいんです。いいんです。もうどんどん。 もうこれは病気だから治りません。 [笑い] あ、オーラの色効くんじゃなかった。ごめんね、いくっちゃん。 そうでもすごい綺麗なピンクが 嬉しい。グラデーションで紫。 本当にあんまりピンクって出ないんですよ。 やだ。ピン様ったら私やっぱりピン様だ。 やだ。バカですね。 [笑い] いや、本当すごい。 ありがとうございます。いや、本当にる。 さんジエンディングです。 了解。はい。さん。はい。 はい。今夜はピン様お子さんにね、おいでいただきました。さ、これからピン様のオーラがピンクだった私もどうしようかと思っちゃってんですけど、夜の横浜入危険だな。 [笑い] 夜の横浜危険だぞ。ピン様行きませんか?カラオケでも どうですね?ピ、ピンクで。ピンクで ピンピンでわあ 感じで恋の季節からスタートしてね、涙の季節でしょ。え、星空のロマンスでしょ。え、青空に飛び出せとか 7色の幸せとか歌いませんか? それもまさにピーンピーンキアじゃないですか?全部 歌いましょう。歌いましょう。 私全部歌えるわよ。 うわあ、ありがとうございます。じゃ、いか。 それでは涙からのワンポイントアドバイスです。 え、今日のゲストのね、えっと、今よ子 さんでしたが、あの、本当にピンクの オーラが出てて、なかなかこう、僕ピンク のオーラを見ることってないんですけど、 でもやっぱりこのね、解きめクってすごく 実は大事なことで、それはね、実際に 例えば恋愛をするとかじゃなくってもで、 テレビだかもしれないし、もしか、 もしくは漫画かもしれないし、アニメかも しれない、何でもいいんですけど、 とにかくそれにときめくってことができる と自分のね、波動ってやつがぐンって 上がるんですね。気分が上がるってよく 言いますよね。これ波動が上がってるん ですね。でね、僕たちは波動が上がってる 状態の時に何かをやるとそうじゃない時 よりも結果って表現をした時に結果を 大きく出すことができます。つまり成功さ せることができるとかうまく回していく ことができる。え、そういう風になるのも 波が高い状態でそれに関わる時なんですね 。なので是非ね形がありますけど解きめく ものを周りに見つけてそして波動を上げて ください。 そしてその波動が上がった状態でいい気分の状態で何かこうチャレンジしてみるとか何かこを起こしてみるとかっていう風にやるとあすごくうまく流れていくなっていうのを体験できると思いますのでそこを意識していただけたらと思います。 ただいま、あのさあ私たちもピンキーとキラズみたいな素敵なコーラスグループをえしてみたいと思います。 この3人だ。 あ、やりやりましょう。やりましょう。 そうね。じゃあまずは発生練習から始めます。 はい。では、この音からはい。 はい。あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ。はい。はい。どう? はい。次なくんで。 はい。うん。 あら、なんだこれ?どうぞ。 ああ、あ、ちょっとちょ。 うん。なんかちょっと難しくじゃないですか、これ?うん。なんか いや、ちょ、難しいかな?なんかちょっと違う感じ。 ママもやってみて。うん。 はい。はは。 やめよう。やめよう。無理だ。やっぱり終わり でもね。でもね、意外と人気になるかもしれないの。木村さんにプロデュースお願いしませんかね。 やめようや。本当。じゃ、一応来週までの宿題っていうことで。 そうですね。今あやってきます。 来週まで本当に来週発表会するよ。 はい。じゃあ練習してきて。 はい。あ、ピン様お帰りなさいませ。 え、ピン様もちょっとやってみますか? はい。じゃあ、あのピアノが出ます。どうぞ。はい。どうぞ。 ボボボ。 もう1 回練習だ。練習。今練習。練習するよ。 はい。お疲れ様です。 はい。お疲れ様でした。ありがうござい。 ありがとうございます。すいません。 楽しかったです。 すいません。喋りすぎちゃって。大 丈夫です。 だってオーラの色聞けって言うから聞いたらピンク本当に 初めて聞いて うんピンクって本当にく ちょっと初めてのピンクうん1 枚こちらお願いいたします本 [音楽] ありがとうございますございます ありがとうございました いやいやち ゃここはい。お願いします。ピンクで。 ピンク。ピンク。初めて消えた。めちゃ ねえ。3つもきめえちゃった。
チャンネル登録お願いします!
FMヨコハマにて毎週土曜日19:00〜19:30放送中!
ハートフルラジオ虫の知らせの厳選回をノーカットでお届け!
【虫の知らせ】
♦︎番組のHP
https://www.fmyokohama.co.jp/pc/program/MushiNoShirase
♦︎番組へのメール
mushi@fmyokohama.jp
♦︎X
Tweets by mushi847
♦︎Instagram
https://www.instagram.com/mushi_no_shirase_insta/
【今陽子】
♦︎ホリプロオフィシャルサイト
https://www.horipro.co.jp/konyoko/
♦︎ワーナーミュージック・ジャパンオフィシャルサイト
https://wmg.jp/konyoko/
♦︎オフィシャルブログ
https://ameblo.jp/yoko-kon/
【榊原郁恵】
♦︎ホリプロオフィシャルサイト
https://www.horipro.co.jp/sakakibaraikue/
♦︎Instagram
https://www.instagram.com/sakakibara.ikue/
【並木良和】
♦︎並木良和オフィシャルサイト
https://namikiyoshikazu.com
♦︎YouTube 並木良和/Namiki Channel
https://www.youtube.com/channel/UCR6Syi0g7ltMFV_ildio6OQ/featured
♦︎並木良和 official FB page
https://www.facebook.com/Namiki0912/
♦︎並木良和 オフィシャルブログ Ameba
https://ameblo.jp/namikiyoshikazu/
♦︎Instagram
https://www.instagram.com/namiki_yoshikazu_official/
制作 株式会社クリエーション
http://creationk.jp
#並木良和
#榊原郁恵
#今陽子
#FMヨコハマ
