【危機管理担当者の後悔】津波にのみこまれた避難所 約60人の住民が亡くなる 取材したアナウンサーが朗読劇で伝える教訓 東日本大震災から14年 宮城県気仙沼市【newsおかえり特集】
宮城県気仙沼市。14年前の津波で、ある地区の住民およそ60人が津波にのまれ死亡した。
住民達が逃げ込んだのは、市が指定した避難所でした。
「大きな間違いだった」。そう話すのは、当時気仙沼市危機管理課長だった佐藤健一さん。
東日本大震災の記録や記憶を今に伝える伝承館の館長を3年前まで務め
現在は語り部の活動をしている。
実は佐藤さん、堀江アナウンサーが幼い頃から家族ぐるみの付き合いをしてきた人物でした。
堀江アナが現地取材を基に自ら脚本を書いたある朗読劇上演を先月、開催。
関西の人に一番伝えたいことは・・・。
(2025年3月11日放送)
22件のコメント
悲劇は、いつだって想定外。
震災も、事故も、犯罪も、戦争も。
震災当時のニュースで、自衛隊のヘリが撮影した気仙沼の夜の映像がまるで空襲を受けたかのように火の海になっている様子が本当にショッキングでした。
想定外を想定しないと助からない事を学びました。
もう14年前!?😮😮😮
涙で動画見せていただきました。
大切な人生と将来の天災に対する教えを頂きました。
本当にあの地震と津波は想定外すぎました😢
津波さえ来なければ…
佐藤氏の表情や言葉には後悔の念を感じますが、佐藤氏が長年取り組んだ防災により助かった命はたくさんあります。
『まさか』に備える防災
この避難所と同じく南三陸町の防災庁舎も悲劇にみまわれた。この津波は予想を大きく超えた。これからの教訓に活かされることを願いたい。
私の父は若い時にインドネシア大地震の震災地に派遣されライフラインの復旧作業にあたりました。
その時に【もし日本で大地震が起きたら?】と思うようになり防災の意識が高くなったそうです。その後、有珠山、三原山、三宅島や雲仙普賢岳噴火や中越地震、奥尻地震、阪神大震災等の日本各地の災害でライフラインの復旧作業に関わり続けました。
そんな父に関東大震災を体験した祖父がいつも言っていたのが【人の知恵が自然の力を上回る事は決して無い。だから、これで充分という防災対策も存在しない。いつでもそう考えろ。】
「避難所」という名前ならみんな集まってしまうよね…。こんな規模になるなんて誰も想定できなかった。
この場所が避難所に指定される過程をTVで見たことがあります。
市側はもっと高台を奨めていたけれど、住民からは高齢者や高齢家族を抱えて遠方へ避難できないという実情を訴えられて職員は困惑気味でした。
それが佐藤さんかどうかまでは記憶にありませんが、住民との対話を重ねてここが指定された経緯を書いておきたいと思いました。
改めて亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
どのくらいの強さの地震かと言われれば、簡単に言うと平地で立っていられないくらい揺れる。大人がその場に座っちゃうくらい揺れて全く動けない。この世の終わりかと思うくらいだ。
南海トラフが発生すれば、必ずそのくらい揺れるだろう。そうしたら必ず高台に逃げることだ。
ほんと、「万全」というものはどこにもなくて、終わりがありませんからね。
「やったから良い」「備えてるから」
そんな油断の隙を、自然は狙ってるのかもしれませんね。
南海トラフの地域は大丈夫なのだろうか。
まさかこんな津波がくるなんて
誰も想像していなかった。
とにかく忘れないことなんだと思った
佐藤さん 一生自分を責め続けないとって、自責の念に囚われているところがとても辛そうだ。
このトラウマには終わりがない…もう、忘れることもできない。
三陸の建物は7階建て24mにしたほうがいいと思うが絶対ではない。
夢洲と大阪湾一帯が心配です。14兆円も投資するなら、見世物小屋や賭場ではなく、市民と経済を守る防潮堤を建設できたのではないでしょうか?
あんたが愚かなんじゃない、人間が弱いんだ
今後は「想定外」であったこの津波の大きさが、「想定内」のこととして対応して行くしかありません。