──監督がこの構想を練られていた間にも、現実世界のAIは急速に進化しました。ある意味で、SFが現実に追い越される局面も出てきています。そうした技術的現実をどのように受け止めていますか?

めまいがするほどです。現在わたしはアニメーションの新作にも取り組んでいますが、制作チーム全体が、新たな技術革新や話題に日々直面しています。制作費やスケジュールにも大きな影響を与えているといっていい。例えば、会議を「2週間後にやろう」と予定を立てても、その間にまったく新しいパラダイムが登場してしまう──そんなことが頻繁に起きています。そういう状況なので、この先どんな展開になっていくのか、本当に予想もつかないですね。

© 2025 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.

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JONATHAN OLLEY

──ヒューマン・プリンティングのような技術は、もはや空想ではない時代に入っていると。

まさにそうです。リサーチのなかで、実際に人体複製の技術開発をしている企業があることを知りました。有機物を使用して皮膚組織の出力に成功したという記事も読みました。まだ「人間の完全なコピー」とまではいかないにせよ、特定の臓器を“出力”し、それを購買可能にする未来はすぐそこまで来ている。SFと現実の境界線は、ますます曖昧になっています。

──先ほど言及されたように、本作では主人公のバックグラウンドを変更していますが、資本主義社会における「使い捨てられる労働力」が、ミッキーによって象徴的に描かれているように思います。監督のこれまでの作品でも、社会の周縁に追いやられた人々にフォーカスを当ててきました。今回もその視点は意識されていたのでしょうか?

ミッキーの設定を変更した時点で、そうしたアプローチは意識していました。映画のなかで軽視され、侮蔑される対象として描かれる存在は、ふたつ。ミッキーとクリーパー(惑星ニフルヘイムに生息するクリーチャー)です。彼らはマーク・ラファロ演じる権力者ケネス・マーシャルによって、道具のように扱われます。 マーシャルは、ミッキーに対して「アイツは複製だ」とか「これは仕事なんだから仕方ないだろう」などと言ったりします。クリーパーに対しては「おぞましい虫」といった卑下した表現を使います。この物語は、疎外されたふたつの存在が互いを認め合い、助け合っていくという物語だといえるかもしれませんが、一方で、マーク・ラファロが演じた独裁者と、その対極にあるミッキーやクリーパー、本来どちらが尊重されるべき存在であるかをこの映画は明確に伝えているともいえます。

──本作を観て、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』を想起しました。ナウシカが腐海に入り、蔑まれた生物「王蟲(オーム)」と対話しようとする姿と、ミッキーの行動が重なって見えたのです。

わたしはこれまでに8本の映画を撮っています──まだ8本しか撮れていないという言い方もできるかもしれませんが(笑)。そのうちの3本は、クリーチャー、または動物が登場します。『グエムル-漢江の怪物-』、『オクジャ/okja』、そして本作です。これらの作品におけるクリーチャー、あるいは動物は、その造形の美しさを体現しているだけでなく、その動物やクリーチャーの存在によって、人間がいかに愚かで、いかに邪悪であるのかを浮き彫りにします。つまり、鏡のような役割をしていると思います。そのような部分は、『風の谷のナウシカ』に描かれているテーマや意識と、通じるところがあると思います。

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