映画の冒頭でも描かれていたように、左翼思想に傾倒したシーガーは、赤狩りの時代に政府当局から目をつけられ、演奏活動の停止を命ぜられたこともある信念の人だ。彼からすればフォークは彼の信念の実現のための手段でもあった。
むしろこのシーガーの姿は現代的といえる。ソーシャルメディアの普及で、いつでもどこでも「集い」を開催できる今日では、政治と芸術を短絡させることは常態化した。政治は文化の下流であり、文化は政治の上流である。だから、上流たる文化をおさえ、そこから下流の政治を目指して特定の創作物を流し続ければ、一定の成果が得られるものと期待できる。
そのようなシーガーと同志たちの活動の結果、教条的なフォークの部族主義も生まれた。フォークは当時の社会運動への動員の鍵だった。21世紀に入ってからのパブリックアートやユニバーサルデザインに通じる、公共の利益をあらかじめ読み込んだ創作活動の奨励である。芸術は政治に奉仕すべきという息苦しさ。全く創作に対して自由ではない頑迷な態度。そこにあるのは、美とは善である、という思い込みだ。
このように、フォークソングに公民権運動や反戦運動のメッセージを載せ正義を語ったピート・シーガーは、現代の「文化と政治を短絡させる」世相を先んじて実現させていた。
実際、ディランという「フォークの寵児」を見出したのも、音楽的嗜好からだけではなく、シーガーも参加しているニューポート・フォーク・フェスティバルを成功に導くためでもあった。シーガーにはシーガーでちゃんと打算があったのだ。ボブ・ディランはいわば彼にとっての秘密兵器だった。
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この映画は、そのニューポート・フォーク・フェスティバルで始まり、ニューポート・フォーク・フェスティバルで終わる。ボブ・ディランは、ニューポート・フォーク・フェスティバルでスターダムに上り、ニューポート・フォーク・フェスティバルで、自らその偶像破壊を決行した。このフェスティバル自体、公民権運動や反戦運動など、左派の支持者たちがフォークという文化的象徴のもとに集った「コクーン」であった。そのコクーンをディランがぶち破った。ディランは第三者に操作されながら創作活動に従事することをまったくよしとしなかった。勝手に時代の重荷を背負わせるな、と。その一方で、自分はミューズの化身であると自負し、時代を映す鏡としての吟遊詩人の立場を取り続けた。
だから、確かにシーガーとディランの二人の思惑が都合よく交叉したときもあったのだ。だが、そのウィン・ウィンの関係も長くは続かなかった。
バイクで立ち去るシーンが暗示すること
ともあれ、シーガーは、この映画の中では、規範中の規範、信念に殉じる優等生であり、躾のなった統制の取れた大人である。そのような四角四面な躾の監獄からシャラメ演じるディランは脱走する。シーガーは乗り越えるべき父であり、倒すべき敵である。
ディランは最後に、シーガーたちのもとからバイクに乗って立ち去ることになるが、そのことで、結局、創作における自由、が手放しに称賛された。