明石昌夫さん(ミュージックユニバース公式サイトから)

 B’zやZARDなど、ビーイングアーティストを中心に数々の編曲を手掛けた音楽プロデューサーでベーシストの明石昌夫(あかし・まさお)さんが死去したと24日、明石さんが特別監修を務めていた音楽関連会社ミュージックユニバースの公式Xで発表された。68歳だった。兵庫県出身。

 公式Xでは「お知らせ」と題し「本日、明石昌夫が旅立ちました。明石昌夫はベーシストとして、また作曲家としてB’zやZARDをはじめとした数多くのアーティストのステージや楽曲制作に貢献しておりました」と訃報を伝えた。

 訃報を受け、歌手のダイアモンド☆ユカイが24日、自身のブログを更新。「90年代に約一年半くらいだけ無名のMMRというバンドをやっていた」と書き出すと、「今から振り返るとスーパーなメンバーだけど殆どの人はやっていたこと自体を知らない。ドラムは元BOOWYの高橋まことさん。ギターは今やブルースギターの第一人者で長渕剛さんのバンドのバンマスのICHIRO。そしてベースはB’zのベースやビーイングのヒット曲の殆どをアレンジを手掛けていた明石昌夫さんだ」とそうそうたるメンバーとともに組んだバンドの思い出を振り返った。

 「何だかんだで沢山の作品を作ったが全て未発表。昨年その作品だけは残そうとメンバーが集まってライブレコーディングして編集を期限を決めずにのんびりやっていた矢先だった」

 明石さんについて「音楽のクリエイティブな才能の塊で洗足音楽大学の教授もやっていた。型にはまらない考え方で知識が豊富、何の話題を話しても面白い事をはなしてくれてベースを弾かせたらスーパーなミュージシャンだった。もう少し時間があったらゆっくりしたペースで一緒にバンドを愉しみたかったよ」と評し、故人をしのんだ。

 そして「明石さん、マジュマシュのトラックダウンは俺たちが時間かけて完成させるからその作品を天国から見守ってベースでプレイして下さいね。この長いようで短い人生の中で貴方に出会えて良かった。心から有り難う」と天国に向かって呼びかけた。

 明石さんは1988年にビーイングと契約。初編曲作品はB’zの「だからその手を離して」だった。ベーシストとしても評価され、1997年までB’zのベース&マニピュレートでサポートメンバーとしても活躍。“3人目のB’z”とも評された。B’z、ZARDの他にも大黒摩季、華原朋美、西城秀樹、SIAM SHADE、Janne Da Arc、島谷ひとみ、TUBE、WANDS、V6、MANISHなど40組以上のメジャーアーティストの楽曲を手がけた。

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