【注意:胸がエグられます】鬼畜(1978年)は、松本清張の小説が原作。野村芳太郎監督の家庭内の人間関係と社会的背景を描いた社会派サスペンス映画。観緒形拳は第2回日本アカデミー賞で最優秀主演男優賞を受賞
いますか? どうなった? 父ちゃん。 お金の都合がつかない?それでほっとくんですか?そんなのってある?親御にどうやって暮らしてると思ってんですか? あんたみもないよ。ご近所にうちん中入ってもらえな。 あ、俺した。それでも人間か。あ、商売用の大事な剣としやがって。なんだこっち?なんて言ってんだよ。 おめ。 どうしたの? 甘やかすから行けないんだ。まずおめ 食べたいんだろ。もっと食べない。ほれほれ。 続きは解説の後にお楽しみください。 あすと物語の背景。時代は昭和舞台は埼玉 県川越市小さな町竹下印刷を営む竹下早吉 小方県は一見平凡な中年の男しかし家では 子に恵まれない 妻島に対し裏では料理屋の女中菊くよ小川 まゆみという愛人を囲い7年間で3人もの 子を設けていました。経営で愛人への 仕送りが滞ると豪を逃した菊が幼い子供3 人を連れて早吉地の家に押しかけます。 突然夫の不定と隠し後の存在を知った大は 月行し、早吉地と菊を子供の目の前で 激しく罵倒します。菊は子供たちを 置き去りにして失踪。残された早期地と 精裁は子供3人を育てることになります。 しかし夫婦の間に子ができなかった大梅は 他人様の子なんて育てられないと当初から 拒絶反応を示し、預かった幼子たちに鬼の ような周知を始めます。原作小説と社会 背景原作鬼畜は松本聖長が1957年に 発表した短編小説です。実はこの物語著者 が健事から聞いた実在の事件を元にしてい ます。その事件とは骨董省の男が目かけと の間に3人の子を設けたものの商売が傾き 、目かけが子供を連れて本の元へ押しかけ たことにを発します。男は本に子供を 片付けろと攻め立てられ、次々と幼子に手 をかけ、最後は逮捕されました。男は極中 で発狂をして、本館中だったと伝えられて います。長はこの事件をもに家庭という 密室に潜む愛像と狂器を小説に仕立てたの です。高度成長期を経た1970年代後半 の公開当時日本社会では家族の理想像が 語られる一方で本作が描くような幼児虐待 や育児放棄の事件もしばしば報じられてい ました。成長作品の多くは事件の背後に 貧困や格差といった社会問題をはんでおり 、その不遍性ゆえに時代を超えて映像化さ れ続けています。鬼畜も例外ではなく、親 による子供へのDVというテーマは現代に 至るまで色わせないどころか、日本は ちっとも変わっていないじゃないかと観客 に通列な印象を与えます。タイトルの鬼畜 とは鬼や蓄にも等しい極悪疲道を意味する 言葉ですが、聖長と野村監督はこの物語を 通じて平凡で気の弱い優しい人間が 追い込まれて最後には鬼畜になる瞬間を 描こうとしました。一家の主としての プライド、妻への罪悪感、生活、そして 何より弱者である子供たちへの責任。そう した重圧の中で人間が崩れていく様子を リアルに描いた本作は見るものに当時の 社会の安部を突きつけ深い問を投げかけて いるのです。 死んだ。 助かったろ。1 つだけ気が楽になってさ。あのこと ねえ、あのね、あのね、よくお父さん好きですよ。 便ジ行ってくからもう1ぺ見てな。うん。 どこ行っちゃったんだよ。よこ おいって遊ぶんぞ。 生産仮ずれでしょ。 おさんじゃあ何だったらこれ あんた。 あ、リーチ 竹下蒼き吉さんすさん。 はい。オタのお子さんですね。 どこ行ってたんだお前?ああちゃか。 動物園行きたくないのか? 嘘?本当だよ。 何しようか? ジャムパンとクリームパン。 リーチな。お行悪い。座って食べな。 帰ろ。 こんにちは。ここで1 分程度このチャンネルの紹介をさせてください。 昭和の映画をこよなく愛する昭和ちゃん 55です。このチャンネルでは1950 年代から1980年代の日本映画を中心に 黒沢明や小安次郎など名監督の作品やあの 懐かしい青春映画昭和の名作映画の魅力を たっぷりと紹介しています。映画の ストーリーだけでなく、当時の時代背景や 知られざる撮影エピソード、さらに今見て も色わせない名も解説付きでお届け。昔の 映画って難しそうと思う方でも優しく 楽しく時には暑く昭和の名作にどっぷり 浸れるそんなチャンネルを目指しています 。毎週新しい作品をピックアップして配信 中。是非チャンネル登録と高評価を よろしくお願いします。それでは引き続き 本編をどうぞお楽しみください 。東京タワーだ。 1もう行かなきゃな。 ね、朝量に出てあの花を通ってマの寝方に引っかかってんのをめけたんです。 眠くて それから怒っちゃったのお父さんだろ。 どうしたんだよ。坊や。もういいんだよ。本当のこと言っても。 父ちゃんなんかじゃないよ。知らない人。父ちゃんじゃない。 あらす後半。まだちみ子同然の末えっこ事が家庭内の事故により死亡してしまいます。 さらに早期地に迫る大梅に追い詰められ、 早期地は苦重の決断を下します。彼は幼い 長女を観光に連れ出すふりをして東京 タワーへ行き、その展望台に両子を 置き去りにしました。残る長男リーチ6歳 にも手をかけようとし毒を飲ませるものの 泣き崩れるのでした。それでも大の要求は 病まず。当期地は最後の手段としてリーチ を連れて家を出ます。東海道新幹線に乗り 遠く北陸の半島まで当皮業の末早期地は 日本海を望む段外絶壁にたどり着きます。 そして寝いったリーチを抱き上げその手を 静かに話したのです。安やの岩壁から幼い 我が子を突き落とすという鬼畜の処病。 しかし奇跡的にリーチは漁師に救助され 一名を取り止めました。駆けつけた警察に 保護されますが、リーチは事情を聞かれて も目標を貫きます。やがてリーチが遊び 道具にしていた印刷用の石板のかけらから 早期地が容疑者として特定され、彼は殺人 未水で逮捕されました。北陸の警察署に 連行されてきた早期地に対し、対面した リーチは必死に涙をこらえて叫びます。 父ちゃんなんかじゃない。知らないおじ さんだよ。自分を殺そうとした実の父を リーチは最後の力で否定するのでした。 その姿を間の当たりにしたそう地も我が子 への取り返しのつかない罪に打ちひがれ 号泣する物語はこうして幕を閉じます。 制作費は続いてこの映画の制作家程での エピソードをご紹介しましょう。聞き迫る ドラマの裏には監督やスタッフキャストの 葛藤と工夫がありました。キャスティング の舞台裏監督の野村義太郎は当初主人公早 そう早期地役に意外な人物を想定してい ました。それは男は辛いよ。シリーズで 国民的人気を拍していた悲劇役者の厚み清 です。野村監督はお人よしで清わな男が 追い詰められて鬼畜になり果てるという 本作の肝を考えた時まずあしの顔が浮かん だと言います。しかしあまりにも有名な 虎ラさんのイメージとのギャップが 大きく映画会社の移行か厚み自身の事態か は定かではありませんがこのオファーは 実現しませんでした。結果として早吉役に 起用された小方県が当たり役となり厚とは 全く異なるシリアスな演技で聞き迫る主人 構造を作り上げています。 一方地の妻大梅役には岩下島が決定していましたが、実は岩下も出演を 1 度は躊躇しています。というのも当時下島自身にまだ幼い娘がいて可愛い子供を殺すような役を演じることに強い抵抗を感じたからでした。そんな岩下野村監督は女優として今こういう激しい役をやっておくことがきっと節目になると説得を重ねます。 さらに夫役には今小県に交渉中なんだと告げると言わしたが小方さんと共演できるならと心を決め本作への出演を承諾しました。ところが肝心の大型県といえば当初この早期地を何ヶ月にも渡って孤持していたのです。 元々大方は舞台出身で自分の活動の主体はあくまで舞台に置きたいという信念があり、 A が出演を控えていた時期でした。そこでゴをニした岩下島。自ら小たに電話をかけます。女優の岩下が他の俳優の自宅に直電するなど大問でしたが、彼女は 2度 に渡り小方へ出演以来の電話を入れた。 さらに追い打ちをかけたのは同じく本作に 出演している新幹線の車掌役の俳優三谷 登るでした。三谷は小方の友人で先に シナリオを読んでおり、こんな良い役を やらないなんて役者じゃないと小方に 葉っぱをかけます。こうした周囲からの 説得もあり、小方県はついに腹をくって 早吉役を引き受けました。結果として彼は 本作で日本アカデミー賞優秀主演 将やブルーリボン賞主演弾優など数々の賞 に輝き、この挑戦が俳優人生の大きな飛躍 となったのです。演出上の工夫、鬼畜の 所業をリアルに描くため、野村監督と スタッフも様々な工夫を凝らしました。 特に注目すべきは小役たちへの演技指導 です。本作では3人の幼い子供が重要な 役割を担いますが、彼らにとっては虐待さ れるシーンの撮影は過酷を極めました。 監督の野村は撮影前、妻大梅役の岩下島に ある原名を下しています。カメラが回って いない時でも決して小役と仲良くしない こと。岩下はこの指示を忠実に守り、休憩 中でも子供たちに笑顔を見せず、むしろ 苛立った態度で怒りつけたりして距離を 置いたと言います。挨拶に来る小役を無視 し、あえて鬼になりきった彼女の姿に幼い 子供たちは本当に怯えるようになりました 。その効果は絶大でカメラが回ると浮した 演じる多めの恐ろしさに子供たちは 震え上がり 逃げ場のない怯えた表情をリアルに見せた のです。中でも悪なのは整後18ヶ月ほど の末えっこ役の子に対する虐待シーンでし た。お梅がその幼子をはいじめにして 口一杯にご飯を無理やり詰め込む場面では 小役は泣き叫び本気で怯えています。その 悲鳴はとても芝居には見えない白信で、 撮影を見守るスタッフも息を飲んだと言い ます。実際あまりの恐怖に撮影が一時中断 するハプニングも起きました。しかし島は 作品のリアリティのためと心を鬼にし、 最後まで小役に優しく接することを自らに 禁事通しました。撮影終了後、岩下は子供 たちにきっと嫌われただろう。もしかし たらトラウマを植えつけてしまったかも しれないと両親の過釈に苛まれたそうです が高年成長した小役たちとバラエティ番組 で再開した際実は撮影時のことは全く覚え ていないと聞きアンドしたという エピソードも残っています。このように 徹底した演出術によって生々しい虐待 シーンはリアルさを増し、本作最大の緊張 感を生み出す言動力となりました。脚本と ラストシーンの変更。脚本面でも興味深い 裏話があります。映画鬼畜の脚本を手掛け たのはいで正斗。彼は黒沢作品なども 手掛けた名脚本家ですが、本作の執筆に 自身の追い立ちを色く東映させました。は 幼少期に尺総者の実の父が芸者と駆け落ち し、叔父夫婦に育てられた過去を持って おり、父親に捨てられた子供としての恨み を胸に秘めていたと言います。そのが書い たラストシーン、リーチの父ちゃんなんか じゃないというセリフには自らの父への 拒絶の思いが込められていました。の脚本 ではリーチは父への怒りから新底父親では ないと拒絶して終わる。極めて救いのない 結末だったのです。しかしこのままでは あまりに後味が悪いと判断した野村監督は ラストにアレンジを加えました。警察官 たちの会話でリーチは父親をかって嘘を ついているのではないかという解釈を示唆 するセリフを入れ、リーチの言葉が父を 拒絶しているともかっているとも取れる よう演出を工夫したのです。こうして エンディングの解釈は観客に委ねられる形 となりましたが脚本家の井正とはこの開変 に修正違うんだなと不満をも漏らしていた とも伝えられています。結果として観客の 中でもあの子は父親をかったのか、それと も拒絶したのかと議論を呼ぶ余因深い 幕切れとなりました。この脚本変更の舞台 裏を知るとラストシーンの感じ方もまた 一層興味深いものになるでしょう。ロケ地 と撮影協力。映画の撮影は川越市内の印刷 書や東京タワーなど物語の舞台となる各地 で行われ、東武鉄道や北陸鉄道、石川県 観光協会なども協力しています。特に早期 地とリーチが旅する終盤の北陸ロケでは 荒々しい日本海の風景を背景に親子の絶望 的なドラマが展開されます。ノ半島の段外 絶壁。劇中では関の花でリーチを 突き落とすシーンは緊張のクライマックス ですが、この崖はかつて松本聖長原作ゼロ の商店の映画家1961年でも クライマックスに使われ有名になった痩せ の団外で撮影されました。こうしたロケ地 の選定も成長作品ファンには興味深い ポイントです。また早期地が両行を連れて 訪れる東京タワーでのシーンは当時の東京 の風景を移し出す貴重な映像となってい ます。展望台に幼い旅行を残し去る早期地 の姿とキラびやかな東京の街明かりとの 退避は胸に迫るものがあります。撮影当時 の東京タワーはまだ今ほど観光客で溢れて いない時代でしたがそれでもロケ撮影の 許可を得るのは容易ではなかったでしょう 。その意味でこれら実在の場所で撮られた シーンの数々は作品にリアリティを与える と同時に1970年代の日本の空気感を 伝える映像記録ともなっています。豆知識 ここからは映画鬼畜にまつわる豆知識を いくつかご紹介します。作品の裏側や周辺 情報を知ればさらに干渉が深まること でしょう。原作は戦後日本の闇を描いた 短編。原作小説鬼畜は1957年別殺文芸 春珠に掲載されました。成長は同年この 短編を含む短編集詐欺の船田を観光してい ます。成長作品といえば社会の安部を えぐるミステリーで知られますが、本作も 例に漏れず発表当時大きな反響を呼びまし た。また本作以外にも幼子虐待を扱った 成長作品に獣道がありますが、鬼畜はその 先駆がけとも言える作品です。なお、鬼畜 はそのショッキングな内容から高年テレビ ドラマ化もされており、2002年には 日本テレビ系で、2017年にはテレビ 朝日系でスペシャルドラマが制作されてい ます。時代を超えて繰り返し映像化される のはそれだけ物語のテーマが普遍的で視聴 者の関心を引き続けている証でしょう。 映画のキャッチコピー劇場公開時に掲げ られた宣伝コピーも印象的です。ポスター には子供の視点から語られた一連の フレーズが並んでいました。曰く弟は きっと星になったんだ。妹はきっとお 金持ちに拾われたんだ。でも僕だけは 父ちゃんから離れない。父ちゃんはきっと 僕を殺せないよ。幼いリーチが亡くなった 弟や行方不明の妹にそれぞれ希望を託し つつ、お父ちゃんは自分だけは殺せない はずだと自らに言い聞かせる。そんな 毛投げで痛ましい心の声が綴られています 。物語を知った上で読むと胸が締めつけ られるコピーですが、当時この言葉に心を 動かされ、劇場に足を運んだ観客も多かっ たことでしょう。そして皮肉にも本編では その期待が裏切られていく展開になるわけ です。さらにポスター株には抱きしめて やりたいこの感動。この悲しみに言葉は いらない。長野村が現代社会に追う父と この愛の絆といった宣伝文句も踊りました 。家族愛の物語のようにも見えるこれらの コピーは一見すると本作の残酷な展開との 楽さがあります。しかし見終わった後に 改めて噛しめると愛情の悲しみやどう しようもない親子の絆の切なさを歌って いることに気づかされます。宣伝コピーに も作品のテーマが匠に折り込まれていたの です。主演俳優の受賞ラッシュ。本作の 主人公早期地を演じた小方県は悪の演技で 高い評価を受けました。その年の映画賞を 相なめにし、第2回日本アカデミー賞優秀 主演 弾優毎日映画コンクール主演 弾優ブルーリボン賞主演団優 賞映画賞主演団優賞など主要な賞を 立て続けに受賞しています。1つの作品で これほどまで賞を獲得するのは慰例で まさに敵役に恵まれたと言えるでしょう。 興味深いのは小方自身はこの役を断り続け ていたという事実です。最終的に彼は自ら の代表作の1つとなる役柄を掴み取り、 日本映画市に残る名縁技を披露しました。 結果論ではありますが逃しかけたが俳優と しての飛躍につがった高齢と言えるかも しれません。バイプレイヤーたちの顔れ 鬼畜には主演の3人以外にも実力派俳優が 多数化を揃えています。早期地の印刷書の 職人役でカへ 継造しる銀行院役に迷惑役大竹秀路ジ町者 役で加藤義パトカーの景官役には田中国江 といった具合です。物語序盤早期地一家の 隣人夫婦が若い人がやることは恐ろしくて 地獄だね。全くと噂話をするシーンがあり ますがその主婦役で出演している日の木義 も含め脇役人のリアリティある演技が作品 の厚みを増しています。また終盤の元の 警察署の不契約で大竹しが特別出演して いる点も見逃せません。当時ほぼ新人だっ た大竹しは同じ1978年公開の野村監督 作品事件で勝を獲得し注目されていた時期 でした。本作では救助されたリーチに 寄り添いなんとか口を割らせようとする 若い不刑を演じています。わずかな出番リ とした存在感を放ち後の大女優の返を見せ ています。こうしたバイプレイヤーたちの 演技も鬼畜を名作らしめている要因と 言えるでしょう。工業と同時 上映1978年10月7日に小築系で公開 された本作は配給収入4.9億円を記録し 商業的にも成功を納めました。公開当時は 日本建工業が一般的でしたが、鬼畜の場合 、当時上映として選ばれたのは意外にも4 年前のヒット作砂の器は1974年野村 義太郎監督のリバイバル上映版でした。砂 の器はといえば同じ松本聖長原作で野村 監督がメガホンを 取り土なミステリー演出で知られる名作 です。すでにテレビ放映もされていた作品 ですが、再び劇場でリバイバルすることで 観客同員を図ったのでしょう。結果的に 親子をテーマにした野村義太郎監督の代表 的成長作品2本が同時にスクリーンに かかる形となり、当時劇場に足を運んだ 観客は濃密な成長ワールドを堪能すること になりました。また同年公開の野村監督 作品には先術の事件もあり、こちらも社会 派ヒューマンドラマとして評価が高く、 1978年の野村作品は質両ともに充実し ていたと言えます。地区公開の翌1979 年には小方県主演で村翔平監督の復讐する は我にありが公開される など1978年前後は日本映画会にとって も重厚な人間ドラマが相ついだ時期でした 。本作鬼畜の工業的秘評的成功はその流れ の中でも一気は遺を放つ出来事だったの です。現在では考えられない演出。本作で 描かれる時への虐待描写。特にご飯を 無理やり食べさせるシーンは現代の映画 政策の常識では考えられないほど生々しい ものです。実際に赤ん坊が激しく 泣きじくり 嫌がる様子はフィクションと分かっていて も胸が痛みます。昨では小役の人権や安全 面への配慮から子供が極度に怯えるような 演技を引き出す演出は制限される傾向に あります。その意味で鬼畜で記録された 子供たちの涙と悲鳴は1970年代の フィルムだからこそ残せた危き迫る リアリティだったと言えるでしょう。 最も撮影後に小役たちへトラウマが残る ことはなかったとのことで結果的には救わ れる思いですが観客に与えるインパクトと いう点では日本映画市に残る衝撃的シーン として語り継がれています。名シーン名 セリフ解説続いて本作の中でも特に映画 ファンの記憶に残る名シーンや名セリフの 数々を振り返ってみましょう。それぞれの 場面描写とその意義を解説していきます。 愛人と妻、女たちの対決、冒頭の修羅、 物語序盤、早期地の家に愛人、菊が3人の 子供を連れて乗り込んでくる場面は本作の 第1の山場です。深夜人々がしまった 転合いに突然現れた菊とネ耳に水の妻大梅 精裁と愛人という2人の女が退治する金迫 のシーンです。大人の菊は早期地に生活費 をもらえなくなったら私たち親子は生きて いけないと怒りと悲しみをわにし精裁の 大梅は自分との間に子供ができない反動で こんなことを許せないとふ土の表情で応じ ます。室内で岩下島演じる大梅の霊鉄な マ志しと小川真み演じる菊の聞き迫る行が 火を散らし背筋が凍るような緊張感が画面 を支配します。2人のやり取りは決して ヒステリックに叫び立てるわけではなく ギリギリ抑性の聞いた口調で互いを なじり合うため帰ってそこ知れぬ怖さが あります。さらに皆が寝し詰まった深夜 物音1つしない静寂の中の菊の土星は観客 はこれから何が起こるのかと息を詰めずに はいられません。この場面劇中では短い 場面ですが圧倒的な金迫感でまさに明女 2人のぶつかり合いと言えるでしょう。後 に映画評論家から2人をオロチに例えれば 間に挟まれた小型県は小さなカエルのよう だと表されたほどで女優人の迫力に主人公 さえも食われてしまうすごみがあります。 菊はこの対決の直後に子供たちを置き去り にして姿を消すため、小川真みの登場 シーン自体は序盤のみですが、その危き 迫る単価の切り方は物語全体に暗い影を 落とし続け、強烈な印象を残します。精裁 タ愛人の修場は本作の緊張と悲劇の幕明け を象徴する名場面です。の虐待と正事の死 の処病母星の欠除したママ大梅による虐待 シーンは胸が痛む箇所です。菊に捨てられ た幼子3人に 対しおは鬼の行想で石感を加えます。その 様子を描いた一連のシーンはあまりに過裂 で観客の脳りに焼きついて離れません。 例えば食事の際に大梅が子供たちに見せる 狂器。特にまだ言葉もままならない 末えっこ。商児に対する処病です。大梅は 泣きじくる生事を後ろからはいじめにし、 泣くんじゃないよと怒鳴りつけながら大人 の握り拳ほどもある握り飯を無理やり幼子 の口にねじ込みます。正は呼吸もできず 激しく抵抗しますが逃げられず目を見開い て絶叫する。画面から今にも子供の悲鳴が 飛び出してきそうな生々しさで見る側まで 生き苦しくなるほどです。このシーンは 見るに耐えない残酷差であれ、劇場公開時 も相当の衝撃を与えました。そして商事は この虐待と育児放棄の果てに衰弱して死亡 してしまいます。この商事の死の場面は 物語上重要な転換点で ある地が次第に追い詰められていく同機と もなります。 虐体から死に至るまでの一連の場面は人間の心に潜む鬼畜性をこれでもかと見せつける壮絶なシーンです。演じたしも撮影後もしばらく心に重いものが残ったと語るほどで観客にとっても忘れがたい名場面くそ悪い場面として知られています。 り子東京タワーに置き去りにされる事女 り子幼稚園児くらいは大から過ろじて直接 的暴力を受けずに住んだものの別の意味で 悲劇的な運命をたどります。それが父早期 地による東京タワーでの置き去りです。 この場面は原作小説にはない映画 オリジナルのエピソードとも言われますが 、原作では詳細描写がない部分、映像的に も非常に印象的に描かれています。早期地 は両子を連れ出す決意をします。小さな り子の手を引き、東京に行こうと優しく 微笑む総吉。両な父親を予想いながら心に は鬼畜の計画を秘めているこの瞬間の小型 県の演技は穏やかな表情の奥に葛藤をにま せ見事です。2人が訪れる東京タワーの シーンでは展望台でり子に望遠鏡を覗かせ ておきながら便所に行ってくるからと 言い残してその場を 立ち去りエレベーターに乗り込みます。 エレベーターのドアが閉まる瞬間にり子と 目が合いますが、そのまま置き去りにして 帰宅のに着きます。早吉地とリーチ、長男 リーチは相明な子で弟と妹がいなくなった こと、そして自分に向けられる父との視線 の冷たさから薄う自分の身にも危険が迫っ ていることを感じ取っています。そんな リーチに対し、ついに早期地は最後の鬼畜 の決意を固めます。物語終盤リーチを連れ て家を出ました。行き先も告げず東海道新 幹線に乗り込んだ2人がたどり着いたのが 野島の先端近く日本海に面した段外絶壁の 地でした。旅館に一泊した夜早期地は眠る リーチを見つめながら自らの追い立ちを 特基地自身も幼い頃に施設や親戚を点々と した孤独な少年時代を送っていたのです。 涙ながらに語るそう地。しかしリーチは 眠っており、この言葉を聞くことはあり ませんでした。翌朝 穏やかな海を望む崖の上で早吉地は眠って いるリーチをそっと抱き抱えます。弾外の 縁に来ると腕の中の息子をそっと手放し ました。 投げ落とすよ、抱きしめた腕を緩めるようにしてのを駆け下えへ滑り落とす地の複雑な境を語っになりきれないま、最悪の行為をしてまった男の姿段外の闘期は本作大のクライマックスで映像的にも 劇的に描かれています。 絶景の中で行われる絶望的な反抗との コントラストは先の東京タワー同様に強烈 な印象を残します。ラストシーンの叫び 父ちゃんじゃない。そして物語はラスト シーンへとつがります。地元の漁師に助け られて元の警察署に保護されたリーチと 連行されてきた早期地。再開した親子の前 に数人の刑事たちが事情聴手に立ち合って います。リーチは顔にすり傷を追いながら も奇跡的に元気で早吉地の姿を見ると一瞬 します。刑事に坊やのお父さんだなと聞か れてもリーチは違うよ。父ちゃんじゃない よ。父ちゃんなんかじゃないよ。知らない 人。父ちゃんじゃない。リーチは繰り返し 繰り返し。自分の父親を必死に否定する 言葉を口にします。涙を浮かべながらその リーチの様子は見るものの胸を締めつけず には起きません。刑事たちにはそれが幼い 隣りに父親をかって嘘をついているように も聞こえますし、あるいは父親を拒絶して いるようにも移ります。この曖昧さこそ 監督野村義太郎が意図的に作り出したもの でした。リーチの真意は観客それぞれの心 に委ねられ、そして早吉地にはその言葉が どう響いたのか。早吉地は崩れ落ちるよう にリーチにすがりつき、ごめんね、ごめん ね、リーチと泣きじくります。鬼畜の所行 に手を染めた父親のマ路としてあまりにも 必要な光景です。原作者の松本聖長は小説 版鬼畜を父親が逮捕されたところで筆を 置いています。それを映画版ではラストの 親子対面まで描いたことで救いのなさが 一層際立つ結末となりました。親子の愛の 絆を歌ったコピーは皮肉にもこのシーンで 粉々なに打ち砕かれるのです。6歳の少年 がこのような不幸な形で父親を否定せざる を得なかったことに本作の深い絶望とが 業縮されています。に終わった後誰しも 少年が父を許す日は来るのだろうかという 思い問が胸に残るでしょう。このラスト シーンのセリフ父ちゃんなんかじゃないわ 。日本映画市に残る名セリフとして今も 語り継がれています。観客に解釈を委ねる その余因ゆえに見るものそれぞれの心に 様々な感情を換気し、作品のテーマを深く 考えさせる力を持った忘れがいシーンです 。
スタッフ
監督:野村芳太郎
脚本:井手雅人
原作:松本清張
製作:野村芳太郎、野村芳樹
撮影:川又昂
音楽:芥川也寸志
美術:森田郷平
録音:山本忠彦、松本隆司
照明:小林松太郎
編集:太田和夫
製作会社:松竹
配給:松竹
出演者
緒形拳:竹下宗吉
岩下志麻:お梅(宗吉の妻)
小川真由美:菊代(宗吉の愛人)
岩瀬浩規:利一(菊代の長男)
吉沢美幸:良子(菊代の長女)
石井旬:庄二(菊代の次男)
蟹江敬三:阿久津(刑事)
穂積隆信:水口(ブローカー)
大滝秀治:銀行貸付係
松井範雄:紙問屋店員
加藤嘉:医師
田中邦衛:パトカーの警官
江角英明:アパートの管理人
桧よしえ:近所の女
三谷昇:新幹線の車掌
大竹しのぶ:婦人警官