【世界に誇る日本映画】「侍たちはその後どうなったのか?」奇跡の傑作『七人の侍』を演じた名優たちの生涯

世界に誇る日本映画の筆頭に挙げられる、黒澤明監督の傑作、『七人の侍』。この作品については過去の動画でも製作エピソードや名場面集などをご紹介しましたが、この動画では、この作品で魅力的な侍を演じた名優たちの生涯を辿ってみたいと思います。彼らの素顔はどのようなもので、どのような人生を歩んだのでしょうか。

※お詫びと訂正
動画中で、以下の間違いがありました。お詫びして、訂正いたします。
享年◯歳→享年◯

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40件のコメント

  1. 7人のサムライの中では加藤大介が好きです。陸軍中野学校シリ―ズでは主人公の上官役で出演しており名脇役ぶりが光っていました。

  2. ちなみに村娘志乃を演じた津島 恵子(つしま けいこ)は 2012年〈平成24年〉8月1日86歳で亡くなっていますね
    17歳の若侍の役を演じた木村功は当時すでに30歳だったなんてびっくりですよね

  3. この時代の映画や役者は凄い人がいましたねぇ!歳を取ると昔はねぇと言いたくなるが、やはりこの時代の日本映画は正に娯楽であっりそして芸術で有りました!

  4. ラスト近くの写真は「七人の侍+淀川長治」ですね。髪が黒々として若くも見えますが、淀川は1909年生まれで黒澤明と同学年。志村喬以外の侍たちは彼より若かった。

  5. 黒澤は七人の侍を撮り終えたとき、こう言っている
    「撮り進めるに従い、粉々になっていたように僕のイメージは、それでも大した狂いもなくフィルムに収まっている。皆に感謝を述べたい」

    黒澤が本当に侍たちの実力を知ったのはこの時だったようだ。
    それにしても、昔の日本には味のある多士済々な役者がいたんだなと実感する。今はとにかく、同じような顔したイケメンばっかでどうにもならない

  6. 面白いのが七人の中で実際は侍でない菊千代役の三船敏郎さんが後に海外からも日本を代表する侍俳優と名を成したのに対して他の方々はそうならなかった事ですね😮特に加東大介さん千秋実さん稲葉義男さんの御三方は個人的には典型的な中間管理職のオジサンの雰囲気が強いです😅

  7. 黒澤作品はほとんど見ていますが、役者に焦点をあてた本動画は大変面白かったです。ありがとうございました。

  8. 約29分間あっという間に見てしまいました。大の黒澤明フアンなので知ってる事も多かったですが、大変ためになる動画でした。
    資料、画像集めも大変だったと思います。改めてありがとうございました。

  9. 黒澤明監督の七人の侍が最高です。荒野の7人等、ハリウッド映画に与えた影響は計り知れません。スピルバーグを始め多くの監督にも影響を与えましたね。黒澤明監督の雨待ち、風待ち等リアルを追求した撮影法は今ではCGやAIに取って代わられましたが、やはりリアルさでは黒澤明ワールドは最高だったと思います。

  10. 本当に素晴らしい昔の日本映画は沢山ありました。
    黒澤の「どん底」なんて芸術的だったな!
    今時のテレビなんて一億総ハクチ時代✖10でつまらないものばかり!
    私も年をとりました。
    こんな良い映画を知っていて幸せです。

  11. 本当によく調べておられ大変興味深い動画でした。私の夫はアメリカ人なのですが大の日本映画ファンで、この動画に英訳のサブタイトルがあれば...と残念がっていました。出来るだけ面白い内容は掻い摘んで話したのですが、世界中に熱烈なファンがいる「七人の侍」なので、英訳もあればもっと沢山の視聴者が楽しめると思います。

  12. 黒澤監督と三船敏郎は世界に誇れるコンビで空前にして絶後、いまもアナログビデオで楽しんでいます。三船とチャップリンの写真もあり、チャップリンから声をかけたとか。

  13. 三船敏郎に関するエピソードは数多語られていましたが、「七人の侍」全員をこのようにまとめて紹介する動画は今までなく、また知らないエピソードもたくさんあったので、大変面白く拝見しました!志村喬は言わずと知れた、黒澤映画のもう一人の柱。「七人の侍」は志村・三船ダブル主役による最後にして最高傑作と言えるかと思います。稲葉義男は動画でも紹介された通り、本作での撮影で相当苦労し、またその後の黒澤作品出演は「蜘蛛の巣城」一作であったことから、ただ一人「黒澤作品の常連」とは言い難い俳優であったと言えます。加東大介、いずれの黒澤作品でも存在感を示しましたが、たったの4作品であったことは意外でした。千秋実は稲葉義男と異なり、黒澤映画でも飄々とリラックスして撮影に臨んでいたようですので(Youtube動画で黒澤明・藤原窯足・上原美佐対談がありますね)、重苦しい黒澤映画にあって一服の清涼剤的な存在でした。宮口精二の久蔵、後にも先にも彼がこのような役を演じることはなく、まさに奇跡的なキャラクターであったかと思います。木村功は、広島の原爆で両親を亡くされているというエピソード、初めて知りました!最後に、後日彼らが一堂に会する対談があったというのも驚きです!司会進行は画像を見る限り、おそらく淀川長治さんですね。このVTRが残っていたら、是非見てみたいものです!

  14. 中学は洋楽にどっぷり
    高校は映画にどっぷりだった、、、ちなみに邦楽は女が出来たから聞き出したぐらいどーでもいい存在だったなぁ
    静かなる決闘や悪い奴ほどよく眠るなどはレンタルで見れたけど、七人の侍とか隠し砦の三悪人とかは海外版を探してやっと見たって時代
    しかもレンタル料も1本1000円ぐらいだったかな最初の方は(LDでは生きるとかもあったけど持ってなかったし)
    劇場で見たのは、夢と八月のラプソディ

  15. 誰もが知る有名作や名曲を演じたり歌った方々のその後の人生の解説動画のタイトルに「その後の人生がやばすぎた」という頭の悪い煽り文句で釣る下品な動画の氾濫に嘆いてたので、こちらの動画を見かけた時は感激しました。こういうのをずっと観たかった。ちゃんとタイトルからも敬意を感じられて、とても楽しく拝見出来ました。

    志村さんの「その後」だと、個人的に大岡越前の海野呑舟先生という初代小石川養生所の主任医役がお気に入りです。たま〜に片岡千惠藏さんとの共演があると東宝と東映の千両役者のツーショット!とテンション上がりました笑

  16. 自分は黒澤作品は評価しない、第一にセリフが何を喋っているのか、ききとれない。羅生門は芥川龍之介の作品であるが、あのシーンは、芥川の「藪の中」の場面である。

  17. ありがとうございます!イスタンブールで試聴させていただきました。
    ここアナトリアには戦前の日本映画も含め、黒澤ファン、北野ファン
    、宮崎ファン、世界中どこの映画とも異なる「日本映画」のファンがひしめき合ってる感じです。日本料理とか日本酒とか日本のマンガとアニメとか、日本の総合芸術は異次元のエイリアンだともっぱらの絶賛ばかりです。とっても嬉しい動画ありがとうございます🌈

  18. 高校の時、先生が、七人の侍の主人公は誰かと質問した。
    生徒は、志村喬とか、三船など答えた。しかし、先生は農民という。木村功が娘と田植えをして農村に残るラストシーンを見れば明確だという。
    先生は七人の侍に庶民と知識人を見たのだろう。記憶に残る先生だった。先生は共産党員で芥川賞候補にもなった人だった。

  19. 「七人の侍」のなかのセリフ、「気が付けば親も兄弟ももう居ない」はアメリカのリメーク版 MAGNIFICENT SEVEN(邦題:荒野の七人) でも使われていました。

    七人の侍は当時流行語になっていたようで、吉田茂自由党に叛旗を翻した鳩山一郎氏をリーダーとする七人の政治家を新聞では七人の侍と名付けていました(という話です)。

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