令和6年能登半島地震により甚大な被害を受けた石川県では、発生から1年以上が経過した現在も、多くの地域で復旧作業が続けられています。
こうした状況を受け、地元石川県の中心地である金沢市から能登半島を後押ししたいという強い思いから、被災地に向けたロックフェスが開かれました。出演したのは、大物有名アーティストら16組です。
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5月10日、石川県産業展示館で開かれた「GAPPA ROCKS ISHIKAWA」。イベント名にある「がっぱ」は石川県の方言で「一生懸命になる」という意味で、「一生懸命、がっぱになって能登を応援しよう」というメッセージが込められています。
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フェスには、奥能登地区から招待された子どもたちなど200人を含む、およそ1万人が来場しました。
熱いステージが次々と!能登へのエールが響くMRO
2号館・内灘ステージにトップバッターで登場したのは、金沢市を拠点に活動する4人組ロックバンド「プッシュプルポット」。
岩手県出身のボーカル・ギター 山口大貴さんは、13歳の時に東日本大震災を経験されていて、ライブでは、山口さんが東日本大震災を経験して生まれた楽曲「13歳の夜」も披露されました。
プッシュプルポット ボーカル 山口大貴さん「応援してくれて、助けてくれる人がいるって誇らしい」
満員のライブハウスは、手を挙げ、声を出して、一体となって盛り上がりました。
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一方、4号館・外灘ステージのオープニングを飾ったのは、「MAN WITH A MISSION」。
ボーカルのトーキョー・タナカさんは、東日本大震災以降、継続的に災害支援に取り組んでいます。能登半島地震の支援にも尽力されており、今回のフェスの開催を中心となって主導した1人です。
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ライブでは、観客との間で力強い石川コール、能登コールが交わされ、会場のボルテージは最高潮に。
MAN WITH A MISSION ジャンケン・ジョニーさん「誰でもどんな形でも、大小は全く関係ないです。どんなささやかな思いでも、それは大きな意味を持ちます。みなさまの元気、思いやり、目を向けている姿勢が必ず復興につながります。」
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この日、国内外で活躍する16組のアーティストたちが、能登への想いを胸にそれぞれのステージに立ち、音楽を通して力強いメッセージを届けました。
能登の飲食店やボランティア団体のブースもMRO
会場には能登で営業を再開した飲食店が出店。現在活動を続ける支援団体もブースを設け、多くの人で賑わいました。さらに、会場の一角には、技術系ボランティアの活動を体験できる高所作業車やバックホーが設置され、普段触れることのない重機に、参加者たちは興味津々の様子でした。
MRO被災地のニーズに応える支援
まず、長年にわたり被災地で活動を続けるOPENJAPANの川島莉生さんにお話を伺いました。
OPENJAPANは2011年の東日本大震災の時に設立された団体で、その後も被災地で活動を継続。技術系ボランティアとして、重機やチェーンソーを使った作業や、ボランティアセンターの運営サポートなどを行っています。
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今回のブースでは「能登を知ってもらう」ために、能登での1年間の支援活動の写真展示を行ったほか、能登のお母さん達が漁網などで作った製品を販売し「買って応援してもらう」機会を設けました。
川島さんは、今の能登にとって最も支援に繋がるのは「能登の経済を回す人が入ってきたり、能登を知って、能登のものを買ってもらったりすること」だと話します。
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OPENJAPAN 川島莉生さん「能登に行けなかったら、フェスに来て感じたことをSNSで発信したりとか、記事を見たときにシェアしたりとか、1ヶ月のうち10分でもいいから能登のことを考える。思い合うことって誰でもできる支援。思い合うことで能登の復興が近づいてくるんじゃないかなって感じています。」
能登の味と復興への想い
次に、能登町にある大脇昆布の大脇弘子さんにお話を伺いました。
今回のブースでは、おやつ昆布や昆布チップス、トーストにかける瓶詰めの昆布などを販売し、中でも昆布チップスは「月に頑張って50個しか作れない」ところを「徹夜で100個作ってきた」と気合十分でした。
能登半島地震からの歩みを振り返り、大脇さんは被災当時の状況を語ってくれました。地震直後にインフルエンザに感染し、熱がある中、屋根に上って瓦を直した記憶や、4月27日頃まで水が出なかったことなど。最近は、被災当時に食べていたものと同じものを作り「被災の味だね」と家族で話したそうです。
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大脇昆布 大脇弘子さん「忘れられると頑張れなくなるんですけど、でも自分たちも頑張らないと応援されないので、その両方の気持ちを皆さん持っていただきながら、末永く能登半島のことを応援していただけると嬉しいです。」
「音楽と掛け合わせて楽しい雰囲気の中で災害を見て学べる」イベント参加者の声MRO
地元金沢から参加した女性は、輪島のフグの塩焼きそばを味わいながら、イベントの賑わいを楽しんでいました。イベントを通じて「忘れないで」「まだまだ」という能登の方々の声を聞き、復旧・復興は道半ばであることを改めて感じたといいます。
金沢からの参加者「MAN WITH A MISSIONっていうバンドが好きで、すごい能登のこと応援してくれてるバンドなので、私も応援したいなと思って参加しました。能登に興味持ってもらうっていうところがまず一歩かなと思うので、私も積極的に能登の方に応援しに行きたいなって思ってます。」
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富山県から家族3人で訪れた男性は、手に持った鮮やかなブルーのバッグについて教えてくれました。これは輪島市南志見地区の住人の皆さんが、災害後にゴミになってしまうブルーシートを再利用して手作りされたカバンだといいます。
男性自身、過去に災害NGO結という団体で約9ヶ月間、能登に住み込みでボランティア活動を行っていた経験があり、今回は南志見地区の皆さんとの再会も楽しみに参加されたそうです。
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富山からの参加者「新たに金沢の方たちに、今の能登の状況を知ってもらうっていう部分で、音楽と掛け合わせて楽しい雰囲気の中で災害とかを見て学べるんじゃないかと思います。」
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参加者は、それぞれが能登への異なる関わり方や思いを持ちながら、このイベントをきっかけに能登の「今」を知り、自分にできる形での応援を続けたいという共通の願いを抱いていました。
BRAHMAN TOSHI-LOWさんやORANGE RANGE YOHさんなど…アーティストからのメッセージ
GAPPA ROCKS ISHIKAWAに出演したアーティストの中で、5組に取材。音楽を通じて被災地へエールを送り、支援を呼びかける彼らの言葉を紹介します。
プッシュプルポットMRO
金沢発の4ピースロックバンド、プッシュプルポット。
大学の軽音サークルで結成され、2019年に現在のメンバーとなりました。作詞・作曲を手がけるボーカル・ギターの山口大希さんは岩手県出身で、13歳のときに東日本大震災で被災した経験をお持ちです。
金沢を拠点に精力的な活動を続け、ライブ会場に募金箱を設置するなど、能登にも思いを寄せ続けています。
プッシュプルポット ボーカル 山口大貴さん「まだまだ復興は進んでないなって思いましたし、それ見て胸が痛くなって僕たちって何できるんだろうって考えた上で、やっぱり自分たちができるのは音楽だからこそ、より気持ちを込めて、1本1本のライブするようになりました」
山口さんは自身の東日本大震災での被災経験にも触れ、「あったことを忘れないために曲を書いている」 としながら、「でもあの日の経験があったからこそ、能登でのその様子見に行ったときに自分なりの考え方だったり、石川県を代表するバンドとしてライブでしっかり石川県の現在の状況だったり、気持ちを伝えてるのかなって思います」 と語りました。
プッシュプルポット ボーカル 山口大貴さん「俺たちはバンドやってて、元気づけたいなって思ってますし、もしもつらくなったときにあなたが聞くための音楽でありたいなって思ってます」
片平里菜さんMRO
アコースティックギターを手に、凛とした歌声で日常の本音やラブソングを紡ぐシンガーソングライターの片平里菜さん。福島県出身で、2013年のデビュー以来、等身大のメッセージで共感を集めています。
片平さんは今年のゴールデンウィークに珠洲市や羽咋市でライブを行ったり、輪島ではボランティア活動で土砂の運搬作業にも参加したりするなど、能登に頻繁に訪れ、支援活動を行っています。
能登の状況について、2024年の11月以来、約半年ぶりに訪れた印象を「大きく変わったわけではないけれど、少しずつ復旧から復興に向かっている様子も見えた」 と語り、「まだまだ人の手は必要だと思いますけど、引き続き気持ちだけでも寄り添っていきたい」 と、継続的な支援の必要性を感じたそうです。
シンガーソングライター 片平里菜さん「もちろん地震や水害、自然災害はなかったら良かったですけど、でもこれをきっかけに、気づかなかった地元の良さを再確認して、もっと好きになれたらいいなって。能登のことも、金沢のことも、それぞれが住んでいる町のことをもっと大切に思えるようになったら、きっとそれが未来の防災・減災に繋がるんじゃないかなと思います」
ORANGE RANGE YOHさんMRO
沖縄出身の5人組ロックバンド、ORANGE RANGE。
ベースのYOHさんは、2013年頃から復興支援団体「幡ヶ谷再生大学 復興再生部」の活動に参加し、様々な被災地で支援活動を行ってきました。能登半島でも、豪雨被害が大きかった輪島市南志見地区での炊き出しに同行しています。
今回のGAPPA ROCKS ISHIKAWAへの参加は、南志見地区での個人的な支援活動がきっかけ。南志見地区での炊き出しでは、メニューの魯肉飯を「すごく美味しいって言っておかわりをもらいに来た人もいたりして、『どうぞ〜』ってこのやり取りがすごく印象に残っている」 と、温かい交流があったことを語りました。
ORANGE RANGE YOHさん「大変な思いをされてる方々が今多いと思うので、ちょっとでもそれを緩和するというか、盛り上げる時間があってもいいよねっていうふうに思ってもらえたら」「個人なのかバンドなのかわからないですけど、引き続きちょっと見守っていけたらなというふうに思っています」
THE BONEZMRO
2012年に始動し、精力的なライブ活動で人気を集める4ピースロックバンド、THE BONEZ。
ボーカルギターのJESSEさんは、能登半島地震後すぐにチャリティーグッズを作成して収益を寄付したり、能登半島地震を風化させないという思いでチャリティーシングルをリリースしたりするなど、様々な活動を通して能登半島に心を寄せ続けています。
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GAPPA ROCKS ISHIKAWAでのライブは入場規制がかかるほどの大盛況で、JESSEさんは「一番の褒め言葉というか、みんなそんなに見たかったんだなと嬉しかった」 と喜びを語りました。
これまでのライブで「Thread & Needle」という楽曲を披露する度に「能登に届けるためにみんな歌ってくれ」と呼びかけてきた経験から、石川でそれを実現できたことについて、「ようやくちゃんと受け取ったって感じられた」 と、音楽を通じて思いが通じ合ったと語りました。
THE BONEZ JESSEさん「きっとまたつらいことは起きるし、でもつらくないことが無い方が人生豊かだとは僕は思わない」「これからもきっといろんな壁が押し寄せてくることはあると思いますが、信じる希望があれば乗り越えられるので、そういうときに音楽を使っていただけたら嬉しいかなと思ってます」
BRAHMAN TOSHI-LOWさんMRO
1995年結成のロックバンド、BRAHMAN。
ボーカルのTOSHI-LOWさんは、復興支援を行うNPO団体「幡ヶ谷再生大学 復興再生部」の代表も務めています。東日本大震災での支援物資届けから活動を始め、様々な被災地で支援活動を行い、音楽ファンと被災地を繋ぐ取り組みを続けています。
BRAHMAN TOSHI-LOWさん「感じることはSNSとかテレビを見てれば大変そうだなとか気づくことはできるけど、そこからどうやって動くかによって自分の心のもっと深いところで感動を覚えるようなことが起きる」 「まだ奥能登の方行ってない人とかはもう観光でもいいし、もちろんボランティアしたらなおいいと思うし、やっぱり現場に行くっていうことが、もう1個新しい扉を開けるんじゃないかな」
自身が代表を務める、幡ヶ谷再生大学の活動については、「自分がたまたまミュージシャンだっただけで、違う職業をやっていても何か繋ぐことをしたんだろうし、一番自分たちができ得ることをやった」 「それが自分たちの得意なことあれば、やっぱりライブがあって石川に来たら、そこから被災地に行くお手伝いをするっていうのは、悪いことじゃないと思ってます。」 と、音楽活動と支援活動を結びつける意義を示しました。
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TOSHI-LOWさんは最後に、能登・石川へのメッセージとして、能登(NOTO)を音符(NOTE)と捉えた自身の考えに触れました。
BRAHMAN TOSHI-LOWさん「一番初めから能登に必要なものは音楽でいいじゃんって、俺はこじつけのように思ってて、今日それが体現化してこういうふうに能登に対する何か復興ということが音楽でできるっていうのはやっぱその思いが間違ってなかった」
涙と笑顔!サンボマスターと子供たちの感動共演MRO
メインステージのトリを飾ったのは、熱いライブパフォーマンスで観客を魅了する3人組ロックバンド「サンボマスター」。彼らは、2024年12月に珠洲市と輪島市を訪れ、小学校でシークレットライブを行うなど、能登に心を寄せています。
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代表曲「できっこないを やらなくちゃ」のステージには、サプライズゲストとして、珠洲市の蛸島小学校と正院小学校の子どもたちが登場。子どもたちは演奏に合わせて、元気いっぱいのダンスを披露しました。
サンボマスター 山口隆さん「世界一の仲間と演奏出来て幸せです」
子どもたちの純粋な姿と、温かい眼差しで見守るサンボマスターの姿は、言葉を超えた感動を会場全体に広げ、その光景に、涙を流す観客も。
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音楽の力で継続的な支援の必要性を発信した「GAPPA ROCKS ISHIKAWA」。16組のアーティストたちの復興への熱い想いが一つになり、大きな感動と支援の輪を広げました。